|
●ゲームデザイン入門<第六版> ――1992.08.16 初版発行 ――1997.08.15 第六版第三刷発行 ――企画・編集 ざるの会 ※基本的に原文のままHTML化してあります。 3)難易度3-1)定義ビデオゲームの難易度とは、一言で言えば以下のようになる(この定義については、プレイヤー同士の対戦に「難易度」が存在するかどうかを考えれば、容易に了解が得られると思う)。
3-2)情報処理モデル日常言語としての「難易度」とずれる部分も出てくるが、取り敢えず情報処理アプローチで、考えられる難易度要素を網羅的に挙げていこう。a)マクロ難易度 そこでまず、ビデオゲーム全体での「問題(目的)」構造について見てみると、「大問題(大目的)」はいくつかの「中問題(中目的)」が「解決(達成)」される事で「解決(達成)」され、さらにその下に「小問題(小目的)」が付く、という階層構造を成している事が分かる。 然るに、この構造から来る難易度要素を考察してみよう。 第一に、「小問題(小目的)」が「未解決(未達成)」の場合の「罰則」の総和が、上位の「大問題(大目的)」を「解決(達成)」するための「苦労」であると言える※6。ゆえに、「目的未達罰則量」は難易度の要素の一つである。具体的に言えば、「敵」の攻撃を喰らった時のダメージ量や、シューティングゲームでの初期自機数(の逆数)などが挙げられる。 第二に、実際のビデオゲーム上では「小問題(小目的)」は時系列上に並べられて提示される。一方、プレイヤーの問題処理速度には限界がある。よって、「小問題(小目的)」間の時間的間隔が上位の「大問題(大目的)」の難易度の要素の一つである事が分かる。例えば、いわゆる「横スクロールアクション」での敵の出現間隔などが挙げられる。この「問題提示速度」は前述のパルスチャートに於ての「勝つ」の「周波数」の相当する。 第三に挙げられるのが、「問題提示エントロピー」である。これは学習による問題処理の簡便化を、阻害する要素である。一度無意識化された問題処理過程を別の問題処理に切り替える事は、人間にとって非常に苦労を伴う。よって「問題提示エントロピー」は難易度の構成要素の一つと言える。そこでこれは何で規定されるかというと、「問題の種類」「提示序列の規則性」「時系列分布(リズム)」の三つである。人間は、同間隔であっても同じ種類より異なった種類の問題処理が連続する方が遥かに苦手であるし、問題提示の順番に規則性が無いと推測による先行処理ができなくなるし、「問題の種類」が同じでもリズムを外されると誤回答(誤入力)を起こし易いのだ。 以上、ビデオゲーム全体の問題構造から来るマクロ難易度をまとめて数式的に表現すると以下のように表わせる。
次に、個々の単位問題を解決する際の難易度要素を考察してみよう。 個々の単位問題の解決には、プレイヤーが解決法を考え(意思決定過程)、それを入力し(入力手続過程)、その入力がビデオゲームの評価判定をパスする(入力評価過程)、という三つの過程を経る必要がある。図化すると以下のようになる。 ![]() ▲図2-8 単位問題の処理サイクル よって、この三つの過程の進行にかかる負荷値(抵抗値)がミクロ難易度と言えよう。ゆえにミクロ難易度の構成要素は「意思決定難易度」「入力手続難易度」「入力評価難易度」の三つのカテゴリーに分けられる。
人間が問題を処理する方法にはアルゴリズム(algorithm)とヒューリスティックス(heuristics)の二種類がある。アルゴリズムとは正しく適用すれば必ず正しい結果が得られる一連の手続のことである。ヒューリスティックスとは、必ずしも正しい結果が得られる事は保証されていないが、適用が簡単な手続のことである(「うまいやり方」と訳されている)。 さて、大抵の場合(ビデオゲームに限らず)、人はヒューリスティックスを用いる。 その理由は、第一に、問題自体に正解をはじき出すアルゴリズムが存在しない場合が多いからである。 元々、問題処理の最終段階には意思決定が必須であり、その意思決定には「確実性下の意思決定」「リスク下の意思決定」「不確実性下の意思決定」の三種類がある。「確実性下の意思決定」とは選択肢を選んだことによる結果が確実に決まってくるような状況での意思決定のことであり、「リスク下の意思決定」とは選択肢を選んだことによる結果が既知の確率で生じる状況での意思決定である。また「不確実性下の意思決定」とは、選択肢を選んだことによる結果の確率が既知でない、あるいは確率では表現不可能な状況での意思決定である。具体的に言えば、対人相互作用における意思決定、即ち数学的な意味での「ゲーム」である。 つまり、問題構造が「リスク下の意思決定」「不確実性下の意思決定」を要求する場合は、必ず正解をはじき出すアルゴリズムが存在しないので、ヒューリスティックスを採用せざるを得ないのである。 第二に、問題の本質的構造が「確実性下の意思決定」であっても、選択者が「不完全情報環境」(提示計算情報が必要十分でない状況)にいれば、選択構造は「リスク下の意思決定」「不確実性下の意思決定」になってしまい、これもまたヒューリスティックスを採用する事になるのである。 