トップページ アピール 特設ページ・拉致の背景
山本美保さんの件について 拉致関連年表 韓国における拉致事件
三浦小太郎寄稿集1 三浦小太郎寄稿集2 三浦小太郎寄稿集3
タイ人拉致被害者アノーチャさん リンク集 ピックアップ集草鞋編む日々
ワシントンからの提言 「しおかぜの集い」政府への要請文書 拉致を隠蔽してきた構造
日本による北朝鮮への経済制裁効果についてby映画好き
北朝鮮における人権状況に関するウィッティムンタポン特別報告官による報告
掲示板・声よ届け 波濤の彼方に!
カルメギ北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会
当掲示板の投稿レギュラーであり、NGO「カルメギ北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の事務局長三浦小太郎さんが、不定期ですが、寄稿文です。。拉致問題の全面解決と金正日独裁政権打倒のための強力な武器となることと思います。ご愛読のほどを。
日本政府は自国民である日本人妻の救出を 三浦小太郎

(本稿は、雑誌「正論」1月号に発表した文章を加筆修正したものです)

 6カ国協議、また再開した日朝交渉も、現在の所拉致問題解決に向けた確かな徴候は現れていない。むしろ、先に休会(1110日)した6カ国協議の場は、北朝鮮並びにその『保護国』たる中国によってリードされているかにも写り、拉致被害者の救出を求める多くの国民に失望感を与えているかに見える。

 しかし、国際情勢を見れば、北朝鮮金正日独裁政権は明らかに追い詰められている。EUが国連総会に対し、北朝鮮人権状況についての総会決議案を上程した。また国連総会第3委員会においても、10月27日ヴィチット・ムンタボン特別報告官が北朝鮮の人権問題、拉致問題について、韓国、日本、モンゴル各国での調査に基づく様々な提言を行っている。この調査を中国並びに北朝鮮政府は拒否したが、これ自体が彼らの国際的孤立を物語るものだ。そして、難民条約に批准していながら脱北者を不当逮捕して北朝鮮に強制送還している中国政府の非人道的態度は、今回の国連特別報告官への協力拒否と並んで、既に国連常任理事国の地位に留まる権利を自ら放棄したに等しい。

しかし、現在問題なのは、わが日本政府に、国際世論と呼応して総合的な人権外交で北朝鮮政府に対峙する姿勢が余りにも乏しいことであり、それは拉致問題の停滞にも直接作用していると思わざるをえない。日本政府は自国民を拉致された国家犯罪に対して、経済制裁実地を含めたより強硬な姿勢を示すべき時に来ている筈であり、それは北朝鮮政府との、被害者奪還並びに総合的な人権問題解決のための友好な対話を切り開くことに必ずや繋がるはずである。そして、日本政府が全く北朝鮮政府、そして中国政府に対し突きつける事を止めてしまった、重要な「自国民救出」の問題が日朝間には存在する。それが、日本人妻(配偶者)の問題である。

日本赤十字社と朝鮮民主主義人民共和国赤十字会との間で、昭和三十四年八月十三日締結された在日朝鮮人の帰還協定により、九万三千三百十名の在日韓国・朝鮮人が北朝鮮へ渡った。いわゆる「帰国運動」である。この運動が、朝鮮総連の虚偽宣伝と、それを無批判に報じ、増幅した日本マスコミの元に全国的に展開された事は、今更繰り返す必要のない歴史的悲喜劇だ。ここで「帰国」した在日韓国・朝鮮人のほぼ90%は、「南」出身者であり、同じ朝鮮半島とは言え、彼らは「帰国」したのではなく異郷の地に旅立ったのだが、まさに「異国」に向けて祖国と故郷を跡にした日本国民も多く存在した。日本国籍を有する者が六千六百七十九名、そのうち、日本国籍保有の日本人妻は、千八百三十一名。彼女らは夫である在日韓国・朝鮮人と共に、北朝鮮という「凍土の収容所共和国」に渡っていった。

朝鮮総連は北朝鮮を、教育、医療は無料、優秀な学生はモスクワ大学などへの留学も可能であり、福祉の完備した「地上の楽園」と宣伝し、特に北朝鮮行きを不安に思う日本人妻に対しては「3年後には里帰りが可能になる」という、まさに詐欺行為としか言いようのない虚偽が告げられた。彼女らは拉致被害者のように日本の海岸から無理やりさらわれていった訳ではない。しかし、この行為はまさしく「営利誘拐」であり、日本国政府はたとえ異国の地に囚われているとはいえ、彼女らの生命と人権を守る国家的責務を負うはずである。

かって、日本人妻自由往来実現の会(会長;池田文子)を中心とした、日本人妻救援運動が展開された時期もあった。この運動が日本人妻の一部に救援物資を送り、この問題の世論喚起を導いた事を私は評価し敬意を表する。しかし同時に、代表の池田氏の政治的立場や統一教会との関係などから、広範囲な人権運動、救援運動としての展開をなしえぬままに終わってしまった。しかし、私はこの点で池田氏やこの運動を批判するよりも、現在に至るまで日本国政府や主要な人権団体があまりにも消極的な事を指摘したい。特定の政治組織や宗教色の強い団体、個人が日本人妻救援運動に取り組んだ事を批判する人々には多いが、それならば何故彼らはその運動を是正し、より普遍的な救援運動を展開できなかったのか。

今北朝鮮に残された日本人妻は、その安否調査も行われておらず、幾つかの悲観的な推測によれば生存者数は数百人にも満たないとも言われる。しかし、だからこそ残された彼女らの救援は拉致被害者同様急務である。年老いた、余り時間の残されていない僅かな自国民の生命と人権に、日本政府、マスコミ、文化人はもっと関心を寄せるべきではないだろうか。

 

日本人妻との出会い、そして日本「再帰国」した彼女らの証言

 

私は世代的にも帰国事業を全く体験していないし、日本人妻自由往来実現の運動当時も余り関心を持たずに来た。その私が「日本人妻」の存在を強く意識したのは、1993年発足し、北朝鮮帰国者、日本人妻の人面問題に取り組んだ市民団体「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」(代表 山田文明)との出会いだった。この団体は今年ブッシュ大統領と会見した姜哲●を95年に招請するなど、脱北者の証言を初期から運動の中心課題としており、有機ある在日帰国者家族の証言と共に、帰国事業の悲劇と、日本人妻の北朝鮮での苦難を地道に訴えていた。そして、さらに私に衝撃的だったのは、実際に中国で出会った脱北者の語った何気ない日本人妻のエピソードだった。

2002年2月、中国東北部のある街で、私は数名のジャーナリスト、救援活動家と共に脱北者の母親とその子供に簡単なインタヴューを行った。母親は北朝鮮では食糧配給所に勤めていたが、94,95年頃から食糧配給が停止したこと、餓死者が急増し、自分達も北朝鮮では生きていけないと考えて脱北したことなどを語った。それらは悲惨な話ではあったけれども、基本的には他の脱北者の語ることや、書物で得た知識と違いはなかった。しかし、そこで日本人妻について何か知っていることがあれば教えて欲しい、という質問への答えは、どこか抽象的だった私の日本人妻への関心を一変させるものだった。彼女はこう答えたのだ。

「配給がなくなった後、最初の内は皆配給が再開される事を信じて、何度も配給所に足を運んだんです。でも、結局再開の見込みはないとわかって、自分達でどうにかするしかないと、ほとんど来る人はいなくなりました。でも、一人の年老いた女性が、何度も何度も、配給所に、少しでも食糧が来てはいないかと尋ねて来るんです。とうとう他に誰一人こなくなってもその人だけは来ていましたが、段々服はみすぼらしくなっていって、体もやせ衰え、歩くのがやっとのような状態でした。ついにはその人も来なくなってしまいましたが、諦めたのか、もしかしたら力尽きて死んでしまったのかはわかりません。確か、あの人は日本人妻だったと思いますよ。」

北朝鮮の90年代飢餓の中、300万人にも上ったといわれる餓死者。多くの脱北者が異口同音に語るのは、この時期に北朝鮮社会が完全に変貌したことだ。それまで食糧配給が一応維持してきた社会秩序は完全に崩壊し、法を守り、国家が配給を再開する事を信じて待つ人々はほとんど死に絶えた。この飢餓を生き延びたのは、法を無視し、エネルギー不足で動かなくなった工場から部品を持ち出し、自ら農作物を耕し、また他の畑から盗み、違法な脱北を試みて中国に逃れていくばくかのお金を稼いだ人たちである。しかし、それ以前に、北朝鮮で生まれた人々は、また親戚や仲間を頼って相互に助け合う機会もあった。帰国者、日本人妻にはその様な現地の親族もなく、日本からの仕送りも、ほとんどの家では途絶えはじめていた。夫に先立たれ、あらゆる手立てを失った日本人妻は、この時期北朝鮮国内で最も弱い立場におかれていたのではないだろうか。

多くの日本人妻は、日本で朝鮮人と結婚した時点で家族とは疎遠となり、しかも北朝鮮に旅立つ段階では絶縁状態になった例が多い。支援を続けなければならないと決意した僅かな兄弟も、そのほとんどは貧しくこの時期には年金暮らしの人が殆どだ。そして、新潟から「帰国者の命綱」として、同時に朝鮮総連による在日帰国者家族支配の道具、北朝鮮政府にとっては「人質政策」の象徴である万景峰号も、そこに乗船し家族に再会できるのは在日朝鮮人のみであり、日本人家族にはそのチャンスはまず与えられない。全てから見捨てられ、絶望と飢餓の中、最後の一縷の望みを食糧配給の再開にのみ託して配給所に通い続け、おそらくついには餓死した一人の日本人妻の最後を思う時、この問題を日本政府と国民は人道上見過すことは出来ないはずである。

 

語り始めた「再帰国」証言者達

 

今年(2005年)3月、東京と大阪で、北朝鮮を脱出し、ここ日本に「再帰国」した日本人妻、そして脱北帰国者が、証言集会という形で始めて公的な場で口を開いた(平島筆子さんのケースは後述する)。従来、北朝鮮における日本人妻の悲劇は、彼女らが日本に当てて切々と支援を訴えた書簡文、また韓国への脱北者の証言を通じて語られることが多かった。そこには余りにも貧しく厳しい生活、弾圧へのおびえと常に検閲を意識した苦い文章、日本人妻が再帰国を求めて行ったささやかな、しかし北朝鮮では重罪に当たる行動、また数回にわたった日本人妻への「粛清」とも言うべき事件などが伝えられている(特に後者の2点については、今後もさらに多くの脱北者・日本人妻証言による調査が必要なテーマであり、おそらく北朝鮮独裁政権崩壊後に全容が明らかになる性格のものであろう)。そして、現在約80名の帰国者、日本人妻が救援団体等の努力で日本に入国し、この集会のように勇気ある方々が公開の場で訴えるようになった現在、北朝鮮に於ける日本人妻の生活について、より具体的な様々な実像が浮かび上がってくる。北朝鮮という地で、日本人妻一人一人は、それぞれ違った人生を夫や子供たちと共に歩んできた。総体としては悲劇的なものであったとしても、そこには彼女らが異郷の地で苦難に耐えながら築き上げた確かな人生があったのだ。

この日証言した日本人妻、山田タマさん(仮名)は、1960年、在日朝鮮人の夫と一緒に北朝鮮に渡り、北朝鮮北部の咸境北道に配置され、脱北する2003年までそこで生活した。彼女は帰国当時の事をこう語る。

「(朝鮮総連から)北朝鮮に行けば、いい暮らしができると言われまして、映画とかいろいろな物を見せてもらいました。朝鮮に行けば、食べ物でも何でもいっぱいあるし、何の心配もないと言われましたし、それに日本人妻は3年後に必ず里帰りできるということで、わたし、夫について行きましたけれども、3年が43年になって(苦笑)2003年の1月24日に国境を渡り、中国朝鮮族の方や日本の市民団体、そして外務省の方々のおかげで日本に帰ることが出来ました。」

総連の宣伝と「3年後の里帰り」が山田さんにやはり影響を与えていたことが分かる。しかし、いかに巧みな宣伝がなされたとは言え、彼女には異国の地に渡ることへの不安がなかったのだろうか?

「不安や心配事は勿論沢山ありました。私の家族は、夫と一緒に北朝鮮に行くといいましたら、猛反対されまして、親兄弟の縁を切って行くんだったら行きなさいとまで言われたんです。もしも、子供がいなかったら私は行かなかったでしょうけれども、そのとき夫との間にすでに子供が一人いたものですから、夫と一緒に『帰国』したんです。」

 夫と子供が行く事を決意した時、母親だけが日本に残る選択をすることはほとんど不可能である。ここまでの情況を知った上で、私達はそれでも北朝鮮行きを、彼女の「自己責任」と言い切ることが出来るのだろうか。

北朝鮮に帰国船がついた瞬間、「騙された」と思ったのは全ての帰国者、日本人妻の共通した印象であり、山田さんも例外ではなかった。さらには3年後の里帰りも全くの空約束だったことが分かった後、山田さんはむしろ諦め、北朝鮮の地で生きていく事を決意するしかなかった。朝鮮語も必死で覚え、北朝鮮で生まれた子供たちにも、家が帰国者であること、自分が日本人妻である事を隠した時期もあったという。しかし、90年代飢餓の時期、彼女の住む街でも6人の日本人妻がいたが、そのうち3人は餓死した。「その人達が死ぬ前まで、私いつもよく合いに行っていたんですけれども、みんな、死ぬ前に一度でもいいから日本に行ってみたいと言いながら、本当に可哀想な死に方でした。本当に骨と皮ばかりに痩せちゃって。」「餓死」などという死に方が言葉の上でしかなくなった私たちには想像することも出来ない姿である。

しかし、同時に山田さんは、日本人妻だからといって、当初は特にひどい扱いや差別を受けた覚えはないとも言う。

「私たちのいた所では、、とにかく一番暮らしの悪い所でしたが、日本人妻は特別に1ヵ月に100ウォンずつ貰いました。それと配給の2〜3回分は、トウモロコシだけど、日本人妻だということで(北朝鮮生まれの人よりは)多く貰えました。」

 しかしこの後、帰国者、日本人妻を「資本主義国から来たスパイ、社会汚染分子」と見なす傾向が、特に60年代後半から70年代にかけて、北朝鮮全体主義体制の完成と共に生じ、多くの人々が犠牲になってゆく。また北朝鮮の相互監視体制の残酷さが様々な密告によりこの悲劇を助長し、北朝鮮生まれの人々と、自由や民主主義の体制を一度は体験した帰国者、日本人妻との溝は埋まることがなかった。

 夫を失い、飢餓の国を逃れて再び故郷の地を踏んだ山田さんは、ここ日本で老母と奇跡的な再会を果たすことが出来た。彼女の数奇な人生は日本への「再帰国」をはたすことで鉛管を閉じたように思われるが、未だに彼女の住んだ町に残る日本人妻達、そして日本を思いながら異国の地で最後を迎えた日本人妻達の思いが、彼女の脳裏を去ることはないだろう。

 

脱北者の語る日本人妻像(1)静かな誇りの中で死を選んだ貴婦人

 

今日本で生活する脱北女性、李美子さん(仮名)は、日本人妻の思い出をこう語る。

「正月や祭日などの休みの日は、私の住んでいた町では必ず帰国者だけで集まって、そこに日本人妻も来るんですよ、そのとき、お酒を飲んだら、日本に帰りたい日本に帰りたいっていつも言っていました。」

「日本人妻の人たちは、もう今は70,80歳になっていますから、確かに難しいですけれども、誰かが道案内をしてくれたり手助けをしてあげれば、絶対に脱北して日本に逃げてくると思いますよ。もう死に物狂いできますよ。死んでも行きたい、故郷で死にたいって思っているはずですから。」

「日本人妻は、私の知る限り町に15人はいました。集まると、料理も、お刺身、おすし、海苔巻き、あとカステラとかも何とか工夫して作って持ちよります。出来るだけ日本を思い出させるようなものをそろえるんですね。それが一番楽しかったみたいですね。私たち帰国者も集まって、そこでは北朝鮮で生まれた人はいないから、いつもよりは気軽に(密告を恐れずに:三浦注)日本の話ができる。これが本当に楽しいひと時でした。」

 李さんのお話では、2人はお亡くなりになったけれど、他の方々はまだ生きている筈だという。そして、この二人の最後は、余りにも好対照で、またいずれも痛ましく胸を撃つ日本女性の姿である。

「一人は、多分栄養失調で亡くなったんですが、亡くなる前に一言でも言ってくれたら、私達は少しずつでも食べ物を持ち寄って援けてあげたのに、何一つ文句を言わず、愚痴もこぼさずに逝ってしまいました。確か九州出身の方でしたけど、亡くなった時は70歳くらいで、すごく綺麗な人でした。夫は早くに亡くなって、子ども家を出て、その人は本当に一人きりだったんですよ。」

「でも、日本人というのはそういう性格なのか、困っていたはずなのに、人には訴えないで、一人で部屋で死んでいたのを、地区の人民班長が見つけたんですよ。後で近所の人の話で聞いたんですけれども、お腹の中に、本当に一粒の食べ物もなかったそうです。帰国者や日本人妻がお金を出し合ってお墓を作りました。すごく花の好きな人だったから、花をお墓に供えました。静かに運命を受け入れる人だったんでしょうね。」

「いつも、その人はすごくしゃれていて綺麗だったから『姉さん』と呼んでいたんですが、2000年の十月にみんなが集まった時、余りにも顔色が青ざめていて、『顔色が悪いですね、気をつけてください』と聴いたのですが、『何となく具合が悪くて』と微笑むだけで、とにかく、食べ物がないとは言わなかったんですよ。日本人って、人の世話になってはいけないとか、自分の苦しい所を人に見せてはいけないという気持ちがありますよね。そして、その人のアパートは市場の近くにあったので、いつも時々窓から顔を出して、買い物に来た知り合いに手を振ったりしていたのに、その頃から殆ど姿を見せなくなったんです。でも、誰かが訪ねていけば本当によかったのに、皆やっぱり自分の家のことで精一杯で、「あのお姉さん、このごろ見えないね」といいながらも、尋ねる人がいなかった。そして11月になって、亡くなっていたのが分かったんです。自分のことはほとんど語らない人でしたが、日本では大学を卒業していたようで、分からない事があればその人に聴きに行けば何でも教えてくれました。」

 この証言にはあえて解説をつける必要もないだろう。運命を受け入れ、毅然と死を迎えた女性の姿である。しかし、もう一人の死は余りにも痛ましい。

「もう一人の日本人妻は、豆満江に身を投げて死んだというんです。脱北じゃなくて自殺したという噂でした。この人には夫が物凄くきつい人でしたから、きっと苦労が多かったんじゃないでしょうか。

この人の息子が、国境に近い街に勤めていたんですが、どういう理由があったのか、1990年代、息子を訪ねていって、そのまま豆満江に身を投げたと聴いたんですよ。私達は夫に詳しい事情を尋ねたんだけど、俺は知らないの一点張り。自殺した理由は分からないけど、本当に耐えられないことがあったと思いますよ。私達は皆でその夫の事は悪く言っていました。無理やり朝鮮までつれてきて、夫だけが頼りなんだから守ってあげて当たり前なのに、何だあいつの態度はって。」

このような残酷な男性に怒りを抱くのは当然だ。しかし同時に、多くの帰国者は、この男に対して私たちと同じ怒りを抱き、心からの同情をこの不幸な女性に捧げた事を忘れてはならないだろう。

 1994年、2回の日本人妻里帰りがあった事はまだ記憶に新しいが、そこでの「選ばれた日本人妻」の北朝鮮礼賛が、強いられたものだとは分かっていても、多くの日本人を白けさせ、この問題への関心を失わせた事は残念ながら否定できない。しかし、李さんは北朝鮮の中から見た、もう一つの「里帰り」への印象と、日本人妻たちの、どのように形式的なものであれ狂おしいほどに里帰りを望んだ心境を伝えてくれる。

「90年代、日本に1,2回里帰りがあったでしょう。あの時は、もう皆希望を持っていましたよ。次は私だ、私だって、ものすごく皆楽しみにしていました。でも、それもすぐ立ち消えになった時は本当に皆がっくりしていました。」

「一人日本まで行ってきた人がいるんですよ。その人は党員なんですけど、先ず平壌に行って、1ヶ月間訓練を受けると言ってました。もし、日本でこう訊かれたらこう答えるとか、それから必ず帰ってきなさい、もし来なかったら子供たちがどうなるかと脅される、とも。日本での事は絶対言うなと言われたのか、日本の事は喋ろうとしませんでしたね。でも、母は子どもが大事ですからね、子どもを人質にとっていれば北朝鮮の言いなりになると分かっているんですよ。」

 あのような偽善的な、北朝鮮側に都合のいい里帰りを2度と許してはならない。日本政府が要求すべき事は、家族も含めて、「日本国民」である「日本人妻」の自由な2国間往来であり、同時に、再びここ日本に「再帰国」する事を選択する当然の権利のはずだ。

 

脱北女性の証言(2)日本人妻原ひろ子さんの悲劇

 

 もう一人の脱北女性、李春子さん(仮名)が語るのは、今北朝鮮から切実に救援を求めている一人の日本人妻の姿だ。李さんは北朝鮮で1961年、安村正信さん(日本名、在日朝鮮人帰国者)と結婚するが、正信さんの兄、敏榮さんの妻が日本人妻原ひろ子さんだった。李さんは同じく3月の証言集会に参加し、原さんの救援を求めて証言しており、私も緊急性を考えてあえて個人名を私の判断で出させていただく。年代などやや不明瞭な点もあるが、基本的な事実関係は春子さんは確信を持って証言してくださっている。

 原ひろ子さんは九州出身、1960年9月、夫、安村敏榮他、嫁いだ安村家ほぼ全員と共に北朝鮮に渡った。義父、安村福祐さんの妻、清水キトさんも日本人妻である。この家に嫁いだ李さんは、主として夫正信さんから、原ひろこ子さんについて様々な事を知る事になる(ひろ子さん自身は余り語らなかったという)。

 原ひろ子さんは、比較的裕福な家に生まれ、日本舞踊も習っていた勝気な美少女だった(京マチ子に似ていたという)。僅か17歳で「一目ぼれした」敏榮さんが彼女と結婚した。原家は大反対、ひろ子さんは事実上家出状態で風呂敷包み一つで安村家に嫁ぐ。現在では「差別を乗り越えた恋愛」などと語られやすい結婚だが、戦後の混乱期、同時にまだまだ女性が受動的に結婚を受け入れていた時代背景を考える時、必ずしもそのような単純な図式をあてはめるべき物でもないようだ。強引に迫る男性に、まだまだ若い女性が押し切られての結婚という印象をむしろ李さんは受けており、安村家でもその様な感覚でこの長男の結婚を受け入れていたらしい。ひろ子さんが長男、次女を出産すると、やはり孫可愛さからか、原家と安村家は和解し、両家の交流も行われるようになった。ひろ子さんにとって悩みは夫の浮気性だったというが、それでも比較的安定した月日が流れていた。

しかし、何が原因かは不明だが、敏榮さんは日本でトラブルを起こし、その時ちょうど盛り上がっていた帰国運動に参加して、一家全員で北朝鮮に行こうという話になった。この家は長男である敏榮さんの意志はほぼ絶対的なものだったらしいが、安村家は全く朝鮮人意識も薄く、社会主義にも総連にも、また民団にも興味はなかった。純粋にトラブルからの帰国だった。このようなケースも帰国者の中には少数ではあろうが存在したのだ。24歳のひろ子さんにとっては青天の霹靂だった。

勿論周囲の多くが帰国に反対し、特に原ひろ子さんの家出は絶対に行くなと猛反対した。ひろ子さん自身、北朝鮮に行く意志はほとんどなかったが、義父、夫をはじめ一家総出での帰国が決定された以上、彼女一人ではどうにもならない。それでも、ひろ子さんは、新潟港で、帰国船から飛び降りようと本気で考えたという。李春子さんは、正信さんから聴いた話として語る「ひろ子さんは、帰国船から飛び降りようとしたそうです。でも、その気配を察した夫は、後ろからナイフを背中に突きつけてきて『おかしな真似をしたら刺すぞ』と脅して、当等そのまま船は北朝鮮に向けて出発してしまったと正信は言っていました」

北朝鮮で全員は現在のヘリョンで生活した。ひろ子さんにとってのただ一つの慰めは、夫、敏榮の浮気癖が全くなくなったことだった。勿論、北朝鮮の厳しい社会ではその様な性格も直らざるを得なかったのだろうが、同時に、自分の決断と責任で、このような国に妻と一家を連れてきてしまったという良心の呵責もあったに違いない。義父、福祐さんも、清水キトさんに対し、日本にいるときよりは遥かに優しくなったという。正直、在日朝鮮人と日本人との結婚では、男性が横暴に振る舞い、時には暴力をも振るうような事例が少なくない。しかし、このように北朝鮮に渡った後、逆に夫婦間に、夫の自責の念と、妻が夫の決断をゆする受け入れる過程との間で、本当の意味での差別や民族を乗り越えた愛情と夫婦関係が生まれたケースは決して少なくないはずである。

しかし、そのキトさんも、やはり時々原ひろ子さんに、覚えている日本舞踊を踊ってくれるよう頼み、嫁の踊りに涙していた。やはり望郷の念は耐え難いものがあったのだろう。キトさんは、歌と話をするのがとてもうまく、帰国者が集まる時はいつも唄を歌い、また時には日本にいたときに聴いた昔話などを表情豊かに語った。しかし、朝鮮語はとうとう覚えず、買い物などで外に出ることも殆どなく、ひたすら家で過ごしていた。福祐さんは70年ごろ病死し、その後を追う様にキトさんは静かに世を去る。春子さんは、時には冷淡に見えるほどキトさんは常に冷静だったと語るが、彼女の胸の奥にどんな想いが潜んでいたかは今となっては誰にも分からない。

 ひろ子さんも、北朝鮮に行ってからは、日本にいる時よりも静かな印象だったという。しかし、彼女の方はキトさんの諦観と同じではなく、高血圧や婦人病の持病が悪化した面もあったようだ。李春子さんは、「しょっちゅう体を悪くしていたし、時々ぼうっとしている時もありました」と言う。ただ同時に、決して怒りを見せたりせず、感情をむき出すことも殆どなかった。ただ、日本の唄を歌うときだけは、途中で何度も歌えなくなるほど涙を流した。「日本人妻の人は皆そうでしたね。日本の唄を歌うとき、私たち帰国者よりももっと想いが募るのでしょう、最後まで歌いきれないんですよ。何度も泣き出して途切れるんです。ひろ子さんは江ノ島エレジーという歌が一番好きでよく歌っていましたけど、感極まってしまうんですね。」

「それと、北朝鮮で稲荷寿司を始めて作って広めたのは原ひろ子さんですよ。」と、李春子さんは数少ない楽しい思い出として語る。チャンマダン(自由市場)が始まった頃、原ひろこさんは工夫して稲荷寿司を作って売り出し、物凄く好評だったという。仕送りなどで得たお金で買った豆腐を、まず水を上から重しを置いて抜き、そのあとで薄く切って稲荷の皮を作る。寿司飯もちゃんと作って、味付けも日本風でとてもおいしかった。「これは相当評判になりましたし、中国から来た朝鮮族も喜んで買って行きましたよ。日本人妻が作って売っていると言ったら、彼らも同情して買っていたし、もちろん味も良かったんです。その後は北朝鮮の人たちも試行錯誤しながら真似するようになりまして、かなり広まったんじゃないでしょうか。でも、その人たちはやっぱり段々北朝鮮の味に合わせて、にんにくを利かせたり、キムチを入れたりし始める。そっちの方が段々好評になって、しかも皆作り始めたのでひろ子さんの方ははやらなくなってしまったけど、私はやっぱり日本風のひろ子さんの稲荷寿司が一番おいしかったです。」

しかし、この北朝鮮での生活にも、多くの帰国者、日本人妻と同じように、90年代飢餓の時代についに限界が来た。

「97年ごろ、どんどん生活が苦しくなり、ひろ子さんは旦那さんとともに、もうこれ以上生きていけないと、ピョンソンというところに息子がいますのでね、そちらに夫と移ったんです。そして夫も亡くなり、ひろ子さんも2000年ごろ、もう生きていけないと脱北しようと国境線を目指しました。でも、豆満河の少し前でつかまってしまい、ひろ子さんをみた人の話では、お年寄で高血圧だというのに、氷のような牢獄で殆ど裸で座らされていたといいます。」

 李春子さんは、北朝鮮に残る親族からの連絡で、原ひろこさんは現在はピョンソンに戻っている事を知ったが、牢獄での仕打ちのせいか、半身不随に近い状態だと言うショッキングな情報と一緒だった。春子さんは、この親族などを通じ、何とかひろ子さんに支援を続けたいと考えている。

 3月26日、李春子さんを含む脱北帰国者、日本人妻は、救援団体のメンバーと共に、自民党の安倍幹事長代理(当時)に、米田健三氏のご尽力により約40分間の面会をすることが出来た。そこでも、春子さんはこの原ひろこさんの問題を強く訴え、安倍氏の、日本政府の救援を嘆願した。同席する光栄にあずかった私は、脱北者、日本人妻の訴えにじっと耳を傾けてくださった安倍氏の姿を今も尚はっきりと思い出すことが出来る。現在官房長官となられた安倍氏が、このような日本人妻の悲劇に対し、拉致被害者と同様の関心を示し、行動していただく事を祈ってやまない。

 

むすび 日本人妻救出はナショナリズムの衝突ではなく、

帰国者救出・独裁政権打倒への一里塚である

 

 日本人妻救出運動は、日本国家の自国民救出の責務であり、拉致被害者救出と同様政府が取り組むべき問題である。しかし同時に、この救出運動は、北朝鮮帰国運動そのものの総括として、帰国者全体の救出に、さらには、問題の根本である北朝鮮独裁政権の民主化に道を開くものでなければならない。

 帰国事業が偽善的なものであれ、当時は「人道上の問題」「居住地選択の自由」の名の下に繰り広げられていた事は事実である。日本政府、マスコミもこの美名の下にこの運動を一定支持したことも認めざるを得ないだろう。しかし、同時に総連を中心に行われた「3年後の里帰り」という空約束(詐欺行為)によって騙された日本人妻への救援にも、いや、その実態調査にも何らの関心を持たなかった事は、やはり日本国民を守るべき政府の怠慢ではなかっただろうか。

 世界各国に「移民」し、また結婚して移住した日本人は勿論明治以降数多い。その中には夢破れて不幸な人生を送った方々(戦後のボリビア移民など)も確かに存在する。しかし、彼らは少なくとも、現地から日本に帰国するすべを全く失ったわけではない。北朝鮮が、国民の国外移動の自由も、また日本人妻の当然の権利である日本里帰りや帰国すらも原則的に許していない非人道的な態度をとり続け、日本赤十字を通じた日本のご家族からの安否調査や連絡以来にも殆ど良心的な態度を示してこない情況の中で、日本政府が積極的な救援作を取らずに現在を迎えてしまった事は、帰国事業、そしてそれと共に旅立った日本人妻たちを「棄民」したに等しい情況である。

 今回、私は最近の事例を中心に紹介するため、日本人妻小池日出子さん(夫チョ・ホピョンさん、そしてお子さん達と共に、北朝鮮から逃亡を試み、銃撃戦の末一家全員射殺されたという、まさにでっち上げとしか言いようのない報告が北朝鮮政府からなされている)日本人夫、柴田幸三さん(一家全員、スパイ罪で収容所に送られ、最後には列車事故で全員死亡というこちらも全く信じがたい報告がなされた)などの例は挙げなかったが、アムネステイ・インターナショナルと、日本に残されたご家族が連帯して訴えたこの事件に関しても、日本政府は北朝鮮にまともな抗議も安否調査も申し込んではいない。最近、日朝国交交渉再開に向けた動きが取りざたされてはいるが、日本国籍を持つ日本人妻を、それも、朝鮮民族の夫と共に異国の地で生涯を送る決意で旅立った人々に対して、以上のような惨い仕打ちを行う国家との「友好」「国交」とは一体意味があるのだろうか?

