![]() |
| トップページへ戻る |
| これは当サイトの掲示板“”声よ届け波濤の彼方に!”に9回に分けて投稿したものを加筆・訂正したものです。(敬称・略) |
| 拉致を隠蔽してきた構造を叩き壊さない限り国民の団結は不可能 これは特定失踪者調査会の荒木代表が、安倍内閣は拉致を隠蔽してきた構造の上に立っているため限界があると指摘した言葉で、事態はまさにその通りになった。当サイトは、全ての拉致被害者を奪還するためには、二つの敵と戦わねばならないと常に主張している。ひとつはもちろん金正日独裁政権である。もうひとつは拉致を隠蔽してきた構造である。この構造を叩き壊さない限り、国民が全ての拉致被害者を奪還するために一致団結することは不可能なのである。 安倍政権の退場、福田政権の成立により、永田町では、というより権力構造においては、拉致を隠蔽してきた構造が力を盛り返し、拉致問題に真摯に取り組んできた陣営の発言力が低下している。まずは権力構造を換える作業にとり組むべきであろう。 拉致問題が進展しないのは、議員が何もしないからだと、所謂“政治家が悪い”論を主張する人がいるが、このような主張はミソもクソも一緒にすることによって、本人の意図がどうであろうと、拉致を隠蔽してきた構造を隠蔽するものであり、拉致を隠蔽してきた構造にとっては、まことにありがたい主張なのである。国会議員には、長年に亘って北朝鮮と戦い続けてきた西村眞悟もいれば、北朝鮮工作員と化した山崎拓もいるのである。 権力構造を握るためには政治家を峻別する目を持たねばならない。それがないと、救う会の会長サンのように、福田内閣は安倍内閣の方針を発展させているなどと、とんでもないことを書き散らすことになる。補助金まで出るようにしてくれた安倍前首相に対して失礼の極みである。拉致問題解決のために尽力してきた人と、家族会を怒鳴りつけた人物を一緒にしてはいけない。 また、拉致を隠蔽してきた構造と言うと、山崎拓とか議員を廃業した野中広務、小沢一郎民主党代表や左翼等分かりやすい連中の名を挙げ、権力の中枢を器用に避ける人もいる。これでは福田康夫後援会である。もちろん、この連中は拉致問題解決の邪魔をしてきたのだが、それより大事なのは権力の中枢にいて、福田政権の背後からを拉致問題の幕を引き、国交「正常化」に向かわせようとしている狸たちを炙りだすことである。 防衛省と山田洋行の癒着や、年金問題での公約違反等が出てきて、福田内閣の支持率が大幅に下がり、危機的状況が生まれてきている。危機的状況と言うのは、福田内閣にとってであって、拉致問題解決を目指す陣営はこれをチャンスにし、権力構造に食い込んでいくべきである。但し、安倍内閣の二の舞になってはいけない。仮に中川昭一内閣が出来たとしても、拉致を隠蔽してきた構造の上に立っていたのでは、金正日独裁政権の崩壊を目指すことは出来ないのである。謙虚な姿勢で歴史に学ぼう。 保守新党が結成され、自民、民主の心ある人々が結集出来るのがベストだが、政治は生き物、どのような展開になるか、今の時点で予測は不可能である。ひとつだけ言えることは、戦後レジームの清算、所謂ガラガラポンをしなければ、拉致を隠蔽してきた構造を破壊することは出来ないということである。 拉致だけでなく、全ての犯罪を隠蔽してしまう危険性 この問題を追及するためには、安倍内閣をマナ板に乗せて、拉致を隠蔽してきた構造に立った内閣の限界点や、欠陥に言及しなければならない。あのような形で退陣した安倍前首相にはお気の毒だが、それを総括しておかないと、再び同じ憂き目を見ることになる。奪還運動は仲良しクラブではない。北朝鮮から、同胞を取り返す戦争である。甘えは許されない。 北朝鮮が拉致被害者を返せば、国際社会に復帰できる。それを金正日委員長は理解すべきだ。現在の政権から取り返さないと、書類が散逸して、拉致被害者がどこにいるか分からなくなる。だから、現政権と交渉しなければならないというのは中山恭子拉致問題対策補佐官が記者会見等で主張してきたことだが、これは圧力重視と対話重視の違いこそあれ、安倍内閣と福田内閣の共通した考えである。だから、中山補佐官は政府が代わっても、拉致問題に対する取り組みは同じだと言ったのだ。彼女がウソをついた分けではない。 そのため、安倍政権は金正日独裁政権を決定的に追い詰めようとはせず、総連に対して、破防法を適用することも無く、国内にいる拉致実行犯を逮捕もせず、よど号ハイジャック犯とその妻を国会に喚問もしなかった。そして、日米が協力して北朝鮮を追い詰めるという目論見は、ベルリン協議を境にして、米国が融和政策に転じたため、破産したにもかかわらず、つい最近までそれにしがみついていたばかりか、中国や韓国が解決に協力してくれるという幻想にまで取り憑かれてしまったのである。 現体制の存続を認め、話し合いで拉致被害者を返してもらう(奪還ではない)という説の代表者は先にあげた中山補佐官だが、この論理の特徴は、拉致という行為を免罪していることと、拉致を何のために行ったかという視点が欠落していることである。 金正日が拉致を命じたのは、「植民地」時代の復讐などではもちろんないし、趣味で命令したわけでもない。工作員の日本人化教育、日本人に成りすまし。拉致被害者の工作員化、ニセ札製造、ミサイル製造など、犯罪を行うために大勢の人々を拉致したのである。拉致被害者を返すということは、大韓航空機爆破事件を初めとする数々の犯罪行為を世界に認めることになってしまう。それでは国際社会に復帰どころか、ますます孤立し、独裁体制崩壊の引き金となる可能性も生まれてくる。したがって北朝鮮はワシントンDCらち連絡会の浅野代表言うところの金正日認定の拉致被害者をこれ以上追加することはありえない。当人の意思で北朝鮮に渡ってきたと称して、数人の特定失踪者を寺越方式で出してくるだけである。自らの意思で北朝鮮にやってきた人間がそんなにいるわけがないから、数人が限界であろう。 「死亡」と発表した政府認定拉致被害者を今更出すわけにはいかない。何故ならウソをついてたことを白状するのと同じだからである。それに8人は金正日が拉致被害者と認定をしている。拉致問題は「解決」済みという言い分とも矛盾を来たしてしまうのである。 金正日の有るはずもない良心に期待し、国際社会への復帰や、国交「正常化」を餌にして拉致被害者を返してもらうという行為は、拉致行為を免責するばかりか、脱北者問題や強制収容所の存在、300万人民の餓死(事実上の殺人行為)を隠蔽することにもなるのだ。 全ての拉致被害者を奪還するためには、犯罪者との妥協を一切廃し、正義を貫く以外に道はないのである。 山梨県警による不可解な山本美保「自殺」発表 荒木調査会代表が、日本の戦後体制が集約されているとも言える政府のこの姿勢(北朝鮮から返してもらう)が変えられなければ、拉致被害者の救出は実現しないと思います。と、調査会ニュースや自身のブログで発言しているが、“拉致を隠蔽してきた構造”を何回かに分けて書こうと思ったのも、政府の姿勢を変えなければという思いからである。 