第三の理由は、人間の作動記憶(あるいは短期記憶)能力の限界である。コンピュータに例えれば、レジスタやRAMの容量に限界が有るということである。これにより、ある程度以上の複雑さや規模を持った計算は人間にはできない。よって、正しいアルゴリズムが存在しても、それを最後まで計算できない場合は、ヒューリスティックスで代用してしまうのである。 さてここで、意思決定(問題処理)過程で不正解の入力内容が決定してまう状況を、上記のアルゴリズム(以後Aと表記)とヒューリスティックス(以後Hと表記)の観点で場合分けする。すると「正しいAが適用されている状況」「正しいHが適用されている状況」「誤ったA or Hが適用されている状況」「適用するA or Hが無い状況(思考停止)」の四つに分けられる。そこで、それぞれの状況について、不正解の内容が生まれる原因を、意思決定(問題処理)過程の流れを踏まえて考察する。 ![]() ▲図2-9 意思決定(問題処理)過程 b-1-a)正しいAが適用されている状況 まず「正しいAが適用されている状況」で不正解が生まれる原因だが、これは「解法の適用シミュレーション」段階での「計算間違い」が原因である。では「計算間違い」を発生させる要因は何かというと、「必要計算の複雑性」「提示計算情報の不足」「計算欺瞞情報」「問題の提示表現方法」がもたらすプレイヤーの「気分」の四つが挙げられる※7。 「必要計算の複雑性」とは、「解法の適用シミュレーション」段階での計算の複雑さのことである。プレイヤーは問題の解決法を考える際、それを実際入力したら、ビデオゲームがどういう出力を行うかを考える。つまりビデオゲーム内の計算基準を想定して計算を行う。その計算の「複雑性」が作動記憶(短期記憶)能力の限界を越えてしまうと、作動記憶(短期記憶)の変容や欠落等が発生してしまうのである。 では「複雑性」は何で規定されるかというと、様々な要素が挙げられるが、代表的なのは「参照パラメーター量」「パラメーターの非独立性」「深度」であろう。 「参照パラメーター量」とは文字通り、一回の計算で参照しなければならない、即ち作動記憶(短期記憶)上に記憶を保持しなければならないデータ量のことである。 「パラメーターの非独立性」とは、文字通り、計算に使うパラメーターが独立でなく、一つを変化させると他のパラメーターも変化してしまうということである。これが、著しくなればなるほど計算が複雑になっていくのである。特に「あちらを立てればこちらが立たず」という「トレードオフ構造」は、「リスク下の意思決定」「不確実性下の意思決定」にも採り入れ易く、ビデオゲームに於て顕著に用いられる。 「深度」とは意思決定の再帰構造の深さの事である。ビデオゲームのサイクルにおいて、入力と出力は1:1対応とは限らない。複数の入力と回転を経て出力される状況も存在する。つまりフィーチャーによっては、正しい(と思われる)意思決定を導き出すのに、プレイヤーの脳内の仮想サイクルを何回も回す事が要求される場合があるのだ。例えば、一般的に戦争シミュレーションゲームには、このような「深度」の深いフィーチャーが多いと言える。この要求仮想入力(回転)数が「深度」である(もちろん「ビデオゲーム」では不完全情報下での意思決定である事が多いから、いくら仮想回転させても完全に正しい意思決定を行えるとは限らない)。将棋風に表現すれば、「何手先まで読まなければならないか」である。 「提示計算情報の不足」とは、正しいAの適用計算を行う際に必要なデータを、ビデオゲームが必要十分に提示していないことである。 「計算欺瞞情報」とは、正しいAの適用計算を行う際に、適用計算を間違えさせるためにばらまかれた、不適切な欺瞞データのことである。例えば、ビデオクイズでの不正解選択肢などが挙げられる。 「問題の提示表現方法」がもたらす「気分」の問題とは、例えば「シューティングゲームでBGMの曲調によって弾よけのやり易さが異なる」というような現象のことである。ただこのような「情動が認知過程に与える影響」については、認知科学の中でも研究が遅れている分野の一つなので、難易度要素として定性・定量的に把握するためには後学を待たなければならない。 b-1-b)正しいHが適用されている状況 次に「正しいHが適用されている状況」で不正解が生まれる原因だが、第一に「Hを採用せざる得ない状況」そのものである。つまり、Hは必然的に不正解を生み出す可能性があるのだから、AでなくHを採用せざる得ない状況を生み出す原因を考えれば良い。即ちそれは前述した通り、「リスク下の意思決定」「不確実性下の意思決定」を要求する「問題構造」と「不完全情報環境(提示計算情報の不足)」、そして「必要計算の複雑性」である。 第二に、「リスク下の意思決定」状況下に於ける、「不正解の確率的存在性」である。