![]() |
| カルメギ北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 |
| NGO「カルメギ北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の代表三浦小太郎さんの寄稿文です。拉致問題の全面解決と金正日独裁政権打倒のための強力な武器となることと思います。ご愛読のほどを。 |
| 美濃部亮吉「都知事12年」と朝鮮大学認可 三浦小太郎 |
|
美濃部の朝鮮大学認可 「日本とは価値観の異なる小さな異国」の認識 美濃部は朝鮮大学認可の始まりについてこう語っている。 「知事に就任してから(一九六七年)二か月もたたないうちのことであった。小平市にある朝鮮大学校を各種学校として認可するかどうかの問題が、東知事の時からタナ更紙になったままであることを、特別秘書の安江良介君(岩波「世界」編集長)から知らされた。(中略)東京朝鮮学園からの認可申請自体は、税制上の優遇措置を求める狙いであり、直感的には『認可すべきだ』と思った。しかし、背景には、この学校を『反日教育の拠点だ』とする政府・自民党の強い反対があるという。」 まず、美濃部がこの大学をどう見ていたかを、彼自身の言葉によって見ておく。 美濃部は朝鮮大学認可は、あくまで法律論、地方自治の権利として行うつもりだったと述べた上で、「内心では、美濃部都政の確信性を実証するにはうってつけ」と、認可を美濃部都政の宣伝に使うつもりだった。そしてこの学校を「小さな異国」(美濃部自身の言葉)、当時の日本とは明確に価値観の異なる社会主義思想の「日本政府への敵国」であると認識していた。 「朝鮮大学校は、資本主義体制の日本の中に、全く異質の社会主義体制を基盤とした『教育の場』を設けたものである。政府・自民党にはそれが『小さいとはいえ一つの「敵国」のようなもの』と映るようであった。」 美濃部は認可を都知事の権限として強く押し進める。この問題についての東京都私学審議会の答申では、認可の可否には触れていなかったが、教育内容、教育目的、「民族教育」などについては疑問を呈しつつ、各種学校の認可基準である学校設備、基本財産などは適合しているとされた。美濃部は一九六八年四月一七日、朝鮮大学を認可する。 当時進歩派文化人の代表格の一人であり美濃部の支援者だった中野好夫らは、有識者、団体を含む二千人に及ぶ認可を求める署名を提出した。逆に韓国民団と右派の抗議は激しく、美濃部自身、これほど政府・自民党の反発を受けた政策は一二年間の都知事時代を通じて他になかったと述べている。私はここに、現在まで引き続く朝鮮学校問題の根本を見る思いがする。教育内容は問わない、学校設備が整備されていればよいという主張は、朝鮮学校無償化問題や補助金の問題において、今も政府・行政に根強い形式論である。 朝鮮大学の認可について、日本政府は文部事務次官通達として「朝鮮人のみを収容する教育施設の取り扱いについて」という文書を発表していた(一九六五年十二月二十八日)ここでは朝鮮学校について「朝鮮人のみを収容する大部分の公立の小学校分校の実体は,教職員の任命・構成,教育課程の編成・実施,学校管理等において法令の規定に違反し,極めて不正常な状態にあると認められるので,次によって,適切な措置を講ずること。」 「朝鮮人のみを収容する私立の教育施設(以下「朝鮮人学校」という。)の取り扱いについては,(1) 朝鮮人学校については,学校教育法第一条に規定する学校の目的にかんがみ,これを学校教育法第一条の学校として認可すべきではないこと。(2)朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は,わが国の社会にとって,各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められないので,これを各種学校として認可すべきでないこと。(中略)(3) すでに学校教育法第一条の学校又は各種学校として認可されている朝鮮人学校の取り扱いについては検討を要する問題もあるが,さしあたり,報告,届出等の義務の励行等法令を遵守して適正な運営がなされるよう留意するとともに実体の把握につとめること。なお朝鮮人を含めて一般にわが国に在住する外国人をもっぱら収容する教育施設の取り扱いについては,国際親善等の見地から,新しい制度を検討し,外国人学校の統一的扱いを図りたいと考える。」と述べている。 このような文書が当時どのように受け取られたかは想像に難くない。「これは民族の教育権利を認めない同化教育である」「朝鮮人学校を排除し差別する文章である」「在日朝鮮人の権利を奪うものだ」等々、多くの進歩派知識人はこの文書を批判した。 だが、日本側の問題点は問題点として、朝鮮大学の側にはさらに深刻な問題を抱えていた。この時点で、それまでは一定の自立した在日コリアンの学校として機能していた朝鮮学校は、本国の全体主義化の完成とともに、最悪の変貌を遂げようとしていたのである。 一九六七年の金日生全体主義支配の成立と それに伴う朝鮮大学校の徹底的変質 朝鮮学校の変質について、当事者であった朴斗鎮(六八年から七五年まで朝鮮大学教員を務める)は著書「朝鮮総連」(中公新書ラクレ)の中で次のように記している。 まず、朝鮮大学は、他の在日朝鮮人によって自主的に作られ守られてきた学校とは異なり、建設費用も二億円が五〇年代末に北朝鮮国家から送られてきた。この資金が、東京小平の土地の確保につながったのである。しかし、朴の体験に基づいた記述によれば、一九六七年までは朝鮮大学は強い団結心と連帯感を持った生徒同士のつながりもあり、政治教育と言っても抗日パルチザンの歴史など、民族の誇りや感動を与えるものでもあったという。これは決して理解できないことではない。六〇年安保闘争を挟んで、韓国の李承晩政権打倒の民主化運動、革命中国の激動など、当時は、朝鮮半島の統一も、社会主義の勝利も、純粋な若者の多くが確信を持っていた時代でもあった。 しかし朴は同時に、一九六七年以後、北朝鮮における金日成の全体主義体制・個人崇拝・主体思想の確立とともに、朝鮮学校も急速に全体主義化し、本国と同様の「粛清」が起きていく過程を生き生きと伝えている。 