拉致を隠蔽してきた構造があるのは、政界だけではない。政官民全てに存在する。それらが互いに連結して、拉致を隠蔽してきたのである。民の中心はマスコミである。これは後述する。官の中心は外務省と警察だ。もちろん、外務省や警察にも、拉致問題解決に前向きに取り組んでいる人もいる。政治家も同じである。拉致を隠蔽してきた構造と、解決に取り組んできた人たちが、それぞれの組織に同居しているのだ。政治家はダメだ。外務省はダメだ。警察はダメだと一括りにしたり、逆に、一生懸命取り組んでいる。お任せしようでは、何も進展しない。日本中に張り巡らされている拉致を隠蔽してきた構造を炙りださねば、解決の糸口すら見えてこないのである。 前置きが長くなったが、山梨県警による突然の山本美保「自殺」発表は、拉致を隠蔽してきた構造が、調査会活動の信用を失墜させ、北朝鮮に特定失踪者はいないと思わせるために仕組んだ陰謀の可能性を否定することは出来ない。 山本美保が突然行方不明になったのは、1984年6月4日、新潟県柏崎の砂浜でバッグが発見されたのは8日。後に美保さんと断定された遺体が山形県遊佐町の海岸で発見されたのが6月21日である。富山県や東京で発見された遺体は、いずれも美保さんではなかったという連絡が家族に入っているのに、当然照合したであろう山形の遺体については、何の報告もない。それは、遺体はすでに白骨化し、一部屍蝋化しており、歯も13本腐って抜け落ちており、わずか13〜17日間でそのような状況になることは考えにくいことと、着衣のサイズがまるで違うため、他人であることが歴然としていたので、知らせる必要が無かったからではないだろうか。 その後、家族のたびたびの要請にもかかわらず積極的に動こうとしなかった山梨県警が、2003年4月26日に全国の不明遺体に対してDNA鑑定をするため、一卵性双生児の妹美砂さんの血液を採取したいと言って来て、5月6日に採決をしている。こういう場合、99、99999……%DNAが一致する双生児の妹からではなく、母親から採取すべきなのだそうだ。何故かと言うと、一卵性双生児姉妹の血液では、ひとつを二つに分けて、一方を姉、もう一方を妹とすることも出来るからである。 その年の11月7日、美砂が、翌年1月24日に母親と美砂が、遺体の遺留品を照合し、下着類(ブラジャー、スリップ、ショーツ)ネックレスなどを、「これは美保の物ではない」と断言した。Gパンは何の特徴もない一般的なものだった為、「なんとも言えない」と答えている。その間、DNA鑑定をしていたにもかかわらず、山梨県警はそれについての説明を一切していない。 2003年5月に警察庁科学研究所にて第1回目の鑑定が行われ、「美保さんの可能性はあるが断定は出来ない」との報告が山梨県警にもたらされ、家族に、「美保さんの可能性はあるが、まだ断定は出来ないので、2回目の鑑定に出す」と伝えたと山梨県警は説明するのだが、家族はそのような説明はなかったと言っている。そんな大事な話しが本当にあったのなら、家族が忘れるはずがない。 山梨県警は、一回目の鑑定から、何故か4カ月も経過した10月上旬に名古屋大に再鑑定を依頼し、翌年3月5日にDNAが一致したと家族に説明したが、それと同時間に、マスコミに「山本美保さんは『自殺』していた。北朝鮮にはいない」と発表し、全国に報道されたのである。 骨髄液は二度の鑑定で使い切ってしまったため、再々鑑定は出来ないとのことだが、山梨県警の説明はとうてい納得出来るものではない。 当サイトは安倍内閣成立直後から、山本美保「自殺」発表の洗い直しを要求してきたが、実現することなく退陣してしまった。如何に問題解決に前向きであろうと、拉致を隠蔽してきた構造の上に立つ内閣では、限界があることを如実に物語っているというのは言いすぎであろうか。 参考文献 山本美保さんの家族を支援する会ホームページ http://homepage3.nifty.com/KOFUHIGASHI-3/ 山梨県警の動き(年表) http://www11.ocn.ne.jp/~rachi/keisatu.htm 山本美保さんの件について http://www11.ocn.ne.jp/~rachi/yamamotomiho.htm 何故出来ない、福留貴美子拉致認定 山梨県警による山本美保「自殺」発表の不可解さを取りあげたが、警察による拉致隠蔽の特徴は、特定失踪者を拉致被害者として、容易に認めようとしないことである。その代表例が福留貴美子の事例であろう。 福留貴美子は1951年高知県で生まれ、高校を卒業後、東京で警備会社に勤めながら短大に通い、1976年7月16日に友人に「モンゴルへ行く」と言い残して日本を後にし、それっきり消息を絶った。 その彼女が、騙されて北朝鮮に渡り、よど号ハイジャック犯の一人岡本武と愛の無い結婚をさせられたと、有本恵子拉致を自白した八尾恵が著書「謝罪します」(文芸春秋)の中で証言し、消息が明るみになったのである。 しかし、彼女とよど号ハイジャック犯グループとの接点がどこにあったのかは、不明のままだった。よど号の妻となった女性たちは、いずれも主体思想(チュチェ)研究会のメンバーだが、彼女には、そのような思想的背景は一切なかったのである。だが、今年の1月になって、ユニバース・トレーディング社が事務所をかまえていたビルの受付をしていたことが判明した。ユニバーストレーディン社とは総連のナンバー2だった金炳植が1971年に作った工作組織で、北朝鮮工作員高大元とその妻渡辺秀子の間に生まれた高敬美と、高剛姉弟を北朝鮮に拉致している。 2005年10月。東京地裁で、帰国したよど号ハイジャック犯の妻子が原告となった民事訴訟において、中村登警視が福留貴美子さんは拉致被害者ではないと証言した。民事とは言え、裁判での証言は重い。これは一個人の考えではなく、警察庁の見解である。彼女は1980年に日本に一時帰国し、横浜の友人宅を訪ねている。このとき、逃げようと思えば逃げられたというのが、拉致認定をしない理由と言われている。夫と子供二人を人質においての帰国である。日本でも監視されていたであろう。逃亡など出来るはずがないことを、捜査のプロである警察が分からないはずが無い。 これについて、調査会の岡田和典常務理事が、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会の理論誌“光射せ!”で下記のような見解を述べているので要点をご紹介しよう。 警察庁はその後、拉致ではないと証言した中村警視を、長年担当していたよど号事件から外し、神奈川県警に移動させ、2006年に、「救う会・高知」が提出した福留貴美子拉致の告発状を受理するのである。 これを岡田常務は“すばらしい矛盾であり、拉致認定をしたのに等しい快挙である”と、痛烈に皮肉って、建前では拉致ではないと言いながら、本音では拉致を認めたのだと断定している。