つまり、どれだけ計算しても正解の位置は確率的にしか把握できないのだから、どの選択肢を選択しても、それが不正解になる場合が存在するのである。よって、採りうる手段(選択肢)の幅、即ち「自由度」を分母、正解として許容される手段(選択肢)の幅、即ち「入力内容許容度(後述)」を分子とする、「正答含有確率」の形でプレイヤーは問題と対面する事になる※8。ゆえに、「正答含有確率」が定量的な難易度要素となるのである。 第三に、「不確実性下の意思決定」状況下に於ける、「相手の強さ」が挙げられる。「不確実性下の意思決定」とは即ち「ゲーム(駆け引き)」のことである。しかもビデオゲームに於ける「駆け引き」は「ゼロサムゲーム」であるから、数学的に最善手が求まってしまう。となると、「審判」と「相手」を兼ねるがゆえに、ゲーム世界での情報を完全に把握し理論的にミスを犯すことの無いコンピュータに、プレイヤーは絶対に勝てない※9。不正解しか選択できないことになる。しかし現状では正解が存在し、プレイヤーが勝つこともある。つまりこれは、コンピュータが「わざとミスをしている(手を抜いている)」のである。よって、この「手の抜き具合」即ち「作為的誤謬度」も定量的難易度要素の一つと言える。 第四に、「正しいAが適用されている状況」同様に、「解法の適用シミュレーション」段階での「計算間違い」が原因である。ゆえに「必要計算の複雑性」「提示計算情報の不足」「計算欺瞞情報」「問題の提示表現方法」がもたらすプレイヤーの「気分」の四つが難易度要素として挙げられる。 b-1-c)誤ったA or Hが適用されている状況 この状況下では、不正解を選択する方が必然である。ゆえに、この状況をもたらす要因を考察することになる。 プレイヤーはビデオゲームから問題を提示されると、まず問題を理解しようとし、次にその問題の解法を探索する。さらには、目星を付けた解法を適用した場合をシミュレーションし、その結果が最初の問題の理解とそぐわない場合は、再び解法の探索に戻る(図2-9を参照)。 よって、解法を誤る状況は、「問題の理解」の失敗、「解法の探索」の失敗、「正しい解法」の「適用シミュレーション」の失敗による「内的フィードバック」の発生、の三つによってもたらされると言える。 ・「問題の理解」の失敗 では、「問題の理解」の失敗であるが、これは「問題の提示表現方法」が不適切だからである。いわゆる「分かりにくいゲーム」と言う奴である。ではその不適切状況を生み出す要因にはどんなものが有るかというと、「問題認識欺瞞情報」「主題性効果」「問題の提示表現方法」がもたらすプレイヤーの「気分」「認識能力を越える要求」の四つが主なものであろう。 「問題認識欺瞞情報」とは問題とは関係の無いにもかかわらず、プレイヤーを惑わせ、問題の理解・把握を阻害する情報のことである。例えば、シューティングゲームに於て、背景を高速スクロールさせることで、弾よけをやり難くさせる事例が挙げられる※10。 「主題性効果」とは、問題の論理的構造が全く同一であっても、題材(意味コーティング)が異なれば難易度が異なるという、認知心理学の実験で発見された現象のことである※11。例えば、ゲームシステム構造が全く同じ戦争シミュレーションであっても、題材が「戦国武将物」か「三国志物」か「現代企業経営物」かでプレイヤーにとっての難しさは変化してしまう。特に、感情移入できる題材では問題設定の文脈の把握が容易なので難易度が下がるのである。また、好みの題材では得意だった問題を、馴染みの無い題材で同じ人間に提示しても、問題構造は同一なのに類推が働かない(この現象は「知識の領域固有性」と呼ばれる)のである。 「問題の提示表現方法」がもたらすプレイヤーの「気分」は、前述した通り、認知過程の進行に影響を与える。 「認識能力を越える要求」とは、人間の認識能力を越えるような情報の把握を要求することである。特に3D関係のビデオゲームに多い。例えば【ダークエッジ】で1Pキャラクターと2Pキャラクターの間の距離を緻密に把握しろ(間合いを読み取れ)と要求されても、大抵の人間には不可能である。また2D系ゲームでも【SDI】や【宇宙戦艦ゴモラ】で見られるような「複数の物をバラバラに同時操作しろ」という要求にもかなり無理がある。 ・「解法の探索」の失敗 次に「解法の探索」の失敗であるが、これは「問題の理解」はなされているが、誤ったA or Hを引っ張り出してしまうという、探索行為そのものの失敗を意味する。解法探索行為の流れは、概略化すると以下のようになっている。 ![]() ▲図2-10 解法探索行為の流れ では、この探索行為の難易度は何によって規定されるかというと、「探索欺瞞情報」「探索情報(手掛かり)の質と量」「正しい解法の位置」の三つである。 「探索欺瞞情報」とは、どこを探索するかを迷わせる欺瞞情報のことである。例えば、「題材」は今までよくあるゲームと同じだが、ゲームシステム構造が全然違うため取っ付きが悪いという、いわゆる「紛らわしいゲーム」に於ける、「題材」が相当する。 