金日成絶対化・崇拝化の中で、「朝鮮学校は思想改造の場として重要視され、教科書はすべて書き換えられて金日成礼賛一色にされた。歴史教科書からは歴史上の偉人たちの名前は消えていった。すべての教科は金日成に関する内容で埋め尽くされた。たとえば英語の教科書は英訳された金日成伝であり、算数や数学の例題は金日成の物語から作り出され、国語はそのまま金日成にまつわる話を教科書とした」(朝鮮総連) 朝鮮大学校ではさらに激しかった。六八年、朝鮮大学政治経済学部に赴任してきた朴は、それまでとは学校の雰囲気が一変していることにすぐ気付いたという。特に当時は、総連トップの韓徳銖、そして彼のもとで様々な権勢をふるっていた金炳植を批判した教授などは、徹底的に批判されていた。そして何よりも、主体思想以外の思想は認められず、正統的マルクス主義の立場に立つもの、金日成絶対化に積極的でない教員には徹底的な「総括」が繰り広げられた。 「あとで分かったことだが、当時の主要学部長はほとんど総括対象となっていた。六八年から七二年までの四年間、この嵐は吹き荒れ続けた。金炳植失脚後、『総括』から解放された幹部教員はほとんど過去の面影を失い、頭脳明瞭であった幹部も平凡なインテリとなっていた。あの熾烈な思想総括を乗り越えるには、『思考』を停止するしかなかったのだろう。こうした過程で、一命を取り留めたものの、『自殺』を図った幹部教員もいた。」(同) ここでの「自殺」は、おそらく誇張でもなんでもなく、精神的自殺を含めれば多大な人間精神への破壊が行われていったことを意味する。北朝鮮では独裁権力による人間の命を奪う粛清が、ここ朝鮮大学内では、毛沢東時代の文革を思わせる暴力的な精神破壊と屈服が強制されていったのだ。まさにここ日本で、完全な意味における北朝鮮独裁政権の従属分子、「小さな北朝鮮」が、朝鮮総連に、そして朝鮮大学に形成されていった。これはさらに学生のなかにも、事実上学校の権力を握った教養部直属の非公然組織が形成され、暴力的な「ふくろう部隊」や、対南工作に直接関与するグループが現れていく。精神面だけではなく、工作機関としての総連・朝鮮大学の出現である。美濃部も、また朝鮮大学の認可のために努力した人々も、この現実は全く知らなかったのだろう。 今、私の手元には、古ぼけた一冊一五〇数ページのパンフレットがある。金日成の主体思想について 朝鮮大学校発行」(編集兼発行人は李珍珪)で、発行年月日は一九六八年四月一五日である。内容は金日成の演説集だ。朝鮮大学が認可された年に発行されたパンフレットの前文には、おそらくこの李の文章であろうが、次のように書かれている。 「四千万朝鮮人民の敬愛する金日成首相の指導のもとに共和国は、強固な自律的民族経済と民族文化を建設し、全国土を鉄壁の要塞にして、いかなる侵略者もうちくだくことのできる社会主義強国に発展した」 そしてこの一九六八年前後に、朝鮮半島で何が起きていただろうか。美濃部は政治家として、果たしてその動きを正確につかんでいたのだろうか。少なくとも、一九六八年一月には、北朝鮮の武装ゲリラが韓国ソウルの青瓦台を襲撃しようとし失敗したテロ事件が起きており、この年にはほかにも数回北朝鮮は同様のゲリラ戦を試みている。そして、チェコ民主化を武力で踏みにじったソ連共産党を支持し(同年八月)、またよど号ハイジャック犯がピョンヤンに降り立ったのは一九七〇年である。このような時代に、美濃部も、いや他の政治家も、北朝鮮に対し何の疑問も覚えなかったのだろうか。そして、朝鮮学校教育に対しても、内容を調査しようという発想は全くなかったのだろうか。 いや、それどころか、美濃部は、日本の自治体の長としては今のところ最初で最後の訪朝を、一九七一年に行っている。この訪朝時の金日成との接見記録は岩波書店の雑誌「世界」に掲載された。日本の雑誌に美濃部のチェックを受けた上で掲載された以上、これは彼の認めた公的発言とするしかあるまいが、この内容はただただ悲惨で、引用するのも故人を辱めるものでしかないものとなっている。 「(前略)いろいろな所を参観しています。工業農業展覧館、キム・イルソン総合大学を参観しましたし、昨夜は、歌と舞踊を見物しました。わたしは、お世辞で言うのではなく、キム・イルソン首相の指導されておられる社会主義建設にまったく頭が下がるばかりで、感心しています。」 「私と一緒に来た小森君とも話したのですが、資本主義と社会主義の競争では、平壌の現状を見るだけで、その結論は明らかです。我々は、資本主義の負けが明らかであると話し合いました。」 「いま東京は、空気もよごれており、水もにごっておりますが、みんな平壌の清潔さと美しさに驚嘆しております」「東京都内では、毎日一万三千トンのゴミが出るのですが、これをどう処理するかというのが大問題です。わたしは“ゴミとの戦争”を宣言しなければならない時期にきたといったのですが、ゴミの問題をはじめ、大都市問題解決の基本は土地問題にあるといえます。かねてからわたしは、東京が社会主義国でのように土地が国有化されていれば、このような問題は起らないのではないかと考えました。わたしはこちらへきて、このことをいっそう痛切に感じました」(「世界」一九七二年二月号から、美濃部の訪朝時の発言) 解説をつけるのも無気力になりそうな文章だが、人間はここまで、信じたいものを信じ、見たいものだけを見てみたくはない物は見ない存在なのだろうか。美濃部が社会主義を信奉していたのは時代の風であり仕方がない。しかし、いかにそうだからといって、ここまで他国の指導者に卑屈なふるまいをし、礼賛しなければならないのだろうか。 美濃部氏は現在(2012年5月)都知事を務める石原慎太郎氏との都知事選にて、石原氏を「ファシスト」と呼んで批判した。しかしその美濃部氏は、最悪の全体主義体制の指導者をかくも賞賛し、その出先機関の総連の朝鮮大学校認可要請を十分な調査もなく受け入れたのである。「革新都政」とは何だったのか、今私たちは再考すべきではないか(終) |
|
朝鮮学校無償化狂想曲 |
|