では、何故建前が必要なのであろうか? 岡田常務の分析は続く。 前述した民事訴訟というのは、2004年1月に成田に降り立ったよど号ハイジャック犯の妻子に対し、警視庁が岡本武の強盗致死傷などと、福留貴美子の旅券法違反の容疑で、着衣と所持品の捜索を行い、一部を差し押さえたが、それを不法行為として、訴訟を起こしたものである。警察庁は妻子たちの帰国4日前に福留貴美子の逮捕状を請求し、2007年3月には妻子たちの請求却下との判決がくだされたが、現在控訴中である。 ここから後は岡田常務の論文をそのままご紹介する。 『逮捕状が出るとは自らの意思で犯罪を起こしたからこそのものであり、拉致被害者とすることに抵抗が大きい。とはいえ、逮捕状を取り下げると、この裁判に勝ち目などない。これが福留さんが拉致認定されない本音の理由であろう。 日本には良し悪しは別として、スパイ防止法なるものはなく、警察は制約された法律を駆使して綱渡りの捜査を行っていることは重々承知しているが、結果として福留さんの拉致認定を遅らせていると思えてならない。 2007年に入ると、これでもか、これでもかと福留さんと「よど号」犯との関係がリークされる。「裁判という事情があって拉致認定できないが、福留さんは拉致被害者ですよ」と囁いているかのようである。 安倍政権という後ろ盾があったからこその所作であろうが、これほどまでに拉致認定とは恣意的な政治の領域である』 漆間巌前警察庁長官は、警備局長時代の2001年、内閣委員会で有本恵子拉致事件を「北朝鮮による拉致の疑いがあると判断するまでには至っていない」と発言し、事件を棚上げにしようとしたが、安倍内閣時代には総連に対して厳しい捜索を次々と展開した。これも政治的背景による恣意的なものであろう。 母親は娘の帰りを待ちわびながら2002年1月に88歳で亡くなったため、福留貴美子には身内がいない。2006年に救う会会神奈川が「福留貴美子さん拉致事件を考える集会」を開催したが、母親に代わって、我々が声を挙げていかねばならない。 岡本と結婚した福留貴美子は二人の子供をもうけたが、夫妻はその後、ほかのよど号グループと対立し、ある日、暴行を受けて、手足をぐるぐる巻きにしばられ、朝鮮労働党のワゴン車でいずこへか連れ去られたとのことで、今もって生死は不明である。 よど号ハイジャック犯グループは、88年ごろに土木作業中に落盤事故にあって死亡したと発表しているが、VIP待遇のハイジャック犯が土木作業などするはずが無い。強制収容所へ入れられたと証言したも同然である。収容所に入れられた二人が、漁船を盗んで国外脱出を試みて、失敗したとする説もあるが、金正日独裁政権が崩壊しない限り、その後を確認するすべはない。政府が言う金正日政権から拉致被害者を返してもらうという論理はこの一事だけを取っても成り立たないのである。 結婚後の二人の間に、愛が生まれたのがせめてもの救いである。岡本武には、犯した罪の償いはしてもらわねばならないが、政府は福留貴美子の拉致を速やかに認定し、岡本武も救出の対象とすべきである。 寺越事件、社会党から自民党へのバトンタッチ 拉致を隠蔽してきた構造というと、何故か、現在の権力中枢は避け、社民党(旧社会党)や共産党、小沢民主党、自民党では山崎拓止まりの人がネットには結構多い。北朝鮮にとってより重要なのは、権力中枢を動かせる、または影響力を持つ紳士淑女である。木を見て森を語っていたのでは、拉致を隠蔽してきた構造の本質に迫ることは出来ない。 旧田中派が日本の政治を握っていた時代は、マスコミも、親北派のドン金丸信や野中等に批判の矛先を向けたこともあったのだが、小泉政権になって、旧田中派は凋落し、野中が永田町から追放され、北朝鮮との主たる窓口は森派が握ったにも関わらず、森派への批判は少ない。と言うよりも、マスコミではほとんど見る事が出来なくなった。これは拉致を隠蔽してきた構造が力を増している表れかもしれない。 寺越事件は唯一の生存者武志の母親友枝がワラをもすがる思いで、石川県選出の社会党の衆議院議員(当時)嶋崎譲の元に駆け込んだため、社会党による工作ばかりがクローズアップされているが、北朝鮮の仕組んだ人命救助という名の美談で幕引きを図ったのは嶋崎だけではない。同じ石川県選出の自民党の大物議員も一枚噛んだのである。 武志が叔父の昭二、外雄と漁に出て行方を絶ったのは、1963年5月11日。翌12日には破損した無人の船が見つかる。だが、大捜索にも関わらず手がかりは何一つ見つからなかった。 戸籍も抹消された24年後、外雄さんから、「昭二さんは死亡したが二人は北朝鮮で、元気に暮らしている」という手紙が突然舞い込んだ。 “おとろしい国”北朝鮮相手では為すすべもなく、家族たちは呆然としていたが、友枝一人が狂ったように動きだした。まずは交番に、次は朝鮮総連金沢支部、警察の「困りごと相談所」、石川県庁外事課、外務省北東アジア課、厚生省、市会議員の門も叩いた。だが、何処に行っても相手にされず、最後に助けを求めたのが、嶋崎譲だった。 しかし嶋崎は、北朝鮮の遭難していたところを助けたという詭弁をそのまま垂れ流すのみで、武志の戸籍回復すら遅らせようとした。 外雄は平成6年帰国の望みを果たせぬまま、肺がんのため55歳でなくなったという。 外雄の手紙によると、あの日船は、機関が故障して、修理中だったとのことだが、発見された船のエンジンは故障していなかった。浸水したというが、朝まで漂流して浮かんでいた。どこにも浸水の痕跡はない。衝突の衝撃で昭二が海に投げ出されたというが、手を伸ばせば、すぐに助けられるはずである。飛び込む必要はない。 漂流したとしても、岸までわずか400メートル。その日は風の無いベタ凪ぎ。漁師にとって泳いで渡るには造作もない距離である。800キロも離れた清津まで「救助」される必要はどこにもない。 安明進は工作員から聞いた話として、こう証言している。 「工作船が日本に近づいたとき、小さい漁船がしつこく追いかけてきた。そこで、秘密が漏れるのを恐れて、乗組員3人を拉致して、船は始末した。『ノト』という場所だった」 「拉致しようとしたときに一人が頑強に抵抗したので、その場で射殺し、浮き上がってこないように鉛をつけて海に沈めた」 「残った者の中に少年がいて、拉致したあと泣きじゃくるので、口を塞いで工作船の機関室に押し込め、清津まで連れてきた」 寺越一家の拉致を「遭難救助」という美談に仕立て上げたのは北朝鮮だが、日本の拉致を隠蔽してきた構造の左右の政党が、多大な協力をした。それについては、調査会の岡田常務理事が北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会の理論誌「光射せ」に発表した“北朝鮮に人権(拉致)査察を”で述べているのでご紹介しよう。 『嶋崎は拉致が顕在化すると、寺越事件について知らぬ存ぜぬを貫き、現在は静岡県伊東市で隠居生活を送っている。マスコミ取材には声を荒げて拒否する。 