「探索情報(手掛かり)の質と量」の問題は、ビデオゲーム中に当面の問題の解法に関する手掛かりが提示されているか、提示されているならば、その質(分かりやすさ)と量はどの位か、という問題である。これが不十分だと、上図の流れに多大な負荷がかかる。逆に、解法の記銘時と同じ問題提示環境(環境:「問題」とプレイヤーを取り巻く手掛り情報の総合複合体)だと、探索が容易になる(記憶再生時の環境的文脈依存性)。また、ゲームがプレイヤーに与える「気分」が記銘時と同一だと、これが手掛かりとなって探索が容易になることも知られている(これを気分適合性効果と言う)。 「正しい解法の位置」の問題は、その解法を現時点で知っているかいないか、解法そのもの(位置に関する手掛かりではない)の情報がビデオゲーム中に存在するかどうか、存在するなら今現在の時点までにゲームが全て提示しているかどうか、で規定される。
表の「知っている/知らない」は、知識として長期記憶に保持(貯蔵)されているかどうかである。 「知っている」場合は、知識群の中を検索(探索)することになる。 その際、今現在プレイしているゲームが解法を完全に内包し、それを現プレイ時点で学習済みならば、検索(探索)対象の知識群は現在使用中(活性状態)なので、解法の探索は「極めて容易」である。 解法がゲーム内で完結しない場合は、残りを他の知識群から検索(探索)することになる。そこで、どの知識群から検索(探索)していくかというと、当面のゲームに関連が有りそうな知識群からということになる。よって、表のような難易度の序列が付いてしまう。 一方、「知らない」場合は、外部を探索しなければならない。その際、今現在プレイしているゲームが解法を完全に内包しており、それを現プレイ時にゲームが提示しているならば、その場でゲームの中を探索し、学習することになる。ゆえに、探索難易度は「普通」と言える。 しかし、解法がゲーム内で完結しない上に、残りの欠落部分を「知らない」場合は、その場での探索は非常に困難で不可能に近い。まさに天啓を受けるしかない状態である。例えば、ビデオクイズで知らない知識を問う設問が出た状況が挙げられる。こうなると「あてずっぽう」とか「ラッキナンバー」とか根拠の無いHを引っ張ってくるしかない。 ・「適用シミュレーション」の失敗 三番目に「適用シミュレーション」の失敗の要因であるが、これは「正しいAが適用されている状況」の項で述べた通り、「必要計算の複雑性」「提示計算情報の不足」「計算欺瞞情報」「問題の提示表現方法」がもたらすプレイヤーの「気分」の四つである。 b-1-d)適用するA or Hが無い状況(思考停止) 「適用するA or Hが無い状況(思考停止)」とは「誤ったA or Hが適用されている状況」が極端化したものである。 よって、この状況をもたらす要因は、「問題の理解」の失敗と「解法の探索」の失敗である。なお、「解法の探索」の失敗は、解法探索の手掛かりが足りないことか、解法が元々分かるはずの無い位置(表2-1の「お手上げ領域」)にあることによる。 b-1-e)意思決定難易度のまとめ さて長々と説明してきたが、読んで分かる通り、多種多様の要因がネットワーク状に複雑に結びついている。 これらを整理統合し、数式的表現を行うと以下のようになるだろう。
次に「入力手続難易度」を考察する。誰もが、意思決定した内容を、正確に入力する事ができる訳ではない。そこに難易度が発生する。 まず、入力手続過程を図化してみよう。 ![]() ▲図2-11 入力手続過程 最初に、前述の意思決定過程で決定された入力内容が、ビデオゲームの入力システムに沿ったスクリプト(肉体操作言語)に変換される。例えば、「波動拳を撃とう」という内容が「レバーを下・右下・右の順に入れよう」というスクリプトに変換される訳である※12。このスクリプトを受け、プレイヤーは肉体各部をコントロールして操作入力を完成させるのである。 そこで、第一に挙げられる難易度要素は、第一段階の「スクリプト変換」にかかる負荷、「操作スクリプトの複雑性」である。例えば、「必殺技入力コマンドの長さ」とか「操作方法体系が概念的に整理されているか」とか「その操作手順から画面上の動きを直感的に連想できるかどうか」などである。また「RPGに於て目的のコマンドまでどれくらいの手順でたどり着くか(つまりコマンド体系の構造複雑性)」もこれに当たる。これらは、入力しようとする内容が、ぱっと操作方法に結びつく、つまり条件反射化を阻害する要素である。 次に挙げられるのは、「肉体コントロール」にかかる負荷、「操作に付随して要求される肉体的能力」である。逆から見れば、「操作体系(コントロールパネルのインターフェースデザインから操作スクリプト体系までを含む)の人間工学性」の事である。例えば、「トラックボールで素早く操作する事を要求」とか「ボタンの連打を要求」とか「○○秒以内に○○コマンドを入力しなければならない※13」というような、脳を除く肉体生理的な能力を要求する要素である。これは、「頭では分かっていても身体がついていかない」という状態を生み出す。
