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| カルメギ北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会 |
| 当掲示板の投稿レギュラーであり、NGO「カルメギ北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の事務局長三浦小太郎さんが、不定期ですが、寄稿文です。。拉致問題の全面解決と金正日独裁政権打倒のための強力な武器となることと思います。ご愛読のほどを。 |
| 日本政府は自国民である日本人妻の救出を 三浦小太郎 |
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(本稿は、雑誌「正論」1月号に発表した文章を加筆修正したものです) 6カ国協議、また再開した日朝交渉も、現在の所拉致問題解決に向けた確かな徴候は現れていない。むしろ、先に休会(11月10日)した6カ国協議の場は、北朝鮮並びにその『保護国』たる中国によってリードされているかにも写り、拉致被害者の救出を求める多くの国民に失望感を与えているかに見える。 しかし、国際情勢を見れば、北朝鮮金正日独裁政権は明らかに追い詰められている。EUが国連総会に対し、北朝鮮人権状況についての総会決議案を上程した。また国連総会第3委員会においても、10月27日ヴィチット・ムンタボン特別報告官が北朝鮮の人権問題、拉致問題について、韓国、日本、モンゴル各国での調査に基づく様々な提言を行っている。この調査を中国並びに北朝鮮政府は拒否したが、これ自体が彼らの国際的孤立を物語るものだ。そして、難民条約に批准していながら脱北者を不当逮捕して北朝鮮に強制送還している中国政府の非人道的態度は、今回の国連特別報告官への協力拒否と並んで、既に国連常任理事国の地位に留まる権利を自ら放棄したに等しい。 しかし、現在問題なのは、わが日本政府に、国際世論と呼応して総合的な人権外交で北朝鮮政府に対峙する姿勢が余りにも乏しいことであり、それは拉致問題の停滞にも直接作用していると思わざるをえない。日本政府は自国民を拉致された国家犯罪に対して、経済制裁実地を含めたより強硬な姿勢を示すべき時に来ている筈であり、それは北朝鮮政府との、被害者奪還並びに総合的な人権問題解決のための友好な対話を切り開くことに必ずや繋がるはずである。そして、日本政府が全く北朝鮮政府、そして中国政府に対し突きつける事を止めてしまった、重要な「自国民救出」の問題が日朝間には存在する。それが、日本人妻(配偶者)の問題である。 日本赤十字社と朝鮮民主主義人民共和国赤十字会との間で、昭和三十四年八月十三日締結された在日朝鮮人の帰還協定により、九万三千三百十名の在日韓国・朝鮮人が北朝鮮へ渡った。いわゆる「帰国運動」である。この運動が、朝鮮総連の虚偽宣伝と、それを無批判に報じ、増幅した日本マスコミの元に全国的に展開された事は、今更繰り返す必要のない歴史的悲喜劇だ。ここで「帰国」した在日韓国・朝鮮人のほぼ90%は、「南」出身者であり、同じ朝鮮半島とは言え、彼らは「帰国」したのではなく異郷の地に旅立ったのだが、まさに「異国」に向けて祖国と故郷を跡にした日本国民も多く存在した。日本国籍を有する者が六千六百七十九名、そのうち、日本国籍保有の日本人妻は、千八百三十一名。彼女らは夫である在日韓国・朝鮮人と共に、北朝鮮という「凍土の収容所共和国」に渡っていった。 朝鮮総連は北朝鮮を、教育、医療は無料、優秀な学生はモスクワ大学などへの留学も可能であり、福祉の完備した「地上の楽園」と宣伝し、特に北朝鮮行きを不安に思う日本人妻に対しては「3年後には里帰りが可能になる」という、まさに詐欺行為としか言いようのない虚偽が告げられた。彼女らは拉致被害者のように日本の海岸から無理やりさらわれていった訳ではない。しかし、この行為はまさしく「営利誘拐」であり、日本国政府はたとえ異国の地に囚われているとはいえ、彼女らの生命と人権を守る国家的責務を負うはずである。 かって、日本人妻自由往来実現の会(会長;池田文子)を中心とした、日本人妻救援運動が展開された時期もあった。この運動が日本人妻の一部に救援物資を送り、この問題の世論喚起を導いた事を私は評価し敬意を表する。しかし同時に、代表の池田氏の政治的立場や統一教会との関係などから、広範囲な人権運動、救援運動としての展開をなしえぬままに終わってしまった。しかし、私はこの点で池田氏やこの運動を批判するよりも、現在に至るまで日本国政府や主要な人権団体があまりにも消極的な事を指摘したい。特定の政治組織や宗教色の強い団体、個人が日本人妻救援運動に取り組んだ事を批判する人々には多いが、それならば何故彼らはその運動を是正し、より普遍的な救援運動を展開できなかったのか。 今北朝鮮に残された日本人妻は、その安否調査も行われておらず、幾つかの悲観的な推測によれば生存者数は数百人にも満たないとも言われる。しかし、だからこそ残された彼女らの救援は拉致被害者同様急務である。年老いた、余り時間の残されていない僅かな自国民の生命と人権に、日本政府、マスコミ、文化人はもっと関心を寄せるべきではないだろうか。 日本人妻との出会い、そして日本「再帰国」した彼女らの証言 私は世代的にも帰国事業を全く体験していないし、日本人妻自由往来実現の運動当時も余り関心を持たずに来た。その私が「日本人妻」の存在を強く意識したのは、1993年発足し、北朝鮮帰国者、日本人妻の人面問題に取り組んだ市民団体「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」(代表 山田文明)との出会いだった。この団体は今年ブッシュ大統領と会見した姜哲●を95年に招請するなど、脱北者の証言を初期から運動の中心課題としており、有機ある在日帰国者家族の証言と共に、帰国事業の悲劇と、日本人妻の北朝鮮での苦難を地道に訴えていた。そして、さらに私に衝撃的だったのは、実際に中国で出会った脱北者の語った何気ない日本人妻のエピソードだった。 2002年2月、中国東北部のある街で、私は数名のジャーナリスト、救援活動家と共に脱北者の母親とその子供に簡単なインタヴューを行った。母親は北朝鮮では食糧配給所に勤めていたが、94,95年頃から食糧配給が停止したこと、餓死者が急増し、自分達も北朝鮮では生きていけないと考えて脱北したことなどを語った。それらは悲惨な話ではあったけれども、基本的には他の脱北者の語ることや、書物で得た知識と違いはなかった。しかし、そこで日本人妻について何か知っていることがあれば教えて欲しい、という質問への答えは、どこか抽象的だった私の日本人妻への関心を一変させるものだった。彼女はこう答えたのだ。 「配給がなくなった後、最初の内は皆配給が再開される事を信じて、何度も配給所に足を運んだんです。でも、結局再開の見込みはないとわかって、自分達でどうにかするしかないと、ほとんど来る人はいなくなりました。でも、一人の年老いた女性が、何度も何度も、配給所に、少しでも食糧が来てはいないかと尋ねて来るんです。とうとう他に誰一人こなくなってもその人だけは来ていましたが、段々服はみすぼらしくなっていって、体もやせ衰え、歩くのがやっとのような状態でした。ついにはその人も来なくなってしまいましたが、諦めたのか、もしかしたら力尽きて死んでしまったのかはわかりません。確か、あの人は日本人妻だったと思いますよ。」 北朝鮮の90年代飢餓の中、300万人にも上ったといわれる餓死者。多くの脱北者が異口同音に語るのは、この時期に北朝鮮社会が完全に変貌したことだ。それまで食糧配給が一応維持してきた社会秩序は完全に崩壊し、法を守り、国家が配給を再開する事を信じて待つ人々はほとんど死に絶えた。この飢餓を生き延びたのは、法を無視し、エネルギー不足で動かなくなった工場から部品を持ち出し、自ら農作物を耕し、また他の畑から盗み、違法な脱北を試みて中国に逃れていくばくかのお金を稼いだ人たちである。しかし、それ以前に、北朝鮮で生まれた人々は、また親戚や仲間を頼って相互に助け合う機会もあった。帰国者、日本人妻にはその様な現地の親族もなく、日本からの仕送りも、ほとんどの家では途絶えはじめていた。夫に先立たれ、あらゆる手立てを失った日本人妻は、この時期北朝鮮国内で最も弱い立場におかれていたのではないだろうか。 多くの日本人妻は、日本で朝鮮人と結婚した時点で家族とは疎遠となり、しかも北朝鮮に旅立つ段階では絶縁状態になった例が多い。支援を続けなければならないと決意した僅かな兄弟も、そのほとんどは貧しくこの時期には年金暮らしの人が殆どだ。そして、新潟から「帰国者の命綱」として、同時に朝鮮総連による在日帰国者家族支配の道具、北朝鮮政府にとっては「人質政策」の象徴である万景峰号も、そこに乗船し家族に再会できるのは在日朝鮮人のみであり、日本人家族にはそのチャンスはまず与えられない。全てから見捨てられ、絶望と飢餓の中、最後の一縷の望みを食糧配給の再開にのみ託して配給所に通い続け、おそらくついには餓死した一人の日本人妻の最後を思う時、この問題を日本政府と国民は人道上見過すことは出来ないはずである。 語り始めた「再帰国」証言者達 今年(2005年)3月、東京と大阪で、北朝鮮を脱出し、ここ日本に「再帰国」した日本人妻、そして脱北帰国者が、証言集会という形で始めて公的な場で口を開いた(平島筆子さんのケースは後述する)。従来、北朝鮮における日本人妻の悲劇は、彼女らが日本に当てて切々と支援を訴えた書簡文、また韓国への脱北者の証言を通じて語られることが多かった。そこには余りにも貧しく厳しい生活、弾圧へのおびえと常に検閲を意識した苦い文章、日本人妻が再帰国を求めて行ったささやかな、しかし北朝鮮では重罪に当たる行動、また数回にわたった日本人妻への「粛清」とも言うべき事件などが伝えられている(特に後者の2点については、今後もさらに多くの脱北者・日本人妻証言による調査が必要なテーマであり、おそらく北朝鮮独裁政権崩壊後に全容が明らかになる性格のものであろう)。そして、現在約80名の帰国者、日本人妻が救援団体等の努力で日本に入国し、この集会のように勇気ある方々が公開の場で訴えるようになった現在、北朝鮮に於ける日本人妻の生活について、より具体的な様々な実像が浮かび上がってくる。北朝鮮という地で、日本人妻一人一人は、それぞれ違った人生を夫や子供たちと共に歩んできた。総体としては悲劇的なものであったとしても、そこには彼女らが異郷の地で苦難に耐えながら築き上げた確かな人生があったのだ。 この日証言した日本人妻、山田タマさん(仮名)は、1960年、在日朝鮮人の夫と一緒に北朝鮮に渡り、北朝鮮北部の咸境北道に配置され、脱北する2003年までそこで生活した。彼女は帰国当時の事をこう語る。 「(朝鮮総連から)北朝鮮に行けば、いい暮らしができると言われまして、映画とかいろいろな物を見せてもらいました。朝鮮に行けば、食べ物でも何でもいっぱいあるし、何の心配もないと言われましたし、それに日本人妻は3年後に必ず里帰りできるということで、わたし、夫について行きましたけれども、3年が43年になって(苦笑)2003年の1月24日に国境を渡り、中国朝鮮族の方や日本の市民団体、そして外務省の方々のおかげで日本に帰ることが出来ました。」 総連の宣伝と「3年後の里帰り」が山田さんにやはり影響を与えていたことが分かる。しかし、いかに巧みな宣伝がなされたとは言え、彼女には異国の地に渡ることへの不安がなかったのだろうか? 「不安や心配事は勿論沢山ありました。私の家族は、夫と一緒に北朝鮮に行くといいましたら、猛反対されまして、親兄弟の縁を切って行くんだったら行きなさいとまで言われたんです。もしも、子供がいなかったら私は行かなかったでしょうけれども、そのとき夫との間にすでに子供が一人いたものですから、夫と一緒に『帰国』したんです。」 夫と子供が行く事を決意した時、母親だけが日本に残る選択をすることはほとんど不可能である。ここまでの情況を知った上で、私達はそれでも北朝鮮行きを、彼女の「自己責任」と言い切ることが出来るのだろうか。 北朝鮮に帰国船がついた瞬間、「騙された」と思ったのは全ての帰国者、日本人妻の共通した印象であり、山田さんも例外ではなかった。さらには3年後の里帰りも全くの空約束だったことが分かった後、山田さんはむしろ諦め、北朝鮮の地で生きていく事を決意するしかなかった。朝鮮語も必死で覚え、北朝鮮で生まれた子供たちにも、家が帰国者であること、自分が日本人妻である事を隠した時期もあったという。しかし、90年代飢餓の時期、彼女の住む街でも6人の日本人妻がいたが、そのうち3人は餓死した。「その人達が死ぬ前まで、私いつもよく合いに行っていたんですけれども、みんな、死ぬ前に一度でもいいから日本に行ってみたいと言いながら、本当に可哀想な死に方でした。本当に骨と皮ばかりに痩せちゃって。」「餓死」などという死に方が言葉の上でしかなくなった私たちには想像することも出来ない姿である。 しかし、同時に山田さんは、日本人妻だからといって、当初は特にひどい扱いや差別を受けた覚えはないとも言う。 「私たちのいた所では、、とにかく一番暮らしの悪い所でしたが、日本人妻は特別に1ヵ月に100ウォンずつ貰いました。それと配給の2〜3回分は、トウモロコシだけど、日本人妻だということで(北朝鮮生まれの人よりは)多く貰えました。」 しかしこの後、帰国者、日本人妻を「資本主義国から来たスパイ、社会汚染分子」と見なす傾向が、特に60年代後半から70年代にかけて、北朝鮮全体主義体制の完成と共に生じ、多くの人々が犠牲になってゆく。また北朝鮮の相互監視体制の残酷さが様々な密告によりこの悲劇を助長し、北朝鮮生まれの人々と、自由や民主主義の体制を一度は体験した帰国者、日本人妻との溝は埋まることがなかった。 夫を失い、飢餓の国を逃れて再び故郷の地を踏んだ山田さんは、ここ日本で老母と奇跡的な再会を果たすことが出来た。彼女の数奇な人生は日本への「再帰国」をはたすことで鉛管を閉じたように思われるが、未だに彼女の住んだ町に残る日本人妻達、そして日本を思いながら異国の地で最後を迎えた日本人妻達の思いが、彼女の脳裏を去ることはないだろう。 脱北者の語る日本人妻像(1)静かな誇りの中で死を選んだ貴婦人 今日本で生活する脱北女性、李美子さん(仮名)は、日本人妻の思い出をこう語る。 「正月や祭日などの休みの日は、私の住んでいた町では必ず帰国者だけで集まって、そこに日本人妻も来るんですよ、そのとき、お酒を飲んだら、日本に帰りたい日本に帰りたいっていつも言っていました。」 「日本人妻の人たちは、もう今は70,80歳になっていますから、確かに難しいですけれども、誰かが道案内をしてくれたり手助けをしてあげれば、絶対に脱北して日本に逃げてくると思いますよ。もう死に物狂いできますよ。死んでも行きたい、故郷で死にたいって思っているはずですから。」 「日本人妻は、私の知る限り町に15人はいました。集まると、料理も、お刺身、おすし、海苔巻き、あとカステラとかも何とか工夫して作って持ちよります。出来るだけ日本を思い出させるようなものをそろえるんですね。それが一番楽しかったみたいですね。私たち帰国者も集まって、そこでは北朝鮮で生まれた人はいないから、いつもよりは気軽に(密告を恐れずに:三浦注)日本の話ができる。これが本当に楽しいひと時でした。」 李さんのお話では、2人はお亡くなりになったけれど、他の方々はまだ生きている筈だという。そして、この二人の最後は、余りにも好対照で、またいずれも痛ましく胸を撃つ日本女性の姿である。 「一人は、多分栄養失調で亡くなったんですが、亡くなる前に一言でも言ってくれたら、私達は少しずつでも食べ物を持ち寄って援けてあげたのに、何一つ文句を言わず、愚痴もこぼさずに逝ってしまいました。確か九州出身の方でしたけど、亡くなった時は70歳くらいで、すごく綺麗な人でした。夫は早くに亡くなって、子ども家を出て、その人は本当に一人きりだったんですよ。」 「でも、日本人というのはそういう性格なのか、困っていたはずなのに、人には訴えないで、一人で部屋で死んでいたのを、地区の人民班長が見つけたんですよ。後で近所の人の話で聞いたんですけれども、お腹の中に、本当に一粒の食べ物もなかったそうです。帰国者や日本人妻がお金を出し合ってお墓を作りました。