2002年8月30日、突然に小泉首相(当時)が北朝鮮への訪問を発表する。この発表と前後して森元首相の動きが慌しくなる。2002年7月、森元首相は北京に飛ぶ。8月19日に日朝赤十字会談で日本側代表団に「寺越さんが故郷を訪問する計画を立てている」との発言が飛び出す。すでに、一ヵ月後の9・17のシナリオ作りは終わった時期と考えるべきで、他の拉致事件とのバランスから寺越事件の処理についての話し合いを進めたのだろう。 すなわち、9・17では、一切寺越拉致事件には言及せず、嶋崎が敷いた「遭難救助美談』路線を踏襲し、家族取り込み策を協力に推し進めることである。そのキューピット役を嶋崎に替わって森元首相が引き受けることになる。 9・17で日本中が騒然となった4日後に森元首相は友枝さんと直接会い、綿密な打ち合わせをし、日本での細かな注意を本人に指示したと言われる。10月3日、武志さんは成田に降り立ち39年ぶりに日本の地を踏んだ。朝鮮職業総同盟平壌委員会の副院長で、労働団体代表団副団長としての日本入りである。森元首相も石川で会い、歓迎の宴は森事務所が仕切った。地元石川での森元首相の影響力は絶大なものがあり、出席する地方首長、地方議員から拉致問題に触れるものは一人としていなかった。森元首相はいまなお政界で大きな力を発揮している。小泉首相、安倍首相、福田首相にとっては長年の派閥の領袖でもあった』 岡田常務は、2005年米下院議会での拉致問題を解明する決議案で寺越事件の3人は拉致されたと明記されているのに、日本では未だに拉致認定していない、何と恥ずかしい国家だと結んでいる。 森元首相の行為は、1990年の「金丸訪朝団の焼き直しである。金丸訪朝の2年前、金賢姫が田口八重子拉致を語り、梶山静六国家公安委員長が北朝鮮による拉致を認めていたにも関わらず、金丸も社会党委員長の田辺誠も拉致問題に触れることなく、第18富士山丸の紅粉船長と機関長の釈放のみを懇願し、二人を迎えに行った小沢一郎と土井たか子は、7年もの間、無辜の日本国民にスパイの汚名を着せ不当抑留した金正日に対して感謝の言葉を述べ、紅粉船長たちには北朝鮮で見たこと、聞いたことを日本に戻っても一切しゃべらぬよう口封じをしたのである。 小泉元首相について、5人の被害者を取り返した人であると評価する向きもあるが、拉致被害者を返してもらわないことには、国交「正常化」が出来ないから取り上げたのである。それが証拠に、2回に亘る金正日との会談で、「寺越さんを返せ」とは一度たりとも口にしていない。また、拉致被害者5人の帰国も当初は要求しておらず、寺越方式で幕引きをしようとしていたことは明らかだ。 彼もまた、森元首相同様拉致を隠蔽してきた構造の一員なのである。 極左と組んで有本恵子・松木薫・石岡亨拉致事件の隠蔽を図ったNHK マスコミやジャーナリストによる拉致隠蔽工作は枚挙に暇がない。つい最近も訪朝した田原総一朗が、自分が司会するテレビ番組や講演会等で、北朝鮮が「死亡」と発表した8人は発表どおり「死亡」しており、拉致被害者はいないが、それ以外に自らの意思で北朝鮮に渡ってきた生存者がいる。と北朝鮮の言い分をそのままタレ流し、拉致問題の幕引きをして国交正常化をすべきだと発言した。 5人の被害者が帰国した直後は、毎日新聞の論説委員岸井成格が、拉致被害者はいったん北に戻せ論の代表格となり、マスメディアを駆使して、喧伝に務めた。もし、戻していたらどうなっていたかと考えるとゾーとする。 産経がスクープした3組のアベック蒸発事件は他のマスコミが無視を決め込んだため、容易に社会問題とはならなかったし、西村議員による「北朝鮮による日本人拉致」の国会質問も、数行のベタ記事か、無視であった。 前項で、金丸訪朝団は拉致問題に触れることはなかったと書いたが、訪朝団に必死に訴えた拉致被害者家族がいたのである。 石岡亨の実家に、ヨーロッパに行ったきり行方不明になっていた亨から、1988年に「有本恵子さん、松木薫さんの3人で助け合って平壌市で暮らして居ります」という手紙がポーランドから届いた。それには、英文でPlease send this letter to Japan. our address is in this letter(この手紙を日本に送ってください。住所はこの手紙の中にあります)というメモが同封されていた。石岡が監視の目を潜り、命がけで旅行者に依頼したものであろう。 引越しを繰り返して転々としていた松木薫の家族が手紙の存在を知るのは、それから2年後のことである。 その間、石岡家からの連絡で、娘恵子が北朝鮮に拉致されたことを知った有本明弘・嘉代子夫妻は政治家や外務省を尋ね、必死に救助を懇願したが、親身になって相談に乗ってくれたのは、安倍晋太郎事務所だけであった。地元選出の土井たか子は秘書が出てきて、土井さんは東京だというので、安否確認と救出を依頼したが、それっきり返事もこなかった。 夫妻は1990年春、9月に決定した金丸・田辺訪朝団の一員である自民党の石井一(現在は民主党)の事務所を訪ねた。 石井は夫妻の話しを熱心に聞き、石岡の手紙のコピーを金丸に責任を持って渡す。自分も北朝鮮に訴えると言ってくれた。 夫妻はいい人に会えたと喜んで帰郷したのである。 秋になり、先遣隊が出発した。石井はその中心である。 期待に胸を膨らませて明弘は帰国した石井と面会したが、様子がおかしい。「あんな手紙じゃ……」という。北朝鮮に話していないのである。手紙は握りつぶされたのだ。 金丸・田辺訪朝団は拉致被害者のことを取り上げることもなく、土下座外交をして、日朝国交「正常化」交渉の道を開いた。 石井一は、その後、小沢と行動を共にし現在は民主党に籍を置いて居る。天誅が下されて然るべきなのに、未だに国会議員である。 石井一によって、闇から闇に葬られたはずの“北朝鮮からの手紙”の存在を次第にマスコミが知るところとなり、1990年の暮れ、有本宅に週刊文春の記者が記事にしたいと訪れ、新聞社も動きだし、年明けには、“北朝鮮からの手紙”がマスコミ各社によって大きく報じられた。 報道をきっかけに3家族は記者会見をすることを決意し、神戸に集まり、連名の嘆願書を作った。文字にすればたったこれだけだが、公開することによって、命を奪われたら、取り返しがつかないという不安を振り切っての決断である。 会見場に向かうとき、NHKの山本浩記者から会ってもらいたい人が居るという連絡が入った。男は遠藤忠夫と名乗った。極左専門の書籍を発行しているウニタ書房の社長で、テロリスト重信房子やよど号ハイジャック犯の擁護者だとは、3家族が知る由もない。 遠藤に「ここで拉致のことをしゃべられると、水面下での交渉が台無しになる。金正日の主治医とパイプがあるから、1,2ヶ月待ってくれれば、必ずよい返事を持ってくるので、今日は何も言わないでください」と懇願され、それで戻ってくるのならと、任せることにした。 せっかくセットされた記者会見なのに、住所も言わない。氏名も言わない。