 私は拉致事件同様、この日本人妻問題を、緊急の人道問題、日本国民の救出課題として捉えなおす事を是非日本政府に要請したい。これまで日本政府が、赤十字などを通じて、日本人妻問題でも北朝鮮との裏交渉をそれなりに行ってきた事は理解する。しかし、拉致問題を巡る様々な運動が明らかにした事は、北朝鮮独裁政権は、裏交渉ではこのような人道問題を解決することはできない。あくまで正面から政府が問題を提起し、彼らを批判し、国際的な圧力をかけてこそ、何らかの妥協を引き出す余地が生まれるはずだ。

 私たちが脱北者の声に耳を傾ける時、また良心的な在日コリアンの声に耳を傾ける時、その立場や心情を超えて、彼らは日本人妻への深い同情や共感を示していることに気づく。かの朝鮮の地で必死に生き抜こうとした、数奇な運命をへた日本人妻を、帰国者たちは暖かく支えようとした。彼女らがまさに犠牲者であること、援けなければならない人である事を彼らはよく理解していたからである。私達は日本人妻救援運動を、単なる日本国民だけの救援ではなく、同じく苦しい運命を共にした北朝鮮帰国者救援運動に連携していくものとして、さらには、希望を胸に、新たな可能性を求めて旅立った彼らを、現在の悲惨な状態に追いやった北朝鮮独裁政権の責任追及と、同時に民主化を最終ゴールとするものとして展開していこうではないか。それこそが、帰国事業のスローガンであった「人道帰国」「居住地選択の自由」の精神を真に貫徹することである。 (終)

「北朝鮮に人権査察を 脱北者の保護と定着を」集会(05.7.30in神田韓国YMCA)での講演より
アウシュビッツ解放60周年の年に北朝鮮強制収容所も解体を! 
 わたくしの方から、もう一つ守る会が取り組んできた、北朝鮮の強制収容所の問題、広く人権の問題について、できるだけ簡単にお話しをいたします。

 北朝鮮が、山の奥深くに政治犯強制収容所を持っておりまして、その中では非常に残酷な拷問が行われていること、そこの政治犯の方々のほとんどは、一言今の体制に不満を言ったとか、帰国者や日本人妻の方で、一言「日本に帰りたいなあ、日本の方が良かった」と言っただけで収容所に入れられてしまうような、非常に罪でも何でもないことで捕らえられている方々がいらっしゃっいます。

 この政治犯収容所と恐怖、北朝鮮の国内で何か余計なことを言ったり、あるいは何人かで集まって、そこで何か不用意なことを言ったら、密告されてここに入れられてしまうのではないか、との恐怖感が北朝鮮の人々の気持ちをマヒさせてしまっていること、これはほぼ明らかなことだろうと思います。

 今回も含め、多くの集会で何度も名前が出ております姜哲煥さん、彼は帰国者の息子として、耀徳政治犯収容所で非常に苦しい体験をされた方でした。この政治犯強制収容所、この解体と脱北者の支援、この二つは、今北朝鮮の人権問題を考える上で、避けて通れない問題です。

 アウシュビッツ解放60周年に、北朝鮮の収容所も解体せよ
本年2005年は、アウシュビッツが解放されて60周年です。アウシュビッツの時代ならば、あのようなひどい虐殺があるということを、当時の人たちは、まだ良くは知らなかったんですね。しかし、今「北朝鮮のアウシュビッツ」で何が行われているかは、これだけたくさんの脱北者の人たちの証言、そして人工衛星による収容所の写真、現実に収容所を体験した人(姜哲煥、安赫、金英順ら各氏)の証言、その収容所で警備兵をしていた人(安明哲氏)の証言、これだけ集まれば、もはや充分すぎるほどです。

 もう一つ、今北朝鮮と中国の国境を彷徨(さまよ)っている脱北者の悲劇に関しても、もはや我々はテレビの画面を通じて、どのようなひどいことが行われているか、どういう気の毒な人が逃げ惑っているかは、ほとんどすべての人たちに情報は伝わっているはずです。

 かつて、アウシュビッツであれ、たくさんの人間の悲劇について、当時は知らなかったからというのはあると思います。しかしこれだけ情報が伝わってきて、今日もこれだけの方々が、勇気を持って語っていただいて、これで私たちが何もしなかった場合は、私たちは北朝鮮の独裁体制の、中国の脱北者迫害の共犯者と言われてもしかたがないかもしれません。

 こんな6カ国協議ならボイコットせよ!
今、6カ国協議が始まっております。いろいろ意見はあるでしょう。しかし、私は個人的には、このような6カ国協議であるならば、もはや日本政府は、ボイコットしてもかまわないとまで思っております(拍手)。

 そして日本政府は、今回だけではなく、戦後ずっと、国際協調ということを言ってまいりました。それは大切なことです。しかし同時に世の中には「名誉ある孤立」という言葉もありまして、北朝鮮の人権問題に触れないような会議、今の北朝鮮の体制を保証し、強制収容所を残すという選択、このようなことが行われる会議、そして我が自国民の拉致事件に対して、議題に上げるということすらも、これだけ苦労しなければならないような会議に、これ以上日本が参加することは、敢えていえば国辱であります! (拍手)そして敢えていえば人権侵害国に共犯者になることです。

 左右、保革双方が内部矛盾を乗り越えよ!
先程姜イングさん(脱北者への弾圧を止めない中国に抗議して、北京五輪ボイコットを呼びかけている活動家)から、韓国の右派・保守派、左派・進歩派という話が出ましたが、この日本でも様々な捩れ現象が起きております。しかし、私たちはあくまで理想を掲げるためには、例えば保守派の立場から、自分たちの国の名誉、また国民の安全、そして日本国の平和ということを考えるならば、あの北朝鮮のようなテロ国家には、核兵器は持たせない。テロ国家にさらわれた自国民は助け出す。そして日本の平和と国益のためにも、あのようなひどい人権弾圧などをしている独裁政権を倒さなければ、日本の国家にとっては、何ら益にならない。保守派ならば、このように語れるはずであります。

 そして左派・進歩派、人権を国家よりも重んじるということならば、日本国や、6カ国協議の形で、国際協調などというキレイ事で、人権が踏みにじられ、日本国民も、北朝鮮の民衆も人質に取られて、そして拷問を受け、苦しんでいるような、そのような6カ国協議や、日本政府の現在の姿勢は、人権的にも許されないという批判が出てきて当然であります。

 問題なのは、このようなごく原則的な正論が、この日本においてなかなか実現しないということです。今、一部の人権派の方々、進歩派の方々は、この日本人拉致を含む、北朝鮮の人権の問題になると途端に「国際間の協調と平和」を騙ります。また残念ながら、一部の保守派の方々は、この問題になると「脱北者を受け入れることは、やはり日本の国柄に合わない」と、そのような発言が聞こえることがあります。

 これは原則的に、両方が乗り越えなければならないこと、独裁政権を倒すためには、どうしたらいいかという原則で私たちが一致団結することが、今日本に求められております。

 なぜ北朝鮮が核を持ってはならないのか?
 もう一つ、ナタン・シャランスキーという方がいます。この方の、『なぜ民主主義を世界に広げるのか―圧政とテロに打ち勝つ「自由」の力』という本がダイヤモンド社から出ております(05.6.30売)。興味のある方は、手に取ってみられるとよろしいと思います。

 この中でシャランスキーはこのように言っています。「北朝鮮が核を作ることが恐ろしいのではない」もちろんそれは、いいことではないけれど、恐ろしいのではない。「民主主義でない独裁国が、核を持つのが恐ろしいのである」と。

 もう一つ「独裁国でも、その時、その時、自分にとって都合が良ければ、平和条約も結ぶし、態度も穏健になる。しかしそれは、自分の権力を強めるために過ぎない。民主主義国家と独裁国家は、根本的に非和解的であり、独裁者は自分の権力を守るためには、必ず外に敵を作って、好戦的な態度、世界に緊張をもたらすような政策を取る。それ故に、民主主義を広めること、これが世界の平和の原則である」とこういう文書を書いております。

 シャランスキー氏の本が紹介された時に、一部の新聞、朝日新聞というところですけど、ネオコンの単純な本で、ブッシュが読んでいるんだから良い本であるはずがないかのような記事が出ましたけれども、これは単純な戦争を煽るようなものではありません。

 独裁主義と民主主義とが相容れないこと、そしてソ連が血を流さずに崩壊したような、かつての戦略が全世界的に取られるべきである、と。他にどうする手段がなかった場合は別にして、原則的にそのような平和的な戦略で世界が民主化できるはずである、というアメリカの知識人の自らがソ連収容所体験のある方のメッセージです。

 求められる「リスクを負う覚悟」
 そして、この独裁政権を倒すためには、私たちもリスクを背負わなくてはいけません。一つには、北朝鮮というテロ国家や、中国というテロ国家北朝鮮の共犯国家に対して、私たちが、相手がどのような強い態度で来ようとも、自分たちがあくまで人権と人道の立場からきちんとした反論をしていくことです。6カ国協議の場でも、他の交渉の場でも、常にこれが貫かれなければいけません。

 経済制裁は、もちろんその手段の一つとして、選ばれるべきだと思いますけれども、もう一つ、北朝鮮から逃げ出してきた人、この脱北者の人たちは、できるだけみんなで助けていこう、と。そういう認識が民主主義国家の間で広がらなければいけません。この日本に来たいと、北を逃げてこの日本に来たいと言っている北朝鮮の方々は、99.9%1959年以降、北に「帰国」した帰国者の方、日本人妻の方、そのご家族の方です。このような人たちに関しては、できるだけ日本に受け入れようと…。

 また北朝鮮で生まれた方々、純粋にご家族全部が北朝鮮で生まれた方々、これは同胞として韓国政府が受け入れようと…。将来的には、例えばアメリカを希望する人もいるでしょう。そういった人たちに対して、民主主義国家が連携して、独裁国家から逃れてきた人たちは、私たちの盟友であり、独裁者と戦ってきた、独裁者に苦しめられながら、勇気を持って脱出してきた私たちの同胞であるという意識を、民主主義国家の国民たちが、連携して持っていこうではありませんか!

 経済制裁と、これは守る会というよりも私の個人的意見ですが、北朝鮮に対する経済制裁を含めた圧力、そして脱北者の救援とこの二つが、日本、韓国、アメリカの中で連帯できていけば、私は血を流さずして北朝鮮を崩壊させ、民主化させることは可能であろうと思います。

 どうしても必要な北朝鮮人権法案、狂っている政策の優先順位
 その第一歩として、どうしても必要なものが、この日本における北朝鮮人権法案、今政局は、郵政民営化のみに集約されているような話題がありますけれども、郵政民営化がつまらない問題だとかそんなことを私はいうことはできませんが、郵政が民営化されるか、されないかで、人が何十万も死ぬとかいうことは、あんまりないと思うんですね。まああったらそれは、大変なことでございますけれども、もうほとんど若い人はメールになっておりますので、あまり関係ないのではないかと思います。郵政民営化、それが大事な問題ではあります。年金も大事な問題です。

 しかし、今現実に100万、200万、下手をしたら300万の人たちが、隣国で死んでいること。千基元(チョン・ギウォン)先生(トゥリハナ宣教会の牧師で、モンゴル経由での脱北者の韓国脱出を支援していた活動家)がおっしゃいましたが、数十万単位の方々が、中国の中を逃げ惑っていること。そしてこの日本から数十人、もしかしたら数百人の方々が、北朝鮮に拉致されて助けを求めていること。これらすべては、命がかかった問題であります。そして時間がないんですね、これは…。

 郵政民営化が1年間遅れたからといって、それによって30万の人が死ぬとか、数百人の日本人が悲劇に陥るとか、それこそ帰ってこられないとか、そうではないわけです。現在、政界においても明らかに、人権、人道、人命の尊重という基本的なレベルでの優先順位が、やや狂っているのではないかとしか思えません。

 皆様も、それぞれのお立場で、ここ日本にいる方は日本政府にまず、韓国の方々は韓国政府にまず、そしてお互いが手を越えてですね、いろいろな立場の違いを越えて、人権という言葉よりももっと違う次元、人命の問題です、これは…。人の命が、独裁者にもてあそばれるのはこれ以上許せない、という声を挙げていこうではありませんか。

 北朝鮮に人権査察を 脱北者に保護と定着を
 北朝鮮に人権査察を、核査察ではなくて収容所に、そして北朝鮮で行われている人権抑圧体制に対して、NGOを含めた国際査察団をぜひ、派遣しなければいけません。脱北者に保護と定着を、今中国が行っているような不当な強制送還、そしてUNHCR、国連が、彼らを難民として認めないのは、まったく怠慢どころか、日本は、これだけ国連にお金を出しているのですから、彼らは仕事をしていないということはですね、敢えていえば、北京その他のUNHCRは、まったくの職務怠慢であります。

 そしてもう一つ、この日本、韓国その他での脱北者の人たちの定着と平和な人生を、何とか作り出していくために、これらすべての問題が、この日本において北朝鮮人権法案という形で、せめてこの秋の国会で成立ができるように守る会も努力していきたいと思います。その他の皆様も、それぞれのお力を貸していただければ幸いでございます。
本日はどうもありがとうございました。(拍手)
(原良一さん構成)
書評『宿命―「よど号」亡命者たちの秘密工作』(高沢皓司著 新潮社)

 本稿は、RENK機関誌「RENK」16号(98.11.22発売)に掲載したものです。それ以降、八尾恵証言、2002年小泉訪朝などの流れなどで既に内容的には古いものになっているかもしれませんが、あえて本書の古典的な意義を評価して発表時の文章にはほとんど手を加えていません。98年の時点での私の書評としてお読みください、三浦)

独裁を否定していたはずのよど号犯の退廃

 「『よど号』亡命者」――1970年のハイジャックで北朝鮮に飛び立った9名の赤軍派。60年代末、新左翼運動の行き詰まりの中、運動の新たな展開を夢見て行動した彼らの終着点は、金日成体制と主体思想への全面的な「帰依」であり、日本人拉致事件を含む北朝鮮の国家犯罪への荷担であった。かつてはこの「よど号犯」の代弁者的役割を果たし、数年前から自己批判の後彼らの思想・行動を告発する側に身を投じた高沢皓司氏が、これまでの「よど号犯」批判の集大成としてまとめたのが本書である。こうしてよど号犯の全体像を読み直すとき、本書は、拉致事件の真相のみならず、かつての新左翼運動の本質的な弱点と、左翼政治運動が陥りがちな精神の退廃を教えてくれるものとして、大変興味深い資料となっている。
 新左翼運動は、反帝国主義(資本主義)と同時に反スターリン主義(反共産党独裁)を全面に掲げていた。にもかかわらず、「ウルトラ・スターリン独裁主義」とも言うべき北朝鮮体制の賛美に行きついてしまったのは何故か?

赤軍派のハイジャックは、次のような目的と思想の下に実行されたはずだった。

 「我々の大部分は、北朝鮮に行くことによって、それ自身を根拠地化するように最大限の努力を傾注すると同時に、現地で訓練を受け、優秀な軍人となって、いかなる困難があろうとも日本海を渡り帰日し、前段階武装蜂起の先頭にたつであろう。我々の大部分は、北朝鮮に断乎渡るのである。そして断乎として日本に帰ってくるのである。……いかに国境の壁が厚かろうとも」(19ページ、田宮高麿、出発宣言)
 既存の社会主義国に渡り、そこを世界革命の根拠地にとする。この「国際根拠地論」は、当時の新左翼運動にしばしば見られた発想である。アメリカの極左派ウェザーマン派は、キューバに軍事訓練と根拠地を求めたし、ヨーロッパの新左翼も過剰なほど中国の文化大革命に傾倒した。しかし、こうした発想は、実は過激に見えて極めて後ろ向きなものであった。
 赤軍派の国際根拠地論は、それまでの日本国内での「武装闘争」がことごとく失敗した後に打ち出されたものである。当時の日本国内に「武装闘争」の基盤などないにもかかわらず、中国やラテン・アメリカの革命のやり方をそのまま実践しようとしたのだから、失敗は当然だった。現在の日本において革命とは何なのか? 日本国民が今何に満足し、何に対して不満を持っているのか? 自分たちの新左翼運動が失敗し行き詰っているのは何故なのか? 赤軍派はこうした難問にこそ答えるべきだったが、実際には彼らは、当時隆盛を極めた第三世界革命論や民族解放闘争に寄りかかり、日本での閉塞状況を直視することに耐え切れず、外部に目を向けることによって問題が解決できるという幻想にかられたのである。これは一見インターナショナリズムに見えて、実は現実逃避に他ならない。 

さて、平壌で彼ら赤軍派を待っていたのは、ひたすらに主体思想を詰め込まれる「学習」の日々だった。高沢氏はこれをはっきりと「洗脳」と呼んでいる。
「現実は直視しなければならない。なぜ、国内組織は拡大、強化できず、逆に破壊していっているのか。それはわれわれの内部に根本的な誤りがあるからではないのか。(中略)私が感じていたのは、人民大衆の力、同志の力、ひいては自分自身の力に対する不確信である。チョソン革命の歴史と現実を見るにつけ、それとの鮮やかな対照をなして、この思いが大きくなっていった。(中略)われわれが、「世界同時革命」『世界革命戦争』『世界武装プロレタリアート』など、やたらに『世界』を連発していたのも、日本革命をわれわれ日本人民自身の手で最後まで責任をもって貫徹しようという立場が極めて弱かったからである」(小西隆裕、89ページ)

 「(前略)私は、自分が主観的には人民のためにといいながらも、結局は狭いセクト利害からだけ物を考え、行動してきた自分の分派主義的傾向についてまず自己批判した。(中略)さらには自分に主体がなかったことに強く自己批判した。/ある意味では、当時の私たちは誰よりも主体的にということは言っていた。(中略)だが真に主体を打ち立てるということは、すべてに主人らしい態度を堅持することであり、自分の運命に責任を持つという立場からすべてに対処していくことである。しかし、私は日本の運命をどれほど深く考え、責任的に発言し、行動してきただろうか。自分の狭く浅い経験からだけ思いつきを発言し、実践してきたのではないか」(田宮高麿、96ページ)

 「よど号犯」の足跡を思う時、これらの「洗脳結果」はあまりにも痛ましい。高沢氏はこの「洗脳過程」を次のように説明している。「思想教育は毎日の日課になっていた。(中略)ひたすら教育されたのはチュチェ思想のみである。(中略)1日の授業が終わると、決まって討論の時間があった」「教授や指導員たちの気に入る答は一つだけであり、それ以外の答え方をした者には、再び同じ学習が繰り返された。(中略)何度でも同じ学習を繰り返し、そうすることによって自分が気に入る答え方が他にないことを知らせた。(中略)本心からではなくても、やがて彼ら(よど号犯)は指導員が気に入るような答え方を探すようになった」「彼らもまた納得のいかないながらも、チュチェ思想にのっとって模範的な解答をし、消化不良の部分は気持ちの奥にしまいこんだ。しかし、それはやがて彼らの自己を引き裂き、自己を解体した。(中略)異貌の思想を受け入れさえすれば、この虚しさから脱出できる。それだけではない、新しい価値と評価を手にすることができる。彼らは、そこにただ一点の光明を見た。(中略)もはや反抗する者はいなくなり、指導員の教えは砂が水を吸うように彼らの中に入っていった」(95ページ)この「洗脳」が弱い自我にとっていかに効果的か、我々は新興宗教や自己啓発セミナーの隆盛によって知っている。

考えてみれば、北朝鮮という国で生きていくためには、この洗脳を受け入れるしかないことも事実である。しかし「よど号犯」がこの「洗脳」を受け入れていく過程では、それ以上に彼ら自身の思想的脆弱さが大きく作用していたと思われる。先に引用した彼らの手記は、たとえ北朝鮮政府の厳重な監視下に書かれた(された)ものとはいえ、あまりにも無残で「非主体的な」ものである。「現実は直視しなければならない」「自分に主体がなかった」「人民のためといいながらも、結局は狭いセクト利害ものを考えていた」等々、一つひとつを取ればもっともな問題提起をしていながら、なぜ安易にチュチェ思想ごきのものにその答えを求めていくのか? 「現実」を直視するためには、まず「現実」と衝突しなければならない。今、北朝鮮で自分たちが洗脳教育を受けている現実。自分たちが人民からまったく隔離され、北朝鮮の宣伝する「人民像」を抽象的に押しつけられている現実。こうした現実と格闘しなければ「主体的」に考えることは不可能である。彼らが「現実を直視」しなかった誤りを認めながら、さらに非現実的な妄想にのめり込んでいった悲喜劇は、やがて真の悲劇をもたらす。

「結婚作戦」と岡本武の謎

連合赤軍の「あさま山荘銃撃戦」による壊滅は、「よど号犯」たちの日本帰国の夢を完全に打ち砕いた。「国内に何の力もなくなれば、われわれの要求(軍事訓練を受けて革命戦士として帰国する)がチョソン側に受け入れられるはずがない。わたしは茫然とした気持ちを抱かざるをえなかった」(小西隆裕、107ページ)高沢氏の分析によれば、この後「よど号犯」はより一層金日成主義への傾斜を深める。「人民不信にもとづいた闘争の過激化、突出化は決して革命的なものにならない。大事なのは人民を信じることとチュチェ思想にもとづいた革命的世界観だ」――これが彼らの連合赤軍事件に関する総括だったという。

1972年5月平壌を訪問した日本人記者団は、金日成との記者会見の後、「よど号犯」たちとも会見した。彼らの発言は、無残なほど金日成と北朝鮮に対する賛美に満ちあふれていた。1977年、「よど号犯」は一斉に平壌で結婚する。この結婚は「妻」たちの談話と異なり、彼女らはほとんどが北朝鮮・金日成の熱烈な支持者であり、北朝鮮によって「花嫁候補」として選ばれて平壌に招かれた人たちだった。彼女らは「“チュチェの花嫁”、“首領様の花嫁”」であり、結婚、出産は「彼らの思想改造の最後の仕上げとして、金日成に絶対の忠誠を誓わせること」、また「子どもの誕生は組織の人員を増やす」という意味があった。

その他にも、「よど号犯」にとって妻子の存在は重要な意味を持っていた。「妻子は同時に彼らが海外の活動に出されるための『人質』にもなった。実際、彼らが単独で北朝鮮を出て、海外での活動を活発に始めるのは、子どもたちが誕生してのち、70年代末になってからである」(169ページ)平壌の「日本人寄宿舎=日本人村」で、北朝鮮の庶民にとっては夢のような生活を送る一方、「よど号犯」は金日成・金正日の指示による工作活動に着手していく。

本書第13章から20章にかけて記された、日本人拉致事件への「よど号犯」とその妻たちのかかわりは、おそらく本書の最も注目を集める部分だろう。拉致犯罪について高沢氏は現地の貴重な証言を交えながら、細部にわたって綿密に証拠固めをしており、「よど号犯」の工作活動とその犯罪性に関する最もまとまった報告となっている。その中でも私が最も衝撃を受けたのは、拉致事件だけではなく、かれらの「反核運動」へのかかわりだった。私自身、80年代初頭の反核運動に対しては、核廃絶という理想を信じ、好意的に感じていた面がなかったとは言えない。後日、この運動が多分に中立を装いながら、スターリン主義国家、ソヴィエトに有利な方向に誘導されていたことを知り、自分の不明を深く恥じたこともある。

しかし、この運動に「よど号犯」がかかわり、反核宣言文に主体思想をすべりこませたり、若者を親北朝鮮勢力としてオルグしていたことまでは知らなかった。一見政治的中立に見え、異論を唱えにくいテーマ(反戦、反核、平和、人権、飢えた子供たちをすくおう等々)を持った運動が、実はもっとも悪しき独裁政治に利用されてしまう。これは常に注意しなければならない問題の一つだ。

ところで、この反核運動に対してもっとも積極的に動いたとされる岡本武が、他のメンバーと対立し、「日本人村」から切り離され、ついには北朝鮮からの脱出を試み、おそらくは収容所幽閉を余儀なくされる。岡本が船を奪って海上から脱出しようとし、巡視艇に追いつかれて威嚇射撃を受けるシーン(384ページ)は、北朝鮮からあと一歩で逃れることができなかった岡本の無念が伝わってくるようだ。

この岡本武の妻、福留貴美子さんは、「よど号犯」の妻の中で、おそらくただ一人の「拉致被害者」である。岡本武が、最後にはメンバーと対立し、ついには粛清されていったのは、おそらく福留さんは、他の思想的にも北朝鮮シンパである妻達と異なっていたこと、彼女にとっては到底信じられない主体思想や、受け入れがたい工作活動を押し付けられることに心底からの抵抗感を抱いていたことだろう。この妻の精神が、いつか岡本武の「洗脳」を解くことに繋がったのが、逆に二人にとっては悲劇をもたらしたのではないだろうか。福留さん救出を日本政府が本格的に取り組む事は、よど号犯による世界的な工作活動解明・それを命じた北朝鮮政権の犯罪性を暴くことにも繋がるはずである。日本政府は福留さん拉致事件究明、救出に全力を挙げる事が北朝鮮に大いなる打撃を与える事をどこまで認識しているのだろうか?