以下の文章は、昨年末(2010年12月)「撃論ムック」用に書いたものの再録です。現時点では無償化は停止したままですが、これは北朝鮮の延坪島砲撃などの無法な軍事行為によるもので、教科書内容そのものに踏み込んだものではありません。同時に言えば、6者協議が再開すれば、また北朝鮮が一定程度でも砲撃について謝罪すれば直ちに無償化はなされるかもしれません。それも、「子供達に罪はない」と言う建前の元、北朝鮮政府に一定譲歩し、一部の拉致被害者を戻して「もらう」結果、日本政府が国交正常化に大きく舵を取る危険性すら皆無ではないのです。この教科書の問題点についてぜひもう一度考えていただければと思います(三浦) 現時点(今私の手元に、ジャーナリストの萩原遼氏が中心となって翻訳された、朝鮮学校の現代朝鮮史教科書がある。萩原氏が「星への歩み出版」から、ほとんど自費出版の形で発行したものだ。ついでに言っておくと一切朝鮮学校側の許可は取っていないが、いまだに学校側は訴えることも抗議にも来ないようである。彼らも落ちぶれたもので、せいぜい内部で「この教科書を渡したのは誰だ」と裏切り者探しに終わっているようだ。「SENGOKU38度線」氏によるものであると私は勝手に命名しておく。 さて、冗談はさておき、この教科書内容を紹介しておこう。まず朝鮮戦争についてだ。この戦争が北朝鮮側の侵攻によって始まったことはすでに明らかになっているのに、この教科書ではアメリカと韓国の侵略とされている。「米帝のそそのかしのもと、李承晩は1950年6月23日から38度線の共和国地域に集中的な砲射撃を加え、6月25日には全面戦争へと拡大した。(中略)尊敬する金日成主席様におかれては、会議で朝鮮人をみくびり刃向かう米国のやつらに朝鮮人の根性をみせてやらなければならないとおっしゃりながら、共和国警備隊と人民軍部隊に敵の武力侵攻を阻止し即時反攻撃にうつるよう命令をおくだしになった。」(現代朝鮮歴史1) このほかにもとんでもないことが「現代朝鮮史」として教えられている。金日成は常に「敬愛する金日成主席様」と呼ばれ、ソ連軍の傀儡として北朝鮮に送り込まれたことはもちろん記されず、ソ連が満州はもちろん、朝鮮半島で行った暴行も一切記されない。それに比して日米の「犯罪行為」「虐殺」「弾圧」は徹底的に誇張され、時には捏造される。 そして、在日コリアンの歴史にとって最大の悲劇である帰国事業についても、偉大で人道的な金日成の業績であるとされている。 帰国者は北朝鮮に到着した瞬間から、かの国の貧しさ、自由のなさを知り、総連と北朝鮮の宣伝が嘘だったことを知るのだが、そのことも今後の帰国者、日本人妻の悲劇にはもちろん全く触れられることはない。日本人妻という言葉も表れない。 そして、70年代に後継者となる金正日については「(金正日9将軍様におかれては白頭山密営(両江道三池淵郡)でお生まれになり、抗日革命闘争と新しい祖国建設、祖国解放闘争と戦後復旧建設の日々の歴史に特記すべき数多くの事変を直接体験なさり、高い資質と高潔な品格を育みなされた」(同)と、まさに歯の浮くようなお世辞が並んでいく。金正日が白頭山ではなくロシアで生まれたことは周知の事実だが、より重要なのは、他国民を拉致し、核を開発し、独裁政権の維持のためには国民が大量に餓死してもなんらかまわないという人間を、「高い資質と高潔な品格」を持っていると礼賛していることなのだ。 さらに、大韓航空機爆破事件については、何といまだに韓国のでっちあげとしている。「1987年11月28日イラクのバクダットを出発しソウルに向かった南朝鮮旅客機が、タイ・ミャンマー国境付近上空で失踪した事件。南朝鮮当局はこの事件を「北朝鮮工作員金賢姫」が引き起こしたとでっち上げ、大々的な犯共和国騒動を繰り広げ(中略)蘆泰愚「当選」に有利な環境を整えた。」(現代朝鮮歴史3) そして拉致問題については「2002年9月、朝日平壌宣言発表以後、日本当局は「拉致問題」を極大化し、反共和国、反総連、反朝鮮人騒動を大々的に繰り広げることによって、日本社会には極端な民族排他主義的な雰囲気が作り出されていった」(同)と、まるで家族会や救う会、国民の拉致被害者救出運動は民族排外主義であるかのように記され、しかも金正日が自らの罪を認めて謝罪したことには全く触れられていない。 ところが、このようなとんでもない教科書を使う朝鮮学校に対し、日本政府は、少なくとも8月の段階ではほぼ無償化の方針を決めていたのだ。無償化が適切か否かは専門の調査団、いわゆる「有識者会議」によって行われたというが、静かな環境で議論、調査したいといういいわけにもならない理由から、現在に至るまで彼らの名前も人数も明らかにされていない(教育行政の専門家ばかりで、朝鮮問題を知る人はほとんどいないとも言われる)。そのような「密室」のもと、8月末、中川正春文部副大臣は、授業料を学校ではなく各家庭に配布すること、仮にこのお金を学校が徴収し北朝鮮に送るような措置をすれば直ちに支給を停止するなどの条件で、無償化に向かうことを萩原氏に語っている。教育内容を検討して無償化の是非を決めることになれば、宗教系の高校を含め、すべての学校の教育内容を検査しなければならなくなり、朝鮮学校だけを教育内容によって差別するわけには行かないというのが理由のようだった。 この姿勢は以後の文科省、そして日本政府の基本姿勢となる。10月20日には、文科省は、朝鮮学校の教育内容を問わない、外交問題(拉致問題)はこの無償化問題には絡ませない形での、事実上の朝鮮学校授業料無償化を大臣に提出した。反対する議員や、救う会、家族会、そしてそのほかの北朝鮮に取り組む人権団体などの声に配慮したのか「教育内容を注視すること」や「国からの助成金が確実に授業料軽減に充てられることを確認すること」という文言は付記されたが、強制力は乏しい。 また、マスコミも産経新聞を除けば無償化にむしろ賛成の立場だった。典型的なのは朝日新聞で、9月5日社説「日本社会の度量を示そう」では「教育内容を問うべきだとの指摘もある。確かに金正日体制への礼賛は、私たちの民主主義とは相いれない。」が「多くの朝鮮人が住み、北朝鮮を支持する人がいるのは、歴史的な経緯があってのことだ。