すごく花の好きな人だったから、花をお墓に供えました。静かに運命を受け入れる人だったんでしょうね。」 「いつも、その人はすごくしゃれていて綺麗だったから『姉さん』と呼んでいたんですが、2000年の十月にみんなが集まった時、余りにも顔色が青ざめていて、『顔色が悪いですね、気をつけてください』と聴いたのですが、『何となく具合が悪くて』と微笑むだけで、とにかく、食べ物がないとは言わなかったんですよ。日本人って、人の世話になってはいけないとか、自分の苦しい所を人に見せてはいけないという気持ちがありますよね。そして、その人のアパートは市場の近くにあったので、いつも時々窓から顔を出して、買い物に来た知り合いに手を振ったりしていたのに、その頃から殆ど姿を見せなくなったんです。でも、誰かが訪ねていけば本当によかったのに、皆やっぱり自分の家のことで精一杯で、「あのお姉さん、このごろ見えないね」といいながらも、尋ねる人がいなかった。そして11月になって、亡くなっていたのが分かったんです。自分のことはほとんど語らない人でしたが、日本では大学を卒業していたようで、分からない事があればその人に聴きに行けば何でも教えてくれました。」 この証言にはあえて解説をつける必要もないだろう。運命を受け入れ、毅然と死を迎えた女性の姿である。しかし、もう一人の死は余りにも痛ましい。 「もう一人の日本人妻は、豆満江に身を投げて死んだというんです。脱北じゃなくて自殺したという噂でした。この人には夫が物凄くきつい人でしたから、きっと苦労が多かったんじゃないでしょうか。 この人の息子が、国境に近い街に勤めていたんですが、どういう理由があったのか、1990年代、息子を訪ねていって、そのまま豆満江に身を投げたと聴いたんですよ。私達は夫に詳しい事情を尋ねたんだけど、俺は知らないの一点張り。自殺した理由は分からないけど、本当に耐えられないことがあったと思いますよ。私達は皆でその夫の事は悪く言っていました。無理やり朝鮮までつれてきて、夫だけが頼りなんだから守ってあげて当たり前なのに、何だあいつの態度はって。」 このような残酷な男性に怒りを抱くのは当然だ。しかし同時に、多くの帰国者は、この男に対して私たちと同じ怒りを抱き、心からの同情をこの不幸な女性に捧げた事を忘れてはならないだろう。 1994年、2回の日本人妻里帰りがあった事はまだ記憶に新しいが、そこでの「選ばれた日本人妻」の北朝鮮礼賛が、強いられたものだとは分かっていても、多くの日本人を白けさせ、この問題への関心を失わせた事は残念ながら否定できない。しかし、李さんは北朝鮮の中から見た、もう一つの「里帰り」への印象と、日本人妻たちの、どのように形式的なものであれ狂おしいほどに里帰りを望んだ心境を伝えてくれる。 「90年代、日本に1,2回里帰りがあったでしょう。あの時は、もう皆希望を持っていましたよ。次は私だ、私だって、ものすごく皆楽しみにしていました。でも、それもすぐ立ち消えになった時は本当に皆がっくりしていました。」 「一人日本まで行ってきた人がいるんですよ。その人は党員なんですけど、先ず平壌に行って、1ヶ月間訓練を受けると言ってました。もし、日本でこう訊かれたらこう答えるとか、それから必ず帰ってきなさい、もし来なかったら子供たちがどうなるかと脅される、とも。日本での事は絶対言うなと言われたのか、日本の事は喋ろうとしませんでしたね。でも、母は子どもが大事ですからね、子どもを人質にとっていれば北朝鮮の言いなりになると分かっているんですよ。」 あのような偽善的な、北朝鮮側に都合のいい里帰りを2度と許してはならない。日本政府が要求すべき事は、家族も含めて、「日本国民」である「日本人妻」の自由な2国間往来であり、同時に、再びここ日本に「再帰国」する事を選択する当然の権利のはずだ。 脱北女性の証言(2)日本人妻原ひろ子さんの悲劇 もう一人の脱北女性、李春子さん(仮名)が語るのは、今北朝鮮から切実に救援を求めている一人の日本人妻の姿だ。李さんは北朝鮮で1961年、安村正信さん(日本名、在日朝鮮人帰国者)と結婚するが、正信さんの兄、敏榮さんの妻が日本人妻原ひろ子さんだった。李さんは同じく3月の証言集会に参加し、原さんの救援を求めて証言しており、私も緊急性を考えてあえて個人名を私の判断で出させていただく。年代などやや不明瞭な点もあるが、基本的な事実関係は春子さんは確信を持って証言してくださっている。 原ひろ子さんは九州出身、1960年9月、夫、安村敏榮他、嫁いだ安村家ほぼ全員と共に北朝鮮に渡った。義父、安村福祐さんの妻、清水キトさんも日本人妻である。この家に嫁いだ李さんは、主として夫正信さんから、原ひろこ子さんについて様々な事を知る事になる(ひろ子さん自身は余り語らなかったという)。 原ひろ子さんは、比較的裕福な家に生まれ、日本舞踊も習っていた勝気な美少女だった(京マチ子に似ていたという)。僅か17歳で「一目ぼれした」敏榮さんが彼女と結婚した。原家は大反対、ひろ子さんは事実上家出状態で風呂敷包み一つで安村家に嫁ぐ。現在では「差別を乗り越えた恋愛」などと語られやすい結婚だが、戦後の混乱期、同時にまだまだ女性が受動的に結婚を受け入れていた時代背景を考える時、必ずしもそのような単純な図式をあてはめるべき物でもないようだ。強引に迫る男性に、まだまだ若い女性が押し切られての結婚という印象をむしろ李さんは受けており、安村家でもその様な感覚でこの長男の結婚を受け入れていたらしい。ひろ子さんが長男、次女を出産すると、やはり孫可愛さからか、原家と安村家は和解し、両家の交流も行われるようになった。ひろ子さんにとって悩みは夫の浮気性だったというが、それでも比較的安定した月日が流れていた。 しかし、何が原因かは不明だが、敏榮さんは日本でトラブルを起こし、その時ちょうど盛り上がっていた帰国運動に参加して、一家全員で北朝鮮に行こうという話になった。この家は長男である敏榮さんの意志はほぼ絶対的なものだったらしいが、安村家は全く朝鮮人意識も薄く、社会主義にも総連にも、また民団にも興味はなかった。純粋にトラブルからの帰国だった。このようなケースも帰国者の中には少数ではあろうが存在したのだ。24歳のひろ子さんにとっては青天の霹靂だった。 勿論周囲の多くが帰国に反対し、特に原ひろ子さんの家出は絶対に行くなと猛反対した。ひろ子さん自身、北朝鮮に行く意志はほとんどなかったが、義父、夫をはじめ一家総出での帰国が決定された以上、彼女一人ではどうにもならない。それでも、ひろ子さんは、新潟港で、帰国船から飛び降りようと本気で考えたという。李春子さんは、正信さんから聴いた話として語る「ひろ子さんは、帰国船から飛び降りようとしたそうです。でも、その気配を察した夫は、後ろからナイフを背中に突きつけてきて『おかしな真似をしたら刺すぞ』と脅して、当等そのまま船は北朝鮮に向けて出発してしまったと正信は言っていました」 北朝鮮で全員は現在のヘリョンで生活した。ひろ子さんにとってのただ一つの慰めは、夫、敏榮の浮気癖が全くなくなったことだった。勿論、北朝鮮の厳しい社会ではその様な性格も直らざるを得なかったのだろうが、同時に、自分の決断と責任で、このような国に妻と一家を連れてきてしまったという良心の呵責もあったに違いない。義父、福祐さんも、清水キトさんに対し、日本にいるときよりは遥かに優しくなったという。正直、在日朝鮮人と日本人との結婚では、男性が横暴に振る舞い、時には暴力をも振るうような事例が少なくない。しかし、このように北朝鮮に渡った後、逆に夫婦間に、夫の自責の念と、妻が夫の決断をゆする受け入れる過程との間で、本当の意味での差別や民族を乗り越えた愛情と夫婦関係が生まれたケースは決して少なくないはずである。 しかし、そのキトさんも、やはり時々原ひろ子さんに、覚えている日本舞踊を踊ってくれるよう頼み、嫁の踊りに涙していた。やはり望郷の念は耐え難いものがあったのだろう。キトさんは、歌と話をするのがとてもうまく、帰国者が集まる時はいつも唄を歌い、また時には日本にいたときに聴いた昔話などを表情豊かに語った。しかし、朝鮮語はとうとう覚えず、買い物などで外に出ることも殆どなく、ひたすら家で過ごしていた。福祐さんは70年ごろ病死し、その後を追う様にキトさんは静かに世を去る。春子さんは、時には冷淡に見えるほどキトさんは常に冷静だったと語るが、彼女の胸の奥にどんな想いが潜んでいたかは今となっては誰にも分からない。 ひろ子さんも、北朝鮮に行ってからは、日本にいる時よりも静かな印象だったという。しかし、彼女の方はキトさんの諦観と同じではなく、高血圧や婦人病の持病が悪化した面もあったようだ。李春子さんは、「しょっちゅう体を悪くしていたし、時々ぼうっとしている時もありました」と言う。ただ同時に、決して怒りを見せたりせず、感情をむき出すことも殆どなかった。ただ、日本の唄を歌うときだけは、途中で何度も歌えなくなるほど涙を流した。「日本人妻の人は皆そうでしたね。日本の唄を歌うとき、私たち帰国者よりももっと想いが募るのでしょう、最後まで歌いきれないんですよ。何度も泣き出して途切れるんです。ひろ子さんは江ノ島エレジーという歌が一番好きでよく歌っていましたけど、感極まってしまうんですね。」 「それと、北朝鮮で稲荷寿司を始めて作って広めたのは原ひろ子さんですよ。」と、李春子さんは数少ない楽しい思い出として語る。チャンマダン(自由市場)が始まった頃、原ひろこさんは工夫して稲荷寿司を作って売り出し、物凄く好評だったという。仕送りなどで得たお金で買った豆腐を、まず水を上から重しを置いて抜き、そのあとで薄く切って稲荷の皮を作る。寿司飯もちゃんと作って、味付けも日本風でとてもおいしかった。「これは相当評判になりましたし、中国から来た朝鮮族も喜んで買って行きましたよ。日本人妻が作って売っていると言ったら、彼らも同情して買っていたし、もちろん味も良かったんです。その後は北朝鮮の人たちも試行錯誤しながら真似するようになりまして、かなり広まったんじゃないでしょうか。でも、その人たちはやっぱり段々北朝鮮の味に合わせて、にんにくを利かせたり、キムチを入れたりし始める。そっちの方が段々好評になって、しかも皆作り始めたのでひろ子さんの方ははやらなくなってしまったけど、私はやっぱり日本風のひろ子さんの稲荷寿司が一番おいしかったです。」 しかし、この北朝鮮での生活にも、多くの帰国者、日本人妻と同じように、90年代飢餓の時代についに限界が来た。 「97年ごろ、どんどん生活が苦しくなり、ひろ子さんは旦那さんとともに、もうこれ以上生きていけないと、ピョンソンというところに息子がいますのでね、そちらに夫と移ったんです。そして夫も亡くなり、ひろ子さんも2000年ごろ、もう生きていけないと脱北しようと国境線を目指しました。でも、豆満河の少し前でつかまってしまい、ひろ子さんをみた人の話では、お年寄で高血圧だというのに、氷のような牢獄で殆ど裸で座らされていたといいます。」 李春子さんは、北朝鮮に残る親族からの連絡で、原ひろこさんは現在はピョンソンに戻っている事を知ったが、牢獄での仕打ちのせいか、半身不随に近い状態だと言うショッキングな情報と一緒だった。春子さんは、この親族などを通じ、何とかひろ子さんに支援を続けたいと考えている。 3月26日、李春子さんを含む脱北帰国者、日本人妻は、救援団体のメンバーと共に、自民党の安倍幹事長代理(当時)に、米田健三氏のご尽力により約40分間の面会をすることが出来た。そこでも、春子さんはこの原ひろこさんの問題を強く訴え、安倍氏の、日本政府の救援を嘆願した。同席する光栄にあずかった私は、脱北者、日本人妻の訴えにじっと耳を傾けてくださった安倍氏の姿を今も尚はっきりと思い出すことが出来る。現在官房長官となられた安倍氏が、このような日本人妻の悲劇に対し、拉致被害者と同様の関心を示し、行動していただく事を祈ってやまない。 むすび 日本人妻救出はナショナリズムの衝突ではなく、 帰国者救出・独裁政権打倒への一里塚である 日本人妻救出運動は、日本国家の自国民救出の責務であり、拉致被害者救出と同様政府が取り組むべき問題である。しかし同時に、この救出運動は、北朝鮮帰国運動そのものの総括として、帰国者全体の救出に、さらには、問題の根本である北朝鮮独裁政権の民主化に道を開くものでなければならない。 帰国事業が偽善的なものであれ、当時は「人道上の問題」「居住地選択の自由」の名の下に繰り広げられていた事は事実である。日本政府、マスコミもこの美名の下にこの運動を一定支持したことも認めざるを得ないだろう。しかし、同時に総連を中心に行われた「3年後の里帰り」という空約束(詐欺行為)によって騙された日本人妻への救援にも、いや、その実態調査にも何らの関心を持たなかった事は、やはり日本国民を守るべき政府の怠慢ではなかっただろうか。 世界各国に「移民」し、また結婚して移住した日本人は勿論明治以降数多い。その中には夢破れて不幸な人生を送った方々(戦後のボリビア移民など)も確かに存在する。しかし、彼らは少なくとも、現地から日本に帰国するすべを全く失ったわけではない。北朝鮮が、国民の国外移動の自由も、また日本人妻の当然の権利である日本里帰りや帰国すらも原則的に許していない非人道的な態度をとり続け、日本赤十字を通じた日本のご家族からの安否調査や連絡以来にも殆ど良心的な態度を示してこない情況の中で、日本政府が積極的な救援作を取らずに現在を迎えてしまった事は、帰国事業、そしてそれと共に旅立った日本人妻たちを「棄民」したに等しい情況である。 今回、私は最近の事例を中心に紹介するため、日本人妻小池日出子さん(夫チョ・ホピョンさん、そしてお子さん達と共に、北朝鮮から逃亡を試み、銃撃戦の末一家全員射殺されたという、まさにでっち上げとしか言いようのない報告が北朝鮮政府からなされている)日本人夫、柴田幸三さん(一家全員、スパイ罪で収容所に送られ、最後には列車事故で全員死亡というこちらも全く信じがたい報告がなされた)などの例は挙げなかったが、アムネステイ・インターナショナルと、日本に残されたご家族が連帯して訴えたこの事件に関しても、日本政府は北朝鮮にまともな抗議も安否調査も申し込んではいない。最近、日朝国交交渉再開に向けた動きが取りざたされてはいるが、日本国籍を持つ日本人妻を、それも、朝鮮民族の夫と共に異国の地で生涯を送る決意で旅立った人々に対して、以上のような惨い仕打ちを行う国家との「友好」「国交」とは一体意味があるのだろうか? 私は拉致事件同様、この日本人妻問題を、緊急の人道問題、日本国民の救出課題として捉えなおす事を是非日本政府に要請したい。これまで日本政府が、赤十字などを通じて、日本人妻問題でも北朝鮮との裏交渉をそれなりに行ってきた事は理解する。しかし、拉致問題を巡る様々な運動が明らかにした事は、北朝鮮独裁政権は、裏交渉ではこのような人道問題を解決することはできない。あくまで正面から政府が問題を提起し、彼らを批判し、国際的な圧力をかけてこそ、何らかの妥協を引き出す余地が生まれるはずだ。 私たちが脱北者の声に耳を傾ける時、また良心的な在日コリアンの声に耳を傾ける時、その立場や心情を超えて、彼らは日本人妻への深い同情や共感を示していることに気づく。かの朝鮮の地で必死に生き抜こうとした、数奇な運命をへた日本人妻を、帰国者たちは暖かく支えようとした。彼女らがまさに犠牲者であること、援けなければならない人である事を彼らはよく理解していたからである。私達は日本人妻救援運動を、単なる日本国民だけの救援ではなく、同じく苦しい運命を共にした北朝鮮帰国者救援運動に連携していくものとして、さらには、希望を胸に、新たな可能性を求めて旅立った彼らを、現在の悲惨な状態に追いやった北朝鮮独裁政権の責任追及と、同時に民主化を最終ゴールとするものとして展開していこうではないか。それこそが、帰国事業のスローガンであった「人道帰国」「居住地選択の自由」の精神を真に貫徹することである。 (終) |
| 「北朝鮮に人権査察を 脱北者の保護と定着を」集会(05.7.30in神田韓国YMCA)での講演より アウシュビッツ解放60周年の年に北朝鮮強制収容所も解体を! |