岡本の粛清によって、これ以降「よど号犯」は完全に金日成・金正日の道具となり、思想的には退廃を極めていく。「自主日本」「人道帰国」「尊憲」「民族」――これらはすべて、主体思想を都合よく引用し、日本国内に極右から平和主義者までに連帯を呼びかけ、その内部に北朝鮮シンパを作る為に、彼らが日本向けに発する宣伝活動である。

1995年12月、リーダーの田宮が「病死」した。「よど号犯」たちの思想と行動は新左翼運動の最悪の一例として、歴史に名を留めるだろう。彼らは反スターリン主義から出発し、主体思想に落ち込んだ。人民のために戦うつもりが、独裁者の道具となった。国際主義の理想を掲げながら、まがいものの民族主義に行きついた。人間の解放を求めたはずが、拉致という形でかけがえのない多くの人生を踏みにじった。彼らは、うわべだけの反スターリン主義、反独裁を唱え、民衆の解放を求めながら、結局現実の民衆と出会うことにも、彼らのごく普通の心を理解することもしようとはしなかった。今現在の日常を生きているごく普通の人々のささやかな喜びや悲しみには眼もくれず、「革命」の為に人々を踏みにじる主体思想に屈服し、北朝鮮で飢えと抑圧下にある民衆の事を想像しようともせず、留学生活や国外旅行を楽しむ同じ日本の若者を「それよりも革命に献身する事が意義ある人生なのだ」という傲慢極まりない思想で人生をもてあそんだ。何故このような精神の退廃が起きるのか、これはよど号犯問題を超えて、政治運動の人間精神に与える闇の問題として、常に見直さなければならない重要なテーマである。

吉田金太郎と、高沢氏の「祈り」

本書の最終部では、従来、「よど号犯」の中で一人早く病死した吉田金太郎の死の謎についても記述されている。情報不足のためだろうか、この部分のみ、何故か高沢氏の文章には、やや明瞭さが欠けている。それでも高沢氏はさまざまな情況から、吉田金太郎がおそらく主体思想を受け入れなかったために、「スパイ」として「スケープゴート」にされたのではないか、と推論したのち、次のように記している。「彼のしなやかな感性が、たぶん、最終的なところで、金日成主義の《嘘》を見抜いていたのである。朝鮮人民中に入ってみなくては、と普通の常識で考えたはずである。(中略)吉田金太郎は、ただ人々と同じ暮らし、同じ苦しみと喜びを、自分も生きることを選ぼうとした。それが、彼の感性だった。空論や観念を必要としていたわけではない。そこから彼は日本の運動と『革命』を考えようとした。その意味ではハイジャッカー9人のうち吉田金太郎だけが、あの頃の時代の意識を上がりつめ、本当に日本のことを考え、労働者と『人民』の側で、最後まで非転向を貫いたのだと思わずにはいられないのである」(518ページ)おそらく、これは高沢氏の「祈り」である。かつての「同志」たちの退廃の中に、ただ一人でも「非転向」を貫いた人、初心と理想を失わず、独裁政権に抗した人がいてほしいという、「祈り」と「希望」の言葉である。

「(ごく普通の)人々と同じ苦しみと喜び」を自らの「観念、理想、思想」に織り込むこと。それのみが観念を空論にしないのみならず、観念を一層研ぎ澄まし、自らの思想を深みへ、そして高みへと導いていくのだということ。逆説的ながら、「よど号犯」の事例が我々に教えるものは、そうしたことだと思う。

(ページ数は、初版本によるものです、現在の文庫版とは異なります、ご了承ください)

日朝平壌宣言は直ちに破棄を 三浦小太郎
 以下の文章は、「北朝鮮利権の真相パート2 日朝交渉敗因の研究」(宝島社)に書いた文章の抄録です。本としてもかなりよく出来ていると思いますので、未読の方はよろしければお読みください。実はこの文章の原本は、以前この掲示板に私が書き込んだもので、それを色々な資料で補強した結果できた文章でした。とにかくこの宣言にこだわっている政治家には拉致問題解決は絶対に出来ない。(三浦)

日朝平壌宣言全文を再読すると

 二〇〇二年九月一七日、誰もが忘れられない第一回日朝首脳会談。北朝鮮側がはじめて拉致という犯罪を認め、被害者の
情報を発表したあの日、締結された日朝平壌宣言。この宣言は発表当初から、様々な論者により、時には肯定的に、また時
には否定的に論じられてきたが、未だに小泉首相により「日朝平壌宣言に基づいて北朝鮮とは交渉する」と評価され、日本
の対北外交の基本原則となっている。北朝鮮側も「日朝間には、日朝平壌宣言というしっかりした基礎がある。拉致問題を
含めた日朝間の問題は、平壌宣言にのっとって一つ一つ解決していきたい」(〇三年八月の北朝鮮側発言)等の発言に代表
されるように、これを公的に否定する気配はない。むしろ、〇四年の第二回小泉訪朝前後の両国政府の交渉や発言に見られ
るように、この宣言があくまで日朝交渉の基本認識となっていくことと思われる。
 既に核開発やミサイル実験準備など、北朝鮮側は平壌宣言を公然と違反しているという識者の指摘も多く見られる。しか
し、それでも両国政府はあくまでこの宣言にこだわり続けている。果たして日朝平壌宣言とは何なのか、その宣言に両国は
それぞれどのような意義を込めているのだろうか。
日朝平壌宣言の全文は次の通りである。

日朝平壌宣言
平成14917
 小泉純一郎日本国総理大臣と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長は、二〇〇二年九月一七日、平壌で出会い会談を
行った。
 両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方
の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。
一、双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注する
こととし、そのために二〇〇二年一〇月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。
 双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取
り組む強い決意を表明した。
二、日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、
痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。
 双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協
力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見
地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正
常化
交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。
 双方は、国交正常化を実現するにあたっては、一九四五年八月一五日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべ
ての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした。
 双方は、在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議することとし
た。
三、双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全にかかわ
る懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後
再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。
四、双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した。
 双方は、この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築されることの重要性を確認するとともに、この
地域の関係国間の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であるとの認
識を一にした。
 双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。また、双方
は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性
を確認した。
 朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを二〇〇三年以降も更に延長してい
く意向を表明した。
 双方は、安全保障にかかわる問題について協議を行っていくこととした。

 
 日本国総理大臣 小泉純一郎
 朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長 金正日

この日朝平壌宣言を高く評価する人達の論考が最もよくまとまっているのは、「日朝交渉 課題と展望」〔岩波書店〕だ。
本書第一部の座談会参加者、小此木政夫、伊豆見元、姜尚中、水野直樹、李鐘元各氏は、水野氏が「植民地支配の問題」へ
の謝罪が足りないとやや否定的なトーンで述べているのを別にすれば、概ね高い評価が下されている。特にこの宣言を安全
保障の面から評価しているのが伊豆見氏である。
「『平壌宣言』は意義深いものだと思っております(中略)とりわけ私が注目するのは、第四項の『核問題の包括的な解決
のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した』というくだりで〔中略〕当然のことながら、NPT(核拡
散防止
条約
)IAEA(国際原子力機構)とのセーフガード保障措置協定、そしてとりわけ重要なのが『濃縮ウランの施設を
持たない』と言う事を明確に謳った南北の非核化共同宣言を遵守する義務を、北朝鮮は負っているわけです。〔中略〕これ
をテコにして北朝鮮にその完全履行を迫ってゆく圧力をかけることができる。」〔日朝交渉 総合討論日朝平壌宣言の歴史
的、国際的意義〕
 伊豆見氏の思考の良く現れた発言だ。氏はこの日朝平壌宣言を、北朝鮮の核開発停止を明確に義務付けたものとして高く
評価している。
 これに対し姜尚中氏は、宣言には三つの意義が見出されるとして同宣言を評価する。
「第一に、宣言が『あるがままの北朝鮮』の存在を確認し、それを前提に国交正常化を図ろうとしている事である。(中略
)北朝鮮を北東アジア地域の中に組み入れてゆく事でその漸進的な国内改革を促す方針を採用したのである。」
「第二に、宣言は、朝鮮半島の平和と安定が、それを取り囲む北東アジア地域の多国間協力及び信頼醸成と表裏の関係にあ
ることを公的に明らかにしたのである。」
「第三に、宣言では、核及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題を、北東アジア地域の関係諸国間の対話を通じて解決
する必要を強調していることである。」(日朝交渉 北東アジア共同の家に向けて)
 姜尚中氏は、何よりも日本が北朝鮮現体制の打倒ではなく、現体制を承認した上で国交正常化を図る意思を示したものと
してこの宣言を評価している。元々両国政府の代表が交渉の場に赴く以上、その場で出される宣言におたがいの体制への厳
しい批判など出るはずもないのだが、私はこの二者とは全く異なる地点から、この宣言の問題点を考えてみたいと思う。

 拉致事件の幕引きと、
 テロ国家の責任免除に繋がる平壌宣言

 日朝平壌宣に「拉致」の二文字が入っていないことは当初から厳しい批判を受けてきた。それに対し、この宣言を評価す
る側は拉致問題に関して直接的に触れてはいないが、第三項の次の点が事実上拉致問題を指しているのだと弁護してきた。
「第三項 双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全に
かかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題
が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。」
 しかし、この論理にはやはり無理がある。仮にこの表現が拉致事件を指すものである事を日朝両政府が了解しているとし
よう。しかし、この文面だけでは日本側の解釈と北朝鮮側の解釈は全く違う様相を見せかねないのだ。
 日本側の立場に立てば、第三項の「遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとる」と言う文面は、拉致
事件の真相、事実関係の全貌を日本側に提出する義務を北朝鮮は負う、またさらに関係者の処罰や情報公開まで要求しうる
と解釈する事も可能だ。「互いの安全を脅かさない」ということで二度と北朝鮮は国際テロを仕掛けないということも意味
すると言えるかもしれない。
 しかし、北朝鮮側に立てば全く違う意味をこの文面は持つ。「互いの安全を脅かす行動をとらない」という表現は、日本
側が北朝鮮の人権問題追求や脱北者への保護の訴えなど、かの独裁政権にとって「存在が脅かされる」様な人権改善や民主
化を求めるような行為・発言も規制されることになる。極論を言えば、「北朝鮮の存在を脅かす」可能性のある経済制裁ま
でをも、この宣言は否定しているという解釈すら成立してしまうのだ。
 また、「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題(拉致問題)」について「朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常
関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとる」という文面も、先の日
本側の真相究明という解釈とは異なり、北朝鮮側から読めば、「今後再び生じないように」と言う表現によって、拉致問題
についてはもう解決したと見なされる。北朝鮮は虚偽であるとは言え小泉首相に拉致事件についてすべてこの日に報告した
のであり、その報告を納得した上で首相は署名した以上、既に両国政府にとってこの問題は終結したということになる。
 あくまで北朝鮮の論理に立てば、日本側はこの宣言を守る以上、拉致問題については交渉する余地なし、特にこの時点で
話題にもなっていない特定失踪者の問題は持ち出すな、という言い分もありうる事になる。さらに「日朝が不正常な関係に
ある中で生じたこのような遺憾な問題」と拉致問題を「不正常な関係が生み出した」事件と見なす宣言に両国首脳がサイン
した以上、このような問題を二度と起こさないためにも、「正常な関係」つまり国交正常化が最優先と論理的には繋がって
行く。そして、「不正常な関係」が生み出した遺憾な事件として、拉致に対する北朝鮮の責任は回避され、北朝鮮の国家犯
罪を問うという姿勢は事実上放棄されてしまう。平壌宣言はまさに「拉致事件の幕引きとテロ国家の責任は問わない」論理
に誘導される危険性を秘めているのだ。
 第四項における核の問題についても、「北朝鮮は核開発を放棄する」「国際機関の査察を受け入れる」などの具体的提言
は一切含まれていない。「平和と安定の維持、強化」「信頼に基づく協力関係」「関係国間の関係の正常化」といった言葉
のみが美辞麗句のように並んでいる。
 勿論、この文言もまた日本側にたてば、伊豆見氏のような解釈が可能であり、非核化を目指すための大きな武器になりう
るであろう。しかしこれもまた北朝鮮側に立てば、片言節句を引用すれば、アメリカの強硬姿勢を批判し、韓国の太陽政策
を擁護することを日本も賛同した文書にも取られかねないのだ。
 「双方は、この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築されることの重要性を確認」し「関係国間の
関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していく」事を目指すという文言は、北朝鮮側にと
っては、「関係各国」の一つであり、北朝鮮を「悪の枢軸」の一つと見なすアメリカに対し、朝米の「相互信頼を構築」す
ることの重要性を確認したということである。さらに「関係各国の関係が正常化されるにつれ」という文言は、今後日朝両
国が国交正常化に向かうというメッセージが秘められている。そして、今北朝鮮と「相互の信頼に基づく協力関係」を構築
築しかねないのは、韓国のノムヒョン政権であろう。
北朝鮮は現在に至るまで、6カ国協議をアメリカの北朝鮮敵視政策を理由にしばしば批判し、協議への不参加をほのめかし
て引き伸ばしを図る。この姿勢は勿論参加国から批判を浴びるべきものだが「地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備し
てゆく」という門言を最大限北朝鮮から拡大解釈すれば、日本はこの宣言にしたがい、枠組みの整備のために、日本がアメ
リカに対し「枠組みの整備」を妨げている北朝鮮への敵視政策をやめるよう、北朝鮮と「協力」して訴える事をも正当化さ
れる。
第二回訪朝の後、小泉首相がブッシュ大統領に対し、金正日の「メッセンジャー」よろしく「喉がかれるまで一緒に歌いた
い、と金総書記は言っていました」などと伝えた有様を見たとき、私はこの宣言はどこまでも悪用されてゆくのではないか
とすら思えた。

平壌宣言は拉致被害者も北朝鮮民衆も見捨てる

そして、さらに重要な問題がある。日朝平壌宣言を擁護する人々の論調には、安全保障や安定への思考は強いものの、拉致
問題のみならず北朝鮮の人権問題についてはあまりにも冷淡である。彼等は北朝鮮の現体制を認めるのではないが、概ね以
下のような結論に行き着く。
「だれもが共通して北朝鮮のあの体制は変わって欲しいと思っている。では、いま何を求めるべきなのかと自分自身に問い
かけてみて欲しい。あの体制の急激な転覆を追及するべきなのか、それとも段階的な体制移行で満足するべきなのか。」
「私は急激な体制転覆を追及するのは非情に危険であり、無責任だと言う気がする。(中略)日本がブッシュ政権とともに
最前線で戦うということです。アメリカが外科手術的な攻撃を試みるから、それを後方から支援する体制をつくればいいと
いうことです。その結果、第二の朝鮮戦争が発生して、ソウルが火の海になってもかまわないし、ノドン・ミサイルが一〇
発、二〇発日本に向けて飛んできてもかまわないわけです。(中略)そのとき日本経済はどれだけの打撃を被るか。大量の
難民がどこへ流れてゆくのか。現在では二〇万人以上になっていると推定される北朝鮮に帰国した在日朝鮮人、その配偶者
と家族は日本への帰国を希望するでしょう。(中略)そういうことすべてを一度に覚悟して、危険な体制転換を試みるべき
だというのなら、それはたいへんな神経の持ち主です」(日朝交渉総合討論より小此木政夫発言、これには伊豆見元、姜尚
中ら討論参加者がほぼ全員賛同している)
 このような事態を迎えたくないのならば漸進的改革を目指すしかない、という結論(と言うより私には多少危機感をあお
るアジテーションに聞こえる)が先行し、その上で「あるがままの」北朝鮮現体制との交渉が正当化されてゆくのは、これ
はこれで「大変な神経の持ち主」ではないだろうか。確かに、体制転覆の一つのシナリオとしてアメリカによる攻撃という
事は考えられるだろう。しかし、北朝鮮現体制の民主化や打倒を目指す人が、すべてこのシナリオ以外は考えていないと小
此木氏が思うのならば、それは余りにも極端な議論である。
 それでは、逆の方面から、「北朝鮮体制の漸進的・段階的体制移行」が不可能であるという「極論」を述べてみよう。か
の体制は、私見ではどのように分析しても、政治学者ハンナ・アレントが分類する「全体主義国家」である。姜尚中氏も
「文革、スターリン体制、ポル・ポト体制を足して三つにわったような」(同座談会での発言)と認めているし、小此木氏
もスターリン主義体制であると発言しているのだから、この観点には異論はないと思う。その上で姜氏は「スターリン体制
下の旧ソビエトとも平和条約を交渉してきたし、文革の中国とでも日中国交回復をやめろとは言わなかった」のであり、
「古めかしい反共シフトと民族蔑視的な感覚で議論すべきではない」と続けて日朝国交交渉を進めるべきだと結んでいる。
 では、全体主義国家の漸進的改革は歴史的にはどのように実現したのか? まずソ連では、少なくともフルシチョフのス

ターリン批判から全体主義からの脱却が始まった。中国は事実上のクーデターにより四人組が打倒され、文革=後期毛沢東
政権が批判されてからである。このような「体制内変革」を、金正日現政権が国交回復や経済改革、それに伴う他国からの
情報流入によってなしうるともし考えるのならば、その根拠を是非ご提示いただきたい。そして、これからどれだけの長い
年月、北朝鮮の民衆はかの独裁体制の中で、抑圧に耐えていかなければならないのか。
 日本国政府は、現在「古めかしい反共シフトと民族蔑視的な感覚」どころか、むしろ積極的に国交交渉に流れ込もうとし
ている。ここで日朝平壌宣言が常に基本原則とされるのならば、特定失踪者を含む多くのいまだ未知の拉致被害者は救出の
見込みがなくなる危険性がある。さらに、小此木氏が日本に流入する事を案じている北朝鮮帰国者、日本人配偶者も救われ
ず、北朝鮮民衆は「平和」の内に抑圧され、強制収容所では無実の政治犯が殺されてゆくだろう。また、今既に脱北してい
る北朝鮮難民も、中国政府により強制送還されてゆく。この事態は前述したように、いずれも北朝鮮側の「日朝平壌宣言解
釈」からは正当化されかねないのである。
 日朝平壌宣言は、安全保障の面からも、拉致問題解決の面からも、さらにより根本的な北朝鮮独裁体制の民主化・人権改
善の面からも、余りにも不十分な宣言だ。まさに「あるがままの北朝鮮」を正当化するものに他ならない
 今日本政府に求められるのは、日朝平壌宣言の呪縛から解き放たれる事である。そのためには、北朝鮮の個々の宣言違反
行為に抗議するのではなく、宣言そのものへの根本的な疑義を唱える事が必要と思われる。

「北朝鮮人権法案」の制定を

 まず、平壌宣言は、九月一七日の北朝鮮の拉致被害者に対する報告が虚偽である事が判明したこと、さらには、特定失踪
者間題の浮上により、既に意味を失った事を明確に認識すべきだろう。拉致問題の全体像を北朝鮮が提示しなかった以上、
日朝首脳間の信頼関係は損なわれ、宣言自体も根拠を失った(日本側が一時は拉致被害者を返すと言ったとか言わなかった
とか言う議論は、これに比べれば全く小さな問題だ)。日本国に求められているのは、平壌宣言の否定と共に、別の長期的
な政策プランを明示する事だ。それは、現在アメリカで制定されつつある「北朝鮮人権法案」日本版の制定である。
 真の平和は、単なる戦争のない状態ではないはずだ。それはあくまで「安定」に過ぎない。日朝平壌宣言、そしてそれを
支持する人々の求めているのは、この「安定」であり、その陰で起きる拉致問題を初めとする様々な人権抑圧を不問に付す

ものだ。実はこの精神は、自国民を二〇年以上にも渡って拉致され、しかもそれが北朝鮮の国家犯罪である事をうすうす気
づきつつも無視してきた、私達戦後日本そのものの姿に他ならない。これからの日本に必要なのは、全体主義・テロ国家と
「交渉」し「平和共存」する姿勢ではなく、あくまでその体制の人権抑圧と国家テロに抗議し、平和的な体制移行を強く要
請する決意であり、またそのための具体的な実行策だ。アジアの民主主義国家として、経済大国として、これは日本の使命
でもあるはずだ。
 日本政府は、拉致被害者の救出と拉致事件の全体像の真相究明、北朝鮮帰国者、日本人配偶者の安否調査と人権改善、脱
北者の保護(特に脱北者の中に含まれる帰国者、日本人配偶者の保護)、また現代のアウシュビッツというべき北朝鮮国内
の政治犯収容所の解体などを中心にした「北朝鮮人権法案」を制定すべきである。これは「北朝鮮を敵視」するためのもの
ではなく、拉致被害者、日本人配偶者の救出という、日本国民の人権と生命の擁護につながるものだ。アメリカの人権法案
とは多少力点が違うであろうが、小此木氏の言うような戦争協力という形での日米連携ではなく、北朝鮮の国家犯罪の犠牲
者を平和裏に救出し、人権改善を促すという連携が日米でなされれば、戦後の日米関係から大きく飛躍した、新しい「人権
外交」が生まれるはずである。その過程で日本も国家意志を示し責任を果たす事によって、従来のアメリカ追従ではなく、
よりアジアの実情に即したアメリカ外交を提言する事も出来るはずだ。
 日朝平壌宣言を脱し、「北朝鮮人権法案」の制定へ。日本外交の進むべき道は、テロ国家との妥協と果てしない条件交渉
ではなく「北東アジアの真の人権回復」につながるテロ国家との戦いの道である。この道を平和をあくまで守りつつ歩みゆ
くための決意と提言こそが、今政治家にも知識人にも求められているのだ。
明治という時代の最良の精神

以下の文章は、石光真清という明治の情報将校について書いたものです。本来、外務省、また情報相と言うのはこういう仕事をしなくてはいけないんですけど、今の日本はほとんどなされていない気がします。(三浦)

(1)

 明治という時代を知るための最良の記録とは何かと問われれば、私は何のためらいも無く石光真清「城下の人」(中公文庫)四部作を挙げる。明治の幕開けと共に
熊本県の士族の家に生まれた著者は、日清・日露戦争、そして明治の終焉からロシア革命に至るまでの時代を、ロシア帝国の南下政策が迫る北東アジアの情勢を調査するための情報将校として生きた。
 彼は、明治という時代が持ち得た最も良質のナショナリズムの持ち主であり、排外主義や人種思想とは全く無縁であった。仮想敵国であったロシアに対してもその民族精神の美しさに対しては素直な敬意を払い、また中国各地で出会った人々との感動的な交流がいくつも記されている。馬賊や娼婦とも分け隔てなく付き合い、歴史の中に埋もれて行った彼らの姿を記録に止めた。愛国者として、政治・外交の真っ只中にいながら、国家や政治から最も遠い所でひっそりと生き、死んで行く名も無き民への愛情を失わなかった。逆に言えば、名も無き民への深い愛情を持ちつつ、政治や外交の世界の厳しい弱肉強食の現実を見失わなかった。 国家への責任を果たし、国益を守りつつ、一人一人の民衆を見失わない。日本という国を愛しつつ、他国への蔑視や憎悪には決して至らない。私はこの四部作を読み返すたびに、これ程の「近代人」を生んだ明治という時代は、現代よりも遥かに精神的に進んでいたのではないかと思ってしまうことがある。
 そして、石光真清のこの「近代性」は、学問好きだった父親から、幼少のころより、歴史をどう見るべきかを教え込まれたことから生じたものである。当時、熊本でもすでに時代遅れの存在と見なされていた、文明開化や西欧の学問を全面否定し、日本の伝統固守を主張する旧士族の神風連について、父は子供たちに次のように語っている。
「洋学をやるお前達とは学問も違っているし、時代に対する見通しも違うが、日本の伝統を守りながら前進しようとする神風連の熱意と、洋学の知識を取り入れて早く日本を世界の列強の中に安泰におこうと心掛けるお前達と、国を思う心には少しの変わりも無い。」さらに、明治政府が世界の情勢を知ると共に、進歩と近代化を推し進めなければならない、神風連のような精神ではやって行けないと判断せざるを得なかったことを説明し、「こうなってくると、不幸なことだが、神風連の人たちの中には急進派に反対するの余りに、徒に新制を非難するような風潮が生まれて来たし、急進派もまた神風連を時代に盲目な人たちとしてあざ笑うようになったのだ。」 しかし、洋学を学ぶお前達も、神風連の立派な人格を忘れず、日本人としての魂を見失わないようにせよと述べた後、父親は次のような美しい詠嘆を付け加える。
 「いつの世でも同じことが繰り返される。時代が動き始めると、初めのころは同じ思いでいるものだが、いつかは二つ三つに分かれ党を組んで争う。どちらにくみするが損か得かを胸算用する者さえ出て来るかと思えば、ただ徒に感情に走って軽蔑し合う。古いものを嘲っていれば先覚者になったつもりで得々とする者もあり、新しい物といえば頭から軽佻浮薄として軽蔑する物も出て来る。」「これは人間というものの持って生まれた弱点であろうなあ。」
 ここで父親が語っているのは、明治初期の時代精神に対する公正な分析であり、また卓抜な文明論である。同時に、たとえ思想として論理化されてはいなくても、保守思想の最良の精神にも繋がるものだ。革命が生み出した進歩への熱狂と、それに過激に反発する反近代主義の双方を相対化し、それぞれの精神の純粋さを理解しつつも、あくまで熱狂や過激さを拒否し、真の意味での精神の伝統と中庸を守ろうとする姿勢。これこそが、「保守」の原点であるべきである。本来の「武士道精神」とは、実は死の美化でも主君への忠誠心でもなく、本来このような歴史と時代に責任を持つ静かな誇りに支えられた物だったはずだ。
 その精神を窺わせてくれるのは、神風連のある志士が少年の真清に語る言葉である。「凡衆は水に浮かぶ木の葉のようなものだ。大勢に押し流されて行くところに従うが、憂国の士はそうは出来ぬ。いつかは大勢を率いるか、あるいはそれを支えるものだ。それを忘れてはなりませんぞ。」 神風連の乱、西南戦争を経て、父はまるで士族の時代と死を共にするかのような静かな最後を迎える。友人の僧侶はその一月前、病床の父に語りかけた。
 「石光さん、あんたは、急進に組せず、保守に堕さず、しかもそれぞれの必要を理解しておられた。これも新時代の産みの苦しみじゃ。ご心配はご無用、日本国も石光家も、この大樹のように末長く繁り栄えますたい。この大樹も何百年か、世の移り変わりを見て来たことじゃろうが、何も知らぬ気に生い繁っておる。人生わずか五〇年、この短い世に逢うて、末法と観ずるは心の迷いじゃ。」
  このような言葉を聞くとき、やはり痛感せざるを得ないのは、いかに私たちの時代において言葉というものが力を失ってしまったかという現実である。今の時代は、急進に組みし古いものを嘲る言葉はある。また、現代を軽佻浮薄と批判し末法の世を嘆いて見せる声もある。しかし、この僧侶や父親のような、時代を越えて人々に真の知恵と精神の有り方を教えるような言葉が聞こえなくなって久しい。いや、私自身のこんな慨嘆こそが、「末法と感じる心の迷い」なのだろう。この「城下の人」四部作から聞こえて来るのは、どんな時代でも決して失ってはならない精神の貴族の有り方であり、武士道道徳と近代の自由精神が共に手を携えていた明治という時代の証言である。この声に耳を傾けることによって、私たちは「人間というものの持って生まれた弱点」から辛うじて身を守ることが出来るのだ。
 父親から受け継いだこの精神を、石光真清は生涯失うことは無かった。しかし、この後北東アジアを転戦する彼の手記には、次第に闇を増して行く時代の悲劇の刻印が記されるようになって行く。

(2)


 司馬遼太郎「坂の上の雲」は、日露戦争をテーマとした傑作歴史小説として今も尚愛読者が多い。日露戦争全体を俯瞰から眺め、資料を読みこんだ冷静な戦略分析と、当事者である兵士たちと司令官の人間性にも目を配りながら、この明治の最大の対外戦争を描いた名作であろう。