これでは記事になるはずがなかった。チャンスは遠のき、マスコミは去っていった。 遠藤は未だにノウノウと生きているようである。NHKが山本浩を処分したという話しも寡聞にして聞いたことがない。 参考文献 光文社発行 “家族”北朝鮮による拉致被害者家族連絡会。 他。 追求から隠蔽に方針を切り替えた不破哲三共産党委員長 拉致問題に日本の代表的政党はどのように関わってきたかと見るとき、忘れていけないのは、自民党と、自民党から分かれた人たちが中心となって作った政党は、党として、拉致問題を積極的に取り上げて来なかったが、党として、邪魔をすることもなかったということである。 だが、党を牛耳ていた金丸信や、野中が親北議員のボスとなり、隠蔽工作を仕切ってきたのも事実である。現在の自民党の親北議員のボスは、森と、その子分の中川秀直であろう。山崎拓は女性スキャンダルがあるため、ボスにはなれない。いい歳こいて、鉄砲玉的存在である。もし谷垣総理が実現しても、古賀や二階の上に行くことはないであろう。 民主党政権が実現した場合は、小沢一郎という謀略に長けた大ボスそのものが総理になるので、はっきり言ってかなりヤバイ。民主党が第一党になっても、政権に付かせない道は、保守新党の結成である。自民党だけでなく、民主党内の真の保守派が一堂に会せば、阻止出来るはずだ。 自民党も民主党もその時々の党内外のバランスで、振り子のように親北になったり、反北になったりすることは、安倍政権と福田政権、小泉政権の対北朝鮮政策を見れば如実に分かる。もし民主党の代表が中川正春になって、政権を握ったら、北朝鮮の人権問題を追求する政府が誕生するであろう。このように、自民党と民主党は議員個々人によって、姿勢が全く違う。拉致問題は超党派でといわれる所以はそこにある。ネットウヨ諸氏のように、民主党はダメだと、共産党や公明党、社民党と十把一絡げで論じるのは見当外れであり、味方にすべき人を敵にしたり、選挙のとき、入れるべき人に入れず、親北勢力の一員に投票してしまうことになる。 では社民党、公明党、共産党はどうであろうか? 社民党は人それぞれで違う自民や民主と違って、党首から末端の党員に至るまで、親北である。つまり社民党とは、社会党時代から、党そのものが拉致を隠蔽したきた構造そのものなのである。金正日が拉致を認めた後も、党のホームページに、拉致事件はでっち上げであるとした論文を長期に亘って掲載していた売国政党なのだ。 寺越武志の帰国を妨げた元衆議院議員嶋崎譲だけが拉致を隠蔽してきたのではない。かつての党首土井たか子を筆頭にして、拉致問題のみか、人権問題をも隠蔽し、金日成・金正日という悪魔の父子を崇拝してきたのである。 公明党は、池田大作なるおっさんを個人崇拝する創価学会という宗教団体を母体としてることは、ご存知の通りだが、北朝鮮に行くと、俄か金正日崇拝者になってしまう。これは池田大作センセの承認の元に行われている。公明党は北朝鮮労働党と同じく、池田大作名誉会長個人が支配する党であって、彼の気分次第で右にも向けば、左にも向くのである。 72年の公明党訪朝団(団長・竹入義勝委員長)は、「公明党代表団は朝鮮人民が敬愛する金日成(キムイルソン)首相のチュチェ思想を指針として、千里馬(チョンリマ)の勢いで駆け社会主義建設で大きな進歩をとげたことに対し祝賀した」という「共同声明」を発表し、金日成体制を礼賛。二〇〇〇年八月にも、公明党有志議員による日朝友好訪問団(団長・東順治衆院議員)に参加した北原守福岡県議が、「公明党と北朝鮮との新しい友好関係を築きゆく、意義ある旅となった」と「友好関係」を誇っています。 青字部分は共産党機関紙「あかはた」からの引用。共産党については後述するが、拉致に関しては同罪。目クソ、ハナクソを罵るである。 公明党は創価学会の信者だった市川正一と、増元るみ子を見捨てている。 1999年7月、鹿児島を訪れた人寄せパンダの浜四津敏子に、るみ子の父正一が「拉致問題の解決にどうかご協力ください」と頼んだとき、パンダは「わかりました」と答えたが、以後連絡が来ることはなかったという。そのパンダが有楽町で行われた国民大集会にニコヤカな笑顔を浮かべて出席したことがある。顔同様、心にも厚化粧をして己の醜さを隠しているのであろう。増元照明は公明党本部に救出協力を願ってメールを出したが、「メールありがとうございました。ご意見は検討させていただきます」という定番の返事がきただけであった。 日蓮上人が天界でさぞやお怒りになっていることであろう。 さて共産党だが、この党は宮本顕治が敷いた「自主独立路線」を今でも堅持していれば、奪還運動の先頭に立っていたかもしれないのである。 1988年の参議院予算委員会で共産党の橋本敦議員が拉致問題を初めて質問し、梶山静六国家公安委員長から、「昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます」「事態の重大性にかんがみ、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えております」という、政府が8人の行方不明は北朝鮮による拉致であると認識していることを認めた回答を引き出したのである。 橋本議員はさらに、警察当局から、大韓航空機爆破実行犯の金賢姫の供述は信憑性が有り、「北が関与していると考えている」との答えと、田口八重子も、日本から拉致されたと見ているとの見解をも引き出した。 この質問は秘書の兵本達吉や、国会議員団、拉致被害者を抱えた地方の議員などの総力を挙げた調査によるものだったと、共産党を除名された萩原遼が北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会の理論誌“光射せ”「宮本顕治の北朝鮮政策」に記している。もし、共産党が今でも自主独立路線を堅持していたなら、「人権擁護法案」反対運動のように、同党とも、思想の違いを乗り越えて、金正日独裁政権崩壊、拉致被害者全員奪還、北朝鮮民衆の解放という一致点で連帯していたかもしれない。 だが宮本引退の跡を継いだ不破哲三は自主独立路線を惜しげもなく放棄し、断絶していた中共や北朝鮮労働党との修復改善に努めた。その結果が拉致は「疑いの段階」であり、中共による民主化勢力弾圧も、北朝鮮の人権抑圧も、内政不干渉と言う美名の元に、見て見ぬ振りのだんまりを決め込んだのである。 不破が疑いの段階から前に進まぬよう北朝鮮のために犬馬の労をとった2000年10月の国会における党首会談の一部をご紹介しよう。 「森さんは今警察白書を引かれましたけれども、この警察白書も、『北朝鮮による拉致の疑いのある事案』それからまた『北朝鮮に拉致された可能性のある行方不明者』全部その表現ですよ。私どもはこれは非常に心配になりまして、外務省の関係者からも、警察の関係者からもずっと伺っているんですけれども、やはりどれも結論が出ていない。