「入力評価」は何を評価するかというと、入力された信号列が「許容正解範囲」内に収まっているかどうかである。それでは「許容正解範囲」が何で定まるかというと、入力信号列の内容の許容度と、入力受付正解時間の許容度とで、二次元的に定まる。よって「入力評価難易度」は「入力内容許容度」と「入力受付時間」で構成される。 まず「入力内容許容度」であるが、これはビデオゲームがどこまでの入力の内容の幅(不正確さ)を許容するかである。内容の幅(不正確さ)の意味としては、プレイヤーが意思決定を行う際の選択の幅(内容的許容度)と、一つの入力内容に対して許容される入力手続の幅(形式的許容度)の二種類がある。例えば、前者はシューティングゲームに於いて「通常弾」でも「スペシャルウェポン」でも敵を破壊できるという事例、後者ではコマンド必殺技の入力に於て「レバー下入れ」が厳密な正解の時に、「レバー斜め下入れ」を正解として認めるかどうかというような事例が挙げられる。もっとも、ビデオゲーム側でこのような意味レベルを判別する事は非常に難しい。 次に「入力受付時間」は、「問題提示」から「入力受付終了」までの時間の事である※14。プレイヤーはこの時間内に「意思決定」と「入力行為」を済ませなければならない(配分はプレイヤーの自由)。つまり「意思決定」と「入力行為」に対する共通の負荷である。例えば、いわゆる「落ち物パズル」の落下物の落下スピードなどが挙げられる。 また、この「入力受付時間」は、マクロ難易度要素の「問題提示速度」の影響を受け易い※15。
以上述べてきた、情報処理モデルに於ける難易度要素の階層構造をまとめると以下のようになる。 ・マクロ難易度 「目的未達罰則量」 「問題提示速度」 「問題提示エントロピー」 「問題の種類」 「提示序列の規則性」 「時系列分布(リズム)」 ・ミクロ難易度 意思決定難易度 「欺瞞情報(問題認識/解法探索/計算)の質と量」 「問題の主題性」 「要求認識能力」 「問題の提示表現方法(演出)」 「解法探索情報(手掛かり)の質と量」 「正しい解法の位置」 「提示計算情報の質と量」 「必要計算の複雑性」 「参照パラメーター量」 「パラメーターの非独立性」 「深度」 その他 「問題構造」 「正答含有確率」 「作為的誤謬度」 入力手続難易度 「操作スクリプトの複雑性」 「操作体系の人間工学性」 入力評価難易度 「許容正解範囲」 「入力内容許容度」 「入力受付時間」 d)情報処理モデルの限界 d-1)日常的難易度の種類 日常的に「難易度」という言葉を使う状況は、二つの場合が想定できる。一つは複数種類のビデオゲーム間の比較で使う全体総量としての難易度、もう一つは一種類のゲーム内で変化する、プレイヤーがその場で直面する瞬間風速的な難易度である。 全体総量としての難易度要素としては、ゲーム中に変化しない定性的なものも含めて、前述の網羅的難易度要素の殆どが含まれる。 一方、瞬間風速的な難易度要素としては、定性的・定量的を問わずゲーム中に実際に変化する要素が相当する。 しかし、人によっては、どちらにしても「難易度」の概念には含まれない要素があると主張するかも知れない(特に入力手続難易度)。むしろそれらは、インターフェースデザインの要素として認識されているだろう。次に、この問題について考えてみる。 d-2)難易度とインターフェースデザイン 前章では、定義に忠実な形で網羅的に難易度要素を挙げてきた。 しかしながら、日常言語として使用する「難易度」には含まれないものも少なくない。このずれは何故発生するのだろうか。 これは、コンピュータ(製作者)が「相手(敵)」と「世界(審判)」の両方を提供する一方、プレイヤーは「相手(敵)」の「難しさ」がゲームの「本筋」の「難しさ」であって、「世界(審判)」の「難しさ」はインターフェースデザインの問題と感じるからである。つまり、直面している問題を「相手」の問題と解釈するか、「世界」の問題と解釈するか、という意味論的な問題なのだ。 そして、どの要素も「難しさ」であることは変わらないのに、またコンピュータにとってはプレイヤーの技量が足らないことに関して等価であるのに、「世界(審判)」の「難しさ」の方がプレイヤーの許容度を越えると、「卑怯」とか「クソゲー」などの烙印を押されてしまう。これは、「相手(敵)」はコンピュータであって絶対ミスを犯さないため、「世界(審判)」の「難しさ」の分だけプレイヤーが不利になり、結果として本来中立公正であるべき「世界(審判)」が「相手(敵)」を優遇していると感じてしまうからである。 よって、網羅的に挙げてきたこれらの難易度要素は、プレイヤーの認識次第で、日常的難易度要素である時も、そうでない時もある。逆に言えば、製作者が、何が「相手」で、何が克服すべき問題で、プレイヤーの何の能力を問うているのか、をゲーム中にはっきり表現しプレイヤーに伝達できれば、「卑怯」問題は回避できると言える。入力手続難易度の要素であっても、そのゲームで克服すべきメインの問題として提示されているのならば、誰も文句は言わない。