WATANABE KYOIKUKAI

ペスタロッチ

ペスタロッチ Johann Heinrich Pestalozzi

1746~1827 スイスの教育家、教育思想家。チューリヒに生まれる。

学生時代にフランスの哲学者ルソーの影響をうけ政治や法律への関心をもつが、やがて農業へのりだす。結婚後、農家の貧児や浮浪児をあつめて学校をはじめるが、経済的な理由で5年で閉鎖する。つづく20年間は著作活動を通じて、彼の教育理論を形成する。この時期の著作、「隠者の夕暮」(1780)は人間と教育についての考察であり、「リーンハルトとゲルトルート」(1781)はかしこい母の知恵が、村の子供たちをよくし、やがては村々や国全体をもよくしていく過程をえがいた教育小説である。

1798年、長年考察してきた教育理論を実践する場をえた。フランス軍との戦争で、家や両親をうしなった孤児たちの教育である。彼はそれをシュタンツの修道院ではじめ、献身的に活動したが、まもなく閉鎖された。後援者をえて、1801年にブルクドルフの古城に学校をひらき、ヨーロッパにおける教育実験の中心地として注目されたが、この学校も3年半で閉鎖され、その後1805年にはイベルドンにまねかれて学校をひらいた。この時期、彼の教育の技術は円熟し、名声は絶頂に達した。イベルドンの学校は20年にわたり世界へ大きな影響をあたえた。ここで生徒は書物よりも、実地と観察を通じて、生徒たちの諸資質の自然的発達をうながすようおしえられた。この学校は弟子たちの仲たがいなどの理由で、25年に閉鎖される。その後も彼は教育への情熱をうしなわなかったが、27年ブルック近郊の村で81年の生涯をとじた。

ペスタロッチの教育観とは、子供がもつみずからよく生きようとする姿勢を徹底的に信頼したものである。そのうえで子供の能力や資質を、自然の道にしたがって調和的に発達させることを強調した。また、家庭の中で愛情と信頼によってはぐくまれた子供が真の道徳性を身につけ、やがて大人になったとき、国家・社会も本当に徳義のあるものになると考えた。中・後期の著作としては、人間性の本質についての哲学論「探究」(1797)、直観を学びの出発点において展開された教授論「ゲルトルートはいかにその子を教えるか」(1801)、絶筆となった回顧録「白鳥の歌」(1826)などがある。

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