結論が出ているものは一件もないという答えが返ってくるので、私たち非常に心配になるんです。 つまり、国内では、この疑いがあるという説明をするのなら分かりますよ。相手の国に対して、疑いがある話がこれだけあるのだと言って、外交交渉をするのだという例は、世界にはほとんどないんですね。それからまた専門家に聞きましても、たとえば、国際司法裁判所がある。国際司法裁判所に問題提起するときに、これは外交交渉ではないのですけれども、問題提起するときに、疑いがある段階で提起しても、門前払いだと、その点をしっかり足場を固めないまま今ずっと交渉をしようとしているところに、私は日本政府の交渉態度の一番の問題点がある」 疑いの段階だから、それにふさわしい交渉をしろと言ってる。つまり、 「横田めぐみさんを拉致しましたか?」 「してないよ」 「さいですか、質問を終わります」 という交渉をしろと言ってるのだ。 “世界にはほとんど例がない” 当たり前だ。平和に暮らしている他国民を拉致するなどという例がないのだから。 これでは特定失踪者のことなど持ち出すなんて、とんでもない話しになってしまう。やたら心配していたが、金正日のことを心配しているのであろう。 最近は、拉致は“一部特務機関の仕業である”と主張して、金正日を免罪することに汗をかいている。 東大を優秀な成績で卒業し、日本共産党のエリートコースをヒタ走ってきたこの男には、人間として、失ってはいけないもっとも大事なものが欠落しているようである。 腐った果樹園 前項で、自民党と、自民党から分かれた人たちが中心となって作った政党は、党として、拉致問題を積極的に取り上げて来なかったが、党として、邪魔をすることはなかったと書いた。だが、個々の議員を眺めて見ると、居るわ居るわ。まるで腐った果樹園である。北朝鮮国交「正常化」促進党を楽に結成できる。全てのネズミたちを出すとキリがないので、今現在も蠢いてる自民ネズミや民主ネズミの代表的言行録を俎上に乗せてみよう。 民主党 鳩山由紀夫幹事長 1991年「困っているときに、拉致事件などの問題が解決しないと援助できないというのでは、彼ら(北朝鮮)の気持ちを和らげることができないのではないか」 その後、民主党の拉致問題担当の責任者となり、国民集会で反省の弁を述べたが、担当を外れると、国交「正常化」交渉の中で拉致問題も解決すべきだと言い出した。ETという人も居るがカメレオンと呼んだ方が的確であろう。 管直人 1989年に土井たか子や、現在参院議長の江田五月等と共に、原敕晁さん拉致の実行犯辛光洙(シン・グァンス)を含む「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」書にサインをした。 要望書全文 私どもは貴国における最近の民主化の発展、とりわけ相当数の政治犯が自由を享受できるようになりつつあることを多とし、さらに残された政治犯の釈放のために貴下が一層のイニシアチブを発揮されることを期待しています。 在日関係のすべての「政治犯」とその家族が希望に満ちた報せを受け、彼らが韓国での社会生活におけるすぐれた人材として、また日韓両国民の友好のきづなとして働くことができる機会を与えて下さるよう、ここに心からお願いするものであります。 1989年 大韓民国 盧泰愚大統領貴下 日本国国会議員一同 この要望書には社会党議員だけでなく、公明党からも3人の議員が名を連ねている。 小沢一郎 2004年5月小泉訪朝に関する談話「僕も(自民党幹事長在任中の)90年10月、北朝鮮に出向いて交渉した経験がある。あの時は(北朝鮮に抑留されていた漁船)「第18富士山丸」の船長さん(紅粉(べにこ)勇氏)たちの救出が大きなテーマだった。深夜にたたき起こされ、北朝鮮側が『船長らは犯罪を犯した、と文書に明記しなければ帰さない』と言ってきたと知らされた。 その時、僕は『バカなことを言うな、絶対に書くな』と主張して押し通した。その声が隠しマイクで(北朝鮮側に)聞こえたらしく、交渉の席に戻ったら北朝鮮側が態度を変えて折れてきた。政治家は主張すべきことは、きちんと主張しなければならない。小泉首相には、日本の代表としての自覚がまったくなかったと言わざるを得ない」 これは真っ赤なウソ。実際は、 「自由民主党と日本社会党はこれまで多年にわたり、第十八富士山丸船員の釈放のための切なる要請を行ってきました。この要請を考慮した朝鮮労働党の勧告に従い、今般、朝鮮民主主義人民共和国政府は、共和国の法律を侵害した罪で一五年の労働教化の刑罰を受け服役中の第十八富士山丸の紅粉勇船長と乗浦好雄機関長を人道的見地から大赦令を実施し釈放のうえ日本に返すことにしました。自由民主党と日本社会党は人道主義的立場から第十八富士山丸船員に対して寛大な措置を取られた朝鮮労働党と朝鮮民主主義人民共和国政府に深い感謝の意を表します。自由民主党と日本社会党はこの際、両名が共和国の法律を二度と犯さないようにし、帰国後、両名の言動が日朝友好関係発展に支障を与えることのないよう、あらゆる努力を約束します」 何の罪も犯していない日本人を8年もの間不法抑留したのだから抗議すべきなのに、土井たか子と連名で金日成に差し出した感謝状である。 民主党のトップ3人は、拉致を隠蔽してきた構造の一員によって独占されているのである。 民主党員ではないが、小沢一朗と気脈を通じている田中真紀子 2001年 「拉致疑惑があるからけしからんという意見もあるが、50万トンと言わず、100万トンでも(コメは)出したほうがいい」 このオバハン選挙のとき、拉致問題を利用しようと、マスコミを引き連れて、曽我ひとみの父に会いに行くパフォーマンスをしている。つい最近、テメエのことは棚に上げて、政府の拉致問題への対応を批判したのには畏れ入った。鉄面皮である。 選挙で拉致被害者を利用しようとしたのは、真紀子だけではない。平成のユダこと平沢勝栄もその一人である。曽我ひとみを連れて選挙区周りをした。 というわけで、ここからは、自民党のネズミたちに移る。 平沢勝栄 拉致議連の中心メンバーとして活躍していたが、2004年山崎拓と共に中国の大連でソン・イルホと会談し、帰国直後から、言動が極端に変化した。 根拠もなしに被拉致者の固有名詞を上げて、「処刑されている」とか、「妾になっている」などと語って、家族を動揺させたり、家族会・議連・「救う会」が拉致救出の妨げになっているなどと朝日新聞の主筆のようなことを言い出だしたのである。加藤紘一がかつて事務員として雇っていた北朝鮮工作員吉田猛と親交を結び、先ごろ破廉恥罪で逮捕された若宮清を私設秘書として雇用していた。パチンコ組合とも密接な関係を持ち、組合員から救う会への1000万円の献金を仲介し、それを後に暴露して、内紛のきっかけを作った。議員としては陣笠だが、救う会をガタガタにした手腕は、工作員としては、超がつくほど優秀なのではないだろうか。 山崎拓 平沢の親分で、現在最も分かりやすい親北議員である。女性スキャンダルで落選したのに復活できたのは、補佐官に起用した小泉元総理のおかげである。 