| わたくしの方から、もう一つ守る会が取り組んできた、北朝鮮の強制収容所の問題、広く人権の問題について、できるだけ簡単にお話しをいたします。 北朝鮮が、山の奥深くに政治犯強制収容所を持っておりまして、その中では非常に残酷な拷問が行われていること、そこの政治犯の方々のほとんどは、一言今の体制に不満を言ったとか、帰国者や日本人妻の方で、一言「日本に帰りたいなあ、日本の方が良かった」と言っただけで収容所に入れられてしまうような、非常に罪でも何でもないことで捕らえられている方々がいらっしゃっいます。 この政治犯収容所と恐怖、北朝鮮の国内で何か余計なことを言ったり、あるいは何人かで集まって、そこで何か不用意なことを言ったら、密告されてここに入れられてしまうのではないか、との恐怖感が北朝鮮の人々の気持ちをマヒさせてしまっていること、これはほぼ明らかなことだろうと思います。 今回も含め、多くの集会で何度も名前が出ております姜哲煥さん、彼は帰国者の息子として、耀徳政治犯収容所で非常に苦しい体験をされた方でした。この政治犯強制収容所、この解体と脱北者の支援、この二つは、今北朝鮮の人権問題を考える上で、避けて通れない問題です。 アウシュビッツ解放60周年に、北朝鮮の収容所も解体せよ 本年2005年は、アウシュビッツが解放されて60周年です。アウシュビッツの時代ならば、あのようなひどい虐殺があるということを、当時の人たちは、まだ良くは知らなかったんですね。しかし、今「北朝鮮のアウシュビッツ」で何が行われているかは、これだけたくさんの脱北者の人たちの証言、そして人工衛星による収容所の写真、現実に収容所を体験した人(姜哲煥、安赫、金英順ら各氏)の証言、その収容所で警備兵をしていた人(安明哲氏)の証言、これだけ集まれば、もはや充分すぎるほどです。 もう一つ、今北朝鮮と中国の国境を彷徨(さまよ)っている脱北者の悲劇に関しても、もはや我々はテレビの画面を通じて、どのようなひどいことが行われているか、どういう気の毒な人が逃げ惑っているかは、ほとんどすべての人たちに情報は伝わっているはずです。 かつて、アウシュビッツであれ、たくさんの人間の悲劇について、当時は知らなかったからというのはあると思います。しかしこれだけ情報が伝わってきて、今日もこれだけの方々が、勇気を持って語っていただいて、これで私たちが何もしなかった場合は、私たちは北朝鮮の独裁体制の、中国の脱北者迫害の共犯者と言われてもしかたがないかもしれません。 こんな6カ国協議ならボイコットせよ! 今、6カ国協議が始まっております。いろいろ意見はあるでしょう。しかし、私は個人的には、このような6カ国協議であるならば、もはや日本政府は、ボイコットしてもかまわないとまで思っております(拍手)。 そして日本政府は、今回だけではなく、戦後ずっと、国際協調ということを言ってまいりました。それは大切なことです。しかし同時に世の中には「名誉ある孤立」という言葉もありまして、北朝鮮の人権問題に触れないような会議、今の北朝鮮の体制を保証し、強制収容所を残すという選択、このようなことが行われる会議、そして我が自国民の拉致事件に対して、議題に上げるということすらも、これだけ苦労しなければならないような会議に、これ以上日本が参加することは、敢えていえば国辱であります! (拍手)そして敢えていえば人権侵害国に共犯者になることです。 左右、保革双方が内部矛盾を乗り越えよ! 先程姜イングさん(脱北者への弾圧を止めない中国に抗議して、北京五輪ボイコットを呼びかけている活動家)から、韓国の右派・保守派、左派・進歩派という話が出ましたが、この日本でも様々な捩れ現象が起きております。しかし、私たちはあくまで理想を掲げるためには、例えば保守派の立場から、自分たちの国の名誉、また国民の安全、そして日本国の平和ということを考えるならば、あの北朝鮮のようなテロ国家には、核兵器は持たせない。テロ国家にさらわれた自国民は助け出す。そして日本の平和と国益のためにも、あのようなひどい人権弾圧などをしている独裁政権を倒さなければ、日本の国家にとっては、何ら益にならない。保守派ならば、このように語れるはずであります。 そして左派・進歩派、人権を国家よりも重んじるということならば、日本国や、6カ国協議の形で、国際協調などというキレイ事で、人権が踏みにじられ、日本国民も、北朝鮮の民衆も人質に取られて、そして拷問を受け、苦しんでいるような、そのような6カ国協議や、日本政府の現在の姿勢は、人権的にも許されないという批判が出てきて当然であります。 問題なのは、このようなごく原則的な正論が、この日本においてなかなか実現しないということです。今、一部の人権派の方々、進歩派の方々は、この日本人拉致を含む、北朝鮮の人権の問題になると途端に「国際間の協調と平和」を騙ります。また残念ながら、一部の保守派の方々は、この問題になると「脱北者を受け入れることは、やはり日本の国柄に合わない」と、そのような発言が聞こえることがあります。 これは原則的に、両方が乗り越えなければならないこと、独裁政権を倒すためには、どうしたらいいかという原則で私たちが一致団結することが、今日本に求められております。 なぜ北朝鮮が核を持ってはならないのか? もう一つ、ナタン・シャランスキーという方がいます。この方の、『なぜ民主主義を世界に広げるのか―圧政とテロに打ち勝つ「自由」の力』という本がダイヤモンド社から出ております(05.6.30売)。興味のある方は、手に取ってみられるとよろしいと思います。 この中でシャランスキーはこのように言っています。「北朝鮮が核を作ることが恐ろしいのではない」もちろんそれは、いいことではないけれど、恐ろしいのではない。「民主主義でない独裁国が、核を持つのが恐ろしいのである」と。 もう一つ「独裁国でも、その時、その時、自分にとって都合が良ければ、平和条約も結ぶし、態度も穏健になる。しかしそれは、自分の権力を強めるために過ぎない。民主主義国家と独裁国家は、根本的に非和解的であり、独裁者は自分の権力を守るためには、必ず外に敵を作って、好戦的な態度、世界に緊張をもたらすような政策を取る。それ故に、民主主義を広めること、これが世界の平和の原則である」とこういう文書を書いております。 シャランスキー氏の本が紹介された時に、一部の新聞、朝日新聞というところですけど、ネオコンの単純な本で、ブッシュが読んでいるんだから良い本であるはずがないかのような記事が出ましたけれども、これは単純な戦争を煽るようなものではありません。 独裁主義と民主主義とが相容れないこと、そしてソ連が血を流さずに崩壊したような、かつての戦略が全世界的に取られるべきである、と。他にどうする手段がなかった場合は別にして、原則的にそのような平和的な戦略で世界が民主化できるはずである、というアメリカの知識人の自らがソ連収容所体験のある方のメッセージです。 求められる「リスクを負う覚悟」 そして、この独裁政権を倒すためには、私たちもリスクを背負わなくてはいけません。一つには、北朝鮮というテロ国家や、中国というテロ国家北朝鮮の共犯国家に対して、私たちが、相手がどのような強い態度で来ようとも、自分たちがあくまで人権と人道の立場からきちんとした反論をしていくことです。6カ国協議の場でも、他の交渉の場でも、常にこれが貫かれなければいけません。 経済制裁は、もちろんその手段の一つとして、選ばれるべきだと思いますけれども、もう一つ、北朝鮮から逃げ出してきた人、この脱北者の人たちは、できるだけみんなで助けていこう、と。そういう認識が民主主義国家の間で広がらなければいけません。この日本に来たいと、北を逃げてこの日本に来たいと言っている北朝鮮の方々は、99.9%1959年以降、北に「帰国」した帰国者の方、日本人妻の方、そのご家族の方です。このような人たちに関しては、できるだけ日本に受け入れようと…。 また北朝鮮で生まれた方々、純粋にご家族全部が北朝鮮で生まれた方々、これは同胞として韓国政府が受け入れようと…。将来的には、例えばアメリカを希望する人もいるでしょう。そういった人たちに対して、民主主義国家が連携して、独裁国家から逃れてきた人たちは、私たちの盟友であり、独裁者と戦ってきた、独裁者に苦しめられながら、勇気を持って脱出してきた私たちの同胞であるという意識を、民主主義国家の国民たちが、連携して持っていこうではありませんか! 経済制裁と、これは守る会というよりも私の個人的意見ですが、北朝鮮に対する経済制裁を含めた圧力、そして脱北者の救援とこの二つが、日本、韓国、アメリカの中で連帯できていけば、私は血を流さずして北朝鮮を崩壊させ、民主化させることは可能であろうと思います。 どうしても必要な北朝鮮人権法案、狂っている政策の優先順位 その第一歩として、どうしても必要なものが、この日本における北朝鮮人権法案、今政局は、郵政民営化のみに集約されているような話題がありますけれども、郵政民営化がつまらない問題だとかそんなことを私はいうことはできませんが、郵政が民営化されるか、されないかで、人が何十万も死ぬとかいうことは、あんまりないと思うんですね。まああったらそれは、大変なことでございますけれども、もうほとんど若い人はメールになっておりますので、あまり関係ないのではないかと思います。郵政民営化、それが大事な問題ではあります。年金も大事な問題です。 しかし、今現実に100万、200万、下手をしたら300万の人たちが、隣国で死んでいること。千基元(チョン・ギウォン)先生(トゥリハナ宣教会の牧師で、モンゴル経由での脱北者の韓国脱出を支援していた活動家)がおっしゃいましたが、数十万単位の方々が、中国の中を逃げ惑っていること。そしてこの日本から数十人、もしかしたら数百人の方々が、北朝鮮に拉致されて助けを求めていること。これらすべては、命がかかった問題であります。そして時間がないんですね、これは…。 郵政民営化が1年間遅れたからといって、それによって30万の人が死ぬとか、数百人の日本人が悲劇に陥るとか、それこそ帰ってこられないとか、そうではないわけです。現在、政界においても明らかに、人権、人道、人命の尊重という基本的なレベルでの優先順位が、やや狂っているのではないかとしか思えません。 皆様も、それぞれのお立場で、ここ日本にいる方は日本政府にまず、韓国の方々は韓国政府にまず、そしてお互いが手を越えてですね、いろいろな立場の違いを越えて、人権という言葉よりももっと違う次元、人命の問題です、これは…。人の命が、独裁者にもてあそばれるのはこれ以上許せない、という声を挙げていこうではありませんか。 北朝鮮に人権査察を 脱北者に保護と定着を 北朝鮮に人権査察を、核査察ではなくて収容所に、そして北朝鮮で行われている人権抑圧体制に対して、NGOを含めた国際査察団をぜひ、派遣しなければいけません。脱北者に保護と定着を、今中国が行っているような不当な強制送還、そしてUNHCR、国連が、彼らを難民として認めないのは、まったく怠慢どころか、日本は、これだけ国連にお金を出しているのですから、彼らは仕事をしていないということはですね、敢えていえば、北京その他のUNHCRは、まったくの職務怠慢であります。 そしてもう一つ、この日本、韓国その他での脱北者の人たちの定着と平和な人生を、何とか作り出していくために、これらすべての問題が、この日本において北朝鮮人権法案という形で、せめてこの秋の国会で成立ができるように守る会も努力していきたいと思います。その他の皆様も、それぞれのお力を貸していただければ幸いでございます。 本日はどうもありがとうございました。(拍手) (原良一さん構成) |
| 書評『宿命―「よど号」亡命者たちの秘密工作』(高沢皓司著 新潮社) |
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本稿は、RENK機関誌「RENK」16号(98.11.22発売)に掲載したものです。それ以降、八尾恵証言、2002年小泉訪朝などの流れなどで既に内容的には古いものになっているかもしれませんが、あえて本書の古典的な意義を評価して発表時の文章にはほとんど手を加えていません。98年の時点での私の書評としてお読みください、三浦) 独裁を否定していたはずのよど号犯の退廃 「『よど号』亡命者」――1970年のハイジャックで北朝鮮に飛び立った9名の赤軍派。60年代末、新左翼運動の行き詰まりの中、運動の新たな展開を夢見て行動した彼らの終着点は、金日成体制と主体思想への全面的な「帰依」であり、日本人拉致事件を含む北朝鮮の国家犯罪への荷担であった。かつてはこの「よど号犯」の代弁者的役割を果たし、数年前から自己批判の後彼らの思想・行動を告発する側に身を投じた高沢皓司氏が、これまでの「よど号犯」批判の集大成としてまとめたのが本書である。こうしてよど号犯の全体像を読み直すとき、本書は、拉致事件の真相のみならず、かつての新左翼運動の本質的な弱点と、左翼政治運動が陥りがちな精神の退廃を教えてくれるものとして、大変興味深い資料となっている。 赤軍派のハイジャックは、次のような目的と思想の下に実行されたはずだった。 「我々の大部分は、北朝鮮に行くことによって、それ自身を根拠地化するように最大限の努力を傾注すると同時に、現地で訓練を受け、優秀な軍人となって、いかなる困難があろうとも日本海を渡り帰日し、前段階武装蜂起の先頭にたつであろう。我々の大部分は、北朝鮮に断乎渡るのである。そして断乎として日本に帰ってくるのである。……いかに国境の壁が厚かろうとも」(19ページ、田宮高麿、出発宣言) さて、平壌で彼ら赤軍派を待っていたのは、ひたすらに主体思想を詰め込まれる「学習」の日々だった。高沢氏はこれをはっきりと「洗脳」と呼んでいる。 「よど号犯」の足跡を思う時、これらの「洗脳結果」はあまりにも痛ましい。高沢氏はこの「洗脳過程」を次のように説明している。「思想教育は毎日の日課になっていた。(中略)ひたすら教育されたのはチュチェ思想のみである。(中略)1日の授業が終わると、決まって討論の時間があった」「教授や指導員たちの気に入る答は一つだけであり、それ以外の答え方をした者には、再び同じ学習が繰り返された。(中略)何度でも同じ学習を繰り返し、そうすることによって自分が気に入る答え方が他にないことを知らせた。(中略)本心からではなくても、やがて彼ら(よど号犯)は指導員が気に入るような答え方を探すようになった」「彼らもまた納得のいかないながらも、チュチェ思想にのっとって模範的な解答をし、消化不良の部分は気持ちの奥にしまいこんだ。しかし、それはやがて彼らの自己を引き裂き、自己を解体した。(中略)異貌の思想を受け入れさえすれば、この虚しさから脱出できる。それだけではない、新しい価値と評価を手にすることができる。彼らは、そこにただ一点の光明を見た。(中略)もはや反抗する者はいなくなり、指導員の教えは砂が水を吸うように彼らの中に入っていった」(95ページ)この「洗脳」が弱い自我にとっていかに効果的か、我々は新興宗教や自己啓発セミナーの隆盛によって知っている。 考えてみれば、北朝鮮という国で生きていくためには、この洗脳を受け入れるしかないことも事実である。しかし「よど号犯」がこの「洗脳」を受け入れていく過程では、それ以上に彼ら自身の思想的脆弱さが大きく作用していたと思われる。先に引用した彼らの手記は、たとえ北朝鮮政府の厳重な監視下に書かれた(された)ものとはいえ、あまりにも無残で「非主体的な」ものである。「現実は直視しなければならない」「自分に主体がなかった」「人民のためといいながらも、結局は狭いセクト利害ものを考えていた」等々、一つひとつを取ればもっともな問題提起をしていながら、なぜ安易にチュチェ思想ごきのものにその答えを求めていくのか? 「現実」を直視するためには、まず「現実」と衝突しなければならない。今、北朝鮮で自分たちが洗脳教育を受けている現実。自分たちが人民からまったく隔離され、北朝鮮の宣伝する「人民像」を抽象的に押しつけられている現実。こうした現実と格闘しなければ「主体的」に考えることは不可能である。彼らが「現実を直視」しなかった誤りを認めながら、さらに非現実的な妄想にのめり込んでいった悲喜劇は、やがて真の悲劇をもたらす。 「結婚作戦」と岡本武の謎 連合赤軍の「あさま山荘銃撃戦」による壊滅は、「よど号犯」たちの日本帰国の夢を完全に打ち砕いた。「国内に何の力もなくなれば、われわれの要求(軍事訓練を受けて革命戦士として帰国する)がチョソン側に受け入れられるはずがない。わたしは茫然とした気持ちを抱かざるをえなかった」(小西隆裕、107ページ)高沢氏の分析によれば、この後「よど号犯」はより一層金日成主義への傾斜を深める。「人民不信にもとづいた闘争の過激化、突出化は決して革命的なものにならない。