スポーツゲームでボタン連打を要求しても、パンチングゲームで殴る強さを要求しても、理不尽に感じないのはこのためであり、最初から「こういうものだ」と納得するのである。 d-3)要素還元主義の限界 情報処理モデルには、上記の「日常言語からの乖離」以外にも限界がある。 それは、今まで説明してきた情報処理の因果関係と、脳内の物理・化学反応の因果関係が全く対応していないということである。このため、「コンピュータで完全なる人工知能を作るのは論理的に不可能だ」と唱える者もいる。 これは、要素還元主義的なアプローチ方法が原因である。つまり「小さい要素に分解していき、それらの基本要素を解明し、積み上げることによって全体の説明が可能である」という考え方が間違っているからである。 人間の脳は、細かい基本要素が複雑に絡み合い、今まで誤差の範囲内と考えられてきた小さな変動によって全体が大きな影響を受ける、いわゆる「複雑系」である。これに要素還元主義的な手法を適用すれば無理が出るのも当り前なのである。 と言うことは、各難易度要素もお互いに複雑に絡み合っている訳である。全体を全体として見る目で常にチェックしておかないと、難易度設定の際に足元をすくわれることになるので要注意である。 3-3)思考波モデル今度は、人間の表層意識と思考能力の観点で考察する。人間の思考は、表層意識では一つの事しか考えられないものの、脳の各部はその間に身体各所に指令を出している訳であるから、実際には複数の思考が同時進行していると考えられる。 よって、人間の思考は、表層意識に数種の思考(本当は思考波はアナログな存在かもしれないが)が入れ代わりたち代わり姿を現わす波の形で便宜的に表現できると思われる。 そこで縦軸に意識のレベル、横軸に時間をとり、ビデオゲームに関係する数種の思考波がプロットされたグラフを想定してみる。 ![]() ▲図2-12 思考の波 三種の思考波はそれぞれ、無条件思考・条件反射・行動反射(論理思考)であり、横軸より上の領域が表層意識である。 無条件思考は、外部からの刺激無しで起こる自発的思考である。ぼーっとしている状態などに自然に出てくる思考で、本能・衝動や無秩序なイメージ等の、いわゆる雑念の事である。周波数は高く、ちょっとした精神の隙間にも顔を覗かせるし、外界からの刺激の無い睡眠中は夢として現われる。 条件反射は、外部からの刺激に対し、あらかじめ用意された基準で言語的思考やイメージによる仮想回転無しで一瞬の内に判断を下す思考である。基準のインプットは、生体保護等の本能的学習に加え、行動反射(論理思考)上の判断を反復するうちに、条件反射に浸透する場合(手続きの無意識化)も多い。これは大脳のフィードバック制御を小脳が脇からモニターして記憶してしまうからだと考えられている。条件反射の周波数は、無条件思考より低く、行動反射(論理思考)より高い。 行動反射は論理的な思考を経た判断であり、一番周波数が低く、表層意識に上る間隔が一番大きい。 さてここに於て、各思考波の周波数、表層意識上に同一思考波を維持できる時間、手続きの無意識化の能力等は、人間の能力として個人差が出てくる。一方、ビデオゲームはプレイヤーに連続的に思考(判断)を迫る。よって、前述した難易度の要素、「問題提示速度」と「問題提示エントロピー」と「必要計算の複雑性」の問題は、人間側から見れば、要求される思考波の種類と周波数・波長の問題と言える。どういう思考が、どれくらいの間隔で、それぞれどれくらいの維持時間を要求されるか、そしてその要求と自分の思考能力とのギャップが、人間にとっての難易度なのである(前章で説明した通り、入力の正確性については、人間は自分の責任範囲とは考えたがらない。「頭では分かっているが、うまく入力できない」状態はビデオゲームの責任だとして腹を立てる)。 このモデルは情報処理モデルと比較すると、緻密性に欠けるが(特に知識系の難易度要素がすっぽり抜けている)、実際の応用的な考察が簡便なのが利点である。 例えば、連続的に条件反射を要求するゲームは、元々条件反射の思考波の周波数が高いため、連続的に行動反射を要求するゲームより、難易度の敷居が低くて、取っ付きやすいゲームだと一般的に言える。実際、弾よけシューティングは、パズルシューティングとでも言うべき横スクロールシューティングや時間当りの密度の高いアクションゲームより、女性客の遊ぶ例がより多い。 また人間は、行動反射の周波数を上げることが苦手なので、手続きの無意識化による一連の判断の条件反射化で、実際上の周波数を上げる。よって、パズルシューティングやアクションゲーム等が上手い人は、行動反射の周波数が高い(要は頭の回転が速い)か、もしくは手続きの無意識化の能力に優れていると言えるだろう。 他にも、非リアルタイム系の、パズルゲームやシミュレーションゲームの得意不得意は、行動反射の思考波をどれだけ表層意識上に維持できるかに左右されると言える。 