祖国を大事にする価値観を尊重し、同じ社会の一員として学ぶ権利を保障する。」と述べている。 それならば、朝日新聞は在日ドイツ人のネオナチが、ヒトラー思想に基づく学校を作り、そこで、ユダヤ人を差別するのは正しいことだとか、ヒトラーは偉大な指導者だったとか、アウシュヴィッツはウソの宣伝だという学校があっても『度量』で無償化を認めるのだろうか。この教科書の価値観はそれと同じなのである。 さらに言えば、在日朝鮮人の中に総連に属する人がいて、表面的には祖国を支持しているように見えることは事実だが、総連が北を支持せざるを得ない大きな根拠の一つは『北朝鮮帰国事業』によって、家族の多くが北朝鮮に渡り、その後は仕送りで家族を守らざるを得なかった事が大きい。そして、北朝鮮の人権弾圧で帰国者が苦しめられ、時には殺されたことによって、総連から在日は離れていったのである。そして、朝日新聞はこの帰国事業を支持したマスコミの一つではないか。これらの事実を全く見ようとしないこの社説氏を許すほどの度量は私にはない。 もう一つ、ドイツ文学者であり「9条の会」にも属している池田香代子氏の説を紹介しよう。これも賛成派のゆがんだ論理がよく現れている典型例である。 「どこの民族学校も、それぞれの価値観に沿ってカリキュラムを組んでいるでしょう。とくに近現代史などは、朝鮮学校だけでなく、中国系の学校も韓国系の学校も、日本のそれとはぶつかる面もあるでしょう。アメリカンスクールは(中略)たとえばヒロシマナガサキへの原爆投下について、日本とは異なる考え方を教えているかも知れません。」(池田香代子氏ブログより) 朝鮮学校教科書は『歴史観がぶつかる』のではなく、『異なった歴史観』を持っているのでもなく、ウソの歴史と現在の独裁者を賛美しているからこそ問題なのだ。各国により駅史的事実への評価や解釈が違うのは当然である。日韓併合について、日本と韓国の間で同じように教える教科書というのは不可能に近かろう。しかし、それと朝鮮学校は全く異なる。歴史観と対立などという高尚な問題ではないのだ。おそらく、池田氏はこの教科書を読もうともしていないと推測されるが、それならば、安易にこの問題に発言するのは控えるべきである。 むしろ無償化反対の動きは、橋本大阪府知事、石原東京都知事、そして最近の神奈川県、埼玉など、地方自治体の一部で起こってきた。この動きは国民世論によって好意的に迎えられ、仮に国が授業料を無償化しても、従来地方自治体がどれぞれの自治体判断で支給していた補助金打ちきりに動く可能性も現れてきた(総額は9億円におよぶという)。 その中、急に事態が動いたのが、北朝鮮政府側の強硬姿勢である。北朝鮮政府は、総連を通じ、朝鮮学校側はいかなる教育内容への改変も日本側の調査も(たとえ強制力がなくても)断固拒否せよという通達を出し、しかも11月23日、韓国の延坪島に砲撃を行うという軍事挑発をかけ、日本政府は急遽無償化を見直し、一時停止の措置を取った。 しかし、これは考えてみればおかしな話なのだ。これまで日本政府は、外交問題や教育内容は無償化の対照とはしないと述べてきた。また、子供達や生徒を政治に巻き込みたくないという論者も多かった。それなら、なぜ北朝鮮の軍事行為という、少なくとも朝鮮学校に直接責任はない「外交問題」で無償化は見直しされなければならないのか。 これに対し最も説得力のある論を述べたのが調査会代表の荒木和博氏である。荒木氏はブログにて次のように述べている。「23日の北朝鮮軍による延坪島砲撃で朝鮮高校の無償化の動きがストップしています(中略)。これまで家族会や救う会が何度はたらきかけても言うことを聞かなかったのに、砲撃でストップするというのはどういうことなのでしょう。砲撃自体は朝鮮学校はもちろん、朝鮮総聯とも関係ありません。一方拉致事件に朝鮮総聯が関与した可能性は極めて濃いのに、です。」「ふと思ったのですが、拉致で制裁をしなかったり、朝鮮高校の無償化と切り離す理由は決して単純なものではないように思います。アメリカに歩調を合わせなければならないときはやるが(いざとなれば守ってもらえるから)、日本国民独自の問題だと何らかの脅威を受けたときに自分でやらなければならないということなのかも知れません。」 これがことの本質である。日本政府はこの教科書問題にせよ、拉致問題にせよ、また北朝鮮の人権問題にせよ、自分の頭で考え、判断し、実行するという意欲はほとんどない。今回の無償化見直しは、現実の状況の変化の中米韓に歩調を合わせなければならないというそれだけの判断だろう。 80年代、かつて盛んだった左翼思想が凋落したころ、保守派の優れた知識人、福田恒存は述べている。平和主義が退潮し、その非現実性が明らかになり、保守派の言論が強くなってきたように見えるけれど、それは要するにアフガン侵攻などソ連の軍拡や拡張政策のおかげに過ぎない。われわれの言論が勝ったなどと夢うぬぼれてはならない。平和主義の偽善を暴いたのも、保守派の言説を強めたのも、結局言論や思想の力ではなく隣国の軍事的拡張だったという事実ほど、戦後の日本の言論界の空しさを示したものはない。 この図式は今も日本を覆っている。あのようなばかげた教科書を使う朝鮮学校の無償化をいったん停止させたのは、北朝鮮そのものの暴挙だった。ということは、南北が今回の事件を調整し、和解に向かえば、再び無償化の道に日本政府は進むのだろうか?拉致救出運動を差別排外主義と呼ぶ教科書を使うことに国税を投入する政府に、私は拉致被害者を救出することを求めるなどとは、ブラックユーモア以前の漫才に思える(終) |
| 脱北者の語る日本人妻 |