大事なのは人民を信じることとチュチェ思想にもとづいた革命的世界観だ」――これが彼らの連合赤軍事件に関する総括だったという。 1972年5月平壌を訪問した日本人記者団は、金日成との記者会見の後、「よど号犯」たちとも会見した。彼らの発言は、無残なほど金日成と北朝鮮に対する賛美に満ちあふれていた。1977年、「よど号犯」は一斉に平壌で結婚する。この結婚は「妻」たちの談話と異なり、彼女らはほとんどが北朝鮮・金日成の熱烈な支持者であり、北朝鮮によって「花嫁候補」として選ばれて平壌に招かれた人たちだった。彼女らは「“チュチェの花嫁”、“首領様の花嫁”」であり、結婚、出産は「彼らの思想改造の最後の仕上げとして、金日成に絶対の忠誠を誓わせること」、また「子どもの誕生は組織の人員を増やす」という意味があった。 その他にも、「よど号犯」にとって妻子の存在は重要な意味を持っていた。「妻子は同時に彼らが海外の活動に出されるための『人質』にもなった。実際、彼らが単独で北朝鮮を出て、海外での活動を活発に始めるのは、子どもたちが誕生してのち、70年代末になってからである」(169ページ)平壌の「日本人寄宿舎=日本人村」で、北朝鮮の庶民にとっては夢のような生活を送る一方、「よど号犯」は金日成・金正日の指示による工作活動に着手していく。 本書第13章から20章にかけて記された、日本人拉致事件への「よど号犯」とその妻たちのかかわりは、おそらく本書の最も注目を集める部分だろう。拉致犯罪について高沢氏は現地の貴重な証言を交えながら、細部にわたって綿密に証拠固めをしており、「よど号犯」の工作活動とその犯罪性に関する最もまとまった報告となっている。その中でも私が最も衝撃を受けたのは、拉致事件だけではなく、かれらの「反核運動」へのかかわりだった。私自身、80年代初頭の反核運動に対しては、核廃絶という理想を信じ、好意的に感じていた面がなかったとは言えない。後日、この運動が多分に中立を装いながら、スターリン主義国家、ソヴィエトに有利な方向に誘導されていたことを知り、自分の不明を深く恥じたこともある。 しかし、この運動に「よど号犯」がかかわり、反核宣言文に主体思想をすべりこませたり、若者を親北朝鮮勢力としてオルグしていたことまでは知らなかった。一見政治的中立に見え、異論を唱えにくいテーマ(反戦、反核、平和、人権、飢えた子供たちをすくおう等々)を持った運動が、実はもっとも悪しき独裁政治に利用されてしまう。これは常に注意しなければならない問題の一つだ。 ところで、この反核運動に対してもっとも積極的に動いたとされる岡本武が、他のメンバーと対立し、「日本人村」から切り離され、ついには北朝鮮からの脱出を試み、おそらくは収容所幽閉を余儀なくされる。岡本が船を奪って海上から脱出しようとし、巡視艇に追いつかれて威嚇射撃を受けるシーン(384ページ)は、北朝鮮からあと一歩で逃れることができなかった岡本の無念が伝わってくるようだ。 この岡本武の妻、福留貴美子さんは、「よど号犯」の妻の中で、おそらくただ一人の「拉致被害者」である。岡本武が、最後にはメンバーと対立し、ついには粛清されていったのは、おそらく福留さんは、他の思想的にも北朝鮮シンパである妻達と異なっていたこと、彼女にとっては到底信じられない主体思想や、受け入れがたい工作活動を押し付けられることに心底からの抵抗感を抱いていたことだろう。この妻の精神が、いつか岡本武の「洗脳」を解くことに繋がったのが、逆に二人にとっては悲劇をもたらしたのではないだろうか。福留さん救出を日本政府が本格的に取り組む事は、よど号犯による世界的な工作活動解明・それを命じた北朝鮮政権の犯罪性を暴くことにも繋がるはずである。日本政府は福留さん拉致事件究明、救出に全力を挙げる事が北朝鮮に大いなる打撃を与える事をどこまで認識しているのだろうか? 岡本の粛清によって、これ以降「よど号犯」は完全に金日成・金正日の道具となり、思想的には退廃を極めていく。「自主日本」「人道帰国」「尊憲」「民族」――これらはすべて、主体思想を都合よく引用し、日本国内に極右から平和主義者までに連帯を呼びかけ、その内部に北朝鮮シンパを作る為に、彼らが日本向けに発する宣伝活動である。 1995年12月、リーダーの田宮が「病死」した。「よど号犯」たちの思想と行動は新左翼運動の最悪の一例として、歴史に名を留めるだろう。彼らは反スターリン主義から出発し、主体思想に落ち込んだ。人民のために戦うつもりが、独裁者の道具となった。国際主義の理想を掲げながら、まがいものの民族主義に行きついた。人間の解放を求めたはずが、拉致という形でかけがえのない多くの人生を踏みにじった。彼らは、うわべだけの反スターリン主義、反独裁を唱え、民衆の解放を求めながら、結局現実の民衆と出会うことにも、彼らのごく普通の心を理解することもしようとはしなかった。今現在の日常を生きているごく普通の人々のささやかな喜びや悲しみには眼もくれず、「革命」の為に人々を踏みにじる主体思想に屈服し、北朝鮮で飢えと抑圧下にある民衆の事を想像しようともせず、留学生活や国外旅行を楽しむ同じ日本の若者を「それよりも革命に献身する事が意義ある人生なのだ」という傲慢極まりない思想で人生をもてあそんだ。何故このような精神の退廃が起きるのか、これはよど号犯問題を超えて、政治運動の人間精神に与える闇の問題として、常に見直さなければならない重要なテーマである。 吉田金太郎と、高沢氏の「祈り」 本書の最終部では、従来、「よど号犯」の中で一人早く病死した吉田金太郎の死の謎についても記述されている。情報不足のためだろうか、この部分のみ、何故か高沢氏の文章には、やや明瞭さが欠けている。それでも高沢氏はさまざまな情況から、吉田金太郎がおそらく主体思想を受け入れなかったために、「スパイ」として「スケープゴート」にされたのではないか、と推論したのち、次のように記している。「彼のしなやかな感性が、たぶん、最終的なところで、金日成主義の《嘘》を見抜いていたのである。朝鮮人民中に入ってみなくては、と普通の常識で考えたはずである。(中略)吉田金太郎は、ただ人々と同じ暮らし、同じ苦しみと喜びを、自分も生きることを選ぼうとした。それが、彼の感性だった。空論や観念を必要としていたわけではない。そこから彼は日本の運動と『革命』を考えようとした。その意味ではハイジャッカー9人のうち吉田金太郎だけが、あの頃の時代の意識を上がりつめ、本当に日本のことを考え、労働者と『人民』の側で、最後まで非転向を貫いたのだと思わずにはいられないのである」(518ページ)おそらく、これは高沢氏の「祈り」である。かつての「同志」たちの退廃の中に、ただ一人でも「非転向」を貫いた人、初心と理想を失わず、独裁政権に抗した人がいてほしいという、「祈り」と「希望」の言葉である。 「(ごく普通の)人々と同じ苦しみと喜び」を自らの「観念、理想、思想」に織り込むこと。それのみが観念を空論にしないのみならず、観念を一層研ぎ澄まし、自らの思想を深みへ、そして高みへと導いていくのだということ。逆説的ながら、「よど号犯」の事例が我々に教えるものは、そうしたことだと思う。 (ページ数は、初版本によるものです、現在の文庫版とは異なります、ご了承ください) |
| 日朝平壌宣言は直ちに破棄を 三浦小太郎 |
| 以下の文章は、「北朝鮮利権の真相パート2 日朝交渉敗因の研究」(宝島社)に書いた文章の抄録です。本としてもかなりよく出来ていると思いますので、未読の方はよろしければお読みください。実はこの文章の原本は、以前この掲示板に私が書き込んだもので、それを色々な資料で補強した結果できた文章でした。とにかくこの宣言にこだわっている政治家には拉致問題解決は絶対に出来ない。(三浦) 日朝平壌宣言全文を再読すると 二〇〇二年九月一七日、誰もが忘れられない第一回日朝首脳会談。北朝鮮側がはじめて拉致という犯罪を認め、被害者の 情報を発表したあの日、締結された日朝平壌宣言。この宣言は発表当初から、様々な論者により、時には肯定的に、また時 には否定的に論じられてきたが、未だに小泉首相により「日朝平壌宣言に基づいて北朝鮮とは交渉する」と評価され、日本 の対北外交の基本原則となっている。北朝鮮側も「日朝間には、日朝平壌宣言というしっかりした基礎がある。拉致問題を 含めた日朝間の問題は、平壌宣言にのっとって一つ一つ解決していきたい」(〇三年八月の北朝鮮側発言)等の発言に代表 されるように、これを公的に否定する気配はない。むしろ、〇四年の第二回小泉訪朝前後の両国政府の交渉や発言に見られ るように、この宣言があくまで日朝交渉の基本認識となっていくことと思われる。 既に核開発やミサイル実験準備など、北朝鮮側は平壌宣言を公然と違反しているという識者の指摘も多く見られる。しか し、それでも両国政府はあくまでこの宣言にこだわり続けている。果たして日朝平壌宣言とは何なのか、その宣言に両国は それぞれどのような意義を込めているのだろうか。 日朝平壌宣言の全文は次の通りである。 日朝平壌宣言 平成14年9月17日 小泉純一郎日本国総理大臣と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長は、二〇〇二年九月一七日、平壌で出会い会談を 行った。 両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方 の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。 一、双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注する こととし、そのために二〇〇二年一〇月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。 双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取 り組む強い決意を表明した。 二、日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、 痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。 双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協 力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見 地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正 常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。 双方は、国交正常化を実現するにあたっては、一九四五年八月一五日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべ ての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした。 双方は、在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議することとし た。 三、双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全にかかわ る懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後 再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。 四、双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した。 双方は、この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築されることの重要性を確認するとともに、この 地域の関係国間の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であるとの認 識を一にした。 双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。また、双方 は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性 を確認した。 朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを二〇〇三年以降も更に延長してい く意向を表明した。 双方は、安全保障にかかわる問題について協議を行っていくこととした。 日本国総理大臣 小泉純一郎 朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長 金正日 この日朝平壌宣言を高く評価する人達の論考が最もよくまとまっているのは、「日朝交渉 課題と展望」〔岩波書店〕だ。 本書第一部の座談会参加者、小此木政夫、伊豆見元、姜尚中、水野直樹、李鐘元各氏は、水野氏が「植民地支配の問題」へ の謝罪が足りないとやや否定的なトーンで述べているのを別にすれば、概ね高い評価が下されている。特にこの宣言を安全 保障の面から評価しているのが伊豆見氏である。 「『平壌宣言』は意義深いものだと思っております(中略)とりわけ私が注目するのは、第四項の『核問題の包括的な解決 のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した』というくだりで〔中略〕当然のことながら、NPT(核拡 散防止条約)、IAEA(国際原子力機構)とのセーフガード保障措置協定、そしてとりわけ重要なのが『濃縮ウランの施設を 持たない』と言う事を明確に謳った南北の非核化共同宣言を遵守する義務を、北朝鮮は負っているわけです。〔中略〕これ をテコにして北朝鮮にその完全履行を迫ってゆく圧力をかけることができる。」〔日朝交渉 総合討論日朝平壌宣言の歴史 的、国際的意義〕 伊豆見氏の思考の良く現れた発言だ。氏はこの日朝平壌宣言を、北朝鮮の核開発停止を明確に義務付けたものとして高く 評価している。 これに対し姜尚中氏は、宣言には三つの意義が見出されるとして同宣言を評価する。 「第一に、宣言が『あるがままの北朝鮮』の存在を確認し、それを前提に国交正常化を図ろうとしている事である。(中略 )北朝鮮を北東アジア地域の中に組み入れてゆく事でその漸進的な国内改革を促す方針を採用したのである。」 「第二に、宣言は、朝鮮半島の平和と安定が、それを取り囲む北東アジア地域の多国間協力及び信頼醸成と表裏の関係にあ ることを公的に明らかにしたのである。」 「第三に、宣言では、核及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題を、北東アジア地域の関係諸国間の対話を通じて解決 する必要を強調していることである。」(日朝交渉 北東アジア共同の家に向けて) 姜尚中氏は、何よりも日本が北朝鮮現体制の打倒ではなく、現体制を承認した上で国交正常化を図る意思を示したものと してこの宣言を評価している。元々両国政府の代表が交渉の場に赴く以上、その場で出される宣言におたがいの体制への厳 しい批判など出るはずもないのだが、私はこの二者とは全く異なる地点から、この宣言の問題点を考えてみたいと思う。 拉致事件の幕引きと、 テロ国家の責任免除に繋がる平壌宣言 日朝平壌宣に「拉致」の二文字が入っていないことは当初から厳しい批判を受けてきた。それに対し、この宣言を評価す る側は拉致問題に関して直接的に触れてはいないが、第三項の次の点が事実上拉致問題を指しているのだと弁護してきた。 「第三項 双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全に かかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題 が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。」 しかし、この論理にはやはり無理がある。仮にこの表現が拉致事件を指すものである事を日朝両政府が了解しているとし よう。