3-4)設定a)原則論「難易度設定」のビデオゲーム的な意義は、「勝つ」快感の予想配置である。ということは逆に、「勝つ」快感を適切に供給する設定が、優れた難易度設定と言えるのである。 よって、具体的なゲーム内容によって多少の形状差が出るが、概ねプレイヤーの技能に対して階段状に設定するのが望ましい。 直線的な設定では、プレイヤーの技量が上がってもその分ゲームの難易度も上がってしまうので、勝つ人は勝ち続け負ける人は負け続けることになってしまうのである。 ![]() ▲図2-13 階段状に設定された難易度 b)「ゲート」理論 前記のような階段状の難易度を設定しようとしても、実際には以下の二つの障害がある。 一つは、プレイヤーの技能曲線は個人差が激しく、平均値に対して階段状に設定しても、あまり意味が無い事である。 もう一つは、プレイヤーの技能曲線の形状が、常にきれいな右上がりになるとは限らないということである。特に、人の技能はある程度まで行くとそれ以上向上しなくなるものである。しかも、どこで頭打ちになるかは、人によって異なってしまうのである。 ![]() ▲図2-14 ゲート理論に基づく難易度曲線 そこで、「階段状」に代わる次善の策として「ゲート」の考え方が出てくる。つまり、要所要所に関門(ゲート)を設け、関門以外の所は「勝つ」快感を大量に供給し、関門でプレイヤーが「負ける」様に設定する訳である。これによって、プレイヤーの技能曲線の個人差をカバーできる。いわゆる「BOSSキャラで死んでもらう」という方法論である。 4)トータルデザイン4-1)刺激の「質」と「量」と「配置」a)刺激の「質」刺激1単位当りの快感発生「量」が、その受容者にとっての刺激の「質」の優劣に相当する。つまり1単位当たりの快感発生「量」が大きい刺激の方が、その受容者にとって「質」の「良い」刺激ということである※16。 これを逆に言えば、刺激の種類の選択、即ち「質」の選択によって、総快感「量」の増加が図れるということである。 一般に、人間は「秩序」(=「線形性」=「定型性」=「お約束の王道パターン」)と「無秩序(カオス)」(=「非線形性」=「複雑性」=「独自性・新規性・作家性」)の境界にある「フラクタル領域」の刺激を好むと言われている。このことは、「身体に当たる風の快/不快」や「音とノイズの境界」等の実験により、知覚レベルでは確認されている。認知レベルでは未だ実証されていないが、我々開発者(編者)が市場から受ける実感では、認知レベルでもこのことは言えると思われる。「要説」でも説明しているが、過度の市場主義でも、過度の作家主義でも、共にヒット作は産み出せないことが経験的に知られているのだ。 但し、「フラクタル領域」の刺激なら誰にとっても快感になる訳でもない。人は成長するにつれて、周囲の刺激の非線形要素に対する感度や許容度を高めていく。つまり成長環境が、刺激に対する反応を規定してしまう。よって、人によっては非線形要素を認識・弁別できなかったり(好きではない分野の複数の事象の違いが分からない)、逆に不快になったり(この最たる例が「船酔い」)するのである。 言い換えれば、その刺激の「秩序」と「無秩序」のバランスにマッチングした刺激反応体系を蓄積してきたプレイヤー集団のみが最大の快感を獲得できると言える。 なお、「SEX」「暴力」「麻薬」という題材の限界は、受動性にしろ能動性にしろ、それが知覚性の快感を励起するということに過ぎない。意味解釈という認知過程を経ないがゆえに、文化的個人差を吸収しえるほど、何よりも多くの受け手を獲得できる可能性を持つが、その快感発生「量」が大きいという保証は無い。上記の通り、同一刺激1単位がもたらす快感発生「量」は、万人に於て等しい訳ではなく、受容者一人一人の感度(Sensitivity)関数によって異なる。中には「SEX」「暴力」という題材を好まない人間もいるだろう(特に女性に多いと思われる)。 逆に、高度化された認知性の快感の方が、文化環境的文脈の影響を如実に受けるため、快感を励起される人数は減るが、総快感量は多いと言える。つまり、誰かの快感量を増やすということは同時に、別の誰かの快感量を減らす事を意味するのだ。 よって、万人の総快感「量」を同時に極限まで最大化する刺激の「質」は存在しない。 b)刺激の「量」 これは、技術力やコストによる制限を除けば、理論的にいくらでも増やしていくことができる。但し、刺激を等差級数的に増加させても、変換された快感の増加差分量は減少していく。つまり受容する人間が麻痺してくるので「質」が良くても無条件にいつまでも快感に変換される訳ではないのだ。この現象が経済学的法則として表出したものが、「限界効用逓減の法則」である。 この麻痺による刺激のインフレ現象は、他の娯楽メディア界、例えば映画界でも、大資本の必要性という問題になっている。 c)刺激の「配置」 刺激の「配置」も発生快感量に影響してくる。 これには二つのポイントがある。 一つは、麻痺を遅延させるための「めりはり」である。 