 しかし、日露戦争を、軍人として、そして意識せずして優れたノンフィクション・ライターとして、戦場の硝煙や倒れる骸の姿を常に目の当たりにしつつ、現場の兵士の肉声を通じて、戦争の悲劇と、悲劇であるがゆえの人間性の高貴さを伝えてくれる作品として、石光真清の「城下の人」四部作の第三部「望郷の歌」に描かれた日露戦争の姿もまた忘れ難いものである。
 「国の運命と人の行末が、細やかに結ばれていた時代である。」
 冒頭のこの言葉が、明治という時代と、日露戦争という戦争を最も良く象徴している。そして、陸軍第二軍司令部の副官として戦地に向かう真清は、日の丸の小旗に見送られながらも、静かに物思いにふける。
 「この国難が無事乗り越えられれば、私亡き後も母や妻子は細々ながらも生活して行かれるであろう。だがこの戦いの帰趨は予想もつかなかった。(中略)明日のために、次代のために生きているつもりでいても、私たちは明日のことも次代のことも、本当には知らないのである。もし知ることが出来たら私たちは、踵を返して戻ってしまうかもしれない。」
 「国を守るために戦場に向かう勇敢な戦士」などという陳腐なイメージは実は銃後のジャーナリストのものである。実際に生死をも知れぬ戦いに赴く人の心は、このような静かな諦観が忍び寄っているに違いない。そしてここから生まれて来るものが、誰にも分からぬ未知の「明日」に向けて、自らの命を懸けて信ずる道を行くものの確かな勇気であるはずだ。
 そして、この勇気と諦観は、明治という時代への確信に支えられて、戦場で倒れた兵士の次のような言葉に集約されて行く。
 真清は同郷の親友だったが、ある行き違いから絶交し、かって日清戦争の戦場でも対立した本郷という兵士と戦場で再会する。二人は十年の義絶を説いて語り合い、誤解を解きあった後、農民出身の本郷はしみじみと語る。
 「いい時代だった。俺は明日死んでも悔いることはない。ご維新前だったら、俺は片田舎の貧乏百姓で一生暮らさなければならなかっただろう。貴様は武士の子だ、俺は百姓の子だ、貴様などと言ったらお手打ちになる。この時代のためなら俺は慶んで死ぬ。」
 装備、国力で遥かに勝るロシア軍を破った日露戦争における日本軍を支えていたのは、このような一人一人の兵士と時代との一体感であった。この意味において、いかに苛烈で悲惨な物であろうとも、日露戦争は日本にとって名誉ある「国民戦争」になり得たのである。
 この国民意識(真の意味での愛国心・ナショナリズム)は、敵国のロシアに対しての礼節としても現れている。旅順陥落後、日ロ両軍の将校が交歓した際、真清は、ロシアの若い将校が、ただ一人日本軍に突撃して倒れた勇敢な姿を敬意を持って語り、彼の骸を埋葬して十字の墓標を立てたことを告げる。 またロシア側も、我が勇士に捧げられた武士道の情けに深く感謝する、戦場では国益と国家の名誉のために全力で戦うのは当然だが、個人として日本の軍人には何ら恨みは無いと答える。「鬼畜米英」というスローガンと、「卑怯なジャップ」という悪罵がぶつかり合った大東亜戦争時には考えにくい美しいシーンである。
 旅順攻略も奉天大会戦も、戦場の兵士にとっては作戦の全貌など見えるはずも無く、果たして勝利したのか否かさえ分からないまま、ただ砲弾と銃剣の中を戦い続けるだけである。奉天の戦いが終わった後、若い将校は呆然としたまま真清に語りかける。
 「兵士一人一人が、勝たなければ国が亡びるということをはっきり知って、自分で死地についております。この勝利は天佑でもなく、陛下の御稜威でもありません。兵士一人一人の力であります。」
 国民全てが「百姓の子」も武士の子も皆近代国家の国民として平等の権利を持ち、国難においては義務を果たす。日清、日露の二つの戦争における日本民族として初めての「国民戦争」体験こそが、明治近代国民国家の誕生を完成させたのである(おそらくこの体験は自由民権運動よりも遥かに大きな影響を国民に与えている)。
 同時に、それは「この時代のためならよろこんで死ぬ」という感動の中での死であったとは言え、余りにも大量の国民的犠牲を伴うものでもあった。真清は近代国家が国民にもたらすナショナリズムの輝きと共に、近代国家、近代戦の残酷さと悲惨を思ってこう書き記している。
 「国家民族存亡のためとは言え、この惨状は何たることであろう。眼の当たりに見た激戦地の惨状を、神々はただ空高く眺め給うのみであろうか。」
 これは近代の残酷さに直面したものの嘆きである。国家民族存亡のためには、かっての封建時代と異なり、全ての国民はこのような厳しい運命に耐えなければならない可能性があるのが、近代という時代なのだ。百姓の子は静かに百姓の子として、貧しいながらも国家から離れて人生を全うすることは、江戸時代までならば可能であったろう。しかし、近代国家は国民としての権利を与えると共に、また義務をも全ての国民に帰する。
 この宿命に、真清は次のような美しい言葉で耐え抜こうとする。「この多くの人達の恩を忘れてしまうことが、それこそ一番深い罪のように思われる。」という言葉で奉天大戦の記述を締めくくるのだ。
 私達は「この時代のためなら俺はよろこんで死ぬ。」と言い切れるような時代を再び作り出すことが出来るだろうか。多くの戦死者への忘恩という、近代の恩恵を受けていながら、近代国家建設のために最も苛酷な運命を耐えた人々への最も深い罪から免れているのだろうか。

(3)

  ロシア革命が二十世紀の大事件であったことは疑いをいれない。しかし、今日の私たちの眼から明らかなことは、かの革命は偉大な理想主義に始まりながら、残酷極まりない独裁と粛正、そして収容所国家による弾圧による痛ましい惨禍をもたらした歴史の悲劇だったと判断せざるを得ないだろう。「城下の人」四部作の最終刊「誰のために」に記されたロシア民衆の声は胸を突く。「情けないことだ。日本人よ、革命を起こしてはならぬ。いや、革命を起こすような政治をしてはならぬ。」
 このロシア革命に対し、既に情報活動の前線を退いていた石光真清は、再び国命を受けてシベリアのアムール州に渡り、コサックと反革命勢力、そして勢力を伸ばしつつあったボリシェビキ、そして途方に暮れる日本人居留民との間で、苦悩に満ちた最後の活動を行う。
 石光が求めたのは、まず居留民の保護であり、かつ民意に添った秩序の回復であった。彼はボリシェヴィキの指導者ムーヒンに対しても、その革命への信念に感動して友情を結び、秩序維持のために誠意ある対話を行っている。
 しかし、石光の努力にもかかわらず、ボリシェビキはアムール州を力で制圧しようとする。これに対し、中立派の市長やコサックの司令官は、石光に日本人居留民による義勇軍を編成して欲しいと申し出る。そうなれば日本軍との直接対決を避けるために、ボリシェビキ側もこれ以上の強攻策は取れないだろう。その間に穏健な指導者が連帯し、国際的な支持のもとに民衆のための自治組織を作る。アムール州の平和のためには他に道はないと石光は懇願される。
 石光はこの案には否定的だった。居留民を危険な眼にあわせるべきだろうか。果たして中立派や反革命派の中に、現在のボリシェビキに真に対抗出来るだけの指導者がいるのか。日本政府はどこまで居留民保護や革命政権との対決の覚悟があるのか。しかし、確固たる見通しの無いまま、日本人義勇軍はアムール州の市民の歓呼の中で結成され、ボリシェビキ側は一時退却する。
 しかし、赤軍が出動すれば小銃を持ち寄っただけの義勇軍ではかなわないことは明らかだった。石光は終始動揺し方向の定まらない中立派、反革命派の姿勢と、一向に居留民保護に本腰を入れない日本政府との交渉に絶望し、一時は犠牲を避けるために義勇軍の解散を提案する。いまさら何を言う、日本人の名誉のためにも解散は出来ないと迫る義勇軍指導者の前で「死を持ってしても償い得ないと思っております。詐欺師の石光が、とうとう尻尾を出して逃げたと笑ってください。」と頭を下げる石光の悲痛な姿が胸を打つ。
 しかし、ついに赤軍と日本人義勇軍とアムール州コサックの連合軍は衝突する。この時、かっての勇猛を鳴らしたコサック軍すら総退却する中で、武器も乏しく経験も無い日本人義勇軍は、氷点下四十度の戦場を、石光の撤退命令を無視して、友軍の退却を守るために戦い続けた。しかし赤軍はアムール州を制圧し、居留民たちと中立派、反革命派の市民は、心身ともに傷つきながら住み慣れた町を追われてゆく。石光は怒りを込めて記す。「私は祖国日本を信じ、一日を過ぎ二日を延ばし、現状維持に努めて来たが、とうとう敗れてこのざまである。この拙い抵抗の代価は余りにも高すぎはしなかったか。善良な在留邦人を駆り立てて死傷者を出したばかりではない、ロシア市民にも無益の犠牲を強いたことになりはしないか(中略)しかも、日本が与えた物は何一つ無かったのである。小銃一つ、一ルーブル銀貨一つなかったのである。」
 そして石光は、戦場に倒れた義勇兵たちに、哀しくも美しい追悼の言葉を述べる。
 「私の指導が間違っていたために、この日本人墓地の凍土の下には、九名の犠牲者が冷たく横たわって再び覚めることが無い。彼らは善良な市民であった。(中略)ロシア人のよき友として彼らは愛された。内地から来て天下国家を論じ、大言壮語して消えゆく連中とは肌も合わず、世界の違う人々であった。」
 日本人義勇軍は何故勇敢に戦ったのか。 それは、彼らが命を懸けても守らなければならなかったのは、赤軍の言う共産主義革命でも無く、また反革命派の言うロシア帝国の復活でも無く、また「天下国家を論じる」人達の空語(イデオロギー)でもなく、このシベリアの地で、ロシアの民衆の友として静かな生活を営みたいという、ささやかでありながら、人間として最も根源的な希望だったからである。そしてロシア革命こそが、このような人々の希望を、収容所国家のもとで踏みにじることになることを、彼らは民衆の本能で感じ取っていたのだ。
 この後、日本軍は様々な反革命勢力を支援してのシベリア出兵に参加する。石光は、民主主義者で反ボルシェビキの優れた指導者、アレキセーフスキーを支援し、もう一度アムール州に避難民が戻り、平和が訪れるよう努力を重ねるが、現地での日本軍の乱れた振る舞い、そして司令部の定見なき姿勢に絶望する。日本軍司令官は、日本軍の姿勢を批判し、ロシアの平和のための努力を説く石光に対して、「君は一体誰のために働いているのだ。ロシアのためか。」という悪罵を投げ付けた。ついに石光は任を解かれ、失意のうちに帰国する。
 石光は誰よりも日本の国益の為に働いた。 しかし、それは同時に、居留民の生命と人権、そして静かな生活を守るためでもあり、またロシア民衆を含めた東アジア全体の平和と安定のためでもあった。石光にとっての「国家」「国益」とは、それだけの拡がりを持った物だった。それに対し、この時点での日本の政府や軍の一部にとっては、ただ目先の日本の領土や利権、国際的な立場のみが国益であった。
 日本は冷戦終結後の二一世紀、外交面で国益をもっと現実的に追求しなければならないという議論がある。原則的に私はそれに賛成だが、同時に必要なのは石光真清のような精神である。国家のために、国益のために生きることが、そのまま名も無き民衆の心と、そして広く世界の平和につながるような精神こそが、これからの日本には必要なのではないだろうか。

ある韓国元左派知識人の論考

《解説》
 寄稿集という場でこのような他者の原稿を紹介するのはよくないかもしれないが、現代韓国の優れた知性を是非本板参加者に読んでいただきたいという想いから掲載させていただきたい。本論は、かつて七十〜八十年代、韓国にて主体思想に傾向し、親北朝鮮系の政治活動を展開、現在は転向と自己批判を経て北朝鮮民主化運動、金正日独裁政権打倒の前線に立っているグループ、NKnetの機関誌「時代精神」一九九九年度五、六号に掲載された洪氏の論文である。実は前半部にも、韓国古代史についての興味深い論考があるのだが、その部分はやや皆様には遠く感じるかと思い、また全体が長文すぎるため割愛し、3、日韓関係 からの後半部のみを収録した。前半部を読みたい方は私三浦宛に直接メールなどいただければ送信します。
 翻訳は知人の河合聰先生にお願いし、掲載にあたって三浦の判断で多少文章を変更した。現代韓国の優れた自己内省の文章として高く評価出来るものと考える。韓国知人の民族主義主義批判の文として最も良質なものの一つであり、日韓関係を語るうえでも、多くの日本人に読んで戴きたい論考であると思う。そして、同時に「時代精神」参加者の思想的遍歴と、時代の韓国の精神構造の最大の問題点が文章の背後に見えかくれするだけでなく、現代社会最大の難問の一つである民族主義・排外主義の根本に届き得るものでもある。
 ここで論じられている民族主義批判の特徴は、基本的に民族主義を他民族への差別・排外主義、自民族優越主義と見なし、近代国家を民族の上に置くものである。日本では、最近までは少なくとも知識人においては、民族主義はうさん臭い右翼思想としてしか受け取られなかったが、韓国においては、むしろ民族主義、愛国主義は国家の基本をなすものとして高く評価されていた。また在日社会を見ても、民族のアイデンティティを忘れるな、という主張は現在に至るもむしろ主流である。その韓国で、特にこの論考の後半に有るような日本に対する客観的な視点の勧めや従来の反日運動への批判は、韓国社会ではかなり攻撃されるだろうことは容易に想像される。
 また、割愛した部分の朝鮮古代史への論考には、韓国には新羅の統一を唐の力を借りたものとして低く評価し、むしろ滅ぼされたものの、自主独立を貫いた高句麗にシンパシーを持つ心情が有るという指摘がある。そこから類推すると、アメリカや日本の援助を受けて復興した韓国の知識人、学生の一部には、表面上は貧しくとも「自主独立主体の国」を貫いたかに見える(ほんとは違うんだけど)北朝鮮に多少のコンプレックスが有るのかもしれない。彼らが主体思想に一時心酔したことと併せて考えると興味深い。
 また、ここで展開されている、民族よりも近代国家単位で世界を捕らえるべきだという(中国朝鮮族に対する冷静なコメントなど)発想からは、彼らの世代が一時は独裁者として全面否定していた朴正煕大統領を、近代化を成し遂げた大統領として一定程度評価するようになるのは自然な成り行きだろうと思う。そして同時に、韓国国内における外国人労働者に対しての人権意識は、かつて洪氏たちが左翼的立場であったときに学んだよき近代的人権感覚である。「時代精神」が、韓国における人権と理性に根差した、よき近代主義言論誌として発展していくことを期待したい。 
 特に、韓国内での言論情勢が南北朝鮮は同じ民族で友好を結ぶべきだという情緒的で偏狭な民族主義に傾斜しつつある中、彼らの今後の思想的、運動的使命は重要である。民族の統一と和解という大目標の前には、現在の北朝鮮における、それこそ同じ民族が、言論の自由を奪われ、政府に反抗する者は政治犯収容所で残酷な刑を受け、また飢えた民衆が中朝国境を越えてさまよっていることも、全て後回しにされてしまうという、現在の韓国の「民族主義」「統一至上主義」と、彼らがどう闘って行くのかが、これからの重要な思想的課題である。

民族主義現象の考察:我々の自画像
洪ジンピョ「時代精神」編集委員
翻訳 河合 聰

時代精神」一九九九年五・六月合併号掲載

一、二章略
三、日韓関係

 日本の植民地支配は、最も過酷なものであったか
 我々の日本に対する認識や態度は、国民の大多数において、過去の植民地支配に基づく反日感情に支配されている。この多数派の意見にあえて異を唱えたり、冷静に再考しようとすれば激しい反発を食らうことも多い。
 世界を見回しても、隣接している国どうし、また民族間には仲の悪い場合が非常に多い。アルバニアとセルビア、イランとイラク、ドイツとフランス、ギリシャとトルコなどがすぐ頭に浮かぶ。隣り合っているから紛争もそれだけ多く、その過去に対する澱が今日まで繋がっているのである。わが国と日本の場合も同様である。ここでは複雑微妙な日韓関係の直接的原因だと思われている、日帝植民地問題を考えてみたい。
 日本がわが国を植民地として支配したのは、不当だったということは再論の余地がないだろう。しかし、ここで我々が是非とも認めなければならない事実は、当時、強大国であれば、例外なしに植民地争奪戦に参入したということである。
 もし立場を代えて、わが国が先に近代化していれば、まず近くに位置する日本を植民地にしようとしたかもしれない。現在は、植民地政策は悪だという認識が一般的になったが、当時はそのような考え方はなかったろう。甚だしきにいたっては、植民地支配を受けている民族内ですら、相当数がそのように考えていた。それにも拘らず、当時、帝国主義政策を展開していたイギリス、アメリカ、ドイツ、フランスなどと比較して、日本を特別に悪く考えるのは公平でない。
 日本と韓国は直接的な被害者と加害者の関係にあるから、反日感情を抱くのも当然だという人もいるかもしれないが、フィリピン、インドなどの国民がアメリカやイギリスに対して、ひどく悪い感情を抱いているわけではない事を見れば、我々の感情は、植民地支配の被害者たちの普遍的な情緒だと断定することはできない。 軍国主義を標榜した日本は、民主主義国家であったアメリカやイギリスよりもっと酷い植民地支配をしたから、我々の反日感情は当然の結果だと言うかもしれない。しかし、事実は正反対であった。西洋人は東洋人に対して、人種的な偏見を持っていたし、文化的な差異も大きかったので、植民地の民衆を人間以下の扱いをした。日本はそれに比べると、決して酷いものではなかった。何せ、似たような文化圏で対等の関係で暮らしてきたから、そうもできなかったのであろう。日帝時代を経験したお年寄りの中には、自分たちが体験した工場主、教師、商店の主人だった日本人について、良い記憶を語る人が少なからずいる。そして最近、黄長Y氏の自叙伝(「金正日への宣戦布告」文芸春秋)によれば、日本の本土では、ほぼ差別は無かったと述べている。 勿論、戦争が激しさを増すにつれ、搾取と圧迫は凄まじいものになったけれど、それほどの社会においても戦争の時期にはそうであるように、程度の差こそあれ、この時は日本人だって、同じように苦痛を嘗めたのである。私は日本の植民地支配について、美化したり弁護したりしようというのではない。あくまでも、特別な思い込みをすることはないということを強調したいだけなのだ。そして、どのように考えるにしろ、過去に縛られて今後もずっとお互いに悪い感情を持ち続けることは、あまり理性的な態度だとは言えないだろう。

反日のブーメラン効果

 日韓関係は普段は平穏であるが、日本の政治家の植民地美化発言が飛び出したり、独島(竹島)紛争が表面化すると、途端に全韓国社会が沸騰した湯のようになる。いくらかでも改善されていた日韓関係も再び原点に回帰する。この場合は、日本が先に刺激したから、我々の対応が強力でなければ、再び悔りを受けるという論理が優勢である。
 しかし、我々は本来の重要な点を見落としている。一つは、一部政治家の妄言なるものは、日本の大多数の国民たちの考えとは違うという事実である。帝国主義の道を選んだ西欧の他の国と同様に、多くの日本国民も、植民地支配は正しくなかったと考えている程度の良識は持っていると思われる。また、我々の過去の過剰対応は、かえって日本内にくすぶっている民族主義の火種を燃え上がらせる作用をする可能性が、たいへん高い。
 一国の民族主義は、関係する相手国の民族主義を上昇させる傾向を持つ。そこで、東北アジアで諸国の民族主義が高潮すれば、相対的に小国であるわが民族が最も損をすることになりかねない。超強大国の日本や中国の民族主義は、対外的な覇権政策へと乗り出そうとする可能性が有るからである。
 だから、昨今の度が過ぎる興奮よりは、韓国側ももう少し大人になって行動した方が良いはずだ。これは単に国家としての品格を論じているのではない。我々の利益、国益を守るためにも、もう少し冷静な計算に基づいた言動が必要だということを言いたいのである。

日本の古代文化の伝播を取り巻く論難

 日本に対する、わが民族の優越性を探り求める作業は、古代史とスポーツという二つの領域で主に行われる。朝鮮半島を通して日本へ文化が伝えられたという証拠が発見されたという報道が出ると、人々は陶然となり、自然と満たされたような気分で高揚する傾向がある。これに関する史学界の論争の種もかなりある。
 しかし、大陸の発展した文化が、日本へ伝播されるにあたって、朝鮮半島を通っていったという事実と、わが民族の日本に対する優越性とどんな関係があるのだろう。日本へ伝えたという文化は、わが民族だけの創造物ではなく、中国を含めた諸々の民族が共に作り上げ、発展させたのだという点を忘れるべきではない。前近代社会で文化の発展は、主に地理的な要因と人口によって大きく左右される。地理的に他の地域と交流が容易で、人口が多く(主に農業や商業の盛んなところ)、多様な経験が可能なところに先進文化が蓄積され、余所の地域へと広まっていったのである。アメリカインディアンやオセアニア原住民たちの文化水準が、彼らが劣っていたせいでなく、地理的な孤立のせいで低い状態に置かれていたように、我々は古代文化の伝播の過程を持ち出して、何ら関係のない民族間の文化の優劣を論ずるのを止めよう。
 さらに、一定期間(統一新羅以後、日本は中国との直接的な文化交流の比重を高めた)、日本へ大陸文化を伝播する役割を果たしたという事実を、日本人がよく記憶に留め、我々に対して尊敬や感謝の念を持って欲しいという期待もまた持たないようにしよう。日本に対する際立った優越感を探り求めるのは、実際には、甚だしい劣等感を解消しようという試みと言えなくもない。この劣等感と優越感の入り交じった、精神的な泥沼から抜け出るには、「歴史というものは、興亡盛衰がつきものなのに、ある特定の時代を比較して、民族感の優越を問いただすことに何の意味があろうか」という単純な真実に拠るべきであろう。

日韓のスポーツ戦争

 スポーツの分野では、我が国には「日本には必ず勝たなければならない」という至上命題がある。運動選手、中継アナウンサー、応援する国民すべてが完全一致して、優勝よりも対日戦勝利をより一層願うという、一種異様な雰囲気が醸し出される。運動競技で、自分の国のチームが勝てば気分がよくなるのは事実であるけれど、いずれ勝つことも負けることも有り得るスポーツで、どうして「絶対」という言葉が出てくるのかを考えてみたい。
 面白いのは、メキシコの人々はアメリカとの運動競技で、アメリカを応援する人がかなりいるという。理由は、アメリカが自分たちをいろいろと助けてくれた感謝の意思表示であるという。アメリカとメキシコは戦争経験もあり、テキサス州をはじめ、多くの土地をアメリカに奪われた暗い過去がある。しかし、彼らは現在に重きを置いているのである。人間関係もそうであるように、国の関係も、民族関係も、過去に執着すると発展は難しいのだ。
 実際に、解放後、日本は日韓協定の際、請求権資金をはじめとして、借款を提供し、我々の産業化に緊要な支援を行ったし、我々が西洋の近代文明を導入して、産業社会建設の経験を身につけるように助けてくれた事実は、認めなければいけない。韓国と日本は主力業種の類似性により、国際市場で熾烈な競争相手になってはいるけれど、解放以後、日本は我々に害よりは益を、より多く与えてくれたと見るのが公正である。だから、今は我々も日韓戦で日本を応援しようと言っているわけではない。それはどちらでも構わない。ただ初めから意味のない、我々の格が高まるわけでもない「日本にだけは絶対に勝つ、勝たねばならない」というスポーツにおける精神的呪縛を解いてしまおうではないか。

日本についての無知

 我々は日本を強く意識しているのだが、以外と一般韓国人の日本に関する知識は大変皮相的である。個人的なことを述べると、三年前だが、長い日本留学経験を基に書かれた、金ヒョング教授の「日本の話」を読んで、私自身の日本に関する無知を知らされ恥ずかしかった。日本人は毎日のように風呂に入るとは聞いていたが、元来その理由は湿気が多い気候のせいだという、ごく平凡な事実をこの時初めて知ったくらいである。
 この時はまだ、民族主義についてこれといった問題意識を抱いていなかっただけに、日本について私が全く理解していないことを、我々の民族主義に基づく偏見と絡めて考えてはみなかった。今になってみれば、民族主義の他民族に対する排他性は、他の国や民族について、冷静に事実に基づいて考えてみようという努力を妨害することにおいて、これほど害悪があるということである。
 他の国に対して、いくつかのイメージで規定したもので十分であり、それ以上考える必要もないという閉鎖的な偏見に満ちた態度は、井の中の蛙と同じである。
 実際に、日本は我々と地理的に近いだけでなく、血統、言語、文化など多くの部分で、最も類似している関係にある。日本文化の剽窃是非がしばしば起きたり、日本で成功した新業種は、わが国に上陸しても、大体新しい流行を作り出したりする。これは日韓両国国民の共通の趣向を物語っている事例である。このような点から視ても、我々が日本に対して抱く異質感は、はっきりした根拠のあるものではない。我々が似ている点が多いという理由だけで、日本とだけ特別な関係を結ぶということも望ましいことではないけれど、国民たちの間の親交を深める努力は、是非必要であろう。
 日本も民族主義が強い方ではあるけれど、我々とは比べものにならない。在日韓国人の中でも、野球、サッカー、囲碁、芸能界の各分野で、日本で活躍している人が増えているけれど、日本のファンが彼らに拍手を惜しんではいない。その反対の場合があるようなら、我々の態度は果たして、どのようなものかを想像するだけでも恐ろしいものがある。

四、「我々」に関する錯覚

朝鮮族(中国)は外国人である

 近来はやや冷めてきたが、韓・中修交以後、中国の朝鮮族に対する、我々社会の関心は非常に熱いものがあった。南北朝鮮だけでなく朝鮮族まで合流させて統一構想を練れば、久しい宿願であった中国北方領土の回復も夢ではないと、心密かに期待する向きまであった。
 現実に四〇年以上も交流のなかった、既に中国国民、即ち外国人になってしまった朝鮮族に対して、何ら拒否間もなしに「我々」という範疇に含めてしまうという、途方も無い包容力を見せたである。同じ民族だという因縁を中心に据えている我々の常識は、国家単位で基本的な生を営むことで「我」と「他」が区分されている、現実の国際秩序を完全に無視していることに他ならない。
 人間は一つの集団を構成するに当たって、盲目的動機だけでなく、利害関係の共通性を基にしている。だから、朝鮮族はたとえわが民族であっても、中国社会の発展に利害関係を共にする。朝鮮族の立場からすれば、韓国の経済危機は他人事であるが、中国に経済危機が訪れたら、それに直接的な影響を受ける。したがって、朝鮮族は民族は異なっても漢族やウィグル族などと同じ中国人として、一つの船に乗っているわけである。我々の朝鮮族に対する態度は、スポーツで兄弟がそれぞれ別のチームに所属しているのに、ここに兄弟の因縁を介入させようとするようなものである。実際に、韓・中間のサッカー競技で、朝鮮族が中国チームを応援するなんて、理解し難いと残念がっている人々が多い。

韓国の少数民族、華僑

 同様の脈絡の問題が、韓国内の華僑と外国人労働者に対する排他的な態度に現れる。韓国社会の発展と関りのない朝鮮族に対しては「我々」の枠内で考え、元来この社会で自分の役割を果たしている。華僑や外国人労働者に対しては距離を置こうとする。韓国の華僑は韓国人の排他性とこれに影響された政府の差別政策のために、生まれ育ち馴れ親しんだこの土地を今も離れていっている。現在四四才のある華僑が語るところによれば、自分の華僑中学校の同窓生一五六人のうち、まだ韓国に留まっている人は七ニ人だという。
 また、雑誌のインタビューで、ある若い女性の華僑は「昔のように差別され後ろ指指されることはないけれど、社会生活をすればするほど、韓国の社会の壁の厚さを感じる」と語っていた。たとえ、華僑が少ない数字(約一万五千人と推算されている)ではあっても、台湾やアメリカへ行かずに、我々の社会のために寄与してくれた方が、明らかに我々にとって得である。移民していった人たちも、韓国文化に慣れたために、甚だしいのは台湾ですら適応に困難が伴うというのである。

外国人労働者の問題

 外国人労働者に対して、韓国社会の差別を超える蔑視はたいへん有名である。
 先進国に集まる後進国の労働者たちは、大体、不法滞留者なので、韓国だけでなく、解放的なアメリカや西欧でも、その不利な立場を悪用する事例は少なくない。しかも、経済が困難になり失業者が増えると、現地人の仕事を奪うといって憎まれることもある。ところが、韓国での現象はとても特異である。
 他の先進国のように、道徳的に問題のある人や人種差別主義者だけでなく、多数の雇用主たちが、一般的に外国人労働者に対して、反人権的な行動を憚りなく行っているという。今は、だいぶ減ったけれども、一時十万を超えていた外国人不法滞留者たちは、社長や管理者たちから、暴言、殴打、月給未払い、産業災害に対する無責任な対応に苦しめられてきた。韓国の一部の雇用主たちが金儲けに血眼になっていたから、そうなったと説明しようとする意見もあるようだが、長時間の労働強要、劣悪な作業環境、賃金未払いなどは一部の悪質な雇用主の労働者への搾取だとしても、日常的な罵声や暴力は単なる搾取ではない。これは労働搾取ではなく人格に対する蔑視である。他民族に対して感情的に排除しようとし、見下げようとする意識が強いという、我々の属性を考慮しなければ、十分に説明ができないものである。
 外国人労働者たちであれ、韓国で働いている間は、彼らも普通の国民同様に、この社会の発展のために貢献している一つの構成員である。金を稼ごうという彼らなりの必要性もあるけれど、現地人が忌み嫌っている、しかも社会全体には必須の業種(いわゆる日本で言うところの三K職業・・三浦)の維持という、我らの利害関係にも関っているのである。彼らに働く機会を与えたからといって、決して我々が一方的に施したわけではなく、骨の折れる困難な仕事を担っているという点で、我々も得るところがあったはずだ。
 そして、彼らはいずれ帰っていく人々だから、韓国に対する評価は民間外交の問題にも繋がっていく。実際に韓国を経験した東南アジアの人々の韓国への悪印象のせいで、その地域における我々のイメージが悪くなったりもした。韓国人権団体の支援を受けた外国人労働者たちが、明洞聖堂で龍城した事があったが、その現場に「WE ARE HUMAN,NOT ANIMAL!」というスローガンが掲げられたという。
 華僑や外国人労働者たちは、我々と一緒にこの社会を構築していっているという点において、中国朝鮮族とは、はなから比較にならない。敢えて比較すれば、朝鮮族は「我々」ではなく、彼らこそ「我々」の同胞なのである。