しかし、この文面だけでは日本側の解釈と北朝鮮側の解釈は全く違う様相を見せかねないのだ。 日本側の立場に立てば、第三項の「遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとる」と言う文面は、拉致 事件の真相、事実関係の全貌を日本側に提出する義務を北朝鮮は負う、またさらに関係者の処罰や情報公開まで要求しうる と解釈する事も可能だ。「互いの安全を脅かさない」ということで二度と北朝鮮は国際テロを仕掛けないということも意味 すると言えるかもしれない。 しかし、北朝鮮側に立てば全く違う意味をこの文面は持つ。「互いの安全を脅かす行動をとらない」という表現は、日本 側が北朝鮮の人権問題追求や脱北者への保護の訴えなど、かの独裁政権にとって「存在が脅かされる」様な人権改善や民主 化を求めるような行為・発言も規制されることになる。極論を言えば、「北朝鮮の存在を脅かす」可能性のある経済制裁ま でをも、この宣言は否定しているという解釈すら成立してしまうのだ。 また、「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題(拉致問題)」について「朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常 な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとる」という文面も、先の日 本側の真相究明という解釈とは異なり、北朝鮮側から読めば、「今後再び生じないように」と言う表現によって、拉致問題 についてはもう解決したと見なされる。北朝鮮は虚偽であるとは言え小泉首相に拉致事件についてすべてこの日に報告した のであり、その報告を納得した上で首相は署名した以上、既に両国政府にとってこの問題は終結したということになる。 あくまで北朝鮮の論理に立てば、日本側はこの宣言を守る以上、拉致問題については交渉する余地なし、特にこの時点で 話題にもなっていない特定失踪者の問題は持ち出すな、という言い分もありうる事になる。さらに「日朝が不正常な関係に ある中で生じたこのような遺憾な問題」と拉致問題を「不正常な関係が生み出した」事件と見なす宣言に両国首脳がサイン した以上、このような問題を二度と起こさないためにも、「正常な関係」つまり国交正常化が最優先と論理的には繋がって 行く。そして、「不正常な関係」が生み出した遺憾な事件として、拉致に対する北朝鮮の責任は回避され、北朝鮮の国家犯 罪を問うという姿勢は事実上放棄されてしまう。平壌宣言はまさに「拉致事件の幕引きとテロ国家の責任は問わない」論理 に誘導される危険性を秘めているのだ。 第四項における核の問題についても、「北朝鮮は核開発を放棄する」「国際機関の査察を受け入れる」などの具体的提言 は一切含まれていない。「平和と安定の維持、強化」「信頼に基づく協力関係」「関係国間の関係の正常化」といった言葉 のみが美辞麗句のように並んでいる。 勿論、この文言もまた日本側にたてば、伊豆見氏のような解釈が可能であり、非核化を目指すための大きな武器になりう るであろう。しかしこれもまた北朝鮮側に立てば、片言節句を引用すれば、アメリカの強硬姿勢を批判し、韓国の太陽政策 を擁護することを日本も賛同した文書にも取られかねないのだ。 「双方は、この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築されることの重要性を確認」し「関係国間の 関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していく」事を目指すという文言は、北朝鮮側にと っては、「関係各国」の一つであり、北朝鮮を「悪の枢軸」の一つと見なすアメリカに対し、朝米の「相互信頼を構築」す ることの重要性を確認したということである。さらに「関係各国の関係が正常化されるにつれ」という文言は、今後日朝両 国が国交正常化に向かうというメッセージが秘められている。そして、今北朝鮮と「相互の信頼に基づく協力関係」を構築 築しかねないのは、韓国のノムヒョン政権であろう。 北朝鮮は現在に至るまで、6カ国協議をアメリカの北朝鮮敵視政策を理由にしばしば批判し、協議への不参加をほのめかし て引き伸ばしを図る。この姿勢は勿論参加国から批判を浴びるべきものだが「地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備し てゆく」という門言を最大限北朝鮮から拡大解釈すれば、日本はこの宣言にしたがい、枠組みの整備のために、日本がアメ リカに対し「枠組みの整備」を妨げている北朝鮮への敵視政策をやめるよう、北朝鮮と「協力」して訴える事をも正当化さ れる。 第二回訪朝の後、小泉首相がブッシュ大統領に対し、金正日の「メッセンジャー」よろしく「喉がかれるまで一緒に歌いた い、と金総書記は言っていました」などと伝えた有様を見たとき、私はこの宣言はどこまでも悪用されてゆくのではないか とすら思えた。 平壌宣言は拉致被害者も北朝鮮民衆も見捨てる そして、さらに重要な問題がある。日朝平壌宣言を擁護する人々の論調には、安全保障や安定への思考は強いものの、拉致 問題のみならず北朝鮮の人権問題についてはあまりにも冷淡である。彼等は北朝鮮の現体制を認めるのではないが、概ね以 下のような結論に行き着く。 「だれもが共通して北朝鮮のあの体制は変わって欲しいと思っている。では、いま何を求めるべきなのかと自分自身に問い かけてみて欲しい。あの体制の急激な転覆を追及するべきなのか、それとも段階的な体制移行で満足するべきなのか。」 「私は急激な体制転覆を追及するのは非情に危険であり、無責任だと言う気がする。(中略)日本がブッシュ政権とともに 最前線で戦うということです。アメリカが外科手術的な攻撃を試みるから、それを後方から支援する体制をつくればいいと いうことです。その結果、第二の朝鮮戦争が発生して、ソウルが火の海になってもかまわないし、ノドン・ミサイルが一〇 発、二〇発日本に向けて飛んできてもかまわないわけです。(中略)そのとき日本経済はどれだけの打撃を被るか。大量の 難民がどこへ流れてゆくのか。現在では二〇万人以上になっていると推定される北朝鮮に帰国した在日朝鮮人、その配偶者 と家族は日本への帰国を希望するでしょう。(中略)そういうことすべてを一度に覚悟して、危険な体制転換を試みるべき だというのなら、それはたいへんな神経の持ち主です」(日朝交渉総合討論より小此木政夫発言、これには伊豆見元、姜尚 中ら討論参加者がほぼ全員賛同している) このような事態を迎えたくないのならば漸進的改革を目指すしかない、という結論(と言うより私には多少危機感をあお るアジテーションに聞こえる)が先行し、その上で「あるがままの」北朝鮮現体制との交渉が正当化されてゆくのは、これ はこれで「大変な神経の持ち主」ではないだろうか。確かに、体制転覆の一つのシナリオとしてアメリカによる攻撃という 事は考えられるだろう。しかし、北朝鮮現体制の民主化や打倒を目指す人が、すべてこのシナリオ以外は考えていないと小 此木氏が思うのならば、それは余りにも極端な議論である。 それでは、逆の方面から、「北朝鮮体制の漸進的・段階的体制移行」が不可能であるという「極論」を述べてみよう。か の体制は、私見ではどのように分析しても、政治学者ハンナ・アレントが分類する「全体主義国家」である。姜尚中氏も 「文革、スターリン体制、ポル・ポト体制を足して三つにわったような」(同座談会での発言)と認めているし、小此木氏 もスターリン主義体制であると発言しているのだから、この観点には異論はないと思う。その上で姜氏は「スターリン体制 下の旧ソビエトとも平和条約を交渉してきたし、文革の中国とでも日中国交回復をやめろとは言わなかった」のであり、 「古めかしい反共シフトと民族蔑視的な感覚で議論すべきではない」と続けて日朝国交交渉を進めるべきだと結んでいる。 では、全体主義国家の漸進的改革は歴史的にはどのように実現したのか? まずソ連では、少なくともフルシチョフのス ターリン批判から全体主義からの脱却が始まった。中国は事実上のクーデターにより四人組が打倒され、文革=後期毛沢東 政権が批判されてからである。このような「体制内変革」を、金正日現政権が国交回復や経済改革、それに伴う他国からの 情報流入によってなしうるともし考えるのならば、その根拠を是非ご提示いただきたい。そして、これからどれだけの長い 年月、北朝鮮の民衆はかの独裁体制の中で、抑圧に耐えていかなければならないのか。 日本国政府は、現在「古めかしい反共シフトと民族蔑視的な感覚」どころか、むしろ積極的に国交交渉に流れ込もうとし ている。ここで日朝平壌宣言が常に基本原則とされるのならば、特定失踪者を含む多くのいまだ未知の拉致被害者は救出の 見込みがなくなる危険性がある。さらに、小此木氏が日本に流入する事を案じている北朝鮮帰国者、日本人配偶者も救われ ず、北朝鮮民衆は「平和」の内に抑圧され、強制収容所では無実の政治犯が殺されてゆくだろう。また、今既に脱北してい る北朝鮮難民も、中国政府により強制送還されてゆく。この事態は前述したように、いずれも北朝鮮側の「日朝平壌宣言解 釈」からは正当化されかねないのである。 日朝平壌宣言は、安全保障の面からも、拉致問題解決の面からも、さらにより根本的な北朝鮮独裁体制の民主化・人権改 善の面からも、余りにも不十分な宣言だ。まさに「あるがままの北朝鮮」を正当化するものに他ならない 今日本政府に求められるのは、日朝平壌宣言の呪縛から解き放たれる事である。そのためには、北朝鮮の個々の宣言違反 行為に抗議するのではなく、宣言そのものへの根本的な疑義を唱える事が必要と思われる。 「北朝鮮人権法案」の制定を まず、平壌宣言は、九月一七日の北朝鮮の拉致被害者に対する報告が虚偽である事が判明したこと、さらには、特定失踪 者間題の浮上により、既に意味を失った事を明確に認識すべきだろう。拉致問題の全体像を北朝鮮が提示しなかった以上、 日朝首脳間の信頼関係は損なわれ、宣言自体も根拠を失った(日本側が一時は拉致被害者を返すと言ったとか言わなかった とか言う議論は、これに比べれば全く小さな問題だ)。日本国に求められているのは、平壌宣言の否定と共に、別の長期的 な政策プランを明示する事だ。それは、現在アメリカで制定されつつある「北朝鮮人権法案」日本版の制定である。 真の平和は、単なる戦争のない状態ではないはずだ。それはあくまで「安定」に過ぎない。日朝平壌宣言、そしてそれを 支持する人々の求めているのは、この「安定」であり、その陰で起きる拉致問題を初めとする様々な人権抑圧を不問に付す ものだ。実はこの精神は、自国民を二〇年以上にも渡って拉致され、しかもそれが北朝鮮の国家犯罪である事をうすうす気 づきつつも無視してきた、私達戦後日本そのものの姿に他ならない。これからの日本に必要なのは、全体主義・テロ国家と 「交渉」し「平和共存」する姿勢ではなく、あくまでその体制の人権抑圧と国家テロに抗議し、平和的な体制移行を強く要 請する決意であり、またそのための具体的な実行策だ。アジアの民主主義国家として、経済大国として、これは日本の使命 でもあるはずだ。 日本政府は、拉致被害者の救出と拉致事件の全体像の真相究明、北朝鮮帰国者、日本人配偶者の安否調査と人権改善、脱 北者の保護(特に脱北者の中に含まれる帰国者、日本人配偶者の保護)、また現代のアウシュビッツというべき北朝鮮国内 の政治犯収容所の解体などを中心にした「北朝鮮人権法案」を制定すべきである。これは「北朝鮮を敵視」するためのもの ではなく、拉致被害者、日本人配偶者の救出という、日本国民の人権と生命の擁護につながるものだ。アメリカの人権法案 とは多少力点が違うであろうが、小此木氏の言うような戦争協力という形での日米連携ではなく、北朝鮮の国家犯罪の犠牲 者を平和裏に救出し、人権改善を促すという連携が日米でなされれば、戦後の日米関係から大きく飛躍した、新しい「人権 外交」が生まれるはずである。その過程で日本も国家意志を示し責任を果たす事によって、従来のアメリカ追従ではなく、 よりアジアの実情に即したアメリカ外交を提言する事も出来るはずだ。 日朝平壌宣言を脱し、「北朝鮮人権法案」の制定へ。日本外交の進むべき道は、テロ国家との妥協と果てしない条件交渉 ではなく「北東アジアの真の人権回復」につながるテロ国家との戦いの道である。この道を平和をあくまで守りつつ歩みゆ くための決意と提言こそが、今政治家にも知識人にも求められているのだ。 |
| 明治という時代の最良の精神 |
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以下の文章は、石光真清という明治の情報将校について書いたものです。本来、外務省、また情報相と言うのはこういう仕事をしなくてはいけないんですけど、今の日本はほとんどなされていない気がします。(三浦) (1) (3) ロシア革命が二十世紀の大事件であったことは疑いをいれない。しかし、今日の私たちの眼から明らかなことは、かの革命は偉大な理想主義に始まりながら、残酷極まりない独裁と粛正、そして収容所国家による弾圧による痛ましい惨禍をもたらした歴史の悲劇だったと判断せざるを得ないだろう。「城下の人」四部作の最終刊「誰のために」に記されたロシア民衆の声は胸を突く。「情けないことだ。日本人よ、革命を起こしてはならぬ。いや、革命を起こすような政治をしてはならぬ。」 |
| ある韓国元左派知識人の論考 |
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《解説》 |
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民族主義現象の考察:我々の自画像 一、二章略 |
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日本の植民地支配は、最も過酷なものであったか 反日のブーメラン効果 日韓関係は普段は平穏であるが、日本の政治家の植民地美化発言が飛び出したり、独島(竹島)紛争が表面化すると、途端に全韓国社会が沸騰した湯のようになる。いくらかでも改善されていた日韓関係も再び原点に回帰する。この場合は、日本が先に刺激したから、我々の対応が強力でなければ、再び悔りを受けるという論理が優勢である。 日本の古代文化の伝播を取り巻く論難 日本に対する、わが民族の優越性を探り求める作業は、古代史とスポーツという二つの領域で主に行われる。朝鮮半島を通して日本へ文化が伝えられたという証拠が発見されたという報道が出ると、人々は陶然となり、自然と満たされたような気分で高揚する傾向がある。これに関する史学界の論争の種もかなりある。 日韓のスポーツ戦争 スポーツの分野では、我が国には「日本には必ず勝たなければならない」という至上命題がある。運動選手、中継アナウンサー、応援する国民すべてが完全一致して、優勝よりも対日戦勝利をより一層願うという、一種異様な雰囲気が醸し出される。運動競技で、自分の国のチームが勝てば気分がよくなるのは事実であるけれど、いずれ勝つことも負けることも有り得るスポーツで、どうして「絶対」という言葉が出てくるのかを考えてみたい。 日本についての無知 我々は日本を強く意識しているのだが、以外と一般韓国人の日本に関する知識は大変皮相的である。個人的なことを述べると、三年前だが、長い日本留学経験を基に書かれた、金ヒョング教授の「日本の話」を読んで、私自身の日本に関する無知を知らされ恥ずかしかった。日本人は毎日のように風呂に入るとは聞いていたが、元来その理由は湿気が多い気候のせいだという、ごく平凡な事実をこの時初めて知ったくらいである。 四、「我々」に関する錯覚 朝鮮族(中国)は外国人である 近来はやや冷めてきたが、韓・中修交以後、中国の朝鮮族に対する、我々社会の関心は非常に熱いものがあった。南北朝鮮だけでなく朝鮮族まで合流させて統一構想を練れば、久しい宿願であった中国北方領土の回復も夢ではないと、心密かに期待する向きまであった。 韓国の少数民族、華僑 同様の脈絡の問題が、韓国内の華僑と外国人労働者に対する排他的な態度に現れる。韓国社会の発展と関りのない朝鮮族に対しては「我々」の枠内で考え、元来この社会で自分の役割を果たしている。華僑や外国人労働者に対しては距離を置こうとする。韓国の華僑は韓国人の排他性とこれに影響された政府の差別政策のために、生まれ育ち馴れ親しんだこの土地を今も離れていっている。現在四四才のある華僑が語るところによれば、自分の華僑中学校の同窓生一五六人のうち、まだ韓国に留まっている人は七ニ人だという。 外国人労働者の問題 外国人労働者に対して、韓国社会の差別を超える蔑視はたいへん有名である。 混血人は異邦人か 付け加えるなら、我々は混血人に対してとても冷淡である。時には、外国人よりももっと強い拒否反応を示したりする。単一民族の伝統を汚したと心密かに思っているようである。顔形は違うのに、同じような韓国語で語り、キムチもよく食べる(彼らも韓国人だからあまりにも当然なことであるが)のが、とても不自然で、甚だしきにいたっては不愉快になるのである。だから、混血人は幼い時から受けてきた冷遇のせいで、「父の国」であるアメリカへ行くのを最大の夢として生きている場合が多い。 七、理性の強化 これ以外にも、民族主義現象に含まれる事例は、いくらでもあると思うが、最後にここで民族主義の現象についての考察を結んでみたい。