もう一つは、意味解釈を経ず刺激の配置間隔そのものが直接人間の快感を励起する「リズム」である。例えば、BGMのドラムのリズムである種の精神の昂揚状態がもたらされるのもこれであり、これを突き詰めて解明していけば、「トランスゲーム」という可能性もあるであろう。 4-2)刺激の逓減性上記の「刺激の『量』」や限界論でも述べた通り、人間は刺激に慣れる動物なので、「刺激に対する快感は必ず逓減する」ことを肝に銘じなくてはならない。よって、これをできるだけ遅延させる対策が必要となる。 a)バリエーション 単一種の刺激が連続しないように、複数種類の刺激を用意する。 b)「めりはり」 俗に言うビデオゲームの「めりはり」とは、「配置による刺激の逓減の遅延」の事である。 具体的には、エントロピーが低くなるように刺激を配置する事である。例えば、複数種類の刺激を混ぜて配置せずに単一種類毎にまとめたり、刺激量が平均的にならないように刺激量の多い場所・少ない場所を作り、かつその多い少ないの差を極端にしたりする。 これにより、バリエーションが強調される。 c)定型性の回避 プレイヤーが主に関心を注ぐフィーチャーについて、その構造の見通しが良すぎると、脳の中の仮想回転だけで刺激が逓減してしまう。「以後の展開が読めてしまう」という状態である。【バブルボブル】系固定画面型アクションゲームが最近不調なことの要因の一つである。これを防ぐためには、イレギュラーな要素を入れなければならない。 4-3)「モデリング」ビデオゲームを設計する際、題材の中の面白い部分を取り出して単純化し、分解・再構成する作業を行う。この過程をモデリングと呼ぶ。このモデリングの優劣が、ビデオゲームの面白さに多大な影響を与える。また、モデリングする際には、「見る」技術・「いじる」技術・「勝つ」技術を組み合わせた動的技術構造の上に、世界観等の文化メタファーを乗せるという形で題材を分解・再構成する。よって、ビデオゲームを遊ぶという事象は「サイクル」という流れ(フロー)であるが、プレイヤーがインターフェースを通して対峙する「そのもの」は、一定の構造を持つ情報集合体である。この情報集合体を「ビデオゲーム構造体」と呼ぶ。 ![]() ▲図2-15 ビデオゲーム構造体 なお、ビデオゲームは現実にある事を題材する事が多いので、「リアルだと良い」というシミュレーター的な価値観を持ち込まれる事が多いが、これは大きな間違いである。ビデオゲームが面白いのは、面白い部分「だけ」を取り出しているからである。よって、面白い題材だからといって、そのまま全ての要素をゲーム上で再現しようとすると失敗する。その題材の何が面白いのかを見極めることが重要である。 4-4)回転力 〜何がサイクルを回すのか?a)「初動力」人が、ゲームのサイクルを回し始めるのは、「自分の好む刺激(快感)を予想できる」からである。 すなわち以下の二つの要素の獲得の可能性を感じた時、人はゲームのサイクルを回し始める。
b)回転の維持 人に、サイクルの回転を維持させる、すなわち継続プレイを行わせるには以下の二つの要素が必要である。 一つは、「将来の快感への期待」である。 これは基本的には「初動力」と同じであるが、既にゲームを経験しているので、獲得の可能性をそれまでのゲーム中の快感の供給で感じさせなければならない。 ゲームの「最終目的」を「ストーリー」で提示するという手法は、将来の「見る」快感を期待させるという点で、これの最も顕著な例と言える。 もう一つは、回転方法の提示である。 いつまでたっても「どのように入力したらうまく回るか?」にプレイヤーが気がつかないと、プレイヤーはサイクルを回転させるのを止めてしまう。能力評価基準をプレイヤーに気づかせる工夫が必要である(あからさまに明示する必要はない)。 4-5)ゲームデザイン商業的なことはさておき、ビデオゲームとして「良い」ビデオゲームとは存在目的からして、その評価者にとって快感量の総量が多いビデオゲームである、と定義できる(業務用においては総快感量だけでなく「快感速度」とも呼べる「時間当りの快感量」も評価の基準となってくる)。ここまでの解析には、ビデオゲームの「面白さ」の本質の解明と共に、「面白さ」という抽象概念に計量性を持たせる事にも意義があった。 つまり、「脳内麻薬物質の分泌」という物理現象に翻訳し、そこから「刺激」という計量可能な概念を引出した訳である。 これが、本理論体系の実用性への橋渡しに当たる。 「刺激」をコントロールする事によって、ビデオゲームの「面白さ」を向上させようという訳である。 よって、「ゲームデザイン」とは、ソフト・ハードの技術力や、製作期間、人件費等のコストという大枠の制限の中で、また「定型性の回避」と「学習性」というような類の背反する要素間のバランスを斟酌しながら、総快感量を最大にすべく、最適の刺激要素(変数と変数値)を考え(見つけ)出し最適な構成・配置(変数式)を考え出すという、数学で言うなら「線形計画法」のような、「最大値問題」に他ならないのである。 |
||||||||||||||||||