混血人は異邦人か

 付け加えるなら、我々は混血人に対してとても冷淡である。時には、外国人よりももっと強い拒否反応を示したりする。単一民族の伝統を汚したと心密かに思っているようである。顔形は違うのに、同じような韓国語で語り、キムチもよく食べる(彼らも韓国人だからあまりにも当然なことであるが)のが、とても不自然で、甚だしきにいたっては不愉快になるのである。だから、混血人は幼い時から受けてきた冷遇のせいで、「父の国」であるアメリカへ行くのを最大の夢として生きている場合が多い。
 韓国には「韓国混血人協会」という団体があるが、たぶん世界的にも「混血人協会」のある国は韓国唯一ではないだろうか。混血人達が異邦人扱いされるものだから、「自救策」として彼らどうしで団結したのである。はっきりした韓国人である混血人が、この社会で混じり合って暮らすことができず、水に浮かんだ油滴のような身の上になる原因も、結局は我々の民族主義に根ざしている。混血人の中で、芸能界などで有名税を払うようになると記事になるのも、韓国ならではのものではないだろうか。
 我々の社会で、共に暮らしている他民族にも対する我々の態度を見ると、我々の民族主義は、強大国の民族主義とは異なって、我々にも他民族にもほとんど害にはならないという弁護は通らないと考える。現在の民主主義の強度からすれば、もし、わが国にも少数民族問題が存在すれば、包容して共生の関係を結ぶよりは「人種駆除」方式を動員する可能性がとても高い。実際には、数が少なくて、集団的な抵抗に武力を動員する様相ではないから、異なって見えるだけであって、華僑の二世、三世たちの大多数が、この地を立ち去るしかないように、我々が「強制」しなかったと自信を持って言えるだろうか。
 同じように風邪を引いていながら、だれかは咳をしているから、だれかは鼻水を垂らしているからと言って、他の病に罹っていると言えないのと同様に、我々の民族主義を一般的なものとは違う、何かのような視覚で捉えるのは、たいへん便宜的な見方である。

七、理性の強化

 これ以外にも、民族主義現象に含まれる事例は、いくらでもあると思うが、最後にここで民族主義の現象についての考察を結んでみたい。
 今まで、民族主義に関る、我々の姿をある程度考察してみたが、どのような姿がより良いだろうかという判断が残っている。民族主義に執着する我々の姿は、人間の精神活動の中で、知識とか理性よりは無知という盲目により近く映る。自分の民族に対して、愛情を持つのがどうして非理性的だと言えるのか、と反論するかもしれないが、民族主義は真正な意味での愛情表現にはならない。民族主義は、何よりも自分にとって、何が有利なのかを識る判断力を鋭くするからである。このような点から、民族主義の抑制は、理性的能力の強化に直結する。
 それから民族主義が弱体化するか風化してしまえば、韓国は何を根拠に同質性を確認し団結できるのかという疑問が提起されよう。我々は国家と民族をほぼ区分できない思考体系に慣れてきた。しかし、この二つは厳然と区別されるものである。
 例えば、華僑は他民族だけれども韓国民であり(法的には帰化したかどうかが問題になるけど)、反面、中国朝鮮族はわが民族ではあるが他国民である。
 社会の進歩があくまで国家単位で営まれている現在の時代においては、国家を中心とする「我々」の確認があればこと足りる。
 そして、アメリカをはじめとする多くの国々が、民族主義がなくても上手く暮らしているのを見ても、我々が民族主義を捨てたからといって、大事件が起こるわけでもない。
 我々の民族主義の傾向があまりにも過剰なものであるため、民族主義をより穏健で健全な方向へ修正、誘導しようという見解もあるけれど、いくら言葉を飾ってみたところで、民族主義は所詮民族主義であり、その非理性的属性は、変化するものではないということを強調したい。(了)

フィンランデイア“フィンランド現代史:国が独立を守ると言うこと

 日露戦争は当時ロシアの支配下にあったフィンランド民衆を大きく励ました。明石元次郎大佐はロシアの後方霍乱を狙ってフィンランド独立派に武器援助を行い、子供に「トーゴー」「ノギ」と名前をつけるフィンランド人が多く現れる。この時点での日本国の外交がいかに優れていたかを伺わせるエピソードだ。
 そして、第1次大戦の勃発とロシア革命によるロシア帝国の終結により、1917年12月、ついにフィンランドは独立を果たす。しかし、同時にソ連は公然と労働者に共産主義革命に決起するよう呼びかけた。左派は武装蜂起して血生臭い内戦が起こり、2万人を超える死者を出す。しかし、ここで民族の英雄マンネルハイム将軍が赤軍側を破り、フィンランドは共産化を免れた。後のソ連スターリン政権の性格を思えば、共産主義化していればフィンランドが独立を失ったことは明らかである。
 さらに、フィンランドは今度はファシズム運動による危機を迎える。ソ連の侵略性や軍事的脅威を意識していたフィンランドは当時反共色が国民に根強く、1930年代初頭、ムッソリーニのローマ進軍やナチスの運動に影響を受け、反共ファシズム革命を掲げる「ラプア運動」が大規模な農民の支持のもとに拡大し、国軍の一部もこれに呼応した。
しかし、フィンランド政府は一致団結して軍に秩序維持を呼びかけ、ラプア運動内部からも余りに過激な民衆運動が国家の危機を招くことへの反省が現れ、このファシズム革命の危機も乗り越えられた。
 新生フィンランドが、左右の全体主義という今世紀初頭の過激な政治運動を共に経験しながら、その双方を最後には回避したことは、もっと評価されてよい政治的叡智である。
 しかし、更なる国難はソ連の侵略によってもたらされる。1932年の時点で、フィンランドはソ連との間に不可侵条約を結んでいたが、1939年、スターリンはフィンランドのカレリア地方の割譲そのほかの領土的野心を剥き出しにしてきた。フィンランドは何とか平和交渉を持続しようとしたが、ソ連側は拒否。この時、あくまで政治的中立を守ろうとするフィンランド首相に対し、スターリンは「貴方方の中立への思いは理解できますが、それは実現しないでしょう。なぜなら、大国がそれを認めないからです。」という冷酷な「大国の論理」を押し付けるだけだった。
 11月、ソ連軍はフィンランドに侵略.「冬戦争」が始った。ソ連は圧倒的な軍事力の差から、短期間で戦争は終わると予知していたが、フィンランド軍は激しい抵抗を行いソ連軍を食い止めた。森に隠れ、スキーを自由に乗り回し、夜襲を繰り返してソ連軍に大打撃を与えた。しかし、武器弾薬の不足するフィンランドは、長く抵抗を続ける事は難しかった。フィンランド政府は国際連盟や欧州各国に必死で支援を求め、連盟はソ連を除名、そして英仏両国は1940年2月、大規模な援軍を送ることを宣した。
 しかし、その条件はスウエーデンとノルウエーが国内通行許可を出すことだった。両国ともソ連を敵に回すことを恐れ、領土内通行を拒否。英仏も強行してまでフィンランドを助ける意志はなく、力尽きたフィンランドはソ連との和平条約を結び、領土の割譲を受け入れざるを得なかった。
 もしこの時に英仏軍のフィンランド支援(事実上の対ソ連戦争)が実現すれば、第2次世界大戦の政治的地図は大きく変わっていたかもしれない。ナチスドイツとソ連との同盟はむしろ強化され、英仏、そしてアメリカ(当時フィンランドには強い同情を寄せていた)とドイツ・ソ連が対決するという、民主主義対全体主義という対決軸がヨーロッパ戦線において明確な構図を示した可能性もある。しかし、フィンランドは、世界が大国の論理を乗り越えてまで小国の正義を支援することはないという厳しい現実を突きつけられることになった。
 続く第2次世界大戦の勃発は、さらにフィンランドを大きく揺るがすことになる。ソ連は「冬戦争」終結後も露骨な内政干渉を仕掛けてきていた。そして、第2次世界大戦当初のドイツの勝利は、フィンランドに、独立を守るためにはドイツとの連携も一つの手段ではないかと思わせた。フィンランドはドイツ軍の領土内通行を認め、武器弾薬の提供を受け入れる。そして、1941年6月、ソ連のフィンランド爆撃を受け、対ソ連戦争に踏み切る。
 フィンランド側には、ナチスと協力しているという意志は乏しく、ソ連の侵略によって奪われた領土を奪還することが目的だった。ソ連領カレリア地方を占拠した後は殆ど前進せず、ナチスドイツの要求するレニングラード攻撃への参加も拒否した。ナチスの攻囲にレニングラードが耐え抜けたのは、フィンランドが攻撃に参加しなかったことが大きな要因をなしていることはソ連側も認める事実である。
 しかし、英米連合軍にとってはフィンランドがナチス側についたと見られてもやむをえなかった。やがてソ連軍の反撃が始まり、ドイツの敗北が明らかになるにつれ、フィンランド政府の苦悩は強まっていく。
 1944年、冬戦争のとき以上のソ連の大軍がフィンランドに迫り、当時の大統領リュチ氏は、最後の援助をドイツに求めるほかはなかった。リュチは「私のいかなる政府もドイツとの協議なく単独での連合国、ソ連との和平交渉は行わない」という巧妙な文書をドイツに提示して援助を引き出し、ソ連軍の攻撃を食い止めて停戦交渉へのチャンスを作った。そして「私のいかなる政府」という文言を逆手に取り、8月には辞職、マンネルハイム新政権によってフィンランドはソ連と停戦する。
 しかし、戦後リュチ元大統領他、多くの政府閣僚が、ナチスへの協力者として戦犯裁判にかけられた。彼等は、自らの政治的失策は認めたが、それはあくまでも失策であり、犯罪であるはずがないと反論し、多くの国民もこの意見を支持していた。しかし、ソ連とその影響下にあった一部左翼はナチス協力者・犯罪者として戦時指導者達の処罰をあくまで要求した。
 ソ連との友好関係を必要とし、そしてナチスとの協力関係を払拭しなければならないフィンランドとしては避けがたい悲劇だった。多くの「戦犯」とされた政治家とともに、リュチは10年の禁固刑に処せられる。しかし彼は「大統領官邸にあろうと獄舎にあろうと、国民に奉仕できることにおいては等しいのだ」と述べ、黙々と判決に服した。フィンランド現代史は不屈の精神に彩られた誇り高い悲劇として、私たちに深い感銘を与えずにはおれない。
 戦後、ソ連が解体するまで、フィンランドは親ソ勢力としてソ連に有利な発言を多々繰り返し、日本の一部政治家はフィンランドをソ連の衛星国であるかに語った。しかし、一つの国が独立を実現し、主権を守り続けることの苦難を考えれば、自らの国家主権、国民の生命・人権・財産を未だにテロ国家に踏みにじられたままの日本政府に、このような悲劇の歴史を経てきた国の努力や妥協を軽視する資格があったとは思われない。
 フィンランドの作曲家シベリウスの曲に「フィンランデイア」と言う有名な作品がある。独立前にも民族精神と独立運動のシンボルとして多くのフィンランド国民に感動を与えたこの曲は、ソ連侵略下での抵抗運動の際も、尊い犠牲者や激しい抵抗を伝えるニュース番組のテーマとして流された。もしこの曲を耳にする機会があった時は、このようなフィンランド現代史に思いをはせていただければ幸いである。

国民虐殺国家の平和的打倒を  三浦小太郎

 ジャーナリスト萩原遼氏の著書「金正日 隠された戦争」(文藝春秋)は、90年代の北朝鮮を襲った飢餓地獄が、金正日の失政による「人災」ではなく、明確な独裁政権による「国民に対する戦争=虐殺」であった事、また、金日成の死が、金正日が自らの失脚を恐れての「殺人」であったことを明確に提示した衝撃策だ。
 北朝鮮という全体主義国家が、他国だけではなく、国内の民衆を最も敵と見做し、自国民中忠誠度の低い「敵対階層」を常に敵と見做して抑圧を加えてきたことは周知の事実ではあるが、ソ連、東欧の民主化(もしかしたら私は中国の天安門事件も多少の影響を与えているのではと考える)を目の当たりにした金正日は、いつか自らに抗して立ち上がる可能性のある自国民の「抹殺」を図ろうとしたのだ。「隠された戦争」とは、まさに独裁者による自国民との「内戦」である。
 萩原氏によれば、「敵対階層」は国民の約20%、これは北朝鮮の人口が2200万人と言う交渉が正しければ約440万人となる。300万と推定される餓死はまさに彼らを標的としたものであった。これは食糧配給そのものを「武器」とする独裁政権の民衆虐殺であり、敵対階層と言う「まつろわぬもの」への徹底的な「民族浄化」だ。ユーゴのミロシェヴィッチどころか、都市にすむものやインテリは全て敵と見做して虐殺したポルポト政権を思わせる残虐行為である。このことは、北朝鮮が逆に言えば建国以来、ひたすら国民と独裁政権との「戦争状態」が続いており、この時にその「内戦」が勃発したものとみなすことが出来る。しかし、武器も自由も全て奪われた民衆にできたことは、ただ脱北によって自らの生命を守る事だけだった。金正日のこの行為は戦争犯罪以外の何者でもない。
 本書を読んでいて何度も思い出されたのは、韓国に亡命した鄭箕海(著書:「帰国船」文藝春秋)氏の言葉である。同氏は来日講演において、北朝鮮の最悪の人権侵害と恐怖支配の構造は食糧配給制度にあると幾度も強調していた。政府に反抗すれば食糧が絶たれて餓死する、この恐怖は最も帰国者を初めとする民衆の精神を麻痺させてきた、反抗する力は殆ど奪われてきたと。そして配給停止による虐殺は、「敵対階層」へのまさしくとどめの役割を果たしたのだ。
 全体主義体制は、スターリンやナチス、また文化大革命時代の中国やポルポト政権、ひいては一時期のタリバン政権などに現れたように、「外部」と「内部」に敵を設定する事によって維持される。国内の収容所体制と厳しい抑圧、相互密告制度などは、外敵がすきあらばこの国を攻撃してくるという宣伝と、またこの国の内部にも敵がいるという脅迫によって成立するのだ。むしろ明確な反体制勢力が排除された後ほど、「スパイ」「内部の敵」は抽象化され、いつ自分が社会からスパイと見做されるかがわからないと言う恐怖心が全国民の意識を「相互密告者」に変えていく。人間精神の撤退した破壊である。
 この残酷さは、全体主義体制のものであると同時に、朝鮮半島における李朝時代の悪しき伝等とも密接に関係している。家族連座制、国民の階層分化、そして地方差別、民衆の愚民家政策などは、李朝が朱子学をその最悪の局面で展開してしまった結果生まれてきたものだ。ちょうどスターリン主義がマルクス主義を最悪の形で改悪し、さらに金日成・正日販政権がアジア的な専制体制と朝鮮半島の家父長的・朱子学的支配の最悪の側面をさらに付け加えてしまったのである。
 私は最近、ある脱北者のお話を聞かせていただいた。帰国者と北朝鮮で生まれた人の間には中々信頼関係を結ぶのは難しかったが、唯一深い交流ができた人は敵対階層、成分が悪いと言われた人であったと。帰国者もまた、北朝鮮では資本主義社会から来た、自由の価値を知る敵対階層に属する。朝鮮総連と金日成の組織的詐欺宣伝によって北朝鮮に「拉致」されたに等しい帰国者、日本人妻は、さらに残虐な独裁者金正日によって虐殺されたのである。
 さらに、本書ではその金日成の死の謎に迫る。金日成が息子と激しい意見対立を来たし、その結果暗殺されたのではないか、という推測はこれまでも在日コリアンの一部で囁かれてきたが、本書は金日成と金正日が、今後の北朝鮮外交や内政を巡って、私たちの予想よりも遥かに激しい対立関係に陥っていた事を浮き彫りにしている。そして、著者の言う「運命の日」1994年の7月7日前後に何が起きたのかを分析する著者の緊張感溢れる文章は、現代史の謎に挑むノンフィクション作家としての真骨頂を示すものである。萩原氏の著書の中でも、本書第3章ほど抑制された、しかも緊張感と著者の怒りとが文体の裏側に、澄んだ刃のように抑圧者への怒りがこめられた緊張感溢れる文章は、著者のジャーナリストとしての一つの頂点を思わせる。この部分は、是非本書を直接当たられたい。
 このような体制が存続することは、日本人拉致事件のみならず、北朝鮮民衆の苦難を見捨て、彼らを永遠に残酷な独裁者の人質・奴隷となさしめる事に繋がる。彼らを見捨てた形で、単に核問題さえ解決すれば平和が保たれる、という外交姿勢が選択されるのならば、それこそが「人道に対する罪」に他ならない。
 現在アメリカにて成立し、またここ日本でも自民党、民主党が成立を目指している北朝鮮人権法案は、このような体制を平和的に打倒するための最終手段である。法案は何よりも、北朝鮮から脱出してくる脱北者保護と、国内への情報流入に焦点が置かれているが、これは東欧革命の前例に倣ったものでかなり有効性を持ちうるだろう。さらに、日本国は脱北者の不当逮捕と強制送還をやめない中国政府に対しては、ODA停止だけではなく、場合によっては北京オリンピックボイコットをも提示して姿勢を改めさせるべきである。北朝鮮から逃げ出しさえすれば第3国に亡命する事が出来るという希望への道が確立しさえすれば、平和的な独裁政権打倒は決して不可能ではない。
20世紀は戦争と革命の時代だった。21世紀は、内戦、テロ、宗教原理主義との闘いの時代である。これを平和的に解決するための第1歩は、アジアにおいては金正日独裁政権を平和的に妥当するためのあらゆる戦略を展開することである。独裁政権を暴力以外の方法で国際的連携の中で打倒する事が可能である事を世界に示すこと、それが21世紀を希望の時代に向けて大きく踏み出す第1歩となるのだ。
(本稿は、雑誌「月刊日本」3月号(KKプレス)に掲載したものを一部修正したものです)

金正日独裁政権の平和的な打倒に向けて 北朝鮮人権法案を読む 三浦小太郎

北朝鮮人権法の成立

2003年10月19日、ブッシュ大統領の署名により、アメリカで「北朝鮮人権法案」が成立した。今後のアメリカの対北朝鮮戦略については、私達は様々な情報やその折々の政治的な駆け引きに幻惑される事無く、まずこの法案の精神がアメリカの「国家意志」の根本をなすものとして考えるべきである。
 まず、本法案は明確に北朝鮮金正日体制を、「独裁国家であり、膨大な件数の深刻極まる人権侵害を繰り返し行なっている。」と認定し、現実的には「各地の収容所、統制地区に、推定約二十万人の政治犯罪者達を収容しており、国家安全保衛部、強制労働、暴力行為、拷問、処刑等を行うことにより統制し」「収容者達は輸出品製造のための強制労働に使われ、武道武術の練習台にされ、また化学生物兵器用の毒薬の実験台として扱われ」ていることを明記している。
 さらに「北朝鮮国内における飢餓への危機感、迫害の脅威、自由と希望の欠如から大多数(推定数十万人)の北朝鮮人民が祖国を捨て、主に中国へと逃亡」している事、つまり脱北者が単なる経済難民ではなく明確に独裁体制の抑圧による「政治難民」である事を指摘している。また、脱北女性の悲劇も「中国へ逃亡した北朝鮮の婦女子達は中国国内での誘拐、人身売買、性的目的に利用される危機にさらされ」「多くはそこで妾、嫁として売買され、または売春婦として働くことを強要させられている。」と明記された。これはまさに人身売買や誘拐等々、現在世界的に問題になっている犯罪の典型が中朝国境で行われている事実がアメリカ政府により認識された事である。
 その上で、「中国・北朝鮮両政府は、許可無く中国国内に滞在する北朝鮮人の居場所を突き止め、北朝鮮へ強制送還」しており、脱北者は「送還後は通常、投獄・拷問が待ち受け」「場合によっては極刑に処され」る危機に陥っている。これは中国政府の完全な難民条約違反であり、同政府が「1951年国連の難民の地位に関する条約」及び「1967年国連の難民の地位に関する議定書」において定義された義務の履行を怠っていると批判される。さらに、「2000年1月、中国国内で米国の永住権を持ち、北朝鮮難民支援者であった金東植牧師は北朝鮮工作員によって拘束され、彼の現在の所在や状態は不明のままである。」事が指摘され、中国政府が脱北者救援団体への不当逮捕を行っていることが示されている。勿論日本人、韓国人の拉致問題もここで重要な人権問題として指摘されている。

閉鎖的独裁国家への情報流入と、脱北者保護が法案の骨子

 その上で、本法案の目的は(1)北朝鮮における基本的人権に対する尊重と保護の推進(2) 北朝鮮難民の窮状に対する、より永続的な人道主義的解決策の推進(3) 北朝鮮国内において人道支援を行う上での監視、アクセスおよび透明性の改善推進(4) 北朝鮮の国内外双方向への情報流の自由化推進(5) 民主主義体制の政府下における朝鮮半島の平和的統一の推進、の5点とされる。北朝鮮現金正日政権の独裁・人権抑圧体制をアメリカは明確に承認しないこと、その民主化を求める事がこの法案の骨子である事は疑いを得ない。しかし、では具体的に本法案はどのような手段で北朝鮮の人権改善を実現する方針なのだろうか。
 本法案が示す方策は以下の通りである。(1)北朝鮮向けのラジオ放送を増やす、つまり北朝鮮国内に海外の情報を伝え、民衆の意識を変えてゆく。具体的にはRadio Free Asia Voice of Americaを含む1日12時間の放送を行うなど、「情報自由化推進施策」策がまず挙げられる。「北朝鮮国外から受信可能なラジオ等の情報源をも含む」つまり、小型ラジオの北朝鮮への流入の促進など、東欧社会主義圏の崩壊を導いたような「西側の情報流入」が第1の手段としてあげられる。
 第2には、国連諸機関(国連人権委員会等)の権限が強調され、さらに6カ国協議を指す「地域的枠組みの構築」が指摘される。しかし同時に、アメリカがあくまで独自の政策としても北朝鮮問題に取り組む姿勢は、アメリカによる「北朝鮮人権特命全権公使」が国務省により任命されることが法案で定義されている点で明らかだ。その特使は(1)北朝鮮当局者との人権に関する対話(2)北朝鮮における人権と政治的自由の推進に努める国際的な取組みを支援する。これには米国と国連、欧州共同体、北朝鮮および北東アジア諸国との対話と調和を図ることも含む。(3)北朝鮮の人権に取組むNGOとの意見交換。(4)アメリカによる財政支援対象となる団体の推薦。(5) 技術教育や交流プログラムを含む北朝鮮人権擁護改善プランの見直し。(6) 国連人権委員会決議の実施など、対北朝鮮問題の根本的な役割を果たす責務が与えられている。この特使に誰が任命されるかがアメリカの対北方針の大きなカギになるだろう。一説によれば、これまで対北朝鮮人権問題で世界各国の市民団体を支援してきたアメリカの著名な活動家がこの地位につく可能性が示唆されており、もしもそれが実現すれば、対北朝鮮の人権改善要求は極めて激しいものになる。
 本法案は、最後に再び脱北者問題に一項を儲け、そこでは脱北者の保護を国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)との協力の下中国国内で積極的に行う事が強調されている。具体的には、「脱北者が国連難民高等弁務官事務所の職員との有効な接触を持つこと」が補償されなければならない。実際、これまで中国政府は脱北者を難民としては認めず、不法入国者として逮捕してきた。UNHCRはこの処置に対し、これまで全くの無力さを明らかにしており、今回の法案はアメリカ政府が中国とUNHCRの「仲介者」として、UNHCRが「難民保護任務を効率的に遂行する」ことを推進すること、そのためには「中国国内の北朝鮮難民の中から人道支援活動に十分経験を持つ者」や「中国国内の北朝鮮難民への人道支援提供の実績を持つ適任の非営利団体と自由に契約を結ぶ」こと、「『保護最優先』の方針を採る多国間協定の締結達成に努力する」ことなどをUNHCRが積極的に取り組むことを求めている。さらに、仮に中国政府が難民保護に転じた場合は「米国を含む全ての国々および関連国際機関は中国国内における人道支援レベルをよりいっそう高め、北朝鮮難民の存続滞在に関連する費用負担に協力」つまり中国への資金援助も惜しまないことが述べられている。
 北朝鮮人権法案が脱北者救援と北朝鮮への情報流入を骨子としていることがお分かりになられたと思う。では、この法案に見られるアメリカの対北朝鮮政策をどう見るべきだろうか?