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| フィンランデイア“フィンランド現代史:国が独立を守ると言うこと” |
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日露戦争は当時ロシアの支配下にあったフィンランド民衆を大きく励ました。明石元次郎大佐はロシアの後方霍乱を狙ってフィンランド独立派に武器援助を行い、子供に「トーゴー」「ノギ」と名前をつけるフィンランド人が多く現れる。この時点での日本国の外交がいかに優れていたかを伺わせるエピソードだ。 |
| 国民虐殺国家の平和的打倒を 三浦小太郎 |
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ジャーナリスト萩原遼氏の著書「金正日 隠された戦争」(文藝春秋)は、90年代の北朝鮮を襲った飢餓地獄が、金正日の失政による「人災」ではなく、明確な独裁政権による「国民に対する戦争=虐殺」であった事、また、金日成の死が、金正日が自らの失脚を恐れての「殺人」であったことを明確に提示した衝撃策だ。 |
| 金正日独裁政権の平和的な打倒に向けて 北朝鮮人権法案を読む 三浦小太郎 |
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北朝鮮人権法の成立 2003年10月19日、ブッシュ大統領の署名により、アメリカで「北朝鮮人権法案」が成立した。今後のアメリカの対北朝鮮戦略については、私達は様々な情報やその折々の政治的な駆け引きに幻惑される事無く、まずこの法案の精神がアメリカの「国家意志」の根本をなすものとして考えるべきである。 対北朝鮮軍事攻撃は可能性が薄い まず、一部で囁かれているような、アメリカによる近い時期の軍事的対北朝鮮先制攻撃は、少なくとも本法案を見る限り殆どその可能性はありえない。もしも北朝鮮が公開核実験などの極端な挑発的軍事行動に出た場合はこの限りではないが(おそらくその場合は真っ先に動くのは中国政府である)アメリカがまず対北朝鮮政策を武力行使ではなく東欧型の亡命者誘発による崩壊路線をまず主軸にしたと見るべきだ。この方針は時間も必要であり、何よりも中国の協力が必要となる。中国の脱北者への姿勢変更と、UNHCRによる脱北者保護が強調されているのはこのためであり、これは本法案が、国連を無視してでも早急な民主化と独裁政権打倒を目指した、一部ネオコン主導の『イラク自由化法案』とは本質的に異なる事を意味している。 経済制裁という『鞭』 脱北者支援という『飴』 ここ日本では、拉致問題に対する北朝鮮の余りにも非人道的な態度に対し国民の怒りは再び高まりつつある。横田めぐみさんの遺骨と称し、何ら関係ない別人の遺骨を渡してくるなどの好意は、まさにかの国のテロ国家・工作員国家としての性格をそのまま反映したものだ。対北朝鮮経済制裁は、日本国が抗議の意志を示すために当然の行為である。しかし、同時にアメリカと連携しての対北朝鮮包囲網を確実なものとするためには、日本政府自身が脱北者救援に対し一歩踏み込んだ政策を提示する事が是非とも必要である。経済制裁という独裁政権への『鞭』は、脱北者救援という、北朝鮮の抑圧された民衆への『飴』と同時に行われてこそ、このアメリカの方針にもかない、積極的な支持を得ることも出来るだろう。 日本の武器は対中ODA停止と北京オリンピックボイコット 金正日独裁政権の一日も早い崩壊を望む心情からすれば、アメリカの対イラク姿勢と鑑みて、人権法案に見られる対北朝鮮姿勢が微温的過ぎるように思う人の心情は理解しうる。しかし、私達は、戦争と革命という手段が、たとえ目的は正しくとも余りにも多くの犠牲を伴う事を20世紀の歴史を通じて学んできたはずだ。テロ・拉致・飢餓の全体主義国家北朝鮮の体制の存続を今後も許すことがあってはならないが、その打倒手段はあくまで平和的、漸進的な、犠牲を最小限に留めんとするものでなくてはならない。そのためには、脱北者救援の体制をアメリカと連携して中国国内での確保、同時に北朝鮮国内に、脱北もしくは国内での内部改革を呼びかけるためにも多数の情報を流入することにより、この全体主義体制を大きく揺さぶること、可能ならば一気に崩壊に導く事をまず試みるべきである。現在太陽政策という思考停止に陥りつつある韓国政府もまた、脱北者救援と言う目的に反対する事は出来ないはずだ。 本稿は、「中国事情 −民族問題研究―第2号」という保守系雑誌に掲載したものです。他にも東トルキスタン問題、チベット問題などの論考が掲載されている雑誌(1冊500円)ですので、興味のある方は三浦までご連絡いただければ見本誌等を郵送いたします。 |
| 空虚化する「国家」と「言論」 |
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以下の文章は、2001年6月に保守系ミニコミに書いた原稿です直接北朝鮮問題と関係はないのですが、現在(2005年1月)話題になっている、安倍・中川両議員やNHK報道のあり方と一部共通する問題もあるように思えて投稿します。(三浦) 「あなたは国益と言論の自由、どちらが大切と思いますか。」 最近、テレビで田原総一朗氏が、政治家相手に何度も口にする台詞がこれだ。問題になっている報道規制の法案についてはさておく。この質問と、「どちらも同じぐらい大切です。」と平然と答える政治家の反応を聴くたびに、ああ、この国では国益も言論の自由も、共に危ういものになりつつあるのだなあと思う。 この質問がつまらないというのではない。 それどころか、近代民主国家において、言論の自由とプライバシーの関係、政治家の情報公開と国家機密の関係は、簡単に答えの出ない難問である。その重要な問題が余りに軽々しく語られ、しかもすぐに一言で答えられるほど単純な問題だと見なされていることが、現代日本マスコミの言葉と思想の退廃ぶりを表している。 言論の自由が自由として機能するためには、かっては国家権力の専制支配に抗しなければならない時代があった。しかし、言論の自由の敵は抑圧だけではない。言論を発する側が、いかに自らの言論が他人を傷つける可能性があるか、国益や社会全体にマイナスの効果を与える可能性があるかを内省する姿勢を欠くことこそが問題なのだ。現代社会では、言論から自由の価値を奪うものは言論人自身の無責任さと自己内省力の欠如であり、これはかっての専制支配よりもむしろ言論の自由に危機を与える。専制支配は言論を封殺することが出来るだけで、言論そのものの価値を決して滅ぼすことは出来ない。しかし、無責任で内省力に欠けた言論は、言論そのものを堕落させ、言論の自由それ自体を、価値なき物と見なさせかねないからだ。 さらに、この問いに余りにも簡単に答える政治家の顔を観るたびに、私はこのような人々が国民の生死にかかわるかもしれない政治的選択を、同じように軽々しく行う場面を考えてしまう。 現在のような大衆民主主義の社会で政治家を志すものならば、国益と表現の自由や国民の知る権利が根本的に対立する可能性があり、その時には自らの政治的信念や国益のためには、時には「高貴なる嘘」をつかねばならない時が来るかもしれないこと、それが明らかになったときには、全責任を自らが引き受けなければならないことぐらいは、当然覚悟していなければならないはずだ。質問に対し、「田原さんはどんな時でも、ジャーナリストとして国益よりも言論の自由や知る権利を優先する信念を貫いてください。私は政治家として、自らの責任においてギリギリのところでは国益を優先するという決断をせざるを得ないでしょう。」という程度の切り返しが出来ないような政治家と、初めから「言論の自由」なるものがいかに現在において堕落した価値になってしまったかに思いを致さないジャーナリストが、いざと言うときに国益も言論の自由も真に守れるはずがないのだ。 もう一つ、余りにも意外な発言だったので強く印象に残っている言葉がある。李登輝前台湾総統の来日に際して、ビザ発給に反対の意見を、参議院議員の田英夫氏が4月18日朝日新聞朝刊に掲載した。このような説自体は、それこそ言論の自由の観点からあってもよい。むしろ当初ビザ申請は出ていないと言ってごまかそうとした外務当局の姑息な処置よりも、明確に中国よりの立場から反対論を表明する姿勢の方が遥かに筋が通っているだろう。しかし、田氏はこの中で次のような発言をしているのだ。「(訪日は)『人道上の問題』だというが、人道や人権という言葉が非常に安易に使われている。(アメリカのように)人権や人道という言葉を戦争の理由に使うことだってありうる。人道や人権は、必ずしもオールマイテイではないし、政治や平和の上にある存在でも無い。」 私はこの言葉自体は、実は全面的に間違っているとは思わない。しかし、田氏は社民党・護憲連合に属する政治家である。これまでの自らの政治党派が表明して来た意見は一体なんだったのか。日本は当時の政治的環境を言い分けにせず、人道的立場から戦前の行為をアジア諸国に詫びよ。平和と憲法9条は、現実政治の力学を越えた理想の体現であり死守すべきだ。万が一侵略を受けても非武装で抵抗せよ(それでいながら北ヴェトナムによる南の「武力統一」全面支持と北朝鮮へのシンパシー)。田氏らは、まさに「人道や人権(いずれも党派的、恣意的なものだが)」を明らかに「政治や平和」の上において来たはずではないか。本来なら、これまで田氏を支持して来た人権派団体は、この発言を人権を政治の下に置く許しがたい国家主義として断固抗議すべきである。 しかし、この混迷は実は田氏一人の物ではない。戦後民主主義、戦後平和主義がいよいよ末期的段階に入ったことの現れなのだ。かってナチスドイツがチェコを侵略したとき、英仏はミュンヘン会談でヒトラーに妥協し、「平和」の為にチェコ民衆を見捨てた。そして今日、日本も韓国も、平和のためには北朝鮮で独裁者に虐殺される民衆を見捨てている。「平和」の価値が他国で行われている暴虐な現実を見ないことによって保たれるという現実、そのような「恥ずべき平和」を至上の価値とすることによって、「平和」という概念自体が堕落して行ったことに、いまだに気づかない鈍感な人々がいるのだ。 国家も、国益も、民主主義も、人権も、言論の自由も、平和も、いずれも重要で大切な近代的価値概念である。そして、それこそ政治党派やジャーナリズムによって「非常に安易に」使われすぎ、このいずれもが本来の価値を失いつつある。この流れが加速して行く先に来るのは、あらゆる価値感が崩壊した荒涼たる世界である |
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脱北者証言 |
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以下の文章は、2004年3月31日に行われた、韓国の市民団体、北韓人権市民連合定例会における脱北者女性の証言録をほぼ全文掲載し、その上で三浦の簡単な解説を付けたものです。北朝鮮国内の情勢や精神状態は何よりもこのような証言が一次情報として貴重なものと思います。(三浦小太郎) アンニョンハセヨ。私はイ・ミランと申します。2003年5月30日に北朝鮮を脱出し、同じ年の7月18日、韓国に到着しました。北朝鮮を脱出した動機はついて、簡単に申し上げます。 私は江源道のウォンサンで生まれました。そこで約24年間生活し、結婚後の25年間は咸境道茂山郡に住んでいました。皆さんもご存知とは思いますが、北朝鮮の状況が悪い方へと転じていったのは、1990年代のことです。その頃のことをお話します。1991年度から食料事情が悪くなり、配給がなくなりました。それでも、95年度までは、数ヶ月に一回の割合で、半月分の食糧配給がありましたし、名節のときなどは、二日分の配給がありました。しかし、95年以降はそれすらも打ち切られました。特に95、96、97、98年度ごろが、最も苦しい時期でした。その時期に沢山の人々が飢え死にをしました。通りに出ると、道端に死骸がごろごろしていました。さらには清津、咸興、チョンソン、平壌のような、大きな駅の待合室でも死骸を見るようになりました。その光景を見て、言葉を失いました。 (三浦)北朝鮮の食糧事情が急速に悪化し、餓死者が続出するようになったのは食糧配給が停止した90年代以降というのは多くの脱北者の証言が一致するところです。これは旧ソ連を初めとする社会主義圏の崩壊が影響している事は疑いを得ませんが、より本質的には、北朝鮮独裁政権の誤った経済政策や外交が完全に破綻したという事でしょう。現在、竹村健一氏のような保守派すら『最近は北経済は上向き』などという『妄言』をはく人がおりますが、後述するようにそのような事実は全くありません。根本的にはあの誤った体制そのものが倒れない限り経済体制だけ上向きになる可能性はないと思われます。 母と夫を亡くして 96年度5月に、主人は病気(風邪)にかかりましたが、薬を求めることもできないうちに、その月のうちに亡くなりました。その後、実家の母を呼び寄せて一緒に住んでいましたが、その母も病に倒れて亡くなりました。 子供達は中国に 子供達の消息は、全くつかむことが出来ませんでした。いったい生きているのか死んでいるのか、心配しているところに、上の子が中国で捕まり、戻ってきました。再び北朝鮮での生活を強いられた息子は、全く改善の兆しの見えない生活に希望を持てずに、ろくに食べることも出来ないまま5ヶ月間過ごしました。そして、こう言いました。中国へ行かなくては、こんなところで暮らすことなんて出来ない、と。「家族が一緒に生活しないで、一体どこへ行こうというの。」と私は言いました。しかし、息子は死んでもここでは生活できない、と言い、2月に再び中国に行ってしまいました。そして8月、今度は下の子が捕まって戻されてきました。8ヶ月ほど一緒に生活しましたが、ご飯もろくに食べさせることが出来ませんでした。結果、物乞いをしてでも中国で生活すると、母親の私に訴えてきました。私は、お前まで居なくなって、お母さんはどうやって生きていけばいいの、と言いました。しかし、もうこれ以上耐えられない、そう言って8ケ月目のある日、再び中国へ渡りました。それ以来、一切消息が分からなくなりました。私は、何の便りもよこさないということは、きっと中国で生きているはず、そう思いながら過ごしてきました。1年半の間、一人で商売しながら、どうにか生きてきました。 子供達に会うために韓国へ 2003年、昨年5月29日。一組の男女が私を訪ねてきました。そして、息子からだという手紙を渡されました。“お母さんへ”と書かれていて、“妹と二人で、中国でちゃんとやっているから、お母さん中国の延辺まで来てくれれば、そしたらお金を渡すから”という内容でした。字をみれば息子の書いた物だということは一目でわかりましたから、その二人について行くことにしました。二人はオンソン穏城に住んでいる人で、わざわざムサンまで私のことを迎えに来てくれたということでした。ムサンからオンソンまでは、丸一日かかる距離でした。彼らは、北朝鮮人を中国に移送させるビジネスをしている人達でした。