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●ゲームデザイン入門<第六版> ――1992.08.16 初版発行 ――1997.08.15 第六版第三刷発行 ――企画・編集 ざるの会 ※基本的に原文のままHTML化してあります。 第四版の後書きいかがであったろうか?行間に何かしら精神的トーンの暗さを読み取られた方がいれば、その方は正解である。 この本は編者達の間では「絶望の書」と呼ばれているのだ。我々の足元は針の先ぐらいの広さしかない。 既にお気づきの読者もおられるだろうが、この暗さは、この本の理論体系のベースに「人間の存在は有限」という思想が存在することによる。すなわち、「受手である人間が有限である以上、ビデオゲームの可能性も有限」という、一種の諦めにも似たシニカルな視点で貫かれているのである。 この思想は更に以下の二つの要素から成り立っている。 一つは人間の能力に対する見解である。 人間の能力が律速段階となって、ビデオゲームの可能性を縛るであろうという見解である。実際、現在の3Dゲームのゲームとしての進化の足踏み状態はこのためである。よって、遊ぶ人間が進化しない限り、「インターフェースや映像表現等の技術がいくら進歩しても、やっていることは“ストII”と同じ」という状況になりかねない。 もう一つは、人間の嗜好と自由意志に対する見解である。 人間の行動の8割以上は、本能や外部(環境や文化・教育)から導入されたルーチンに支配されている。それも無自覚に。人間の自由意志のシェアは限りなく小さいのだ。 もちろん、自由意志のシェアを意識的に拡大すれば、人間個人の可能性は無限と言えるだろう(そしてそれは「悟り」と呼ばれる)。 しかしながら人間を集団として捉えた場合、あるいは長期的なスパンで見た場合、自由意志は誤差として吸収されてしまい、人は決定論的な行動を取ってしまう。さらに言えば、自由意思では快感は発生しない。そして、ビデオゲームは人を集団として捉えないと採算のとれない大衆性の商品であるし、快感を供給するのが目的であるから、ビデオゲームの将来も決定論的なものと言わざるを得ない。 純粋な対個人ゲームの採算がとれる(パソコンゲームは現在この境界線上をふらついている)ようになるか、【テトリス】のような新たな麻薬が次々と発見されない限り、いくつかの理想型に向かってビデオゲームは収束し、最後にビデオゲームそのものが人々から飽きられてしまうであろう(それ以前に、業務用は消費税の税率UPだけで既に絶体絶命なのだが…)。 もっとも、「ゲーム」ではない別のビデオ娯楽に逃げるという可能性はまだまだ残っている(無限とは言わないが…)。結局、「ゲーム」に携わる人間の憂鬱に過ぎないので、「楽しければ何でもいいや」というポリシーの無い人は、あまりこのペシミズムに染まる必要はないだろう。 自分で解題ばかりしていても何なので、第四版の追加部分について。 第四版での改訂は、人間側からの視点の追加がメインである。当初は心理学的な手法の導入を計画していたが、結局、深く追及しないことにした。これは、数理的な追及の過程を提示しても、ページ数が増えるだけで実利的な効果が殆ど無いと踏んだからである。また、先人達の調査報告等でも、数理統計的な処理からビデオゲームの構造を解明したり実際の仕様設計に役立つような結論を得られていないようである。 結局我々は、「人間という自然存在の真理」を通して「ビデオゲームの真理」を知りたいのであって、「ビデオゲーム」を通して「人間存在の真理」を探究したい訳ではないのだ。「人間」はあくまで道具に過ぎない。欲しいのは「工学」であって「科学」ではない。 今後の予定について。 今後は、誤植の訂正以外には基本的に改訂を行わないつもりである。ビデオゲーム界に画期的な製品が登場するか、あるいは本書を凌駕する理論体系が登場するまで(残念ながら1993年10月現在、ビデオゲーム関係の書籍では本書は空前絶後の存在であり、他の理論書は現われていない)、「ゲームデザイン入門」はしばらくお休みする予定である(要望があれば増刷は行う)。 御意見・御感想も引き続き継続してお待ちしている。いつになるか判らないが、次の第版への蓄えとしたい。宜しくお願いする次第である。 それでは、何かまた別の機会でお会いするまで。 1993年 神無月 ビデオゲーム工学学会 編者代表 蓼沼 純一 第五版の後書きこの度、とある事情により、編集出版作業をビデオゲーム工学学会が自ら行うことになった。長らくお世話になったざるの会出版の皆様方には、厚く御礼申し上げる次第である。そこで、第四版の後書きで述べた通り基本的に改訂は行わないつもりであったが、この機会を捉え、大幅に版組を変えることにした。 また、内容についても、現在の業界情勢(特にCG化の流れ)や最新の学術論文、そして第四版発行後に持ち上がった「評価」の問題を考慮して、若干のリライトを行っている。もっとも、論理構成そのものは変更されていないので、第四版をお持ちの方は安心して頂きたい。 現在、当学会では「企画」と「評価」の問題に取り組んでいる。 次の発行物はこれらについての本になる予定だが、「ゲームデザイン入門」よりは軟らかい本になると思う。気長に待っていて欲しい。 御意見・御感想をお待ちしている。 1995年 卯月 ビデオゲーム工学学会 編者代表 蓼沼 純一 第六版の後書き改訂を行わないと宣言しておきながら、たびたび改訂を行ってしまい、真に申し訳ない。これからは、前言を撤回して、適宜改訂を行っていく予定である。昨今、ゲームの構造について語ろうと試みる書籍が出始めている(特に、ビデオゲームの説明に十年一日の如くカイヨワの「遊びの四分類」を持ち出してくる類の本には、引っ掛からないように要注意である。持ち出した時点でビデオゲームを語る者として失格なのだから)。 と言いつつも、今回改訂を行ったのはこの事だけでなく、認知科学と出会って自分達の未熟さも痛感したからである。 そこで、稚拙ながらも各項に認知科学の知見を盛り込んでいった。特に難易度についての分析は、殆ど新たに書き下ろしている。 しかしながら、それらは情報処理アプローチによる知見が殆どで、本命のアフォーダンス理論には、能動性知覚の件で表層に微かに触れただけである。このアフォーダンス理論はかなりゲームデザイン理論と親和性が高いと睨んでいる。この方面で、しばらく深く掘り下げていきたいと考えている。 この第六版は、MacintoshのOSバージョン風に表現すれば、SYSTEM7.5.3といった所だろうか。奇しくもアフォーダンス理論を研究するドナルド・ノーマン博士の手による新世代インターフェース“Fanfare”によって、MacintoshのOSも生まれ変わろうとしている(SYSTEM8かGershwinになるかは不明)。果たして、本書がSYSTEM8相当になるのが早いか、“Fanfare”の実現の方が早いかは、我々自身も興味深いところであり、励みでもある。 なお、知的ニヒリズムからの脱出は「ゲームデザイン要説」の方で図る予定である。 そして、ゲームデザイン研究シリーズ第三作目として、系統発生学的な見地から解説する「ゲームデザイン大系(仮題)」の準備も始めている(代表編集が交代する予定)。例によって、気長に待っていて欲しい。 我々も、まだまだ精進が足りない。読者諸兄の御意見・御感想・叱咤激励を切にお待ちしている。 1996年 水無月 ビデオゲーム工学学会 編者代表 蓼沼 純一 |