対北朝鮮軍事攻撃は可能性が薄い

 まず、一部で囁かれているような、アメリカによる近い時期の軍事的対北朝鮮先制攻撃は、少なくとも本法案を見る限り殆どその可能性はありえない。もしも北朝鮮が公開核実験などの極端な挑発的軍事行動に出た場合はこの限りではないが(おそらくその場合は真っ先に動くのは中国政府である)アメリカがまず対北朝鮮政策を武力行使ではなく東欧型の亡命者誘発による崩壊路線をまず主軸にしたと見るべきだ。この方針は時間も必要であり、何よりも中国の協力が必要となる。中国の脱北者への姿勢変更と、UNHCRによる脱北者保護が強調されているのはこのためであり、これは本法案が、国連を無視してでも早急な民主化と独裁政権打倒を目指した、一部ネオコン主導の『イラク自由化法案』とは本質的に異なる事を意味している。
 アメリカが中東の民主化と、イスラエル・パレスチナ問題の解決(パレスチナ独立による平和共存)を、現在最も重要な外交課題としていることは明らかであり、北朝鮮問題はあくまで第2儀的な重要性に留まる。その限りで、中国との決定的な対決の危険性がある対北武力先制攻撃の可能性はそもそも薄かった。そして、ここでの国連重視姿勢には明らかにイラク戦争後の混乱に関するアメリカの反省が見られ、ネオコン路線がアジアにおいては前面に出ないよう修正されていることが読み取れる。逆に、国連及び、各国の脱北者支援NGO、そして、脱北者自身による救援活動(これは決して非現実的なものではない。現実に中朝国境ではNGOの案内人や連絡係などで救援活動を行っている脱北者が数多く存在する)への支援が強調されているのは、まさに『平和的な北朝鮮人権改善=体制打倒』の可能性を追求する姿勢の現れである。
 現在、中米間でどのような対話がなされているのかはいまだ明らかではなく、現時点(12月末)の情報によれば、中国の脱北者取締りは強化されこそすれ弱まってはいない。しかし同時に、北京市内などの様々な場所で再び脱北者の駆け込み亡命が続出していることも事実である。この点でも、ブッシュ第2期政権が正式に発足し、停止中の6カ国協議が開催、もしくは頓挫いずれかの結果が出る来年度2,3月に大きな情勢の転機が見られる可能性がある。その意味でも繰り返すようだが、現場での脱北者問題や北朝鮮人権問題への取り組みに責任を持つ「北朝鮮人権特命全権公使」が誰になるかが注目される。

経済制裁という『鞭』 脱北者支援という『飴』

 ここ日本では、拉致問題に対する北朝鮮の余りにも非人道的な態度に対し国民の怒りは再び高まりつつある。横田めぐみさんの遺骨と称し、何ら関係ない別人の遺骨を渡してくるなどの好意は、まさにかの国のテロ国家・工作員国家としての性格をそのまま反映したものだ。対北朝鮮経済制裁は、日本国が抗議の意志を示すために当然の行為である。しかし、同時にアメリカと連携しての対北朝鮮包囲網を確実なものとするためには、日本政府自身が脱北者救援に対し一歩踏み込んだ政策を提示する事が是非とも必要である。経済制裁という独裁政権への『鞭』は、脱北者救援という、北朝鮮の抑圧された民衆への『飴』と同時に行われてこそ、このアメリカの方針にもかない、積極的な支持を得ることも出来るだろう。
 現在の政治家の中で、この点をマスコミや講演会などで明確に発言した与党政治家は安倍晋三幹事長代理であり、自民党、民主党などで討議されつつある、日本版『北朝鮮人権法案』にも脱北者保護が盛り込まれることが期待される。脱北者保護とは、日本国が大量難民を受け入れるなどの極論ではない。脱北者が、中国にさえ逃げてくれば、UNHCRによる正当な保護を受けられる環境を整備することで充分なのだ。彼らの多くは韓国亡命を希望している(既に韓国内に親族が亡命している人も多い)。国外での自由な政治活動を求める者や、政府高官やその親族、またアメリカに親族のコリアンがいる人々は米国への政治亡命を希望するものも、少数ではあるが見られるだろう。彼らに関してはアメリカは受け入れる姿勢を法案内で示している。
 そして、日本入国を希望する可能性があるのは、脱北者のうち、1959年以降、朝鮮総連を中心にした『北朝鮮は地上の楽園である』という宣伝に騙されて、帰国事業で北朝鮮に渡った在日コリアン並びに日本人配偶者、もしくはその子孫の場合が殆どだ。
 現実に、ここ日本には既に数十人の、このような「帰国者」達が救援団体の援けや自力で入国を果たしている。現在、朝鮮総連が有している財産は不当に在日コリアンから強奪したもので、本来ならば、全てが没収されて彼ら帰国者達の日本生活支援に使われてしかるべきものである。特に、『3年たてば里帰りが出来る』と騙され、多くが日本に帰りたい、返してくれという声を挙げただけで抹殺され、生き残った人々は今も望郷の念に駆られている日本人妻達の悲劇を思う時、小泉首相が第2回訪朝帰国後総連に御礼のメッセージを送ったことは、人道的にも、歴史的にも許し難い行為なのだ。

日本の武器は対中ODA停止と北京オリンピックボイコット

 金正日独裁政権の一日も早い崩壊を望む心情からすれば、アメリカの対イラク姿勢と鑑みて、人権法案に見られる対北朝鮮姿勢が微温的過ぎるように思う人の心情は理解しうる。しかし、私達は、戦争と革命という手段が、たとえ目的は正しくとも余りにも多くの犠牲を伴う事を20世紀の歴史を通じて学んできたはずだ。テロ・拉致・飢餓の全体主義国家北朝鮮の体制の存続を今後も許すことがあってはならないが、その打倒手段はあくまで平和的、漸進的な、犠牲を最小限に留めんとするものでなくてはならない。そのためには、脱北者救援の体制をアメリカと連携して中国国内での確保、同時に北朝鮮国内に、脱北もしくは国内での内部改革を呼びかけるためにも多数の情報を流入することにより、この全体主義体制を大きく揺さぶること、可能ならば一気に崩壊に導く事をまず試みるべきである。現在太陽政策という思考停止に陥りつつある韓国政府もまた、脱北者救援と言う目的に反対する事は出来ないはずだ。
 日本はこの目的のために、中国の姿勢を変えさせるための大きな切り札を二つ有している。一つはよく言われる対中ODA削減もしくは停止である。しかし、さらに有効な武器はもう一つある。それは2008年の北京オリンピックボイコットを中国政府にちらつかせることだ。
 「中国政府が、これ以上我が日本国民を拉致した北朝鮮政府を側面から支持し、拉致問題を6カ国協議で取り上げることに消極姿勢を示し、かつ、本来わが国の国民でもある日本人妻を含む脱北者を不当に弾圧し続けるのならば、日本国政府は北京オリンピックをボイコットする可能性がある」この一言を発するだけでも、おそらく中国政府にはかなりの影響をもたらす筈である。昨年のサッカー競技場での反日暴動一歩手前の暴挙に対し、北京では、中国政府は4万人以上の警官を動員しても防止しようとした。北京オリンピック開催資格が問われる事を恐れたからである。
 日本国が、対北朝鮮経済制裁、脱北者支援、そして中国政府に対して、北京オリンピックボイコットという3つの外交的武器を作動する時、おそらく戦後初めて日本国は大々的にアジアの外交舞台に踊り出ることになるだろう。日本国は今、平和的な独裁政権打倒と、日本国のアジア人権外交におけるリーダーシップ確立という二つの大きな好機を得ているのだ。この好機を逃す時、北朝鮮問題は中国とアメリカのパワーゲームの中でのみ処理されてしまうだろう。最早時間はない。家族の一日も早い帰国を待つ拉致被害者家族にとってだけではない、日本国にも、余り多くの時間は残されていないかもしれないのだ。(終)

本稿は、「中国事情 −民族問題研究―第2号」という保守系雑誌に掲載したものです。他にも東トルキスタン問題、チベット問題などの論考が掲載されている雑誌(1冊500円)ですので、興味のある方は三浦までご連絡いただければ見本誌等を郵送いたします。

空虚化する「国家」と「言論」

以下の文章は、2001年6月に保守系ミニコミに書いた原稿です直接北朝鮮問題と関係はないのですが、現在(2005年1月)話題になっている、安倍・中川両議員やNHK報道のあり方と一部共通する問題もあるように思えて投稿します。(三浦)

「あなたは国益と言論の自由、どちらが大切と思いますか。」

 最近、テレビで田原総一朗氏が、政治家相手に何度も口にする台詞がこれだ。問題になっている報道規制の法案についてはさておく。この質問と、「どちらも同じぐらい大切です。」と平然と答える政治家の反応を聴くたびに、ああ、この国では国益も言論の自由も、共に危ういものになりつつあるのだなあと思う。

 この質問がつまらないというのではない。 それどころか、近代民主国家において、言論の自由とプライバシーの関係、政治家の情報公開と国家機密の関係は、簡単に答えの出ない難問である。その重要な問題が余りに軽々しく語られ、しかもすぐに一言で答えられるほど単純な問題だと見なされていることが、現代日本マスコミの言葉と思想の退廃ぶりを表している。

 言論の自由が自由として機能するためには、かっては国家権力の専制支配に抗しなければならない時代があった。しかし、言論の自由の敵は抑圧だけではない。言論を発する側が、いかに自らの言論が他人を傷つける可能性があるか、国益や社会全体にマイナスの効果を与える可能性があるかを内省する姿勢を欠くことこそが問題なのだ。現代社会では、言論から自由の価値を奪うものは言論人自身の無責任さと自己内省力の欠如であり、これはかっての専制支配よりもむしろ言論の自由に危機を与える。専制支配は言論を封殺することが出来るだけで、言論そのものの価値を決して滅ぼすことは出来ない。しかし、無責任で内省力に欠けた言論は、言論そのものを堕落させ、言論の自由それ自体を、価値なき物と見なさせかねないからだ。

 さらに、この問いに余りにも簡単に答える政治家の顔を観るたびに、私はこのような人々が国民の生死にかかわるかもしれない政治的選択を、同じように軽々しく行う場面を考えてしまう。

 現在のような大衆民主主義の社会で政治家を志すものならば、国益と表現の自由や国民の知る権利が根本的に対立する可能性があり、その時には自らの政治的信念や国益のためには、時には「高貴なる嘘」をつかねばならない時が来るかもしれないこと、それが明らかになったときには、全責任を自らが引き受けなければならないことぐらいは、当然覚悟していなければならないはずだ。質問に対し、「田原さんはどんな時でも、ジャーナリストとして国益よりも言論の自由や知る権利を優先する信念を貫いてください。私は政治家として、自らの責任においてギリギリのところでは国益を優先するという決断をせざるを得ないでしょう。」という程度の切り返しが出来ないような政治家と、初めから「言論の自由」なるものがいかに現在において堕落した価値になってしまったかに思いを致さないジャーナリストが、いざと言うときに国益も言論の自由も真に守れるはずがないのだ。

 もう一つ、余りにも意外な発言だったので強く印象に残っている言葉がある。李登輝前台湾総統の来日に際して、ビザ発給に反対の意見を、参議院議員の田英夫氏が4月18日朝日新聞朝刊に掲載した。このような説自体は、それこそ言論の自由の観点からあってもよい。むしろ当初ビザ申請は出ていないと言ってごまかそうとした外務当局の姑息な処置よりも、明確に中国よりの立場から反対論を表明する姿勢の方が遥かに筋が通っているだろう。しかし、田氏はこの中で次のような発言をしているのだ。「(訪日は)『人道上の問題』だというが、人道や人権という言葉が非常に安易に使われている。(アメリカのように)人権や人道という言葉を戦争の理由に使うことだってありうる。人道や人権は、必ずしもオールマイテイではないし、政治や平和の上にある存在でも無い。」 

 私はこの言葉自体は、実は全面的に間違っているとは思わない。しかし、田氏は社民党・護憲連合に属する政治家である。これまでの自らの政治党派が表明して来た意見は一体なんだったのか。日本は当時の政治的環境を言い分けにせず、人道的立場から戦前の行為をアジア諸国に詫びよ。平和と憲法9条は、現実政治の力学を越えた理想の体現であり死守すべきだ。万が一侵略を受けても非武装で抵抗せよ(それでいながら北ヴェトナムによる南の「武力統一」全面支持と北朝鮮へのシンパシー)。田氏らは、まさに「人道や人権(いずれも党派的、恣意的なものだが)」を明らかに「政治や平和」の上において来たはずではないか。本来なら、これまで田氏を支持して来た人権派団体は、この発言を人権を政治の下に置く許しがたい国家主義として断固抗議すべきである。

 しかし、この混迷は実は田氏一人の物ではない。戦後民主主義、戦後平和主義がいよいよ末期的段階に入ったことの現れなのだ。かってナチスドイツがチェコを侵略したとき、英仏はミュンヘン会談でヒトラーに妥協し、「平和」の為にチェコ民衆を見捨てた。そして今日、日本も韓国も、平和のためには北朝鮮で独裁者に虐殺される民衆を見捨てている。「平和」の価値が他国で行われている暴虐な現実を見ないことによって保たれるという現実、そのような「恥ずべき平和」を至上の価値とすることによって、「平和」という概念自体が堕落して行ったことに、いまだに気づかない鈍感な人々がいるのだ。

 国家も、国益も、民主主義も、人権も、言論の自由も、平和も、いずれも重要で大切な近代的価値概念である。そして、それこそ政治党派やジャーナリズムによって「非常に安易に」使われすぎ、このいずれもが本来の価値を失いつつある。この流れが加速して行く先に来るのは、あらゆる価値感が崩壊した荒涼たる世界である

全体主義国庫との和解は不可能である 三浦小太郎
(以下の文章は小泉首相の第1回訪朝直前に書いたもので、本来なら書き直すべきものですが、あえて初出のままにしました。この表題を今後は訴えて行きたいと思います。
 金正日政権との和解は不可能である! 小泉首相は、九月十七日の北朝鮮訪問を電撃発表した。政治家の行動の評価は原則的に結果において問われるべきであり、現段階(九月四日)において性急な評価を下すことは避けねばならない。しかし、正直、日本政府の現在の姿勢では、相手側のペ−スにはまる危険性はかなり大きい。

 北朝鮮は、よど号犯の実行犯による拉致事件の被害者を、まず取引材料として前面に出して来る可能性がある。このときの対応が大きなカギになる。勿論、政治外交は取引が必要であり、一刻も早く被害者家族の対面を実現しなくてはならないことは明らかだ。しかし、どんなに難しくとも、ここで少なくとも日本政府が認めている被害者に関しては、全員の安否を最低限確認することである。このことは最低限、総理が行く以上、相手に要求しなければならない。
 交渉のテクニックとしてはともかく、これは国交交渉とは全く別次元の、国家犯罪に対する正当な要求なのだから。
 元々、小泉内閣の最大の問題点は外交におけるグラウンド・デザインが欠如している事であった。今回の訪朝は、「かなり早い時期から水面下で交渉が進んでいた」と日本政府は述べているが、もしそれが事実だとするならば、少なくとも現在の北朝鮮及び東アジア全体の情況をよく踏まえた上での交渉であったとは言いがたい。なぜなら、あの瀋陽領事館事件は、北朝鮮を巡る大きなファクタ−の一つである難民問題に対し、日本政府が全く無知であったことをさらけ出していたからである。
 確かに日本国首相の最も大切な課題は、国家主権と自国民の生命・人権の保護である。まず拉致された日本人被害者を救い出すことが優先されるのは当然のことだ。しかし、同時にあの拉致事件は狂気の独裁者が思いつきで行ったことではない。明確に韓国を武力・謀略で征服しようという国家戦略の元になされた行動である。北朝鮮はいわゆるテロ国家であると共に、ヒトラ−、スタ−リンと同じ全体主義国家である。この視点を抜きにした対北朝鮮外交や分析はあり得ない。
 全体主義国家は、単なる軍事独裁国家や侵略主義国家とは全く異なる。二十一世紀を代表する政治思想家ハンナ・アレントが著書「全体主義の起源」にて厳密に分析したように、全体主義体制は、国内・国際秩序における安定がかえって体制の危機を招くがゆえに、常に「敵」を内外に必要とする。本質的に国際社会において、平和と自由を価値とするならば存在を許してはならない体制なのだ。
 北朝鮮は、一九六一年における金日成演説において「(労働)党の思想に反する一切の不純な思想」をブルジョア思想として拒絶、(外に)帝国主義が存在し、(国内に)階級闘争が続く限り、妥協の無い闘争を続けると声明している。これを単に独裁者の妄想と思うと間違う。ヒトラ−がかつて「ユダヤ人がいなくなれば、ユダヤ人を作り出さなければならない」と述べたように、全体主義体制は国家権力の安定を拒絶する永遠のテロリズム体制である。アレントの分析によれば、全体主義体制は特定の思想を有するいわゆる反体制運動を弾圧対象にするのではなく、無差別にすべての国民をテロルの対象とする。
「誰が階級闘争の敵か」は全く恣意的に決定され、抹殺(家族ぐるみで)の対象となる。この体制はスタ−リンやヒトラ−と同じく、むしろ国内に反対派がほとんどいなくなってからのほうが粛正は激しさを増して行く。六七年には金日成は「搾取階級はすべて清算された」が、「外部からもぐりこむ敵対分子」「覆された搾取階級の残存分子」との戦いはあくまで続く、と述べている。これ以降、北朝鮮では、日本からの帰国者を含め、全く罪も政治意識も無い人々が、ただ現在の社会に一言不満をつぶやいただけで収容所に送られるような完全な全体主義・相互密告システムが確立して行く。
 そして、この体制は国際的にも、常に緊張と不安定要因、つまり「敵」の存在を必要とする。これは通常の国際関係における国益の衝突とは全く違う次元の問題である。
 国内において全体主義体制を維持するためには、外部はすべて敵であり、自分たちに対し、ひそかに攻撃を準備していることを常に宣伝し続ける必要があるのだ。この意味で、単なる軍事独裁国家ならば交渉も「国益」を持ち出せば可能だが、全体主義体制に対しては,原理的に不可能である。あの南北首脳会談での対話へのポ−ズなどは、全て一時的な政治手法であり、国内における全体主義体制の変革無くしては本質的なものとは見なすべきでない。仮に拉致被害者全員が救出されたとしても、それによって、本質的にテロリズムを必要とする体制が存続している以上、別の形で国際的なテロ行為が再現される可能性が極めて高い。
 このような国家は、必然的に国内に恐怖と弾圧の極限としての強制収容所と、国内で敵と見なされた人々の国外脱出、いわゆる「難民」を生み出す。北朝鮮難民は飢餓から逃れるためだけに脱出して来るのではない。たとえ当初は食料を求めて脱出して来たとしても、北朝鮮刑法により、無断での出国それ自体が反国家的犯罪と見なされ、国内「新たな敵」の対象とされるのだ。それでも飢餓と抑圧に絶え兼ねて脱出する難民は後を断たないが、数回に及ぶ強制送還を受けた者は強制収容所に送られる。
 生きるための最低限の行動すらが、北朝鮮政府とそれに協力する中国政府により、死をもたらすほどの犯罪と見なされているのだ。この問題について全く無知としか言いようのない対応が日本領事館において成され、難民を単なる食料難民とし、彼らが全体主義体制の本質的な犠牲者であることを無視したような発言(和田春樹、徐勝など)が見られたことは残念としか言いようがない。
 全体主義体制に対しては和解は不可能であること。手段は様々な議論があってよいが、相手国の体制を変革させるしか道はないこと、これが日本国の外交方針において内密にであれ決定されなければならない。それこそが「平和と人権」への外交路線である。


魔法の丘を守るために
                           

(こちらの文章も、平成12年冬に書いたものです。北朝鮮問題と直接の関係はないように思われるかもしれませんが、独裁者と戦った優れた知識人の好例としてお読みいただければ幸いです)

 私だけではなく、多くの少年少女共通の思い出であろうと思うが、小中学生時代に最も愛読した小説は、A・A・ミルン『くまのプーさん』とヒュー・ロフティング『ドリトル先生シリ−ズ』だった。 このニ著についての解説書が最近世に出た。『くまのプーさん、英国文学の想像力』安達まみ(光文社)と『ドリトル先生の英国』南條竹則(文春新書)である。いずれも作品と著者への愛情溢れた好著であり、もう一度本棚の隅から少年時代の思い出とともにこれらの本を取り出させてくれる。そして、これらの優れた解説書が私たちに教えてくれることは、これまで考えていた以上に、このほぼ同時期に書かれた英国児童文学書の著者が、二つの世界大戦の時代的影響を強く受けていたことである。
 「ドリトル先生シリ−ズ」は、分かりやすい形でその影響が映し出されている。元々、動物の言葉が分かるお医者さんという主人公の発想自体が、戦争で負傷した兵士が手厚い介護を受けているというのに、輸送や戦場で多くの役割を果たしていた軍馬が、充分な手当てを受けることも無く苦しんでいる有り様から思いついたものだ。
 ドリトル先生は随所で平和への愛を語り,戦争や差別を批判する。そして、これは南条氏の著作に教えられたことなのだが、第二世界大戦戦時下に書かれ、戦後に出版された最後の大作『ドリトル先生と秘密の湖』に、侵略主義の権化として現れるマシュツ王は、ヒトラーをモデルにしていた。ロフティングが常に平和と自由を愛し、動物たちを含む社会的弱者に暖かい目を向けていたこと、その視点からヒトラーに象徴されるナチズムを激しく批判していたことは、今読み返すと率直に伝わってくる。
 ミルンの『くまのプーさん』の場合は、このロフティングの場合のように作品そのものに戦争の影が差してはいない。しかし安達まみ氏の要を得た著書により、私はロフティングの場合よりさらに感動的な、時代と作家のドラマを知ることができた。『くまのプーさん』は一九ニ六年、続編の『プー横丁にたった家』は一九ニ八年に書かれた。いずれも、子供時代の夢のような日常がほほ笑みを誘うエピソードで綴られている作品である。背景を彩るイギリスの美しい自然と共に、いつ読んでも私たちを夢の世界に誘う。
 しかし同時に ミルンは、子供時代が、どんなに輝かしいものであれ、いつかは終わりを告げるものであることをよく知っていた。『プー横丁』の最終話「魔法の丘」程、美しく切ない「子供時代との別れ」を描いた文章はない。主人公の少年クリストファーロビンは「一番好きなことは何もしないでいること」という。少年少女が「何もしないでいる」時間というのは、大人からは単に無為に過ごしているようにしか見えなくても、その心の中では、クマのぬいぐるみが語り、歌を歌い、蜂蜜やお菓子を楽しみ、そして共に美しい野原を駆け回る。これはまさしく子供にとっての現実なのだ。しかし、ロビンはプーに語りかける「ぼく、もう何もしないでなんか、いられなくなっちゃったんだ。」この「魔法の丘」を旅立ち、学校や社会、そして現実社会の人間関係の中に出て行かなければならない瞬間の寂しさを、ミルンは永遠の文章に書き記した。
 ミルンは政治面でも平和主義を唱えて積極的に発言し、第一次世界大戦後、国際連盟を全面的に支持した。「平和」という言葉は、現在様々な政治的な色に染められ、その純粋な価値を失っている。しかし、ミルンの平和主義はいかなる左右の思想にも流されず、戦争を断固拒否し、しかも、当時のイギリスの植民地をも解放するべきことを提唱していた。この点はどこかイギリス帝国主義に甘い面があったロフティングよりも遥かに首尾一貫したものであった。だが、ヒトラーの台頭、そしてムソリーニのエチオピア侵略という現実の中で。ミルンは自らの平和主義を自己批判し、全体主義は文明の敵であり戦わなくてはいけないことを宣する。ミルンはドイツ国民は敵ではないと、対独戦争開戦の日にも語り続けた。ヒトラーではなく民主的政府となら、いつでも和平に応じる。しかし「平和条約に私達が掲げる第一の条件として、疑う余地なく全体主義国家は文明世界に存在してはならないことを確認しようではないか。」そして、戦場に赴く兵士たち(その多くはミルンの童話を手に取ったことがあるに違いない)に、この戦争の意義を説明した。抑圧の犠牲者を解放するため、祖国が抑圧下に置かれないようにするため、そして、いかなる国も、抑圧者を恐れる必要がなくなるため、この三つの為に私達は戦うのだ。「これらの価値のためにも戦う価値がないとするならば、戦う価値があるものなど、どこにもありません。」
 ミルンほどの徹底した平和主義者は少ない。それはいかなる伝記的事実よりも、彼の作品を読めば分かることだ。ブーの世界にはあらゆる感情が生き生きと描かれているが、ただ一つ、憎しみだけは描かれない。これは、憎しみだけが自らのエネルギーであったヒトラーやスターリンとは全く正反対の精神である。そのミルンだからこそ、単にイギリスを守るためだけでなく、恐怖によって世界を支配し、「プーとロビンの魔法の丘」を滅ぼそうとする全体主義者たちに対し勇気ある戦いを挑んだのだ。
 今、北朝鮮ではこの冬の食糧難で再び数百万の子供達の生命が失われかねないという悲劇が訪れる可能性があると言われている。
 誰しもこの言葉を聞けば胸が痛む。しかし、これは単なる食糧の問題ではない。子供達から「魔法の丘」を恐怖支配によって踏みにじろうとしている金正日独裁政権が「文明社会に存在してはならないこと」が私達の対北朝鮮姿勢の原点であるべきなのだ。

 数百万の子供達に直ちに与えられなけばならないのは、独裁政権のもとで恐怖で脅えながら、また裏返しの、世界をすべて敵と見なしながら生きる生のためのパンなどではない。すべての子供達が、自由に本を読み、考え、魔法の丘をいつでも訪れることができるような社会である。

脱北者証言 
私たち家族の苦難 イ・ミラン<脱北女性> 三浦小太郎

以下の文章は、2004年3月31日に行われた、韓国の市民団体、北韓人権市民連合定例会における脱北者女性の証言録をほぼ全文掲載し、その上で三浦の簡単な解説を付けたものです。北朝鮮国内の情勢や精神状態は何よりもこのような証言が一次情報として貴重なものと思います。(三浦小太郎)

アンニョンハセヨ。私はイ・ミランと申します。2003年5月30日に北朝鮮を脱出し、同じ年の7月18日、韓国に到着しました。北朝鮮を脱出した動機はついて、簡単に申し上げます。

私は江源道のウォンサンで生まれました。そこで約24年間生活し、結婚後の25年間は咸境道茂山郡に住んでいました。皆さんもご存知とは思いますが、北朝鮮の状況が悪い方へと転じていったのは、1990年代のことです。その頃のことをお話します。1991年度から食料事情が悪くなり、配給がなくなりました。それでも、95年度までは、数ヶ月に一回の割合で、半月分の食糧配給がありましたし、名節のときなどは、二日分の配給がありました。しかし、95年以降はそれすらも打ち切られました。特に95、96、97、98年度ごろが、最も苦しい時期でした。その時期に沢山の人々が飢え死にをしました。通りに出ると、道端に死骸がごろごろしていました。さらには清津、咸興、チョンソン、平壌のような、大きな駅の待合室でも死骸を見るようになりました。その光景を見て、言葉を失いました。

(三浦)北朝鮮の食糧事情が急速に悪化し、餓死者が続出するようになったのは食糧配給が停止した90年代以降というのは多くの脱北者の証言が一致するところです。これは旧ソ連を初めとする社会主義圏の崩壊が影響している事は疑いを得ませんが、より本質的には、北朝鮮独裁政権の誤った経済政策や外交が完全に破綻したという事でしょう。現在、竹村健一氏のような保守派すら『最近は北経済は上向き』などという『妄言』をはく人がおりますが、後述するようにそのような事実は全くありません。根本的にはあの誤った体制そのものが倒れない限り経済体制だけ上向きになる可能性はないと思われます。

母と夫を亡くして

96年度5月に、主人は病気(風邪)にかかりましたが、薬を求めることもできないうちに、その月のうちに亡くなりました。その後、実家の母を呼び寄せて一緒に住んでいましたが、その母も病に倒れて亡くなりました。
私には息子と娘がいます。当時長男が16歳、下の子が13歳でした。主人を亡くしたあと、生活は一気に苦しくなりました。そこで私は、食糧の買出しに沙里院に行きました。沙里院までは、電車がきちんと走っていても1日かかります。24時間もかかるのです。しかし、あの頃は食料だけでなく、電力も不足していましたから、電車が途中で止まってしまい、咸興辺りで10日間も足止めされました。私が家を出るとき、子供達に10日分の食糧を置いてきました。しかし、片道に10日もかかってしまって、帰るまでに結局は一月もかかってしまいました。
やっとのことで、わずかばかりの食料を持って帰ってみると、子供達の姿はありませんでした。母親が居ない間、頼れる親戚も居ませんでしたし、子供達は空腹に耐えかねて中国に行ってしまったのです。あの時は絶望的な気持ちになりました。一瞬にして家族を全て失ってしまいました。主人、実の母、そして子供達まで全て失って、たった一人で暮らすことになりました。

子供達は中国に

子供達の消息は、全くつかむことが出来ませんでした。いったい生きているのか死んでいるのか、心配しているところに、上の子が中国で捕まり、戻ってきました。再び北朝鮮での生活を強いられた息子は、全く改善の兆しの見えない生活に希望を持てずに、ろくに食べることも出来ないまま5ヶ月間過ごしました。そして、こう言いました。中国へ行かなくては、こんなところで暮らすことなんて出来ない、と。「家族が一緒に生活しないで、一体どこへ行こうというの。」と私は言いました。しかし、息子は死んでもここでは生活できない、と言い、2月に再び中国に行ってしまいました。そして8月、今度は下の子が捕まって戻されてきました。8ヶ月ほど一緒に生活しましたが、ご飯もろくに食べさせることが出来ませんでした。結果、物乞いをしてでも中国で生活すると、母親の私に訴えてきました。私は、お前まで居なくなって、お母さんはどうやって生きていけばいいの、と言いました。しかし、もうこれ以上耐えられない、そう言って8ケ月目のある日、再び中国へ渡りました。それ以来、一切消息が分からなくなりました。私は、何の便りもよこさないということは、きっと中国で生きているはず、そう思いながら過ごしてきました。1年半の間、一人で商売しながら、どうにか生きてきました。

子供達に会うために韓国へ

2003年、昨年5月29日。一組の男女が私を訪ねてきました。そして、息子からだという手紙を渡されました。“お母さんへ”と書かれていて、“妹と二人で、中国でちゃんとやっているから、お母さん中国の延辺まで来てくれれば、そしたらお金を渡すから”という内容でした。字をみれば息子の書いた物だということは一目でわかりましたから、その二人について行くことにしました。二人はオンソン穏城に住んでいる人で、わざわざムサンまで私のことを迎えに来てくれたということでした。ムサンからオンソンまでは、丸一日かかる距離でした。彼らは、北朝鮮人を中国に移送させるビジネスをしている人達でした。そして、彼らはこう言いました。「正直に申し上げますと、息子さんと娘さんは中国に居るのではなく、韓国に居るのです。私達は、お母さんを南朝鮮(韓国)に連れて行くと約束してきました。」私はびっくり仰天しました。なぜならば、南朝鮮というところは、人の住む所ではないと、乞食が溢れていると信じていましたから、私は恐ろしさで震え上がってしまいました。最初は、絶対に行かないと言い張りました。するとその人が「お母さん、そんなの嘘ですよ。」と言いながらひたすら説得するのでした。それでも私は行かないと言い張りました。すると、息子に連絡をしてくれると言いながら、電話を掛けはじめました。
子供の声を聴いた瞬間、まるで夢の中にいるような気分になりました。そして、「今どこに居るんだい。」そう問いかけると、「お母さん、僕達は今韓国に来ている。」と言いました。「韓国って、一体どこなの?」「お母さん、韓国とは南朝鮮のことですよ。北朝鮮で言う南朝鮮ですよ。」「どうしてお前がそんなところにいるんだい。」「お母さん、とにかくこちらへ来てください。来て見れば分かるから、ここは天国ですよ。」そんなやり取りを、ずいぶん長い時間して、最後には押し切られました。あくる日、5月30日にその人達の案内で豆満江を渡りました。夜6時半に、彼らの手に捕まりながら豆満江を渡りました。中国へ来ても、捕まることを恐れて民家に泊めてもらうことも出来ません。私達は山奥の穴蔵で10日間隠れていました。その間にも息子に電話をしました。隠れている場所を告げると、迎えの人がやって来ました。山奥で約40日間、出歩くことも出来ないで隠れていました。そして、やっと旅券が手に入り、去年7月18日、無事韓国入国を果たしました。

