赤兎馬とは?
赤兎馬とは呂布が乗っていた馬で、1日千里を駆けるといわれ「馬中の赤兎」と謳われた名馬である。
赤兎馬の行方
赤兎馬は董卓が所持していた名馬で呂布を迎え入れるときに呂布に贈られた。その持ち主である呂布が捕まり斬られると曹操が所有し、次に関羽へと贈られる。今度は関羽が捕まり斬られると馬忠の手に渡った。しかし、これは三国志演義での赤兎馬であり陳寿の魏志・呉志・蜀志では呂布の馬としかわからないのだ。ついでに三国志演義での赤兎馬の年齢を考えてみた。まず、呂布が董卓に召しよせらせたのは189(190?)年である。ここで最低でも赤兎馬の年齢は1歳(一年を1歳と考えて)である。次に関羽が斬られたのは219年のことであるからして赤兎馬は最低でも31歳となる。ちなみに馬の1歳は人で言う4歳分であるため124歳となる。さらに馬の寿命は現在で20〜25歳で日本における競走馬の最高は35歳で世界での馬(馬全体?)の最高記録は62歳となっている。いくらなんでも赤兎馬が31年以上も生きるのは無理ではなかろうか?戦場を駆けていたわけだから傷だって負うわけであるし普段の移動距離だって並ではない。また、生きていたとしてもすでに引退になっているはずだ。まあ、三国志演義での赤兎馬は呂布や関羽をカッコ良く見立てさせ話を盛り上げる道具なのでこれぐらい働いてもらわないと困るのだが。
一日千里
赤兎馬は一日千里駆けると言われた赤兎馬の走った距離と時速を計算してみる。まず、一里は3.9kmで千里で3900kmとなるつまり時速162kmになるわけだ。しかし、これは現在における日本の一里であって当事の物ではない。そこで後漢の一里を調べ計算してみた。後漢の一里は414.72mであり、千里で414.72kmと言うことになる。つまり時速17.28kmとなる。さて、ここからが問題である。機械ならば普通に計算すればそれで良いしかし赤兎馬は動物であるため休息が必要である。それに呂布がいた場所は北方であるため山や荒地が多く体力の消耗がどうしても早くなるしライトも街灯もない当事の夜を駆けるのは困難である。走れることは走れるが走るとなるとどうしてもスピードを落とさないといけない。そのため、はっきりとした時速の計算はどうしても不可能となる。ちなみに馬の時速は品種にもよるが約60km(体力などは計算せずに)と言われれている。
赤兎、汗血馬説
汗血馬(カンケツバ)とは名前の通り血の汗を流す馬のことで、汗血馬は一日千里賭けるといわれており赤兎馬と同じである。汗血馬は前漢の武帝が魅せられた馬で軍を大苑に遠征させ「良馬数十頭、中馬三千余頭」を獲得しこの汗血馬の群を「天馬」と称し絶賛したほどである。ちなみに汗血馬は現在のアカール・テケ(アハルテケとも)の祖先と言われており、アカール・テケは1935年に4152km(約1000km近くが砂漠)を84日で走破した記録のある品種である。また、現在のサラブレッドのほとんどはアカール・テケの子孫である。さらにアカール・テケはジャンプが得意だそうだ。ここで考えられるのが赤兎の兎である。この兎と言う字にはどのような意味が込められているのだろうか?もし、跳ねるという意味だとしよう。そうであればこのアカール・テケの特徴と一致するつまり赤兎はアカール・テケの祖先である可能性と同時に汗血馬である可能性がさらに高まるのだ。
汗血馬は汗血症?
馬が血の汗を流すのはエネルギーが有り余ってると言う証拠であると考える人がいるそうだ。私はそれほどのエネルギーがあるから血の汗を流してもおかしくないと言う物の例えだと思っていた。しかし、実際に馬が血を流すことがあるそうだ。それは汗血症と言われており原因は寄生虫だそうだ。では、品種は何であれ汗血症の馬であれば汗血馬であったのか?となる。もしそうであったとしてもそのほとんどはアカール・テケの祖先である品種の系統であろう。また、あったとしてもまぎれてるぐらいで数は少ないと考えられる。汗血症を起こす寄生虫とこれらの品種の馬がいたのは風土病と言われてるようにこれらの品種の産地にこれらの寄生虫がいたからだと考えられる。なお、この寄生虫により死にいたることはないようである。