| 以下は、ある脱北者(北朝鮮難民)から、私が直接聴いた日本人妻の物語である。真偽のほども確認できない。唯、一つの証言として読んでほしい。 「日本人妻は、もう毎日、日本に帰りたい、帰りたい、というのが口癖でした。正月や祭日は必ず帰国者だけで集まって、そこに日本人妻も来るんですよ。お酒を飲んだら、日本に帰りたい日本に帰りたいってすごく言ってました。日本人妻の人たち、70,80歳ですから、確かに難しいですけれども、誰かが助けてくれれば絶対に逃げてくると思いますよ。 「例えば国境地帯のどの町まで来ればどうにか出れるとか、そういう方法が分かればもう殆どの人が必ず来ますよ。もう死に物狂いできますよ。 死んでも行きたい、故郷で死にたいって言っていましたから。」 「日本人妻は、私の住んでいた町に15人はいました。いつも皆で集まると、行きたいねー、日本に行きたいねーという悲しそうな声で、語り合ってっていたのを今でも覚えていますよ。日本の料理とかも持ち寄ってお正月とかには集まるんです。日本人妻の中で、一番高いアパートの家があったんですよ。そこなら声が聞こえないだろうというので、皆が集まって、まず日本のどこから来たのかを話しあって、ああ、貴方は西のほうね、貴方は南のほうね、と言う話になって、料理も、お刺身、おすし、海苔巻き、あとカステラとかも作って持ちよります。出来るだけ日本を思い出させるようなものをそろえるんですね。ケチャップとか、マヨネーズとかも、買うことは高くて中々できないけど、それぞれ家でマヨネーズとかも作ってもってきて、日本の料理ばかり、作って。それが一番楽しかったですね。」 「3月になったら必ず桜の話をしていました。皆は、朝鮮名になった人もいるけど、それはあまり呼ばなかった。でも、本名を呼ぶというのでもなく、なぜか大阪さんとか、色々ちょっと変わった呼びかたしていました。」 「そのうち2人は亡くなったけれども、一人は、多分栄養失調で亡くなったくなったんですが、亡くなる前に一言でも言ってくれたら、私達は少しずつでも食べ物を持ち寄って援けてあげたのに、何一つ文句を言わず、、愚痴もこぼさなかったから分からなかったんですよ。確か九州出身の方でしたけど、亡くなった時は70歳くらいで、すごく綺麗な人でしたね。その人は本当に一人きりだったんですよ。でも、日本人というのはというのはそういう性格なのか、本当に困っていたはずなのに、人には訴えないで、2000年、一人で部屋で飢えて死んでいたんです。お腹の中に、本当に一粒の食べ物もなかったそうです。私達は本当に悲しくて帰国者や日本人妻が集まって泣いて、お金を出しあってお墓を作ったんですよ。すごく花の好きな人だったから、花をお墓に供ええました。静かに運命を受け入れる人だったんでしょうね。」 「その人はすごくしゃれていて綺麗だったから、「姉さん」(「おばさんと言うととても嫌がる人でしたので)と呼んでいたんですが、顔色が悪いですね、気をつけてくださいと聴いたら、何となく具合が悪くて、と微笑んで言うだけで、とにかく、食べ物がないとは言わなかったんですよ。」 「もう一人の日本人妻は、豆満江に身を投げて死んだというですよ。脱北じゃなくて自殺したと言う噂でした。この人には夫がいて、すごく厳しかったんですが、そのせいもあったんでしょうか。一度は睡眠薬を飲んで死のうとしたんですよ。でも、吐いてしまって死にきにきれなかったんです。」 「この人の息子が、国境に近い街に勤めていたんですが、90年代、息子を訪ねていって、豆満江に身を投げたと聴いたんですよ。私達は夫に詳しい事情を尋ねたんだけど、これがまた頑固な人で、俺は知らないをらないよ、の一点張り。自殺した理由なんか私たちには分からなけど、本当に耐えられないことがあったんだろうと思いますよ。私達は皆でその夫の事は悪く言っていました。無理やり朝鮮までつれてきて夫だけが頼りなんだから優しくかばってやらなければいけないのに、何だあいつの態度はって。」 「90年代、日本に1,2回里帰りがあったでしょう。あの時は、もう皆希望を持っていましたよ。次は私だね、私だねって、ものすごく皆楽しみにしていました。でも、それもすぐ立ち消えになった時は本当にがっくりしました。ある日本人妻は「ああ、今度私いけるかねえ」と言っていました。」 「私の知っている人で、このとき日本に行ってきた人がいるんですよ。その人は労働党員なんですけど、先ず平壌に行って、1ヶ月間訓練を受けると言ってました。もし、日本でこう訊かれたらこう答えろとか、必ず北朝鮮に帰ってきなさい、もし来なかったら子供たちが、どなるかと脅される、と言ってました。日本にいたときの事は絶対言うなと言われたのか、日本の事は喋ろうとしませんでしたね。」 静かに運命を受け入れた人、また、おそらくは夫の暴力と絶望から死を選んだ人、いずれもあまりにもつらい、北朝鮮貴国事業が生んだ歴史の悲劇である。そして、この12月3日、脱北して日本に戻ってきた日本人妻、斉藤博子さんの手記「北朝鮮に嫁いで四十年」(草思社)が刊行された。ご一読いただければ幸いである。 |
|
映画「氷雪の門」今年7月、36年ぶりに一般公開 |
|
史実に基づいて作られた大作映画が公開直前で中止に 一九七四年、当時の日本映画では考えられないほどの超大作映画「樺太 1945年夏 氷雪の門」がついに完成した。製作実行予算は5億数千万、戦闘シーンには自衛隊が全面協力、写真資料にも乏しい樺太の町並みを美術担当の木村威夫が見事に再現、役者も、藤田弓子、久米明、丹波哲郎、島田正吾、木内みどり、北原早苗、浜田光夫、岡田可愛等、当時の有名な俳優をずらりとそろえていた。映画監督の村山三男も、これが生涯で最高の作品といえる。いや、失礼を省みず言えば、他の村山のどの作品もこれほど感動的なものはないと言い切ってもよい。人間が生涯に一度、自分の才能を超えて、120%の力を発揮する奇跡の瞬間があるというが、このときは村山監督には映画の女神が降りていたといえよう。 しかし、公開時、当時のソ連大使館から「反ソ映画であり、日ソの友好を妨げるもの」という抗議が入った。急遽、映画上映は事実上中止となり、この作品は幻の作品となる。以後、この映画は自主上映や、靖国神社遊就館での特別上映など、ごく限られた人々の目にしか触れることは無かった。 この映画のストーリーは、大東亜戦争敗戦直後の、ソ連の樺太侵略と、そのときに電話交換手として自らの職務を果たし、屈辱を受けるよりは死を選んだ女性達の実話から成り立っている。もちろん、映画のための脚色はされており、実名なども変えられている。 (映画のストーリー) 一九四五年夏、樺太西海岸・真岡町。太平洋戦争は既に終末を迎えようとし、報道機関は刻々迫る終焉を報じていたが、戦禍を浴びない樺太は、緊張の中にも平和な日々が続いていた。