(三浦)脱北者の典型的な一つのパターンだと思います。まず、『北朝鮮では生きられない』という意識が中国脱出を決意させ、そこで外の世界の情報を耳にし、韓国亡命を決意する。北朝鮮国内はまだまだ完全に情報が遮断されていますから、この母親のように、『韓国はこじきの国(どっちや)』などという情報操作がまだ生きているのですね。中国に逃げた息子が、何らかの韓国の救援団体などと接触し、そこで韓国の実体、北朝鮮がどれだけ世界から遅れているのかを知ったのでしょう。
そして、一部マスコミなどで『脱北者を助けることを商売にしているブローカーがいる』という記述が見られる事があります。これ自体は事実かもしれませんが、人身売買に関わったり高額な請求をしたりする悪質なブローカーがいる事も事実ですけれども、このように現実に人を助けている人もいる。彼等は中国政府に捕まれば犯罪者として取り締まられ、高額な罰金や厳しい罪にとわれるわけで、ある程度の手数料を要求することは私は当然と思います。問題は、このような、生きるためにやむおえず北朝鮮を脱出した人々を、逮捕し『生きてゆけない国』に強制送還する中国政府にあります。

経済改革以降の北朝鮮

2003年5月以降のことは分かりませんが、98年度ごろから、食糧難で人々はぎりぎりの生活をしていました。99、2000、2001、2002年、私達は苦しい生活を強いられました。配給は、1年のうちで大きな節日、お正月二日、2月16日の金正日誕生日に2日分ずつもらいましたが、その他の配給はまったく無くなりました。自力で食べていかなければならなくなりました。それでも、機転を利かしてちょっとした商売でもできる人々は、何とか生活していくことが出来ました。2003年度からは食料事情がもっと悪くなって、1月には草も生えていなくて。北朝鮮では4月末からようやく芽が生えるんですよ。その頃になると、人々は一斉に山へ出かけていって、片っ端から草を抜いて食べてしまうのです。草なら何でも、クローバでも何でも摘んでいって、煮たり炊いたりして食べるんです。トウモロコシの粉を100g程交ぜて、それを釜に入れて焼いて、それが実情です。とても人の食べるものとはいえません。

白米を口にてきることなど全くありませんでした。一番のご馳走が、トウモロコシ蕎麦です。それもそのまま食べるのではなく、煮てふやかしてから、草を混ぜて水をいっぱい注いでから食べるんです。米を食べているのは幹部、安全部、そんな人達だけです。一般の人々は、草の粥で食いつないでいる、というのが現実です。

北朝鮮で次に困ったことが、薪が無いことでした。木が本当に貴重でした。ムサンは山里であるにもかかわらず、木が一本も生えていないのです。なぜかというと、何年も前から木を伐採してしまって、山は丸裸になってしまいました。山頂まで全部畑にして、トウモロコシやキビ、豆などを植えて食べます。山で木を探そうとしたら、相当奥まで行かなくてはなりません。人々が住む場所に近い所にある木は、すべて切ってしまって無くなってしまいました。主人が生きているときに、薪を採りに出かけましたが、早朝5時半に家を出ました。6里ほど奥まで行って、わずかばかりの薪を持って帰る頃には、夕方4時から5時になります。それでもって何日か暮して、また同じように採りに行っての繰り返しです。夏は暑いので木を切ることが出来ません。冬の仕事です。1年分の薪を冬に集めるのですから、全家家族総出で薪集めにかかります。木に紐を結んで6里の道をひいてきます。平たい道ではなく山道ですから、本当に大変な仕事です。食べるだけでも一苦労です。電気もありません。供給されるのは、1月1日2日と、2月16日とその次の日4月15日とその次の日だけです。韓国へ来てから、街燈が点いているのを見ては、ああもったいない、北朝鮮に送ってあげたい、そんなことを思います。北朝鮮の生活水準は、原始時代レベルだと言っても過言ではないでしょう。本を読んだりテレビをみたり、現代人ならば当然のことも出来ずに、特に冬場は夕方の5時には日が沈んでしまいます。ランプの油も貴重品でしたから節約をして、ですから5時には早目に床に入ります。一眠りすると、10時ごろに目が覚めてしまいますが、真っ暗で何も出来ないのでとにかく寝ます。朝も薄暗い中、明かりもつけないで食事をこしらえて食べていました。

子供達もお腹がすいていますから、学校へは行ずに私の商売の手伝いをさせて、そして畑仕事もして。山里のようなところは、すべて畑です。1年に700kgから800kg程の収穫があります。そういうことが出来る人々は、収穫で重湯などを炊いて食べたり、売ったりします。農業も商売も出来ないような人々が、飢え死にしても誰が驚かない世の中でした。昨年5月に脱北するまでは、そのような暮らしをしていました。

(三浦)こういうお話は胸が痛みますが、ある脱北者の方は私に『自分は草を一トンは食べたよ』と笑いながら語ったことがあります。私達が食べる野菜と違って、雑草の中には毒性のものもあり、それで命を落とした人も沢山おります。
そして、ここで述べられている事が、北朝鮮経済改革の実態です。90年代の飢餓で、ある意味では、おとなしく法律を守り、政府の配給復活を待っていた人々は次々と倒れていきました。闇市がはやり、海外からの援助はそちらに流れます。確かに、『商売』という概念が北朝鮮に入り、それなりの地位にいる人や、元手を持っている人が今成功している事例はあるかもしれませんが(このような有様を一部の人は経済改革の兆しと見なすのでしょう)逆に物価の高騰を招き、仕事やお金のない人々はますます生きていけません。

質疑応答

“ちり紙、トイレットペーパー、トイレは?”

ちり紙なんて、見たこともありませんでした。そんな物があることすら知りませんでした。そのようなものは、多分中央党の幹部達しか使っていなかったと思います。学生達が学習に使った紙を使ったり、農村ではトウモロコシの皮などを代用しています。北朝鮮で一番大きな新聞が労動新聞なのに、それすらも紙がなくて発刊できない有様でした。原料になる木がないのですから、紙を生産することが出来ないのです。子供達がそんな紙を使えば、肌がガサガサになるし、給水も良くないし。

“沙里院は食糧事情がいいと聞きましたが”

少し前まではそうでした。でも今は沙里院でも、食糧が不足しています。それでもムサンで米が100ウォン位するとすれば、そちらへ行けば役半額、50ウォンほどで買えます。ムサンで中国の物品を買って、それを沙里院に持っていって高い値段で売ります。そして米を買ってリュックサックに入れて担いで帰ります。

“農業が上手くいかない理由をご存じですか”

土地は沢山あるのに、地質が悪く作物が育ちにくい上に、肥料もないからです。やせた土地にいくら穀物を植えても実りは少ないのは当然です。350万トン生産することが出来れば、北朝鮮の人々は食べるのに困らないですが、実情は100万トンも生産する事が出来ないのです。それでも韓国のように経済が活発に運営されて、輸出をしたり輸入をしたり、そういうことが出来ればいいのですが、北朝鮮は基本となるお金がありませんから、米も買うことが出来ずに、そのせいで食糧が殆ど底ついてしまった、というのが私の考えです。

“金正日政権は、いつ亡びると思いますか?”

いつかは亡びると思いますが、金正日が死んだとしても、また同じような後継者が出てくるでしょう。そうして代々受け継がれていくうちは、北朝鮮政権は亡びないと思います。何故ならば、一般市民は飢えていますが、軍隊や支配層にいる人々、政権を握っている人々は、飢えを知りませんから、そういう人達が政権を変えようなんて思うはずがないでしょう。底辺に居る人だけが、早く南北が統一されていい暮らしが出来るように願っていて、上層部に居る人々は、そんなことは望んでいません。何もかも保証されている立場の人間が、自分の地位を危うくさせるようなことをする訳がありません。幹部達は党から言われた仕事をこなしていればいいのですから。

“銃を撃ったことがありますか?またそれは、いつ頃ですか?”

はい。赤い青年近衛団というのがあります。高等中学校5年生になると、義務的に半月間、赤い青年近衛団に入って訓練を受けますが、最終訓練の時に実弾を撃ちました。

“経済難以降、女性への負担は?社会主義体制の中で、以前には感じなかったことは?”

食糧供給がめちゃくちゃになってから、男達は職場に出勤して仕事をして。しかし、職場に行ってもお金ももらえないし、配給表をもらってきても、配給制度が崩壊していましたから何にもなりません。ですから、女逹が家族を養うしかないのです。北朝鮮で言う母系氏族社会が帰って来たと言いながら、男達のことを番犬、昼の電燈(点けても意味がない)、風景画、こんなふうに呼んでいました。そうです、男達のする仕事が一つもないのです。女性達が商売でも何でもやります。国家で配給を少しでもしていた時代は、民衆には商売を禁じていました。商売をすれば、捕まえられて収容所送りになって、監獄に入れられるということでした。ところが人々が飢え死にするようになってから措置がとられて、農産物だけは売ってよいということになりました。一切の工業品の販売は禁止、農産物だけ売りなさいと、こんな指示下りましたが、国家でもある程度目をつむっていましたから、人々は市場を運営しました。市場では大々的に中国の品物売っていました。以前は中国の品物を置いたりすれが、すべて没収されました。しかし、何年か前からは、おおっぴらに売られるようになりました。北朝鮮の女逹は、男は楽だと言っています。男達は職場にさえ出勤すれば良いのですから。市場では男達のできることなど一つもありません。女逹が商売をして、家族を養っているんですよ。以前は国家から与えられるものだけで食べていけましたが、今は違います。このような状況の中で、個人利己主義というものが芽生えて、商売がちょっと上手くてお金が入るようになれば、意識が変わるのも当然だと思います。私がお金を稼がなくてはならない、こんな意欲が強まって、言わば資本主義そのようなものも芽生えてくるのです。北朝鮮のほとんどの家庭が女の手で養われている、そう思っていただいてもいいと思います。

“女性同盟活動はどのようにするのですか”

必ず参加しなければなりません。一週間に二回です。女性同盟活動は生活総和、学習講演会などを、午前中にします。午前はこれに参加して、午後から市場に出て商売します。組職生活には必ず参加しなければなりません。もし参加しなければ、女性同盟鍛錬隊に送られてしまいますから。組職生活は必ず参加して、商売は二の次です。

“北朝鮮事情が、これから良くなると思いますか?”

絶対にならないと思います。工場も稼動していませんし。原料がない、電気がいない、唯一ムサン鉱山だけが稼動していますが、多くの小企業は閉鎖しています。よくなるのは軍隊だけです。それにしても、軍隊ばかり強化して、一体どうするつもりなのでしょうね。

“韓国の各宗教団体や社会団体からの救護物品を受けとったことがありますか?”

一度もありません。工業品は一回も見たことがありませんし、薬品も風邪薬一つもらったことがありません。

“鄭周永さん(韓国の財閥、『現代』社長:三浦注)が牛を(北朝鮮に)プレゼントした事について、見たり聞いたりしたことがありますか?”

鄭周永さんが牛と米を贈ってきたというニュースをTVで見たことがあります。それ以前に、韓国から何かが贈られた、ということは一度もありませんでした。韓国から米を送ったということですが、受け取ったのはたった一度きり、鄭周永さんが贈ったというそれも、配給でお金を出して半月分を一度きり。その他、一般人のところに米が贈られた、ということは聞いたこともありません。韓国が豊かであることが分かれば、人々の意識が変わります。米軍達についても、悪い宣伝ばかりしていますし、TVも中央通路一つしか見ることが出来ませんから、国際情勢も何も分かりません。鉄窓のない監獄の中に閉じこめられているようです。決まったフレームにはめ込まれて、「こうしろ」と言われればこうして、「ああしろ」ああして、何でも「はいはい」と従わなければ政治犯収容所に送られてしまいますから。ですから、人々はされるままにします。飢えても死んでも文句一つ言わずに、共産党ですから。北朝鮮では体制が何でもしてくれますから。韓国から米が何回も贈られていることも、韓国に来てはじめて知ったんです。

(三浦)この質疑応答の部分も重要な事が語られていますね。特権や財産をもっている、今現在貧しい民衆を踏みにじっている労働党幹部が、自分たちが滅びる改革を自らするはずもありません。『金正日政権内部に改革派と保守派がいる、改革派を応援しよう』などというのは初めから限界のある話ではないでしょうか。
理想を言えば、内部から北朝鮮が改革され、北朝鮮民衆の力で独裁政権を倒せれば素晴らしい事です。しかし、脱北だけが抵抗の手段である今現在は難しい。私達が外から、独裁政権打倒の声を上げ、日本政府に、そして国際社会に、このような酷い政治を北朝鮮はやめよ、やめなければ平和と人道の敵とみなすぞ、という声を挙げさせていくことこそ、彼らへの『人道支援』ではないでしょうか。

 (証言翻訳;岡部多美子)

拉致被害者は「洗脳」などされていない  三浦小太郎
(本稿は、拉致被害者5人が帰国した後の10月末に執筆したものです。表現を多少改めましたが本論は変えていません。今回、蓮池さん監修の漫画が発表されるということもあり、当時の様子を思い出すためにも参考になればと思いました。最終部の結論に関しては現在でも全く変わらない状態が続いていると考えます。三浦)

 拉致被害者ご家族を日本政府が北朝鮮に送り返さなかったのは、まさに戦後日本外交に残る成果である(日朝首脳会談よりもこちらこそが真の勝利というべきであろう)。その後、北朝鮮側は、横田めぐみさんの娘とされるキム・ヘギョンさんをテレビ局にインタビューさせるなどの「情報戦」を仕掛けてはいるけれども、あいも変わらず特種情報に弱いマスコミは踊らせることができたが、15歳の少女をも利用する北朝鮮の残酷な詐術にこれ以上だまされる国民は少ないものと信じる。
 今回の拉致被害者5名の帰国を実現させたのは、何よりも被害者家族の団結と運動であった。確かに国際政治の現実として、ブッシュ大統領の外交政策が大きな追い風となったこと、九・十一テロ後の世界情勢の変化がもたらした影響は計り知れないだろう。しかし、どのような追い風が来ようとも、ご家族の団結やそれを支えた「拉致された日本人を救出する会(救う会)」そして国民世論の支持無くして今回の結果はあり得なかった。
 しかし、今回の拉致被害者に対しての報道に、わたしは一つ大いに気になる点がある。「洗脳」という言葉があまりにも安易に使用されていることである。
 最初に結論を述べておけば、被害者の方々は誰ひとりとして「洗脳」などされていない。これは帰国直後の記者会見で既に明瞭だった事ではないか。あのあまりにも短いコメントにマスコミは不満を漏らし、彼らの心理が北朝鮮での洗脳にかかっているのでは考えた人も多かったようだが、私は逆に彼らの精神が、このあまりにも長い悲劇の中でも洗脳などされなかったと確信し、心から喜ぶことができた。
 彼ら被害者は確かに金正日バッチをつけてはいたけれども、これは北朝鮮に子供を残し、人質を捕られている状況(しかもこの番組のみならず全ての映像や発言は平壌にも伝えられるのだから)では止む終えない。むしろ家族の救出と再会をめざすシンボルとして救う会が提唱したブルーリボンが胸にとめられていた事実の方がはるかに大きい。そして、最も不利な立場にいた曽我ひとみさんも含めて、一言も被害者の口からは、金正日政権への賛美も聞かれなければ、この帰国を将軍様のおかげだという声も上がらなかった。むしろ聞かれたのは、皆様のおかげです、という私たちや日本への感謝の声だった。
 勿論、事前に家族との話し合いなどがなされ、この日本での救出運動の高まりや様々な情報が被害者にもたらされたことは確かであろう。少なくとも北朝鮮賛歌などこの国での発言としては受け入れられないことも話されたのかもしれない。しかし、そのような説得が通じること事態が、被害者が洗脳されていないことの証しである。
「洗脳」という言葉は、ドラッグなどを使った精神破壊の場合を除けば(それはもう洗脳等というレベルではない)本来強制的にできるものではない。極論すれば「洗脳されたいという意志」を全くもたない人間の精神を操ることなど不可能であると思う。
 洗脳については、北朝鮮よりもむしろカルト教団や宗教について考えた方が分かりやすい。私たちはよく「カルトに騙された、無理やり洗脳された」という言葉を使うが、何らかの信仰への憧れを持つか、またはこの現実世界に深い疎外感を抱き、それとは別の濃密な人間関係や共同体を求める面を強く有していなければ、おそらくカルト教団に引っ掛かるはずはない。
 このような心情は決して否定的なことではない。むしろこのような心情や性格は、より良き生を求め、自らの行き方を律するために必要なものである。しかし、この心情が余りに大きくなって,個人の精神を押し包み、現実社会や他者との接点を失いかかった丁度その瞬間に,自分の疎外感や苦悩を満たしてくれそうな宗教者との出会いが生じれば、そこで安易に教団に自らをゆだねてしまうことはしばしば起こる。
 自らの存在の卑小さに悩む人が偶像を巨大化する。この世に救世主がいてほしいと思う人によって多くの偽救世主が生み出される。そして信者たちは、自らの作り上げた幻想に進んで精神をゆだねて行く。この基本的な姿勢がない限り、単に暴力的に監禁を行っても洗脳は起こらない。
 拉致被害者たちは、基本的に日本で精神確立を終えている。特に社会主義幻想や北朝鮮へのシンパシーを抱いていた人はまず含まれていない。彼らは北朝鮮という全体主義国家で生き延びるために、その体制や思想に多少順応(受け入れるのではなく)はしなければならなかっただろう。その上で、恐怖による支配(北朝鮮のような全体主義国家は、恐怖によって人々を支配する。これがテロ国家ということの真の意味である)のもと、彼らの精神が多少影響を受け萎縮した面は無きにしもあらずだろうが、それは洗脳とは異なる次元である。今現在拉致被害者の言動に多少北朝鮮時代の影響が残っている点が散見されたとしても、その影響は日本にいる限り時と共に消失する。
 このことはよど号犯の場合と比べるとはっきりする。彼らは北朝鮮の実状を全く知らなかったけれども、共産主義革命の幻想には深く捕らわれていた。そして、自らの自発的な行動であるハイジャックを間違いだったとは認めたくない思いにも引きずられた。ここで、「自分たちの行為は正しかったはずだ、共産主義革命の思想は正しいはずだ」という誤った信念にしがみつき、現実の北朝鮮社会を見つめようとしなかった彼等は、やすやすと北朝鮮に取り込まれた。唯一抵抗したと言われる吉田金太郎は闇の中で消されて行った。
 よど号犯、そして妻たちはすでにカルト信者と同様である。彼等は単に生命の危険があるから自らの犯罪を認めないのではない。自分たちの思想も行動も正しいはずだという幻想の中に生きなければ精神を保てないほど、自らの思考を閉じ、喜んで「洗脳され続ける状態」を選び取っているのだ。彼等は人間の解放や平等を求めながら、結局のところ現実に生きている人間のかけがえのない人生を拉致という犯罪で踏みにじりながら、自らの主観的な正義感の通用する閉ざされた偽りの世界に安住しているのだ。
「生命の危機」「精神の危機」という点では遥かに厳しい情況に数十年さらされていたはずの拉致被害者が、この長い年月を通じて、北朝鮮に洗脳される事なく、また今回、回復した家族の絆に支えられて自らに日本永住の意志を固めつつあることは、まさに人間の自由な意志を、どのような恐怖支配ですらねじ曲げ、操ることはできなかったという、私たちに希望を与えてくれた事例である。そして、唯一不安なのは、彼らが子供達との「離散家族」の状態が長期化することが、再び被害者家族の精神を、親だけが自由な世界に戻っているという自責の念で追い詰めてしまう危険性である。この解決にはただ一つ、被害者のご子息たちをこの日本に早急に取り戻すことだけである。

書評「平壌の水槽」 姜チョルファン著 ポプラ社発行 三浦小太郎

 北朝鮮の政治犯強制収容所における、地獄という陳腐な言葉しか当てはまらないような悲惨で残虐な人権抑圧については、北朝鮮の人権問題に関心のある方々は既にご存知のことと思う。しかし、やはり本書のような収容所体験記を読むにつけ、このような収容所が今も存在し続けていること、このような政権が今も健在であることへの、何ともいえぬ思いが沸きあがってこざるを得ない。
 著者はかって同じく収容所囚人だった安ヒョクと共に、「北朝鮮脱出」(文藝春秋)という体験記を発表している。本書は前著の衝撃度は薄められたが、より冷静に当時の自らの精神状態を振り返りつつ、感情を抑え、収容所体験を普遍的な言葉で私たちに伝えようとする姿勢が見られる。
 著者の祖父母は朝鮮総連京都支部の幹部だった。多くの在日朝鮮人と同様、1963年北朝鮮に帰国。筋金入りの共産主義者だった祖母が帰国を強固に主張し、叔父の反対を押し切って強行したのだ。一家は平壌に住むことができたのだから、帰国者の中では幸福な部類に属していたといえるだろう。しかし、自由のない監視密告体制、日本での総連の宣伝のうそ、希望や未来の見えない生活は一家の精神を帰国直後から不安にさせていた。
 68年、著者は平壌に生まれる。そして9歳の1977年、父が政治犯として逮捕され、一家はヨドック政治犯収容所に何の前触れも無く収容されるのだ。(北朝鮮では一家のうち一人が政治犯として逮捕されれば全員に『連座制』で罪が及ぶ)ここで一家は10年間の囚人生活を送る。
 この帰国事業を、著者はおそらく本書の編集者でもあるピエール・リグロ(フランスの人権運動家で思想史家)氏から学んだ、スターリン時代のソ連が、フランスのアルメニア人をソ連に「帰国」させた史実を引用し、帰国運動を共産主義国家が民族主義を利用する悪宣伝によって亡命者や移民を労働力として招き入れる悪質な宣伝工作とみなしている。このように、自らの家族を襲った悲劇を歴史的文脈の中で読み解こうという視点が、著者が韓国亡命後さまざまな欧米・日本の知識人と接して学んできた姿勢であり、本書の価値を高めている。そして、ヨドック収容所での体験は、やはりどこまで抑制的に書かれても凄まじい印象を読者に与える。
 囚人の口に石を詰め込み(これは断末魔の際に政権批判の言葉を漏らさせないためのものだ)銃殺した後、さらに石を他の囚人に死体を罵りながら投げつけさせる公開処刑。飢餓から逃れるために最大のご馳走が自ら捕らえたねずみやトカゲである囚人の生活。サデイストとしか思えない教師や警備兵たちの残酷な刑罰。だが、本書を読了後むしろ印象に残るのは、そのような悲惨な事例の印象ではない。このような地獄の日々を、著者があくまで人間性を失わずに生き延びたという事実である。

 著者は再三再四、収容所では人間性など破壊されてしまうこと、他者への優しさなどは失われること、自分が人間性を取り戻したのは韓国へ亡命してからだと繰り返し述べている。しかし、著者の文章の細部に確かに宿っているのは、収容所内でも彼が1日1日の生活を一人の人間としてさまざまな事を体験し、学びながら生き抜いた一人の少年の姿だ。
 著者は逮捕されたときも、大切に飼っていた金魚を家に置き去りにすることは泣き叫んでも抵抗した。餌など無くても、虫をとり、一部は干して粉にして与え、冬でも金魚の水槽を暖めて飼い続けようとする。大嫌いな動物だったネズミも、食料であると共に、やさしくかわいい動物として感じるようになる。鬼のような教師や警備兵の目を盗んで、飼われているウサギや畑の野菜を友達と協力し合って盗み出す体験を、著者は今も懐かしげに語る。そして印象深い様々な囚人たちとの出会いと別れ。収容所の周りの山々の美しい自然への感銘。いかなる独裁権力も、この最後の自由、日常生活の中での喜びや悲しみ、そして感動を奪い取ることはできなかった。これはソルジェニーツインが描いた、ロシアの民衆像に極めて近い姿である。全体主義体制がまず破壊しようとするのは、このような一人一人の「個」の生の重さなのだ。著者は最後までこの「生」への感動を失わずに生き抜き、そして同じように生きた人々の姿を私たちに伝えることによって、ただ一人の生の重みが全体主義権力に対峙しうることを私たちに教えてくれる。
 そして、本書には殆ど「拉致」としか言いようのない在日朝鮮人の悲劇も描かれている。帰国したある在日朝鮮人が直ちに逮捕され、妻と子供は父の消息を尋ねようと北朝鮮を訪れたが、そのままヨドック収容所に送られてしまったのだ。この哀れな母子と著者は親しくなり、日本の豊かな生活を知らされて仰天することになるが、今彼らがどうしているのかは勿論わからない。総連はここまでの悲劇を知った上で今もかの独裁政権を支持するのだろうか。
 収容所で囚人が武器も持たずに決起し、全滅させられた噂を著者は収容所で聞いたという。ついに釈放の望みが無くなった「再教育不可」つまり過酷で危険な労働の中死んでいくしかない囚人たちが、最後に死を選んで立ち上がったのだ。著者は、「彼らは死をもって解放を勝ち取ったのだ」と簡潔に結んでいる。全体主義体制が一人一人の人間を押しつぶしていく時、囚人たちが最後に絶望のかなたに自由を求めて飛翔していった姿こそ、決して破壊されることの無かった人間性と勇気の証である。この囚人たちに外の世界から希望の光をもたらすこと、それが自由な国に生きる私たちや韓国国民の使命ではないだろうか。
 しかし、現実に姜チョルファンが韓国に亡命してのち、彼が遭遇したのは予想もしない冷たい反応だった。韓国の学生たちに、少しでも北の同胞がどんな目にあっているかを伝え、救援を求めようとした時、彼等は(おそらく新左翼系の学生たちだったと思われる)チョルファンが聴いた事もないマルクス主義の難解な理論で議論を繰り返し、最後には彼の証言の真実性を疑わんばかりの態度だった。本書には書かれていないが、95年に日本も人権団体『北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会』の招請で安ヒョクと共に初来日、講演会を行ったが、その時に彼は収容所で殺されてゆく日本人妻の悲劇を訴え、ある朝日新聞記者は感動して彼らの文章を新聞に掲載したいと申し出てきた。守る会スタッフは彼らが講演会の合間を縫って執筆した文章を日本語に訳した。しかし、ゲラの段階で、朝日新聞者の編集部は、『完全な確証が取れない』ことを理由に掲載を中止してしまったのだった。確かに、収容所内は写真撮影も録音も出来るはずはないし、彼自らの証言以外に証拠はないといわれればその通りである。しかし、独裁体制が民衆を恐怖で支配している構造を持ち、その姿を外部には隠している中、『推定無罪』の原則で被害者に、更なる証拠を要求する事がどれだけ惨い事か、マスコミや韓国の学生たちは充分理解しているのだろうか。
 現在、北朝鮮国内の人権弾圧の有様は、続出する脱北者の証言によってほぼ明らかになっている。そして、著者は自ら新聞『朝鮮日報』記者として中朝国境に赴き、脱北者たちの声を聞き、彼らの取材を通じて脱北者の救援と北朝鮮の人権抑圧を訴え続けている。そして、アメリカの北朝鮮人権委員会が発表・製作した収容所の衛星写真や、脱北者の証言集の発表を歓迎すると共に、昨年韓国内で『北朝鮮政治犯収容所解体運動本部」を結成した。多くの脱北者が、韓国に亡命した時点で力尽きてしまう中、著者はあくまで北の民衆の解放を訴え言論で戦い続けている。

(本稿はカルメギ他発表時の原稿を一部加筆しました)

