「人道の船 陽明丸顕彰会」の設立について
この歴史的快挙をなし遂げた日本船・陽明丸ですが、船長は「カヤハラ」という名前であったということしかわからず、その後一世紀近くも歴史の闇の中に埋もれていたのです。
ところが、2009年9月、ロシアのサンクトペテルブルク市で開催した私の個展に訪れた女性(この方の祖父母は陽明丸に乗船した子供でした)オルガ・モルキナさんから突然、「船長のその後の消息についての探索をぜひお願いしたい」と懇願されました。
その、あまりの熱意につい引き受けてしまったのですが、それからは自分なりに出来得る限りの調査探索を進めてまいりました。
そして、2011年の7月ごろ、ついにこの船長が「茅原基治」氏であり、岡山県笠岡市に生まれ、墓所もそこにあることを突き止めました。
あのときオルガさんから必死の顔で依頼され、私なりに懸命に尽力してきたこの二ヶ年でしたが、不思議なことに、その間ずっと、これはいつか必ず見つかるものとの確信めいた直感を持ち続けてまいりました。
今になって思いますと、ある時ふと、天から一滴の真珠の雫が静かに落ちてきた、というようなミステリアスな思いがいたします。
また、おそらくこれは、天上の茅原船長が、オルガを通じて私のみに与えてくれた神聖な課題ではないかとも・・・
さて、この奇跡の大航海の国外での評価ですが、これまで閉ざされ気味であったロシアサイドの情報と、ロシア内陸地からの子供らの救出に大きく係わった米国赤十字社の記録に基づくものしか公表されておらず、その結果、遺憾なことに日本側の献身的な協力の部分が大きかったことについては、ほとんど語られてきませんでした。
その意味で、今回の茅原船長の特定及び手記等の新事実発見により、会社としての大きなリスクを承知で快諾した陽明丸船主・勝田銀次郎氏の度量の広さ、義侠心をも併せて、この救出劇では米国赤十字に次ぐ功績のあった日本側関係者への再評価を促すスタートラインに、今やっと立てたという思いでございます。
かくして私儀、船長手記の紹介をも含めた探索記を執筆中で、今後も関連の新たな事実関係の発掘にも地道に努力していきたいと考えております。
つきましては、これら将来的な課題については、既に私個人の次元を超えているものと考え、この夏、関係有志が集まり、「人道の船 陽明丸顕彰会」を立ち上げました。
まことに残念ながら、国内外ともに、日本及び日本人への評価が著しく低下している厳しい現実があり、そのためにも「日本はそれほど捨てたものではない!」という信念を、もう一度、国内外に向けて発信することが必要なのではないでしょうか。
そのためにも、一億自信喪失に陥っている現在の日本人に、「かつて国際連帯と義侠心の双方をこのように自然に発露した、素晴らしい祖先を持っていたこと」の歴史的事実を知っていただくことは大きな意味あることと考えるのです。
もし出来得るとすれば、これら陽明丸関係者たちの事跡をさらに精査検証し、それらを整理保存してゆくことを通して、日本人の美徳にもう一度日矢が差し込むことを願うものです。
関係各位に於かれましては、今後とも何かとご支援ご協力を賜りますよう、何とぞよろしくお願い申し上げる次第でございます。
北室南苑
2011年10月5日