真岡郵便局の交換嬢たちは、四班にわかれて交替で任務についていた。彼女たちは仕事の合い間にスポーツや音楽会などで楽しい青春の時を適していた。 8月9日、ソ連は突如日ソ中立条約を破って参戦し、日本への進撃を開始した。戦車を先頭に南下するソ連軍は、次々と町を占領していった。戦禍に追われた罹災者たちは、長蛇の列をなして真岡の町をめざした。交換嬢たちは、刻々と迫るソ連軍の進攻と、急を告げる人々の電話における緊迫した会話を、胸の張り裂ける思いで聞き入っていた。真岡郵便局の交換嬢たちは、四班交替で勤務についていた。彼女たちの中には、原爆が投下された広島に肉親を持つものも、また国境を守る兵士を恋人に持つ者もいた。彼女らは不安を隠しながら、黙々と通信の仕事にいそしんでいた。 8月15日の敗戦も、樺太にとっては戦争の終わりではなかった。やがて、樺太全土に婦女子の強制疎開命令が出された。だが、交換嬢二十人は引揚げもせず、交換手として職務を遂行しようと互いに励ましあい、責任をはたそうと心に誓っていた。しかし、ソ連の進攻はやまず、8月20日。突如、真岡の町の沿岸にソ連艦隊が現われ、艦砲射撃を開始した。戦火の中で民間人の犠牲は増え続け、抵抗しようとした人々も次々と倒れていった。やがてソ連軍は上陸を開始、都市は炎に包まれ、避難民たちも銃弾にさらされ斃れていく。この時、関根律子を班長とする第一班の交換手たちは最後まで職場に残る道を選んだ。緊急を告げる電話の回線と、まだ避難を続ける町の人々へ、その避難経路を告げ、多くの人々の生命を守るためにも、彼女らは職場を死守した。しかし、ソ連軍侵入が目前にせまってきた。最後まで職場にとどまった9人の交換嬢たちは、最後の放送を行った後、静かに毒をあおぎ天国へ旅立った。 現在、北海道稚内市・稚内公園内に、樺太で亡くなったすべての日本人を祭る塔が建てられており、「氷雪の門」と呼ばれている。 静かに日々の仕事をつとめることが 多くの人々の命を救った この9人の女性を悼む、「9人の乙女の像」が、稚内市に1963年に建てらた。彼女らは公務殉職として勲八等宝冠章を受勲、靖国神社にも合祀されている。像には交換手姿の乙女の像銅版レリーフがはめ込まれ、彼女らの最後の言葉と、9人の名前が刻まれている。天皇、皇后両陛下は、1968年、同地を訪問され、次のような御製を残されている。 御製「樺太に 命をすてし たをやめの 心を思へば むねはせまりくる」 御歌「樺太に つゆと消えたる 乙女らの みたまやすかれと たゞいのりぬる」 沖縄戦や、広島、長崎の原爆については多くの著作も記録も残されているが、戦後樺太は「サハリン」として完全にソ連に併呑され、また、やはりごく最近まで社会主義国に対してのタブーがあったことも影響し、北方領土の問題は語られても、この彼女達の悲劇については現在でもあまり多くの著書も記録も無いのが原状である。しかし、「日本本土で陸戦場になったのは沖縄だけ」というよく聴かれる言葉は完全に間違いである。しかも、樺太や北方領土の侵略は、まさに8月15日、敗戦以後に行われ、無防備な民間人が殺害されたことは、歴史として決して忘れてはならないはずだ。 そして、電話交換手という仕事自体は、誰かがやらなければならない仕事ではあるけれども、決して世の中において華やかな仕事とはいえない。むしろ、黙々と、しかし着実に働くことを求められる地味な仕事といえるだろう。だが、このような有事の際、いつもはなんとも思わずに使っている「電話」という機械が、そしてその通信を守り続ける人々がいたからこそ、人々は連絡を取り合い、危機を知らせあい、一人でも多くの命が助かったのだ。「私達は交換手よ、回線がつながっている間は、ここを離れることはできないわ」と語る彼女らの姿は胸に迫るものがある。大言壮語し、大日本帝国は負けていないなどと戦争をあおり、そして敗戦後にはいきなり民主主義者となって虚名を流し、中にはソ連やシベリヤ抑留を美化して社会主義万歳を唱えた多くの言論人よりも、このような女性達の精神ははるかに高みにあった。そして、この映画では、乏しい武器で最後まで民間人を守ろうとした兵士達も描かれている。すでに大日本帝国は降伏し、軍としての責務は無い。だが、目の前に守るべき人々がいる以上、彼らは最後まで戦い続けた。この樺太や、また北方領土に攻め込んだソ連軍に対し、国家は滅びても国民を救うために徹底抗戦した兵士がいたこと、その抵抗力はソ連の予想をはるかに上回っていたため、ソ連は日本侵略を諦めたという説もある。 そして、ソ連軍の暴行は欧州でも多くの蛮行が見られたが、満州、朝鮮半島、そしてこの樺太でのソ連軍は、多くが囚人兵だったとも言われており、女性の多くが酷い目にあった。米英はあまりの惨状に、スターリンに軍規を引き締めるよう忠告せざるを得なかったほどである。しかし、スターリンは平然と、戦場を行きぬいた兵士が多少「気晴らし」をしたくらいで何を騒ぐか、といわんばかりの態度だったという。私は北朝鮮出身の女性に、朝鮮半島北部を占拠したソ連軍の蛮行や恐怖を聞いたこともある。彼女達が死を選ぶしかなかった心情と、それでも責務を果たし続けた勇気に、この映画でぜひ触れていただきたい。 尚、監督の村山三男はすでに他界しているが、当時助監督だった新城卓がこのフィルムを管理、今回デジタル処理を行っており、音質、画像ともに、これまで一部で自主上映されていたものよりもはるかに向上していると思われる。その意味でも、すでにご覧になった方も、もしお近くの劇場で公開された場合は足をお運びになることをお勧めしたい。沖縄出身の新城氏はその後監督としてデビュー、「俺は、君のためにこそ死にいいく」(2007年)等の作品がある。この映画は一部で好戦的な映画と批判されたが、この作品を通じてもう一度見ていただければ、監督が決して戦争を美化、肯定するような人ではないことをご理解いただけると思う。現在のところ、7月17日より東京のシアターN渋谷http://www.theater-n.com/movie_hyousetsu.htmlにてモーニングショー上映が予定され、8月7日からは札幌のシアターキノ(電話011−231−9355)でも公開される。今後も上映館が増えてくれることと思う。今年の8月、大東亜戦争を追記するに当たって、ぜひこの映画や、またシベリア抑留などについても想起していただきたい。(終) |