小田実批判 独裁者を利する『市民派』知識人 三浦小太郎 

 現在は入手困難だが、かってベトナム反戦運動や韓国民主化運動などで活躍した小田実氏の「私と朝鮮」という北朝鮮論がある。現在、北朝鮮の全体主義体制と国家テロの全貌がほぼ明らかになった時点で本書を再読し、これはある意味で丁寧に読み解かれるべき貴重な記録であると思われた。
 本書であからさまに現れる、事実を無視した北朝鮮への高い評価は、単に小田氏の不見識や政治的偏向によるものではない。社会や政治を論じるときに、一見リベラルで中立を装う知識人がしばしば陥りやすい錯誤の典型的なパターンの一つなのだ。
 小田氏は一九七六年北朝鮮を訪れ、約3週間にわたって滞在、よど号犯とも面会し、金日成とも対談した。そして、平壌の庶民の生活水準を、当時の日本の一般庶民とほぼ同等の豊かさをもったものと判断し、さらに、社会福祉、教育などにおいては日本よりも(何とアメリカよりも)進んでいると見なし得るとすら述べた。「北朝鮮には税金も社会不安もない」「食糧自給が完全に成し遂げられている」といった、今現在の視点からは噴飯ものとしか言いようがない言説も見られる。ほぼ同時期、日本におりながら北朝鮮の政府発表だけを資料に、見事なまでに経済破綻と独裁体制の本質を分析した玉城素氏の業績を考えるとき、小田氏の余りにもナイーブに平壌の「ショーウインドー」を信じ込んだ迷妄は批判されても仕方があるまい。
 しかし、私が問題にしたいのは、そのような事実誤認ではない。この著作で小田氏の本質が最も現れているのは、「北朝鮮に自由があるかいなか」を巡る考察である。
 小田氏は、金日成の個人崇拝、テレビや映画、文学にあらわれる北朝鮮社会の「主体思想」に一元化されたイデオロギーなどに対して、確かに冷静な批判をも加えている。しかしその後、北朝鮮と日本社会とを比較する相対的な視点が必要だとして、次のような比較論を述べるのだ。
 「今、北朝鮮から(日本に)人がやって来て、テレビのスイッチを入れたとする。まず女の子が出て来てわめき立てる歌の番組か、『浮気劇』だろう。あるいはゴシップ番組だろう。」
 「日本の若者に、将来何になるのかと聞いてみた場合『適当にいい学校に入って、いい会社に入って、いい家庭を作って、子供をいい学校にやって』というのが答えの集大成だが、これも視点を変えてみれば、一つの強烈なイデオロギーだろう」
 こうして小田氏は、北朝鮮を確かにイデオロギー社会である事を認めつつも、では我が日本は、自由であるつもりでいながら同じく一元化されているのではないか、少なくとも北朝鮮を論じるときにもそういう視点を持つべきではないかと指摘する。そして「価値の多元性を徹底的に身につけるべきだと」北朝鮮社会に来て実感したというのだ。
 この見解そのものは、全く見当はずれという訳ではない。現代の消費資本主義社会は、しばしば人々の価値観や感情をコマーシャリズムの中で一元化しようとする危険性があることに、私たちはもっと自覚的であるべきだろう。しかし、小田氏のこの論法には致命的な欠陥がある。北朝鮮は、訪朝した時点で小田氏も認めているように、金日成と労働党による独裁体制である。小田氏はこれを北朝鮮民衆が支持し、金日成自身も民衆に接し、学ぼうとしている事を強調しているが(これまた現在の視点では真面目に読むことが難しいほど現実とは掛け離れた記述である)とにかく一党独裁体制であることにかわりはない。そして独裁体制の元、教育や情報が完全に一元化されている社会と、先進資本主義国家において、かって人類が得たことがないほどの自由と経済的繁栄がコマーシャリズムと結び付き、単純な欲望充足だけが全ての価値であるかのような表現がマスメデイアに溢れる社会という、本来比較のしようがないものを同列に並べ、相対的、多元的な価値観をもって両者を自由に評価すべきだというのは、公正に見えて、独裁体制への批判も、また消費資本主義の問題点を正鵠に打つことにも全く繋がらない、一種の知的遊戯に過ぎないのだ。
 勿論小田氏は、単なる知的遊戯を奨励しているのではない。自らの価値観を「人々のことから考えたい、あくまでそこから事を始めたい。これは何事であれ私が物事を考えたり、始めたりするときの基本」に置くと氏は言う。この主張も、これまた現在に至るまで、多くの「市民派」政治家や思想家が口にする言葉である。しかし、その「権力から最も遠くにいる普通の人々」を、最も暴力的に管理し、支配し、「人々」であることを許さず「共産主義者」「労働党員」「戦士」に改造しようとする体制こそが、北朝鮮に代表される共産主義・全体主義体制ではないか。
 確かに消費資本主義も、「人々」を「消費者」に改造しようとする。しかし、そこからは、「人々」は自覚すれば逃れることができる。共産主義=全体主義体制では、そもそも小田氏の言う「人々」は生きて行くことができない。小田氏は、北朝鮮のような国家では、権力から影響と恐怖を受けない「人々」に会うことなど出来ないことに、もっと早く気づくべきだった。
 しかし、この小田氏の錯誤は、彼一人の物ではない。北朝鮮に対しては、さすがにその全体主義体制の非道さを認めない知識人は皆無であろうと思うが、「相対的視点」「多元的価値」に根差すと称し、様々な第三世界の独裁体制や抑圧体制、また宗教的原理主義やテロリズムにすら「理解」を示しがちな説は未だに氾濫している。その時しばし「民主主義だけが普遍的価値ではない」「それぞれの地域にあった多元的な価値を認めよ」という、小田氏と変わらぬ論理が援用される。タリバン支配も、ビン・ラデインのテロすらも、この視点からは肯定されかねないのだ。
 民主主義は決して絶対的な価値ではない。しかし、それは現在世界において人類がたどり着いた、最も普遍的な政治制度として共有されるべきものである。この価値を「相対化」することは、独裁者たちのテロ、侵略、そして自国の民衆への迫害を見過ごすことに繋がる危険性があることを、私たちは決して忘れてはなるまい。

(付記)雑誌「論座」
20031月号に、小田氏は「私と『朝鮮』との長く、重いつきあい』という文章を寄せている。人間は私も含め、誤りを犯す生き物である。そして、誰しも誤りは恥ずかしいもので、それを隠そうという気持ちになっても仕方がない。だから、小田氏が「北朝鮮に対する判断は、情報不足による誤りだった。そして、当時私はアメリカのベトナム戦争を初めとする世界戦略に反対していたので、それに対抗しているように見えた第3世界の国々に共感があり、つい評価が甘くなってしまった。」という文章を発表したら、この人は私とは立場が違うが、公正で立派な人だと評価しただろう。また、全くこの問題について沈黙を守ったとしても、『内心、自分の判断ミスを悔やんで発言できないのだろうな』と思い、特にそのこと自体を攻撃する機にはならなかっただろう。
 しかし、論座のこの文章は余りにも無責任な、反省のかけらも見出せない、あえて言えば、中立を装って自己弁護に終始したものである。これは少なくとも、自分の言論で生きてゆく知識人として許せるものではない。 小田氏は訪朝時の北朝鮮を、自由は無かったが「世界の未来に関わっての『経綸』を持ち、『非同盟』の理想に燃え、国を大きく世界に向けて開こうとしていた時代でなかったかと思う」と未だに高く評価する。
 「チトー大統領の率いるユーゴと組んで、『東西』対決の『冷戦構造』の中で、また『南北構造』の『社会主義国』を含めて、『北』の『先進国』の圧倒的な優位の情況の中で、『非同盟』の力を強化して、『第3世界』の未来に活路を開こうとする経綸」を持っていた金日成を評価すると言うのだが、ようするにそれって自分の独裁体制をアメリカからも中ソからも干渉されたくないだけじゃないの。そして、小田氏はさらに金日成の当時の言葉を引用し「『米が社会主義だ』の彼の社会主義理論に基づいての食料の安定確保」を熱情を込めて金日成は説き、アフリカに技術者を派遣して農業指導・交流を行っていたと評価するが、外国の農業技術を一切取り入れず、中国の文革でとっくに失敗が明らかになっている、狭い土地にひたすら沢山の稲を植えつける密集方式、所謂金日成式『主体農法』で農業を破壊して国民を飢餓においやってしまった現状をどう見ているのか。
 このことを小田氏は言い訳がましく付け加えている。自分の訪朝後、北朝鮮も他の非同盟諸国も様々な理由により行き詰った、そして、この行き詰まりに拍車をかけたのが、それまで北朝鮮を経済的に支えてきた社会主義国の崩壊と、農業の崩壊、国民から『父』のごとく敬われてきた金日成の死だというのだ。小田氏は自分自身の文章の矛盾に気づかないのか。社会主義諸国が崩壊すれば破綻してしまうような北朝鮮が、何故『先進国から自立した非同盟』の国といえるのか。国民から父のように敬われた金日成?未だに『独裁』を美化する無神経さはさておく。しかし、何故農業が崩壊したのかを一言も描かないのか。独裁体制と情報鎖国が、農業・工業技術の移入を拒み、しかも、その理由の一つは、外国からの優れた情報が入り、外の世界の豊かさが知られ、しかも金日成の権威が堕ちる事を恐れた独裁者とその取り巻きの失政ではないか。
 もう一つ言う。北朝鮮を貧しくした大きな原因の一つは軍拡である。『米が社会主義』どころか「軍・兵器が社会主義」だったのが北朝鮮であろう。この軍事力は国防ではなく、はっきりと国際テロや韓国侵略を目指していた。このことに小田氏は未だに気づかない振りをしている。何故か?訪朝時に既に北朝鮮が悪しき独裁国家だったことを未だに認めないためであり、それは、1976年の小田氏の訪朝後北朝鮮と金日成は変質したのであり、自分のかっての北朝鮮評価は間違っていなかったのだと言い募りたいからである。
 私は小田氏にといたい。1953年の朝鮮戦争は、小田氏が常に言う『市民の立場』から肯定できるのですか。59年から始まった帰国運動についてどうお考えですか。帰国者、日本人妻が、帰国当時から受けた差別や迫害を『経綸』とやらの立場でどうお考えですか。67年以降、北朝鮮は一気に激しい全体主義体制に向かい、それ以前より遥かに多くの人々が強制収容所に送られていきます。その人たちも金日成を敬いながら死んだのですね。小田氏の言う市民は、あの体制の下でずっと殺され続けていたのですよ。

 日本人拉致事件に対しての小田氏の論考は以下の通り。
 1963年に日本が韓国との国交正常化に歩み始めた時から北朝鮮とも国交回復していれば、拉致は無かった。小泉首相は拉致家族に国の政治責任を謝罪すべきだ」こういう論理は私には論評する気にもなれない。国の政治責任は確かにあるけれど、それはまったく別の話。
 「金正日書記は、少なくとも拉致について謝罪したが、日本は従軍慰安婦問題で謝罪も補償もしていない。今こそこれをすべきだ。日本が国家犯罪を精算せず、国交が出来ないために、北朝鮮の国家犯罪による自国の犠牲者を生んだ。日朝両国が国家犯罪を認め合い反省する事が、これからの『国交』の土台となる」これが2002年918日、あの平壌での日朝首脳会議翌日の小田氏のコメントだ。
 従軍慰安婦問題についてはここでは論じない。しかし、日本政府は少なくとも植民地支配については謝罪しているのですよ。金正日は何か被害者家族に『精算』しましたか。大韓航空機事件について『謝罪』しましたか。何よりも、独裁政権の抑圧と失政による飢餓で死んでゆく北朝鮮民衆に対し、金正日がどんな態度を取っているか、小田氏も知らぬはずはあるまい。
 「『拉致』について、日本政府はそんなことはないものとして長い間被害者家族の必死の叫びに耳を貸そうとしなかった」小田氏のこの文章には正直、私は怒りに近いものを覚えた。日本政府を弁護する気はない。しかし、日本政府は少なくとも救う会の運動が始まってからは、拉致被害者がいる事は公的に認めていたのですよ(充分な行動を取らなかった事はいくら批判されても仕方がないが)。そして、小田氏はそれならいつ被害者家族の声に耳を傾けたのか。親北派と目されている小田氏がもっともっと拉致について発言し、独裁体制の民主化を呼びかければ、逆に北朝鮮に影響を与えられたかもしれない。
 小田氏はこの文章の中で、金日成には『経綸』とやらがあったが、韓国の朴大統領にはそれが無かった、日本植民地支配と戦った事も無かった、と、私から見れば誤解や『差別』としか思えない発言も行っている。朴大統領の演説集と主体思想文献を読み比べたこともないのだろう。私は朴大統領を単純美化しようというのではない。特に晩年の政策は過ちが多かったと思う。しかし、韓国を一種の開発独裁によって発展させ、テロ国家から国を守ろうとした人物の功績を未だに全く認めようとせず、同じ独裁者でも反米・反日に見えれば美化してしまうような知識人がいることは、我が日本の実に悲しい現実であると思う。

書評 ユン大日「『北』の公安警察」(講談社)三浦小太郎

 北朝鮮の金正日独裁政権による、拉致事件や麻薬売買などの国家犯罪、政治犯強制収容所に象徴される民衆抑圧、失政による餓死者続出などが、様々な情報や証言により明らかになった。そして、これらの情報がもたらされればされるほど、何故北朝鮮で反体制運動が起きないのかという疑問が人々の心に浮かばざるを得ない。
 元国家安全保衛部員であり、現在は韓国で脱北同志会副会長を務めるユン大日氏の本書は、保衛部による北朝鮮全土に張り巡らされた監視・抑圧体制の恐ろしさを明らかにすることによって、この問に残酷な答を与えている。
 金正日体制とは「政治、経済、軍事、さらには住民の思想までもが労働党の支配、統制、監視を受け(中略)その労働党を金正日は完全に掌握している。労働党の権力=金正日の権力なのである」(58頁)
 金正日体制という完全な全体主義体制の本質はこの発言に尽きている。この体制を維持するために重要なのが、国内の党・軍幹部から民衆にいたる全てを、恐怖によって支配する管理システムであり、その実行部隊が「『北』の公安警察=国家安全保衛部」なのだ。
 本書第5章では、この保衛部の歴史、現在の機構体系、各部署の役割、そして彼らがあげた血生臭い『成果』の数々、党幹部の粛清、クーデターの未然の発覚、そして民衆への監視体制の有様から、拉致事件や麻薬ビジネスの担当部署とその実態に至るまでが克明に綴られ、北朝鮮独裁体制の犯罪性が一目でわかる概説書となっている。特に興味深いのは、国家安全保衛部が時代と共に幹部の残虐な粛清を伴いながら次第に強化される過程だ。
 金正日が事実上後継者に任命されたと思しい1973年に、国家政治保衛部(国家安全保衛部の前身)は独自の情報機関として独立し、金日成、金正日の直属機関として絶大な権限を得る。著者はこの時期から、特に日本からの北朝鮮帰国者たちに対し、徹底的な監視が行われ、体制に不満を持つと思われる人々の処刑や収容所送りが相次いだと述べる。勿論、組織的な反体制運動などは存在しない。罪状「マルパンドン」(発言による反動行為)として罪に問われたのは、一言金父子の世襲に疑問を漏らし、北朝鮮の生活の貧しさと不自由さに不満を呟いただけの人々だ。この帰国者、日本人妻たちの受難は第五章につぶさに物語られているが、中には日本の家族からの多額の仕送りで出世し『不良帰国者』よろしく、北朝鮮の著名な映画女優を愛人にした、崔ジョンギのような人物も紹介されている。あまりにも残酷な運命がこの女優には待ち受けていたが、その仔細は是非本書を直接当たられたい(百四十一頁)。そして、殆どが社会の底辺の生活を強いられている日本人妻たちの境遇は今更ながら胸をえぐるものがある。
 そして、金正日はさらなる国家保衛部の強化を目指し、1992年、国家安全保衛部と名称を改め、国境封鎖部署と対外反探偵局を新設する。94年7月以降は、金日成の死に伴う社会不安を払拭するため、さらに民衆の監視が徹底されてゆく。著者によれば、金日成死後直後は反体制ビラや落書きなどが現れ、民心が明らかに離れてゆくのが感じられたという。しかし、この危機は保衛部の情報をもとに軍部をも動員した弾圧によって乗り切られた。現在、この保衛部の活動は、中国警察機構と連記しての脱北者拘束でも大きな力を示している。全体主義体制の強固さ、そしてその恐ろしさが著者の冷静な文脈から客観的な事実を通じて浮かび上がってくる。
 私が本書を読みながら、しばしば思い起こしたのが、ハンナ・アレントの著作『イェルサレムのアイヒマン』である。アドルフ=アイヒマンはナチス・ドイツの国家保安本部でユダヤ人担当課を受け持ち、戦後イスラエルで裁判にかけられ、大量虐殺の罪を問われて有罪となった。アレントはアイヒマンを、ユダヤ人への憎悪に駆られた人物ではなく、ひたすらナチスの人種差別法と職務に従って黙々と事務的にユダヤ人迫害を行った平凡な人物であったことに注目し、全体主義体制下での『悪の陳腐さについて』思考を巡らせたのである。
 北朝鮮の保衛部も、おそらく同一の精神構造に支配されている。金正日個人は目前で幹部の妻を夫に銃殺させるほどの残虐な人物だが(本書170頁)、ユン氏ら多くの保衛部員は、全く合法的に、日々の職務として苛酷な民衆抑圧を行っている。それ以外に彼らの選択肢はなく、民衆は恐怖によって精神を閉ざされ、そして保衛部員は自らの良心を眠らせることによって荒廃してゆく。この体制の本当の恐ろしさはこのモラルの崩壊にある。
 しかし同時に、本書は、必ずあの独裁政権は人間の良心の前に敗北するという確かな希望の灯火を示している。著者は脱北者の摘発に携わりながら、様々な矛盾に悩み続けていた。何より辛かったのは豆満江を渡り切れず、溺死した脱北者の遺体を処理しなければならないことだった。そして、著者は逮捕・粛清される直前、家族に知らせる余裕もなく次男と共に韓国に亡命する。しかし、北朝鮮に残る家族の身に危険が及ぶので、自分の亡命の事実を隠してほしいという願いは叶えられず、韓国政府は著者の亡命を発表、残された家族は収容所に送られてしまう。
 そして、著者はアメリカに証言者として招かれた二〇〇二年、韓国政府の意向に反し、初めて太陽政策への批判を述べた。そして、今は脱北同志会の活動を通じ、北朝鮮独裁体制の民主的改革、民衆の救援を訴え、その視点からの韓国政府への批判的提言を行っている。著者は南北両国の体制いずれからも精神的に自立し、良心の赴くままに勇気を持って行動している。全体主義体制に真に対峙できるのは、このような一個人の道徳的な力である。この告発に耳を傾けず、北朝鮮独裁体制の犯罪を黙認することは、隣国の全体主義体制の共犯者として、私たち自身のモラルをも堕落させることに繋がるだろう。

書評 ユン大日「『北』の公安警察」(講談社)三浦小太郎

 北朝鮮の金正日独裁政権による、拉致事件や麻薬売買などの国家犯罪、政治犯強制収容所に象徴される民衆抑圧、失政による餓死者続出などが、様々な情報や証言により明らかになった。そして、これらの情報がもたらされればされるほど、何故北朝鮮で反体制運動が起きないのかという疑問が人々の心に浮かばざるを得ない。
 元国家安全保衛部員であり、現在は韓国で脱北同志会副会長を務めるユン大日氏の本書は、保衛部による北朝鮮全土に張り巡らされた監視・抑圧体制の恐ろしさを明らかにすることによって、この問に残酷な答を与えている。
 金正日体制とは「政治、経済、軍事、さらには住民の思想までもが労働党の支配、統制、監視を受け(中略)その労働党を金正日は完全に掌握している。労働党の権力=金正日の権力なのである」(58頁)
 金正日体制という完全な全体主義体制の本質はこの発言に尽きている。この体制を維持するために重要なのが、国内の党・軍幹部から民衆にいたる全てを、恐怖によって支配する管理システムであり、その実行部隊が「『北』の公安警察=国家安全保衛部」なのだ。
 本書第5章では、この保衛部の歴史、現在の機構体系、各部署の役割、そして彼らがあげた血生臭い『成果』の数々、党幹部の粛清、クーデターの未然の発覚、そして民衆への監視体制の有様から、拉致事件や麻薬ビジネスの担当部署とその実態に至るまでが克明に綴られ、北朝鮮独裁体制の犯罪性が一目でわかる概説書となっている。特に興味深いのは、国家安全保衛部が時代と共に幹部の残虐な粛清を伴いながら次第に強化される過程だ。
 金正日が事実上後継者に任命されたと思しい1973年に、国家政治保衛部(国家安全保衛部の前身)は独自の情報機関として独立し、金日成、金正日の直属機関として絶大な権限を得る。著者はこの時期から、特に日本からの北朝鮮帰国者たちに対し、徹底的な監視が行われ、体制に不満を持つと思われる人々の処刑や収容所送りが相次いだと述べる。勿論、組織的な反体制運動などは存在しない。罪状「マルパンドン」(発言による反動行為)として罪に問われたのは、一言金父子の世襲に疑問を漏らし、北朝鮮の生活の貧しさと不自由さに不満を呟いただけの人々だ。この帰国者、日本人妻たちの受難は第五章につぶさに物語られているが、中には日本の家族からの多額の仕送りで出世し『不良帰国者』よろしく、北朝鮮の著名な映画女優を愛人にした、崔ジョンギのような人物も紹介されている。あまりにも残酷な運命がこの女優には待ち受けていたが、その仔細は是非本書を直接当たられたい(百四十一頁)。そして、殆どが社会の底辺の生活を強いられている日本人妻たちの境遇は今更ながら胸をえぐるものがある。
 そして、金正日はさらなる国家保衛部の強化を目指し、1992年、国家安全保衛部と名称を改め、国境封鎖部署と対外反探偵局を新設する。94年7月以降は、金日成の死に伴う社会不安を払拭するため、さらに民衆の監視が徹底されてゆく。著者によれば、金日成死後直後は反体制ビラや落書きなどが現れ、民心が明らかに離れてゆくのが感じられたという。しかし、この危機は保衛部の情報をもとに軍部をも動員した弾圧によって乗り切られた。現在、この保衛部の活動は、中国警察機構と連記しての脱北者拘束でも大きな力を示している。全体主義体制の強固さ、そしてその恐ろしさが著者の冷静な文脈から客観的な事実を通じて浮かび上がってくる。
 私が本書を読みながら、しばしば思い起こしたのが、ハンナ・アレントの著作『イェルサレムのアイヒマン』である。アドルフ=アイヒマンはナチス・ドイツの国家保安本部でユダヤ人担当課を受け持ち、戦後イスラエルで裁判にかけられ、大量虐殺の罪を問われて有罪となった。アレントはアイヒマンを、ユダヤ人への憎悪に駆られた人物ではなく、ひたすらナチスの人種差別法と職務に従って黙々と事務的にユダヤ人迫害を行った平凡な人物であったことに注目し、全体主義体制下での『悪の陳腐さについて』思考を巡らせたのである。
 北朝鮮の保衛部も、おそらく同一の精神構造に支配されている。金正日個人は目前で幹部の妻を夫に銃殺させるほどの残虐な人物だが(本書170頁)、ユン氏ら多くの保衛部員は、全く合法的に、日々の職務として苛酷な民衆抑圧を行っている。それ以外に彼らの選択肢はなく、民衆は恐怖によって精神を閉ざされ、そして保衛部員は自らの良心を眠らせることによって荒廃してゆく。この体制の本当の恐ろしさはこのモラルの崩壊にある。
 しかし同時に、本書は、必ずあの独裁政権は人間の良心の前に敗北するという確かな希望の灯火を示している。著者は脱北者の摘発に携わりながら、様々な矛盾に悩み続けていた。何より辛かったのは豆満江を渡り切れず、溺死した脱北者の遺体を処理しなければならないことだった。そして、著者は逮捕・粛清される直前、家族に知らせる余裕もなく次男と共に韓国に亡命する。しかし、北朝鮮に残る家族の身に危険が及ぶので、自分の亡命の事実を隠してほしいという願いは叶えられず、韓国政府は著者の亡命を発表、残された家族は収容所に送られてしまう。
 そして、著者はアメリカに証言者として招かれた二〇〇二年、韓国政府の意向に反し、初めて太陽政策への批判を述べた。そして、今は脱北同志会の活動を通じ、北朝鮮独裁体制の民主的改革、民衆の救援を訴え、その視点からの韓国政府への批判的提言を行っている。著者は南北両国の体制いずれからも精神的に自立し、良心の赴くままに勇気を持って行動している。全体主義体制に真に対峙できるのは、このような一個人の道徳的な力である。この告発に耳を傾けず、北朝鮮独裁体制の犯罪を黙認することは、隣国の全体主義体制の共犯者として、私たち自身のモラルをも堕落させることに繋がるだろう。

書評 金大中 韓国を破滅に導く男 李度ヨン著 草思社  三浦小太郎

 本書は、韓国の保守系雑誌『韓国論壇』の発行人である李度 氏による金大中批判論であり、『韓国民主化の闘士』という金大中前大統領の虚像に対する告発の書だ。金大中氏の学歴詐称、金銭問題、南北首脳会談裏面での金正日との取引等の疑惑に関しては様々な論者が指摘してきたが、著者はこれらの疑惑を新事実を加えながら鋭く追及している。
 金銭問題に関しては、金大中が選挙運動そのものを集金マシーンとして活用し、また当時の反対していたはずの朴政権からも政治取引として多額の資金を受けていたこと、3度目の選挙落選後、欧州で出会った北朝鮮工作員の支援を受け、亜太財団を設立し、北朝鮮の『アジア太平洋平和委員会』との人的、資金的交流を受けた事等が示されている。金銭疑惑だけで政治家の価値を云々するべきではないが、敵対国家から資金提供を受けているとすれば、これは汚職とは全く別の問題である。南北首脳会談の背後での不正送金疑惑についても丁寧な解説がなされており、現在のノムヒョン政権下でも尚続く韓国政治の対北汚職とでもいうべき不正送金問題を考える上でもよき資料となっている。
 金大中の『民主化の闘士』像を決定的にしたのは、日本における1973年の拉致事件であった事は勿論だが、本書第2章において、著者は金大中が日本でどのような活動を展開しようとしていたのかを抉り出し、しかもその活動内容が2000年の南北首脳会談における金正日との約1時間の車中での『秘密会談』の内容にまで繋がっている可能性を示唆している。この部分は日本の読者にとって最も衝撃的な内容である。
 拉致事件直前、金大中は韓国民団内の反朴政権勢力と連携し、間接的には朝鮮総連の支持を受けながら、反朴政権組織『韓民統』を結成しようとしていた。当時はベトナム戦争の最中であり、北ベトナムが世界的な情報戦と、南ベトナム国内に親北勢力を浸透させることによって軍事的、政治的の両面で戦いを有利に進めていた。善意ではあるが北朝鮮の残酷な独裁体制に無知で、韓国の軍事独裁にのみ目が向いていた人々を、北朝鮮が反韓国の情報戦に利用しようとしていた事は想像に難くない。金大中の行動は明らかに親北・反韓国運動であり、しかも日本の警察は殆どこの行動をノーマークだったという。
 さらに驚かされるのは、当時自民党の国会議員だった宇都宮徳馬氏が、著者に漏らした言葉だ。北朝鮮と深いパイプを持ち、朴政権の批判者だった同氏自らが、平壌から金日成の手紙や書類(金銭の可能性も否定しなかったという)を金大中に渡していたというのだ。故人となった宇都宮氏に確認することはできないが、事実であるとするならば、日本の政権政党の国会議員が、北朝鮮のエージェント的な役割を果たしていたことになる。私は日本の国家主権の立場からも、また人権問題としても、KCIAによる金大中拉致事件を決して認めるものではない。しかし、このような背後の事実関係があったことを無視することも、また公正を欠くことになるだろう。 さらに、この時期に北朝鮮から多額の資金が渡され、北朝鮮側にその証拠が残っていること、また一説によれば、さらに重大な関係が金大中と北朝鮮との間で取り交わされていること、そのことが南北首脳会談のおりに両首脳が車中での会話で語られたという説が紹介されている。この『重大な関係』については是非本書を直接当たられたい。

 そして、本書は単なる金大中批判を超えて、韓国社会の根本的な問題を提起している。
 著者は韓国社会の健全な発展のためには、様々な矛盾を斬新的に内部から改革していくべきことを述べ、旧来型の財閥体制の内部改革への誘導、北朝鮮の現独裁体制への正しい理解に根ざした外交、同盟国アメリカとの関係の重要性を認識した上で、同時に自主防衛の意識を国民も政府も固く持つべきことなどを提言する。そして、「民主主義や資本主義は、改革の能力に欠けている場合、その存在基盤が脅かされる」とし、その改革を行うためにも、韓国は個人がもっと自立し、家族主義・地域主義を脱して社会を近代化していくべきだと著者は強調する。しかし、このような姿勢を全て否定し、ポピュリズム的なスローガンで民衆のルサンチマンをあおり、旧体制、財閥、企業、保守精神へのヒステリックな攻撃を行い、結果として社会の矛盾を拡大してしまい、また歪んだ民族主義から反米主義と北朝鮮への精神的な武装解除に向かっていったのが金大中政権だったことを本書は緻密に分析している。
 そして、本書の伝える現代韓国の像は、1960,70年代の日本と共通性が見られる。金大中の唱える『参与民主主義』や行き過ぎた悪平等政策は、かって日本でも言われた『市民参加の政治』や『革新自治体』が唱えた福祉政策に余りにも似ている。豊かさと自由の中でアイデンテイテイを見失い、焦りと反抗心から先行世代の価値観を拒否し、左翼的心情に溺れる学生たちも新左翼運動の形で日本でも現れた。その運動が歪んだナショナリズムと無意識に結合し、現実を無視した反米主義に走る様も双生児のように似通っている。
 しかし、当時の日本では政治権力の側に外交上のリアリズムがあり、国民大衆の中にも社会秩序に対する理性的な判断が根付いていた。今、韓国にやや不安の影が宿るのは、政権担当者や庶民にも、本来あるべきバランス感覚が失われていることである。本書の警告が是非多くの人々の胸に届き、現在の朝鮮半島の危機と韓国政局の混迷の中、韓国の若い世代が自らの弱点を克服し、著者のような健全な保守思想と、新しい世代の意識を融合させた、新たな韓国再生に向けて動き出すことを願ってやまない。もはや、時間は余り残されていないかもしれないのだ。(終)