河竹黙阿弥の肖像と江戸文学にあらわれた錦糸町
以下の画像は歌舞伎関係の浮世絵に現れた河竹黙阿弥(当時は河竹新七)の肖像です。当時の歌舞伎では作者も舞台
脇に控えて見ていたようです。そのために役者とともに描かれています。後列の中央が河竹黙阿弥(河竹新七)です。この
肖像画は「黙阿弥の明治維新」などの書物に掲載されている河竹黙阿弥の肖像でもっとも有名なもの。これらの浮世絵は
早稲田大学演劇博物館の所蔵で、本HPでは同博物館の掲載許可を得ています。これら画像の転載、掲載は同博物館の
許可が必要です。

下のはそれぞれ浮世絵から河竹黙阿弥(河竹新七)の肖像部分を切り抜いたもの。当時の歌舞伎の雰囲気を良く示した絵
になっています。これら画像の転載、掲載は早稲田大学演劇博物館の許可が必要です。一番右のには初代三遊亭円朝も
描かれています。(トップページに利用しています)円朝は芝居物の噺が得意で歌舞伎にも関係していたようです。黙阿弥
も噺から歌舞伎に多く改作しており、この両者は家が向かい同士で交流していたのでしょう。


錦糸町近辺が舞台になった黙阿弥作の歌舞伎「身光於竹功」(みのひかりお竹のいさおい)
(別名:孝女お竹)のあらすじ

この歌舞伎は二幕三場あり、次のとおり。
1.伝馬町坂間の場
2.錦糸堀浪宅の場
3.天王橋敵討の場
1.伝馬町坂間の場
左振流槍術師範の橋本次郎右衛門は今は浪々の身で病身。長男は一子を残して早世したので一子相伝の槍術は
孫が成人するまでと残る余生を送る。貧苦ゆえに娘お竹を紙問屋に下女奉公に出し、下男の彦助もくず紙買いのア
ルバイト。次郎右衛門はふとしたことから悪徳金貸しの丈五郎という奴から十両を借金してしまう。この金貸しは証文
に「五」の字を書き加え五十両を返せと迫る。娘お竹は17才で下女奉公ながら評判の器量よしで父親の特訓もあって
か、柔術、武術にもすぐれる。お竹に横恋慕の悪党に奉公先の預かり金五十両の横領の濡れ衣を着せられてしまう。
この金も父親の借金に重なり、このためにお竹が苦界に身を売る話もでたが、お竹の雇い主の紙問屋の旦那が合計
百両を貸してくれ、難を逃れる。(以下の場面がクライマックス)
「貧苦に迫り親の為、勤めをなすとも孝の道、恥ずかしいとも思わねば、どうぞ此身を
廓に売り、金調えてくりゃいの。」
2.錦糸堀浪宅の場(ここが錦糸町を舞台にした唯一の歌舞伎の歴史的場面です)
橋本次郎右衛門が金貸しに五十両を返す時に謀られて、持っていた五十両と橋本家秘伝の左振流の伝書一巻も奪
われ、病身故に切られてしまう。孫の梅之助はさるぐつわをかまされる。(以下の場面でこの話が確かに錦糸町駅前
を舞台にしていることが分かる。それにしても江戸時代の錦糸町駅前は寂しい。)
「あれぇ、たれぞ来てくだされいの」〜〜呼べど叫べど町中を、離れし在の錦糸堀、更
け行く庭に蟋蟀の、啼く音も細き秋の末、野寺の鐘や小夜砧、いとど哀を添えにける。
そこへお竹と下男が帰り、事の仔細と犯人を知り、敵討ちを決意。次郎右衛門は切られて消え入らんとする身にムチ
打って、娘のお竹に左振流の槍術の極意の最後部分を伝授して亡くなる。(ここがこの歌舞伎のクライマックスで泣か
せる・・・HP管理者評)
「斯く深手を負ひたければ、所詮存命思ひもよらず、女ながらも幼少より、武士の娘に
生まれし故、教え置きたる剣術槍術、末期の際に其方へ伝授致し置く程に、成人の後、
梅之助へ汝より伝授しくれよ。」〜〜「すりや、左振流の極意をば」〜〜「おお、息ある
中に伝授なさん」〜〜(父娘の槍の立ち回り)〜〜「最早近付く此の身の知死後」〜〜
「そんならこれが」「この世のお名残」〜〜「来国行の差添は、敵討の則ち餞別」〜〜
(腰の一物を渡す)〜〜「ええ、有難うござりまする」
3.天王橋敵討の場(天王橋は蔵前の都営地下鉄浅草橋駅付近)
吉原女郎買い帰りの悪徳金貸しの丈五郎を待ち伏せで、お竹が切りかかる。下男彦助と橋本の孫の梅之助の助け
があり、見事あだ討ちを果たす。(お竹が丈五郎の脇腹をえぐるというすごいシーンがある。)
〜〜梅之助、砂を取って、丈五郎に打付ける。目に入りし思い入にてたじたじとなる。
お竹切付け、是より手負の立回りあって、丈五郎の脇腹へ突込みえぐる。丈五郎宜
しく苦痛の思入れあってばったり倒れる。〜〜「親の敵」〜〜「お主の仇」〜〜「天命
思い知ったるか」〜〜(この時朝日がのぼりお竹の身より光が差す。)
この後、この仇討ちはお上のお咎めなしとなり、浅草天王橋の敵うちとして事明細が瓦版として伝えられ、お竹は
「お竹大日如来」として忠孝の鑑とあがめられたとか。
−−−幕−−−
(この孝女お竹のあらすじの他への転載はご遠慮願います。)
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