|
中国に北朝鮮を任せるのか? |
|
4月6日午後1時半から、東京にて元労働党書記、黄長ヨプ氏の講演会が行われました。この講演会は、原則的に政府関係者向けのものであり、会場での録音などは原則禁止。私はおそらく守る会代表として招待を受け、参加させていただきました。以下は私のメモに基づく報告であり、基本的な文責は三浦に属します。まず、論評を避け、黄氏の発言内容をできるだけ正確に伝えさせていただきます。その上で最後に私の批判的解説をつけます。 北朝鮮の主権者は国民自身 金正日は主権者でも交渉相手でもない(黄氏発言) 中井大臣の挨拶の後、黄氏は、まず参加者への簡単な感謝の言葉の後、北朝鮮問題の解決について今日はお話をしたいが、この問題の解決は、第一に、徹底的な民主主義の原則の上に立って解決しなければならないとまず述べました。そして、民主主義の原則に立つならば、北朝鮮の主権者は北朝鮮国民であり、国民を抑圧し、すべてを奪い取る独裁者が主権者ではないが、残念なことに国際社会は、今の北朝鮮の独裁者を主権者とみなしてアプローチや交渉をしようとする国が多いと述べました。 そして、その間違ったアプローチの実例として、たとえば核や何らかの問題解決の取引として、北朝鮮の現体制の保障をするような姿勢は根本的に誤っている、と述べた後、しかし、現実的には、現在の北朝鮮は国家として国連にも加盟し、国際的にも承認されているので無視することは難しい。この現在の独裁体制に対しては、敬して遠ざける、つまりできるだけかかわらず直接交渉を避けるのが望ましいと語りました。 さらに、北朝鮮との対話路線に対しては、政権は内部の国民に対してと同じ態度を外国に対しても取るものであり、300万の自国民を餓死させた政権が、遠い外国と友好的に関係を結ぶはずもない、今の金正日はヒトラーのような独裁者であり、彼に対して期待しても交渉してもまったくだめだろう、繰り返すが、その存在は認めても交渉の相手ではないと述べました。 さらに、この政権とは、戦う必要すら本当はない、今の北朝鮮の命脈を握っているのは中国であって、我々は中国との関係を考え、中国を動かすことによって北朝鮮を変えていく方針を取るべきだと述べました。黄氏は、中国は北朝鮮に対する領土的野心は全くない、なぜなら中国は現在13億の人口を抱えており、さらに2300万人の北朝鮮の国民を抱え込むことなど考えもしないだろう、北朝鮮には言われているような地下資源なども実はさして存在していないし、中国が支配しても利益にはならない、と中国が北朝鮮を実効支配する可能性を否定しました。 中国を使うアプローチで 北朝鮮を改革開放に追い込む(黄氏発言) さらに、中国がかってのソ連のような、自由民主主義陣営の敵対勢力になるという誤解が国際社会の一部に存在するが、これも自分には考えられないと指摘、黄氏は、自分は大躍進時代の中国で、どれだけひどい飢餓がおきたかを知っている、中国もさまざまな試行錯誤の後改革開放経済に進み、これがかってのような集団主義、共産主義に戻る可能性は皆無であると述べ、中国が民主主義陣営(おそらく日米韓をまずは指す;三浦)の敵にはならない、むしろ中国を巻き込むべきだと述べました。 その上で黄氏は、中国の朝鮮半島問題における懸念は、北朝鮮が自由民主化されれば、その影響が中国に入ってくることであり、中国の理想は、北朝鮮が中国型の改革開放経済体制になり、その上で同盟関係も維持されることだと述べました。この改革とは、簡単に言えば、現在の北朝鮮の狩猟独裁体制の否定と、市場経済の導入であり、これが中国の北朝鮮への要求であるが、現在の金正日は、口ではなんと言っても、また幹部や本人が中国を訪問しても、これを決して受け入れようとはしない、その結果、北朝鮮にはなんら国内で実質的な改革や変化は起きていないと、金正日の「反中」姿勢を強調しました。 黄氏は、だからこそ、われわれ民主主義諸国の側は、中国に対し、貴国は北朝鮮に対し国際的な責任を持ち、あの国を改革開放経済に責任を取って導いてくれ、ほかの事は一切いらないし、中国の懸念をわれわれも解決する、核問題も何も解決するから、最低限北朝鮮の改革開放経済だけを実現してくれと呼びかけるべきだと述べ、かって北朝鮮が一番衝撃を受けたのは、中国が韓国との国交を回復したときであり、北朝鮮はその時、必死で、せめて一年待ってくれとすがってきた。それほど、中国がいざ決意すれば北朝鮮への影響力は大きいと指摘し、中国を動かすことの重要性を語りました。そして、そのときの経験に根ざし、中国と今韓国が自由貿易協定、FTAを結べば金正日に強い打撃を与えるだろうと指摘しました。 そして、黄氏は、北朝鮮の人権問題に触れ、よく公開処刑など、目に見えるものが人権弾圧の実例とされることが多いが、本当の人権弾圧は北朝鮮の軍隊そのものの構造にある、若く、勉強や労働に励むべき人間が、すべて軍隊にとられ、長い軍務を強制され、「金正日の弾丸」と扱われて一生を棒に振ってしまっていることが巨大な人権弾圧であり、旅団長以下の兵士の恨みや不満は骨がらみのものがあるが、今の時点で決起してもそれは無駄死に終わってしまう、と、軍隊そのもの、線軍政治そのものの人権抑圧を批判しました。 そして、中国へのアプローチの必要性を再び強調、中国政府と率直に対話し、北朝鮮を改革開放してくれれば、後の懸念はすべてわれわれが解決することを約束することが必要だと述べ、さらに、韓国も自由民主主義による早期統一の準備は全く整っておらず、またこれは中国も認めないために現実的ではないとし、しばらくは、中国主導による改革開放とそれが根付く間にさまざまな問題(人権問題、核問題など)を解決することが結局は近道だと述べました。 