そして、彼らはこう言いました。「正直に申し上げますと、息子さんと娘さんは中国に居るのではなく、韓国に居るのです。私達は、お母さんを南朝鮮(韓国)に連れて行くと約束してきました。」私はびっくり仰天しました。なぜならば、南朝鮮というところは、人の住む所ではないと、乞食が溢れていると信じていましたから、私は恐ろしさで震え上がってしまいました。最初は、絶対に行かないと言い張りました。するとその人が「お母さん、そんなの嘘ですよ。」と言いながらひたすら説得するのでした。それでも私は行かないと言い張りました。すると、息子に連絡をしてくれると言いながら、電話を掛けはじめました。 (三浦)脱北者の典型的な一つのパターンだと思います。まず、『北朝鮮では生きられない』という意識が中国脱出を決意させ、そこで外の世界の情報を耳にし、韓国亡命を決意する。北朝鮮国内はまだまだ完全に情報が遮断されていますから、この母親のように、『韓国はこじきの国(どっちや)』などという情報操作がまだ生きているのですね。中国に逃げた息子が、何らかの韓国の救援団体などと接触し、そこで韓国の実体、北朝鮮がどれだけ世界から遅れているのかを知ったのでしょう。 経済改革以降の北朝鮮 2003年5月以降のことは分かりませんが、98年度ごろから、食糧難で人々はぎりぎりの生活をしていました。99、2000、2001、2002年、私達は苦しい生活を強いられました。配給は、1年のうちで大きな節日、お正月二日、2月16日の金正日誕生日に2日分ずつもらいましたが、その他の配給はまったく無くなりました。自力で食べていかなければならなくなりました。それでも、機転を利かしてちょっとした商売でもできる人々は、何とか生活していくことが出来ました。2003年度からは食料事情がもっと悪くなって、1月には草も生えていなくて。北朝鮮では4月末からようやく芽が生えるんですよ。その頃になると、人々は一斉に山へ出かけていって、片っ端から草を抜いて食べてしまうのです。草なら何でも、クローバでも何でも摘んでいって、煮たり炊いたりして食べるんです。トウモロコシの粉を100g程交ぜて、それを釜に入れて焼いて、それが実情です。とても人の食べるものとはいえません。 白米を口にてきることなど全くありませんでした。一番のご馳走が、トウモロコシ蕎麦です。それもそのまま食べるのではなく、煮てふやかしてから、草を混ぜて水をいっぱい注いでから食べるんです。米を食べているのは幹部、安全部、そんな人達だけです。一般の人々は、草の粥で食いつないでいる、というのが現実です。 北朝鮮で次に困ったことが、薪が無いことでした。木が本当に貴重でした。ムサンは山里であるにもかかわらず、木が一本も生えていないのです。なぜかというと、何年も前から木を伐採してしまって、山は丸裸になってしまいました。山頂まで全部畑にして、トウモロコシやキビ、豆などを植えて食べます。山で木を探そうとしたら、相当奥まで行かなくてはなりません。人々が住む場所に近い所にある木は、すべて切ってしまって無くなってしまいました。主人が生きているときに、薪を採りに出かけましたが、早朝5時半に家を出ました。6里ほど奥まで行って、わずかばかりの薪を持って帰る頃には、夕方4時から5時になります。それでもって何日か暮して、また同じように採りに行っての繰り返しです。夏は暑いので木を切ることが出来ません。冬の仕事です。1年分の薪を冬に集めるのですから、全家家族総出で薪集めにかかります。木に紐を結んで6里の道をひいてきます。平たい道ではなく山道ですから、本当に大変な仕事です。食べるだけでも一苦労です。電気もありません。供給されるのは、1月1日2日と、2月16日とその次の日4月15日とその次の日だけです。韓国へ来てから、街燈が点いているのを見ては、ああもったいない、北朝鮮に送ってあげたい、そんなことを思います。北朝鮮の生活水準は、原始時代レベルだと言っても過言ではないでしょう。本を読んだりテレビをみたり、現代人ならば当然のことも出来ずに、特に冬場は夕方の5時には日が沈んでしまいます。ランプの油も貴重品でしたから節約をして、ですから5時には早目に床に入ります。一眠りすると、10時ごろに目が覚めてしまいますが、真っ暗で何も出来ないのでとにかく寝ます。朝も薄暗い中、明かりもつけないで食事をこしらえて食べていました。 子供達もお腹がすいていますから、学校へは行ずに私の商売の手伝いをさせて、そして畑仕事もして。山里のようなところは、すべて畑です。1年に700kgから800kg程の収穫があります。そういうことが出来る人々は、収穫で重湯などを炊いて食べたり、売ったりします。農業も商売も出来ないような人々が、飢え死にしても誰が驚かない世の中でした。昨年5月に脱北するまでは、そのような暮らしをしていました。 (三浦)こういうお話は胸が痛みますが、ある脱北者の方は私に『自分は草を一トンは食べたよ』と笑いながら語ったことがあります。私達が食べる野菜と違って、雑草の中には毒性のものもあり、それで命を落とした人も沢山おります。 質疑応答 “ちり紙、トイレットペーパー、トイレは?” ちり紙なんて、見たこともありませんでした。そんな物があることすら知りませんでした。そのようなものは、多分中央党の幹部達しか使っていなかったと思います。学生達が学習に使った紙を使ったり、農村ではトウモロコシの皮などを代用しています。北朝鮮で一番大きな新聞が労動新聞なのに、それすらも紙がなくて発刊できない有様でした。原料になる木がないのですから、紙を生産することが出来ないのです。子供達がそんな紙を使えば、肌がガサガサになるし、給水も良くないし。 “沙里院は食糧事情がいいと聞きましたが” 少し前まではそうでした。でも今は沙里院でも、食糧が不足しています。それでもムサンで米が100ウォン位するとすれば、そちらへ行けば役半額、50ウォンほどで買えます。ムサンで中国の物品を買って、それを沙里院に持っていって高い値段で売ります。そして米を買ってリュックサックに入れて担いで帰ります。 “農業が上手くいかない理由をご存じですか” 土地は沢山あるのに、地質が悪く作物が育ちにくい上に、肥料もないからです。やせた土地にいくら穀物を植えても実りは少ないのは当然です。350万トン生産することが出来れば、北朝鮮の人々は食べるのに困らないですが、実情は100万トンも生産する事が出来ないのです。それでも韓国のように経済が活発に運営されて、輸出をしたり輸入をしたり、そういうことが出来ればいいのですが、北朝鮮は基本となるお金がありませんから、米も買うことが出来ずに、そのせいで食糧が殆ど底ついてしまった、というのが私の考えです。 “金正日政権は、いつ亡びると思いますか?” いつかは亡びると思いますが、金正日が死んだとしても、また同じような後継者が出てくるでしょう。そうして代々受け継がれていくうちは、北朝鮮政権は亡びないと思います。何故ならば、一般市民は飢えていますが、軍隊や支配層にいる人々、政権を握っている人々は、飢えを知りませんから、そういう人達が政権を変えようなんて思うはずがないでしょう。底辺に居る人だけが、早く南北が統一されていい暮らしが出来るように願っていて、上層部に居る人々は、そんなことは望んでいません。何もかも保証されている立場の人間が、自分の地位を危うくさせるようなことをする訳がありません。幹部達は党から言われた仕事をこなしていればいいのですから。 “銃を撃ったことがありますか?またそれは、いつ頃ですか?” はい。赤い青年近衛団というのがあります。高等中学校5年生になると、義務的に半月間、赤い青年近衛団に入って訓練を受けますが、最終訓練の時に実弾を撃ちました。 “経済難以降、女性への負担は?社会主義体制の中で、以前には感じなかったことは?” 食糧供給がめちゃくちゃになってから、男達は職場に出勤して仕事をして。しかし、職場に行ってもお金ももらえないし、配給表をもらってきても、配給制度が崩壊していましたから何にもなりません。ですから、女逹が家族を養うしかないのです。北朝鮮で言う母系氏族社会が帰って来たと言いながら、男達のことを番犬、昼の電燈(点けても意味がない)、風景画、こんなふうに呼んでいました。そうです、男達のする仕事が一つもないのです。女性達が商売でも何でもやります。国家で配給を少しでもしていた時代は、民衆には商売を禁じていました。商売をすれば、捕まえられて収容所送りになって、監獄に入れられるということでした。ところが人々が飢え死にするようになってから措置がとられて、農産物だけは売ってよいということになりました。一切の工業品の販売は禁止、農産物だけ売りなさいと、こんな指示下りましたが、国家でもある程度目をつむっていましたから、人々は市場を運営しました。市場では大々的に中国の品物売っていました。以前は中国の品物を置いたりすれが、すべて没収されました。しかし、何年か前からは、おおっぴらに売られるようになりました。北朝鮮の女逹は、男は楽だと言っています。男達は職場にさえ出勤すれば良いのですから。市場では男達のできることなど一つもありません。女逹が商売をして、家族を養っているんですよ。以前は国家から与えられるものだけで食べていけましたが、今は違います。このような状況の中で、個人利己主義というものが芽生えて、商売がちょっと上手くてお金が入るようになれば、意識が変わるのも当然だと思います。私がお金を稼がなくてはならない、こんな意欲が強まって、言わば資本主義そのようなものも芽生えてくるのです。北朝鮮のほとんどの家庭が女の手で養われている、そう思っていただいてもいいと思います。 “女性同盟活動はどのようにするのですか” 必ず参加しなければなりません。一週間に二回です。女性同盟活動は生活総和、学習講演会などを、午前中にします。午前はこれに参加して、午後から市場に出て商売します。組職生活には必ず参加しなければなりません。もし参加しなければ、女性同盟鍛錬隊に送られてしまいますから。組職生活は必ず参加して、商売は二の次です。 “北朝鮮事情が、これから良くなると思いますか?” 絶対にならないと思います。工場も稼動していませんし。原料がない、電気がいない、唯一ムサン鉱山だけが稼動していますが、多くの小企業は閉鎖しています。よくなるのは軍隊だけです。それにしても、軍隊ばかり強化して、一体どうするつもりなのでしょうね。 “韓国の各宗教団体や社会団体からの救護物品を受けとったことがありますか?” 一度もありません。工業品は一回も見たことがありませんし、薬品も風邪薬一つもらったことがありません。 “鄭周永さん(韓国の財閥、『現代』社長:三浦注)が牛を(北朝鮮に)プレゼントした事について、見たり聞いたりしたことがありますか?” 鄭周永さんが牛と米を贈ってきたというニュースをTVで見たことがあります。それ以前に、韓国から何かが贈られた、ということは一度もありませんでした。韓国から米を送ったということですが、受け取ったのはたった一度きり、鄭周永さんが贈ったというそれも、配給でお金を出して半月分を一度きり。その他、一般人のところに米が贈られた、ということは聞いたこともありません。韓国が豊かであることが分かれば、人々の意識が変わります。米軍達についても、悪い宣伝ばかりしていますし、TVも中央通路一つしか見ることが出来ませんから、国際情勢も何も分かりません。鉄窓のない監獄の中に閉じこめられているようです。決まったフレームにはめ込まれて、「こうしろ」と言われればこうして、「ああしろ」ああして、何でも「はいはい」と従わなければ政治犯収容所に送られてしまいますから。ですから、人々はされるままにします。飢えても死んでも文句一つ言わずに、共産党ですから。北朝鮮では体制が何でもしてくれますから。韓国から米が何回も贈られていることも、韓国に来てはじめて知ったんです。 (三浦)この質疑応答の部分も重要な事が語られていますね。特権や財産をもっている、今現在貧しい民衆を踏みにじっている労働党幹部が、自分たちが滅びる改革を自らするはずもありません。『金正日政権内部に改革派と保守派がいる、改革派を応援しよう』などというのは初めから限界のある話ではないでしょうか。 (証言翻訳;岡部多美子) |
| 拉致被害者は「洗脳」などされていない 三浦小太郎 |
| (本稿は、拉致被害者5人が帰国した後の10月末に執筆したものです。表現を多少改めましたが本論は変えていません。今回、蓮池さん監修の漫画が発表されるということもあり、当時の様子を思い出すためにも参考になればと思いました。最終部の結論に関しては現在でも全く変わらない状態が続いていると考えます。三浦) 拉致被害者ご家族を日本政府が北朝鮮に送り返さなかったのは、まさに戦後日本外交に残る成果である(日朝首脳会談よりもこちらこそが真の勝利というべきであろう)。その後、北朝鮮側は、横田めぐみさんの娘とされるキム・ヘギョンさんをテレビ局にインタビューさせるなどの「情報戦」を仕掛けてはいるけれども、あいも変わらず特種情報に弱いマスコミは踊らせることができたが、15歳の少女をも利用する北朝鮮の残酷な詐術にこれ以上だまされる国民は少ないものと信じる。 今回の拉致被害者5名の帰国を実現させたのは、何よりも被害者家族の団結と運動であった。確かに国際政治の現実として、ブッシュ大統領の外交政策が大きな追い風となったこと、九・十一テロ後の世界情勢の変化がもたらした影響は計り知れないだろう。しかし、どのような追い風が来ようとも、ご家族の団結やそれを支えた「拉致された日本人を救出する会(救う会)」そして国民世論の支持無くして今回の結果はあり得なかった。 しかし、今回の拉致被害者に対しての報道に、わたしは一つ大いに気になる点がある。「洗脳」という言葉があまりにも安易に使用されていることである。 最初に結論を述べておけば、被害者の方々は誰ひとりとして「洗脳」などされていない。これは帰国直後の記者会見で既に明瞭だった事ではないか。あのあまりにも短いコメントにマスコミは不満を漏らし、彼らの心理が北朝鮮での洗脳にかかっているのでは考えた人も多かったようだが、私は逆に彼らの精神が、このあまりにも長い悲劇の中でも洗脳などされなかったと確信し、心から喜ぶことができた。 彼ら被害者は確かに金正日バッチをつけてはいたけれども、これは北朝鮮に子供を残し、人質を捕られている状況(しかもこの番組のみならず全ての映像や発言は平壌にも伝えられるのだから)では止む終えない。むしろ家族の救出と再会をめざすシンボルとして救う会が提唱したブルーリボンが胸にとめられていた事実の方がはるかに大きい。そして、最も不利な立場にいた曽我ひとみさんも含めて、一言も被害者の口からは、金正日政権への賛美も聞かれなければ、この帰国を将軍様のおかげだという声も上がらなかった。むしろ聞かれたのは、皆様のおかげです、という私たちや日本への感謝の声だった。 勿論、事前に家族との話し合いなどがなされ、この日本での救出運動の高まりや様々な情報が被害者にもたらされたことは確かであろう。少なくとも北朝鮮賛歌などこの国での発言としては受け入れられないことも話されたのかもしれない。しかし、そのような説得が通じること事態が、被害者が洗脳されていないことの証しである。 「洗脳」という言葉は、ドラッグなどを使った精神破壊の場合を除けば(それはもう洗脳等というレベルではない)本来強制的にできるものではない。極論すれば「洗脳されたいという意志」を全くもたない人間の精神を操ることなど不可能であると思う。 洗脳については、北朝鮮よりもむしろカルト教団や宗教について考えた方が分かりやすい。私たちはよく「カルトに騙された、無理やり洗脳された」という言葉を使うが、何らかの信仰への憧れを持つか、またはこの現実世界に深い疎外感を抱き、それとは別の濃密な人間関係や共同体を求める面を強く有していなければ、おそらくカルト教団に引っ掛かるはずはない。 このような心情は決して否定的なことではない。むしろこのような心情や性格は、より良き生を求め、自らの行き方を律するために必要なものである。しかし、この心情が余りに大きくなって,個人の精神を押し包み、現実社会や他者との接点を失いかかった丁度その瞬間に,自分の疎外感や苦悩を満たしてくれそうな宗教者との出会いが生じれば、そこで安易に教団に自らをゆだねてしまうことはしばしば起こる。 自らの存在の卑小さに悩む人が偶像を巨大化する。この世に救世主がいてほしいと思う人によって多くの偽救世主が生み出される。