この御仁、元々は強硬な憲法改正論者として知られており、党内の最右翼と見られていた。ところが平沢工作員を引き連れての大連会談以後、北朝鮮寄りの発言ばかりをするようになり、拉致問題の解決とは「首相の政治判断である」と幕引きを堂々と広言している。 自民党の大物の中では、北朝鮮とはもっとも遠くに位置していた男が、今や近くどころか、ズブズブにのめり込んでいるのである。 中川秀直 まずは2004年5月23日に毎日に掲載され、29日に“中川秀直マガジン”に転載された一文をご紹介しよう。 小泉首相は、外交上の常識を超えて、異例な2度目の訪朝をなし、5人の子供の帰国と曽我さんの家族の第3国での再会、10人の安否の白紙撤回による再調査、核凍結の査察受け入れの示唆等の成果を挙げて帰国したが、拉致被害者家族の会による「最悪の結果」との評価を受け、22日夜の家族の会での小泉首相の帰国説明は、「糾弾集会」となった。その席上で、小泉首相が、家族の怒りを前にして正面から答えたのが、「北朝鮮との関係は敵対から協力関係に、国交正常化を成し遂げるのだ」との発言である。小泉首相の今回の再訪朝に賭けた捨て身の覚悟を示したものであるが、この「国交正常化を成し遂げるのだ」の覚悟を、政権発足時より小泉首相と共有しているのが「中川」なのである。そもそも、02年9月の小泉電撃訪朝による「平壌宣言」の道筋をつけたのは、01年1月のシンガポ−ルでの「中川・姜会談」であった。(詳細は「中川秀直マガジン10」を参照)。森前政権からの最大の引き継ぎ事項が、日朝首脳会談による「日朝国交正常化」であったことは間違いなく、その「会談」の内容を外務省に継承したその結果が、「平壌宣言」に、その後の5人の家族の帰国につながったのである。 (以下省略) http://www.nakagawahidenao.jp/pc/modules/wordpress1/index.php?p=30 実に正直である。小泉訪朝の第一の目標は、拉致被害者奪還ではなく、国交「正常化」であると告白している。北朝鮮が発表した8人「死亡」に対する疑問もなければ、他にもまだ被害者が居るのではないかという視点も皆無である。あるのは国交「正常化」ばかり。そこはかとない利権のニオイが漂っている。 森善朗元総理 中川マガジンにも記されているように、お粗末続きで首相の座を降りたとき、小泉新首相に最重要事項として後を託したのは、拉致問題の解決ではなく、国交「正常化」であった。小泉第2次訪朝の折、テレビにゲストとして招かれた森は「拉致の一人や二人ではなく、国交『正常化』が大事である」と放言している。森は自民党の総務会長時代の97年与党訪朝団団長として、訪朝した際、「中国など第三国での行方不明者発見」という珍案を提案した。 「北朝鮮は面子を重んじる国なので、正面から取り上げるのではなく、『行方不明者』として北京やバンコクにいたという(解決)方法もあるのでは」と、後に国会質問で答えている。 犯人の面子を考えていたのでは、解決などするはずがない。この珍案は北朝鮮も相手にしなかったが、もし取り上げていたら、帰国した5人だけ出てきて、他の10人は依然として消息不明となっていたであろう。また5人には…… いや、曽我ひとみは出さない。4人には第18富士山丸の紅粉船長同様緘口令が敷かれたことであろう。それにしても軽い男だ。寺越昭二の帰国を妨げたことは先に述べた。 大トリは小泉純一郎元総理。 前任者の森から最重要課題として、北朝鮮との国交「正常化」を受け継いだ小泉は、中川秀直と外務省の田中均に、入念な下準備をさせ、2002年9月17日、平壌で金正日と会談する。恐らく拉致被害者の消息を伝える程度の感触は得ていたことであろう。だが、北朝鮮の5人生存、8人死亡、2人入国せずという発表は衝撃的なものだった。本来なら、生存と発表した5人の帰国を家族も含めて約束させ、平壌宣言のサインは彼らの帰国と、「死亡」発表の精査を終えた後にするべきだったのに、国交「正常化」に前のめりのため、拉致のらの字も書いていない平壌宣言に署名したのである。それが「拉致問題は解決済み」という口実を与え、今日まで尾を引いているのだ。 第2次訪朝で帰国した小泉はテレビカメラを前にして鞭打たれるキリストを演じ、家族会・救う会バッシングの嵐を起こすことに成功した。そのとき公言したように、自身の手で、北朝鮮との関係を敵対から協力関係にし、国交正常化を成し遂げるためには、家族会・救う会の権威を失墜させねばならぬと考えたのであろう。 だが、心無いバッシングに加わる無責任な野次馬よりも、家族会の叫びに耳を傾ける人たちの方がはるかに多かった。 拉致被害者奪還、国交「正常化」反対の声は揺らぐことはなかった。郵政民営化選挙で拉致問題解決のために戦う議員たちに刺客を放って、拉致議連の弱体化を図ったりもしたが、世論に抗することは出来ず、第3次訪朝を果たすことなく総理の座から去っていったのである。 永田町を初めとして、官にも財にも、マスコミ、ジャーナリスト、文化人の世界にも、腐った果実が醜い部分は巧みに隠して、一見たわわに実っている。だが、果樹園に足を踏み入れてはいけない。腐った果実を食べてはいけない。 拉致を隠蔽してきた構造の上に立ってしまった安倍内閣 小泉内閣時代、家族会は総理官邸の門を潜るとき、いつも陰鬱な気分に襲われていたという。それもそのはず。“国交「正常化」を成し遂げるのだァ!”と公言してきた人物が館の主なのだから……。だが、安倍内閣になってからは違った。“必ず取り返してくれる”という希望に胸を膨らませて、門を潜れるようになったとのこと。支援者たちも同様で、救う会などは無条件で安倍内閣を支持し、かつ賛美した。安倍内閣は国民の支持を背景にして、経済制裁を発動し、総連施設への課税を強化し、辛光洙(シン・グァンス)たち拉致実行犯数人も国際手配した。だが事態は膠着したままで、何ら進展は見られなかった。手詰まり感の中、安倍内閣はわずか1年で退陣してしまった。 あれだけ北朝鮮に圧力をかけたのに、何故進展しなかったのだろうか? それはブッシュ政権が中間選挙で民主党に敗れたため、対北朝鮮政策を180度転換し融和政策に切り替えたことと、安倍内閣が拉致を隠蔽してきた構造の上に立っていたため、もうひとつの敵である日本国内の親北朝鮮勢力との戦いが不明確になってしまったからである。戦うべき敵が安倍政権の中枢にいるという不可解な状況が出来上がってしまったのだ。 何故、そのようなことになってしまったのであろうか? それは安倍の天下取り作戦ができるだけ敵を作らないというものであったため、安倍ブームを利用し、戦わずして総理の椅子を得るというもっとも安易な道を選んだからである。 前任者の小泉は党内基盤が全くなかったため、実在しない抵抗勢力なるものを作り上げ、「改革」を謳い、パフォーマンスを繰り広げることにより、国民の支持を得て、衆愚政治を任期いっぱいまで続けた。