軍事的攻撃は無意味 平和的アプローチで十分北朝鮮問題は解決できる(黄氏発言) そして、北朝鮮に対し軍事的に攻撃をかけるようなことは考えるべきではなく、むしろ、彼らが国境を越えて軍事的行動を起こさせないよう、日米韓が軍事的同盟を強化して北朝鮮にそのような野望を起こさせないことが大切だ、金正日との戦いは軍事面ではなく、思想戦、外交戦、精神的戦争なのだと述べ、そのためにはNGO等を通じて、北朝鮮の人権侵害の実態を大いに国際社会に知らせ、金正日を孤立させること、それもまた中国が北朝鮮を動かしやすくすることにもつながると述べました。黄氏は、これは軍事力を使う費用よりもはるかに安価で、かつ効果が上がることだと、平和的な人権侵害を訴える方法で北朝鮮を変えていく可能性を指摘しました。 以上のような形で、中国を巻き込んで、北朝鮮問題を解決していくためには、日米韓をはじめとする民主主義陣営の団結をいっそう強めていくこと、同時に思想的には、民主主義国家が各国の国益や国家を基本単位にした発想を少しずつ変えていく、民主主義が国家本位主義から脱していくことが必要だと、黄氏也の未来像を語りました。黄氏は、この北朝鮮問題の解決を通じ、米中が共同で問題を解決していく中でさらに世界が平和と民主主義の充実に向けて発展していくことを、近日発売予定の新著でより思想的、具体的に指摘したことを述べ、興味のある方はそちらをぜひ読んでほしい、そして、今後の運動のために、日韓両国のNGO.,人権団体、そして日韓両政府の交流を充実させていきたいと述べて講演を終わりました。 この語質疑応答が行われましたが、その部分は割愛させていただきます。私(三浦)も質問したいことがあったのですが、残念ながら時間切れで発言はできませんでした。 批判的解説 韓国による自由統一の意思はどこへ(三浦) ここでの黄氏の講演内容に対し、中国の人権侵害、民族弾圧、そして中華思想に基づく覇権主義に対しての批判を行ってきた私たちとしては、およそ受け入れられない発言が散見したものと思います。まず、中国は確かに北朝鮮に対し領土的野心はないでしょう。しかし、中国が今狙っている大きな「利権」は、日朝国交回復と、その後の日本から北朝鮮への経済支援です。確かに、北朝鮮における地下資源の豊富さをあまりにも宣伝し、だからこそ北と友好関係を結ぶべきだとする一部ジャーナリストの声には誇張が多いでしょうが、同時に、中国が北朝鮮の鉱山の発掘権などを買い占めようとしているのも事実でしょう。 さらにいえば、中国がかっての文化大革命時代のような極左路線に戻ることも、また資本主義を捨てることも全くありえないことは確かですが、同時に、その覇権主義を放棄し、自由民主主義陣営の味方となるだろうという発想は楽観的に過ぎます。それならば、なぜ中国が軍拡をとめないのか、黄氏は説明できるのでしょうか。もちろん、中国の軍事駅脅威をあまりにあおるのは逆に危険ですが、黄氏が期待している中国とアメリカの接近、握手は、北朝鮮問題の解決以上に、米中によるアジアの管理支配をもたらし、それは結果として中国という非民主的国家が政治的にアジアを支配することにつながりかねません。 もしも黄氏が、長期的な展望の中で、徐々に中国の民主化を考え、それに向かう一里塚として米中の友好強化を考えているにせよ、今この時点も、中国では脱北者がおびえながら隠れ住み、中国政府は難民条約を無視して彼らを捉え北朝鮮に送り返しています。この事態を軽視してまず中国主導の北朝鮮問題解決を言うのは、あまりにも一人ひとりの無告の民を無視した態度ではないでしょうか。 しかし、このような、黄氏が中国を頼る、ある種事大主義に陥っているのは理由がなくもありません。黄氏がおそらく期待をかけて亡命した韓国社会が、建前はともかく、すでに若い層を中心に、早期の朝鮮半島統一を考えている人はほとんどいないことを知ったからではないかと思われます。韓国では、実際の脱北者がすでに2万人近く入国し、しかも彼らのかなりの部分が資本主義社会になじめず、定着できていない現実に、統一を先延ばしにしたい、もしくはあまり考えたくないという「声なき声」がかなりの多数を占めているのではないでしょうか。 韓国に自由民主主義の統一の準備はない、という現実があり、しかも中国はそれを認めないだろうし、韓国が中国と断固対峙してまでその道を歩むことはなかろうというのであれば、結局、道は中国主導の改革開放路線しかないことになります。しかし、私たちが、いかに困難でも目指すべきものは、北朝鮮と中国という二つの独裁国家は、基本的に日米韓の自由と民主主義の原理とは相容れない存在であり、ともに打倒すべき敵なのだという原則を崩さないことです。少なくとも私たちは、チベット、ウイグル、そして漢民族自身に加えられている暴力と虐殺の事実を知ったものとして、中国を利用するためであれ、自由民主主義陣営の敵ではないなどという言葉を認めることはできないでしょう。 最後に本質的なことを述べます。今年は日韓併合百周年です。韓国の方々からすれば、他国にし併合されたことは不満であり屈辱だと思うのは理解します。しかし、明治維新がなぜ成功し、日本国が独立を維持することができたか、それは、倒幕派もまた幕府側も、欧米の技術や武器の支援は受けましたが、決して国家の運命を外国にはゆだねず、外国主導ではなく日本独自の近代化を目指したからです。そして、あえて誤解を恐れず言えば、朝鮮半島が独立を維持できなかったのは、清国と地続きで影響を避けられないという不幸はもちろんですが、いざ国難が迫ったとき、ある勢力は清国、ある勢力はロシア、また一部は日本と、外国の支援に依存して自らの主張を実現しようとする傾向が強かったためです。その意味ではもっとも自立した戦いを繰り広げたのは、むしろ東学党の農民兵や儒学者たちの義兵運動だったが、彼らも朝鮮半島の伝統にこだわるあまり近代的な思想を受け入れず、近代化された日本および列強の軍隊の前では敗北は必至でした。今の黄氏の発言には、李朝末期に外国の力を借りて本国の問題を解決しようとして、結局国を結果的に失ったリャンバン(貴族)政治家の視線が感じられるといったら,あまりにも失礼に聞こえるでしょうか。 そして、この姿は、アメリカに頼る形でしか北朝鮮に強硬姿勢を示せない韓国保守派の一部の姿勢の裏返しでもあります。韓国が、真に自由民主主義的統一を、あらゆるリスクを引き受ける覚悟で選択したときにこそ、朝鮮半島問題は解決に向かうはずです(終) |