そして信者たちは、自らの作り上げた幻想に進んで精神をゆだねて行く。この基本的な姿勢がない限り、単に暴力的に監禁を行っても洗脳は起こらない。 拉致被害者たちは、基本的に日本で精神確立を終えている。特に社会主義幻想や北朝鮮へのシンパシーを抱いていた人はまず含まれていない。彼らは北朝鮮という全体主義国家で生き延びるために、その体制や思想に多少順応(受け入れるのではなく)はしなければならなかっただろう。その上で、恐怖による支配(北朝鮮のような全体主義国家は、恐怖によって人々を支配する。これがテロ国家ということの真の意味である)のもと、彼らの精神が多少影響を受け萎縮した面は無きにしもあらずだろうが、それは洗脳とは異なる次元である。今現在拉致被害者の言動に多少北朝鮮時代の影響が残っている点が散見されたとしても、その影響は日本にいる限り時と共に消失する。 このことはよど号犯の場合と比べるとはっきりする。彼らは北朝鮮の実状を全く知らなかったけれども、共産主義革命の幻想には深く捕らわれていた。そして、自らの自発的な行動であるハイジャックを間違いだったとは認めたくない思いにも引きずられた。ここで、「自分たちの行為は正しかったはずだ、共産主義革命の思想は正しいはずだ」という誤った信念にしがみつき、現実の北朝鮮社会を見つめようとしなかった彼等は、やすやすと北朝鮮に取り込まれた。唯一抵抗したと言われる吉田金太郎は闇の中で消されて行った。 よど号犯、そして妻たちはすでにカルト信者と同様である。彼等は単に生命の危険があるから自らの犯罪を認めないのではない。自分たちの思想も行動も正しいはずだという幻想の中に生きなければ精神を保てないほど、自らの思考を閉じ、喜んで「洗脳され続ける状態」を選び取っているのだ。彼等は人間の解放や平等を求めながら、結局のところ現実に生きている人間のかけがえのない人生を拉致という犯罪で踏みにじりながら、自らの主観的な正義感の通用する閉ざされた偽りの世界に安住しているのだ。 「生命の危機」「精神の危機」という点では遥かに厳しい情況に数十年さらされていたはずの拉致被害者が、この長い年月を通じて、北朝鮮に洗脳される事なく、また今回、回復した家族の絆に支えられて自らに日本永住の意志を固めつつあることは、まさに人間の自由な意志を、どのような恐怖支配ですらねじ曲げ、操ることはできなかったという、私たちに希望を与えてくれた事例である。そして、唯一不安なのは、彼らが子供達との「離散家族」の状態が長期化することが、再び被害者家族の精神を、親だけが自由な世界に戻っているという自責の念で追い詰めてしまう危険性である。この解決にはただ一つ、被害者のご子息たちをこの日本に早急に取り戻すことだけである。 |
| 書評「平壌の水槽」 姜チョルファン著 ポプラ社発行 三浦小太郎 |
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北朝鮮の政治犯強制収容所における、地獄という陳腐な言葉しか当てはまらないような悲惨で残虐な人権抑圧については、北朝鮮の人権問題に関心のある方々は既にご存知のことと思う。しかし、やはり本書のような収容所体験記を読むにつけ、このような収容所が今も存在し続けていること、このような政権が今も健在であることへの、何ともいえぬ思いが沸きあがってこざるを得ない。 (本稿はカルメギ他発表時の原稿を一部加筆しました) |
| 小田実批判 独裁者を利する『市民派』知識人 三浦小太郎 |
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現在は入手困難だが、かってベトナム反戦運動や韓国民主化運動などで活躍した小田実氏の「私と朝鮮」という北朝鮮論がある。現在、北朝鮮の全体主義体制と国家テロの全貌がほぼ明らかになった時点で本書を再読し、これはある意味で丁寧に読み解かれるべき貴重な記録であると思われた。 日本人拉致事件に対しての小田氏の論考は以下の通り。 |
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書評 ユン大日「『北』の公安警察」(講談社)三浦小太郎 |
| 北朝鮮の金正日独裁政権による、拉致事件や麻薬売買などの国家犯罪、政治犯強制収容所に象徴される民衆抑圧、失政による餓死者続出などが、様々な情報や証言により明らかになった。そして、これらの情報がもたらされればされるほど、何故北朝鮮で反体制運動が起きないのかという疑問が人々の心に浮かばざるを得ない。 元国家安全保衛部員であり、現在は韓国で脱北同志会副会長を務めるユン大日氏の本書は、保衛部による北朝鮮全土に張り巡らされた監視・抑圧体制の恐ろしさを明らかにすることによって、この問に残酷な答を与えている。 金正日体制とは「政治、経済、軍事、さらには住民の思想までもが労働党の支配、統制、監視を受け(中略)その労働党を金正日は完全に掌握している。労働党の権力=金正日の権力なのである」(58頁) 金正日体制という完全な全体主義体制の本質はこの発言に尽きている。この体制を維持するために重要なのが、国内の党・軍幹部から民衆にいたる全てを、恐怖によって支配する管理システムであり、その実行部隊が「『北』の公安警察=国家安全保衛部」なのだ。 本書第5章では、この保衛部の歴史、現在の機構体系、各部署の役割、そして彼らがあげた血生臭い『成果』の数々、党幹部の粛清、クーデターの未然の発覚、そして民衆への監視体制の有様から、拉致事件や麻薬ビジネスの担当部署とその実態に至るまでが克明に綴られ、北朝鮮独裁体制の犯罪性が一目でわかる概説書となっている。特に興味深いのは、国家安全保衛部が時代と共に幹部の残虐な粛清を伴いながら次第に強化される過程だ。 金正日が事実上後継者に任命されたと思しい1973年に、国家政治保衛部(国家安全保衛部の前身)は独自の情報機関として独立し、金日成、金正日の直属機関として絶大な権限を得る。著者はこの時期から、特に日本からの北朝鮮帰国者たちに対し、徹底的な監視が行われ、体制に不満を持つと思われる人々の処刑や収容所送りが相次いだと述べる。勿論、組織的な反体制運動などは存在しない。罪状「マルパンドン」(発言による反動行為)として罪に問われたのは、一言金父子の世襲に疑問を漏らし、北朝鮮の生活の貧しさと不自由さに不満を呟いただけの人々だ。この帰国者、日本人妻たちの受難は第五章につぶさに物語られているが、中には日本の家族からの多額の仕送りで出世し『不良帰国者』よろしく、北朝鮮の著名な映画女優を愛人にした、崔ジョンギのような人物も紹介されている。あまりにも残酷な運命がこの女優には待ち受けていたが、その仔細は是非本書を直接当たられたい(百四十一頁)。そして、殆どが社会の底辺の生活を強いられている日本人妻たちの境遇は今更ながら胸をえぐるものがある。 そして、金正日はさらなる国家保衛部の強化を目指し、1992年、国家安全保衛部と名称を改め、国境封鎖部署と対外反探偵局を新設する。94年7月以降は、金日成の死に伴う社会不安を払拭するため、さらに民衆の監視が徹底されてゆく。著者によれば、金日成死後直後は反体制ビラや落書きなどが現れ、民心が明らかに離れてゆくのが感じられたという。しかし、この危機は保衛部の情報をもとに軍部をも動員した弾圧によって乗り切られた。現在、この保衛部の活動は、中国警察機構と連記しての脱北者拘束でも大きな力を示している。全体主義体制の強固さ、そしてその恐ろしさが著者の冷静な文脈から客観的な事実を通じて浮かび上がってくる。 私が本書を読みながら、しばしば思い起こしたのが、ハンナ・アレントの著作『イェルサレムのアイヒマン』である。アドルフ=アイヒマンはナチス・ドイツの国家保安本部でユダヤ人担当課を受け持ち、戦後イスラエルで裁判にかけられ、大量虐殺の罪を問われて有罪となった。アレントはアイヒマンを、ユダヤ人への憎悪に駆られた人物ではなく、ひたすらナチスの人種差別法と職務に従って黙々と事務的にユダヤ人迫害を行った平凡な人物であったことに注目し、全体主義体制下での『悪の陳腐さについて』思考を巡らせたのである。 北朝鮮の保衛部も、おそらく同一の精神構造に支配されている。金正日個人は目前で幹部の妻を夫に銃殺させるほどの残虐な人物だが(本書170頁)、ユン氏ら多くの保衛部員は、全く合法的に、日々の職務として苛酷な民衆抑圧を行っている。それ以外に彼らの選択肢はなく、民衆は恐怖によって精神を閉ざされ、そして保衛部員は自らの良心を眠らせることによって荒廃してゆく。この体制の本当の恐ろしさはこのモラルの崩壊にある。 しかし同時に、本書は、必ずあの独裁政権は人間の良心の前に敗北するという確かな希望の灯火を示している。著者は脱北者の摘発に携わりながら、様々な矛盾に悩み続けていた。何より辛かったのは豆満江を渡り切れず、溺死した脱北者の遺体を処理しなければならないことだった。そして、著者は逮捕・粛清される直前、家族に知らせる余裕もなく次男と共に韓国に亡命する。しかし、北朝鮮に残る家族の身に危険が及ぶので、自分の亡命の事実を隠してほしいという願いは叶えられず、韓国政府は著者の亡命を発表、残された家族は収容所に送られてしまう。 そして、著者はアメリカに証言者として招かれた二〇〇二年、韓国政府の意向に反し、初めて太陽政策への批判を述べた。そして、今は脱北同志会の活動を通じ、北朝鮮独裁体制の民主的改革、民衆の救援を訴え、その視点からの韓国政府への批判的提言を行っている。著者は南北両国の体制いずれからも精神的に自立し、良心の赴くままに勇気を持って行動している。全体主義体制に真に対峙できるのは、このような一個人の道徳的な力である。この告発に耳を傾けず、北朝鮮独裁体制の犯罪を黙認することは、隣国の全体主義体制の共犯者として、私たち自身のモラルをも堕落させることに繋がるだろう。 |
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書評 ユン大日「『北』の公安警察」(講談社)三浦小太郎 |
| 北朝鮮の金正日独裁政権による、拉致事件や麻薬売買などの国家犯罪、政治犯強制収容所に象徴される民衆抑圧、失政による餓死者続出などが、様々な情報や証言により明らかになった。そして、これらの情報がもたらされればされるほど、何故北朝鮮で反体制運動が起きないのかという疑問が人々の心に浮かばざるを得ない。 元国家安全保衛部員であり、現在は韓国で脱北同志会副会長を務めるユン大日氏の本書は、保衛部による北朝鮮全土に張り巡らされた監視・抑圧体制の恐ろしさを明らかにすることによって、この問に残酷な答を与えている。 金正日体制とは「政治、経済、軍事、さらには住民の思想までもが労働党の支配、統制、監視を受け(中略)その労働党を金正日は完全に掌握している。労働党の権力=金正日の権力なのである」(58頁) 金正日体制という完全な全体主義体制の本質はこの発言に尽きている。この体制を維持するために重要なのが、国内の党・軍幹部から民衆にいたる全てを、恐怖によって支配する管理システムであり、その実行部隊が「『北』の公安警察=国家安全保衛部」なのだ。 本書第5章では、この保衛部の歴史、現在の機構体系、各部署の役割、そして彼らがあげた血生臭い『成果』の数々、党幹部の粛清、クーデターの未然の発覚、そして民衆への監視体制の有様から、拉致事件や麻薬ビジネスの担当部署とその実態に至るまでが克明に綴られ、北朝鮮独裁体制の犯罪性が一目でわかる概説書となっている。特に興味深いのは、国家安全保衛部が時代と共に幹部の残虐な粛清を伴いながら次第に強化される過程だ。 金正日が事実上後継者に任命されたと思しい1973年に、国家政治保衛部(国家安全保衛部の前身)は独自の情報機関として独立し、金日成、金正日の直属機関として絶大な権限を得る。著者はこの時期から、特に日本からの北朝鮮帰国者たちに対し、徹底的な監視が行われ、体制に不満を持つと思われる人々の処刑や収容所送りが相次いだと述べる。勿論、組織的な反体制運動などは存在しない。罪状「マルパンドン」(発言による反動行為)として罪に問われたのは、一言金父子の世襲に疑問を漏らし、北朝鮮の生活の貧しさと不自由さに不満を呟いただけの人々だ。この帰国者、日本人妻たちの受難は第五章につぶさに物語られているが、中には日本の家族からの多額の仕送りで出世し『不良帰国者』よろしく、北朝鮮の著名な映画女優を愛人にした、崔ジョンギのような人物も紹介されている。あまりにも残酷な運命がこの女優には待ち受けていたが、その仔細は是非本書を直接当たられたい(百四十一頁)。そして、殆どが社会の底辺の生活を強いられている日本人妻たちの境遇は今更ながら胸をえぐるものがある。 そして、金正日はさらなる国家保衛部の強化を目指し、1992年、国家安全保衛部と名称を改め、国境封鎖部署と対外反探偵局を新設する。94年7月以降は、金日成の死に伴う社会不安を払拭するため、さらに民衆の監視が徹底されてゆく。著者によれば、金日成死後直後は反体制ビラや落書きなどが現れ、民心が明らかに離れてゆくのが感じられたという。しかし、この危機は保衛部の情報をもとに軍部をも動員した弾圧によって乗り切られた。現在、この保衛部の活動は、中国警察機構と連記しての脱北者拘束でも大きな力を示している。全体主義体制の強固さ、そしてその恐ろしさが著者の冷静な文脈から客観的な事実を通じて浮かび上がってくる。 私が本書を読みながら、しばしば思い起こしたのが、ハンナ・アレントの著作『イェルサレムのアイヒマン』である。アドルフ=アイヒマンはナチス・ドイツの国家保安本部でユダヤ人担当課を受け持ち、戦後イスラエルで裁判にかけられ、大量虐殺の罪を問われて有罪となった。アレントはアイヒマンを、ユダヤ人への憎悪に駆られた人物ではなく、ひたすらナチスの人種差別法と職務に従って黙々と事務的にユダヤ人迫害を行った平凡な人物であったことに注目し、全体主義体制下での『悪の陳腐さについて』思考を巡らせたのである。 北朝鮮の保衛部も、おそらく同一の精神構造に支配されている。金正日個人は目前で幹部の妻を夫に銃殺させるほどの残虐な人物だが(本書170頁)、ユン氏ら多くの保衛部員は、全く合法的に、日々の職務として苛酷な民衆抑圧を行っている。それ以外に彼らの選択肢はなく、民衆は恐怖によって精神を閉ざされ、そして保衛部員は自らの良心を眠らせることによって荒廃してゆく。この体制の本当の恐ろしさはこのモラルの崩壊にある。 しかし同時に、本書は、必ずあの独裁政権は人間の良心の前に敗北するという確かな希望の灯火を示している。著者は脱北者の摘発に携わりながら、様々な矛盾に悩み続けていた。何より辛かったのは豆満江を渡り切れず、溺死した脱北者の遺体を処理しなければならないことだった。そして、著者は逮捕・粛清される直前、家族に知らせる余裕もなく次男と共に韓国に亡命する。しかし、北朝鮮に残る家族の身に危険が及ぶので、自分の亡命の事実を隠してほしいという願いは叶えられず、韓国政府は著者の亡命を発表、残された家族は収容所に送られてしまう。 そして、著者はアメリカに証言者として招かれた二〇〇二年、韓国政府の意向に反し、初めて太陽政策への批判を述べた。そして、今は脱北同志会の活動を通じ、北朝鮮独裁体制の民主的改革、民衆の救援を訴え、その視点からの韓国政府への批判的提言を行っている。著者は南北両国の体制いずれからも精神的に自立し、良心の赴くままに勇気を持って行動している。全体主義体制に真に対峙できるのは、このような一個人の道徳的な力である。この告発に耳を傾けず、北朝鮮独裁体制の犯罪を黙認することは、隣国の全体主義体制の共犯者として、私たち自身のモラルをも堕落させることに繋がるだろう。 |
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書評 金大中 韓国を破滅に導く男 李度ヨン著 草思社 三浦小太郎 |
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本書は、韓国の保守系雑誌『韓国論壇』の発行人である李度 氏による金大中批判論であり、『韓国民主化の闘士』という金大中前大統領の虚像に対する告発の書だ。金大中氏の学歴詐称、金銭問題、南北首脳会談裏面での金正日との取引等の疑惑に関しては様々な論者が指摘してきたが、著者はこれらの疑惑を新事実を加えながら鋭く追及している。 |