その手法は冷酷を極め、有為な人々を次々と自民党から追放し、安倍も頼りとしていた人を失う羽目になった。 そのため、自民党内の人間関係はギクシャクし、郵政民営化選挙で生まれた小泉チルドレンなる集団が肩で風を切って闊歩したのである。 安倍が、敵を作らないようにしたのは、その反動だろうか。自分が総裁になったら、もっと和やかな自民党にしようと思ったのかもしれない。 だが、これが間違いだったのである。抵抗勢力なるものは、小泉が作りあげた実態の無いものである。抵抗勢力とは、自民党の大ボス小ボスのことだというのなら、森善朗や中川秀直、青木幹雄、山崎拓なども含まれることになる。だが、小泉が彼らと戦った形跡はない。 架空の抵抗勢力と違って、拉致を隠蔽してきた構造は政界のみでなく、官にも民にも存在する大勢力である。権力とは戦い取るもの。拉致事件の安倍なのだから、彼らと戦って総理の椅子に座るべきだったのだ。他の事を模倣してもらては困るが、これだけは、小泉を見習ってほしかった。だが見習ったのは「改革」である。小泉には、「趣味は小泉」と言って憚らない小泉劇場の座付き作者飯島という名秘書がいた。安倍には、本当に頼りになるブレーンがいなかったのも早期退陣の一因である。 安倍ブームのため、対抗馬と見られていた福田は敵前逃亡し、勝ち馬に乗ろうとばかりにほとんどの派閥は安倍支持に回り、投票前に総裁選の勝敗は決した。順風満帆の船出である。 ここで、安倍陣営は大きな勘違いをした。実態の無い安部ブームがいつまでも続くと思ったのである。その端的な例が救う会全国協議会会長の、「これからは政府にお任せして、救う会はなくなってもいい」という言葉に表れている。 安倍自身もこんなことを言っている。 「少しでも長くやりたい」 私はそれを聞いたとき、足が地に着いてないなと、一抹の不安を覚えた。長きが故に尊からず。こういう時は自分が何をやりたいかを言うべきなのである。 小泉はブームで掴んだ椅子だということを心得ていたから、次々とパフォーマンスを繰り広げ、ブームが持続することに務めた。真紀子を使い、百俵の米俵を飾り、鞭打たれるキリストを演じ、ガリレオにも扮し、「それでも地球は回っている」と呟き、任期が切れるその日まで小泉劇場でロングラン公演をしたのである。 安倍はパフォーマンスなどできる柄ではない。実直に事を進めるタイプである。だが、それが災いした。 お世話になったお礼であろう。安倍内閣実現のために汗を掻いた中川秀直を幹事長にしたのである。事もあろうに拉致を隠蔽してきた構造のリーダー格の一人を、拉致問題の解決を最重要課題とする政権党の要に起用してしまったのだ。女房役の官房長官になったのはお友達の塩崎恭久である。思想的にはかなりの距離がある。塩崎は日朝友好議連のメンバーである。現在は何と! 安倍が反対していた「人権擁護法案」の成立を目指す自民党の人権問題等調査会副会長である。塩崎は、安倍総裁実現のために結成された「チーム安倍」の一員であった。メンバーには救う会が事前運動の協力をした参議院議員の世耕某や拉致問題解決の足を引っ張ってきた山本一太等がいる。塩崎の官房長官起用は気心が知れていることと、総裁選挙の論功行賞であろう。安倍内閣で思想的に一致していたのは、麻生外相に菅総務相。党三役では中川昭一政調会長だけだったのではないだろうか。これではうまくいくはずが無い。だが、救う会を初めとする支援者たちは最高の布陣だと手放しで絶賛した。 ここで、その頃の私自身を振り返って見よう。「安倍さんは平成の坂本龍馬となる人で、将棋で言えば飛車か角、大駒である。敵陣に飛び込んで大暴れしてほしいと褒めたたえ、安倍内閣が成立したときは、拉致被害者全員奪還を使命とする内閣が成立したと無邪気に喜んでいた。木を見て森を語っていたのである。 最高の布陣のはずの安倍内閣のほころびが最初に出てきたのは、郵政民営化選挙で無所属となった人たちの復党問題である。拉致を隠蔽してきた構造のエース中川秀直は、復党に際して、「今後、党の決定に反するようなことはしない。郵政民営化に賛成する」との誓約書を書くことを条件としたのである。平沼拉致議連会長が踏み絵を潔しとせず、署名を拒否したためほころびは穴になってしまった。安倍は党総裁として果断に処理すべきだったのに、煮え切らない態度に終始したため、穴は更に大きくなり、安倍ブームは終焉したのである。 中川秀直はそれ以後も、閣僚は総理を尊敬していないなどいと放言して、安倍を貶めたのはご存知のとおりである。 それをきっかけにして、年金問題、閣僚の不祥事等が相次ぎ、朝日を筆頭とするマスコミの安倍降ろしと相まって、安倍内閣の支持率は急落していくのである。 そして拉致問題は、核実験で経済制裁を発動したのをきっかけに、総連施設への課税等を行い喝采を浴びるのだが、ブッシュ政権が中間選挙で敗れたため、対北朝鮮政策を融和策にシフトしたにも関わらず、米国依存の姿勢を改めることもなく、金正日独裁政権の存続を認めた6者協議にサインし、米国が金融制裁解除というカンフル剤を打ったため、息を吹き返した北朝鮮を追い詰められていると強弁し、安倍政権のブレーンである救う会全国協議会などは、親北勢力と、日本は孤立している。いや北朝鮮だと、見当違いの論争を始めた。 金正日独裁体制の存続を認めているために、圧力も中途半端なものとなり、逮捕状を出したのは既に北朝鮮に帰国している者ばかり、日本に居る実行犯は未だに逮捕されていない。また、元公安調査庁長官緒方重威の朝鮮総連中央本部を巡っての詐欺事件では、総連の実質的NO1の許宗萬副議長を逮捕できるチャンスであったにもかかわらず、総連は被害者であるとして事件の幕引きをしてしまった。 「今の体制が崩壊すると、書類が散逸して、拉致被害者が何処に居るかわからないので、現政府と交渉して返してもらわねばならない」というのは中山補佐官のセリフだが、これは安倍の考えでもあると思う。幹事長時代には金正日独裁体制のレジームチェンジを主張していたのに、何故、このようになってしまったのだろうか。それは天下取りのために拉致を隠蔽してきた構造との戦いを放棄したからでは無いだろうか。 家族会が心底から支持した安倍内閣は拉致問題も含めてあらゆる事柄で行き詰まり、わずか1年で崩壊してしまった。原因は安倍自身の持っている弱さもあっただろうが、我々の側に、拉致を隠蔽してきた構造と戦うという意思が希薄だったことも一因として挙げられるのでは無いだろうか。 安倍内閣は誹謗中傷などによる安倍降ろしに敗れて退陣したのである。それを仕組んだのは、日本列島のあらゆるところを棲家としている拉致を隠蔽してきた魑魅魍魎たちなのだ。その事実を忘れないでほしい。それを忘れると、再び、拉致被害者全員奪還を使命とする内閣が誕生しても、二の舞を踏んでしまうことになる。過ちを繰り返したはならない。 拉致被害者を奪還するためには、金正日独裁政権と、拉致を隠蔽してきた構造という国内外二つの敵との戦いに勝たねばならないのである。 |