2007年 スペイン観光旅行
2007年5月25日から6月2日までの9日間の日程で、妻と共にスペインへ行って来た。今思うと、あわただしい日常生活から逃れるように、ろくな準備もないまま出かけてしまった。直前に新しいデジカメを買ったが、使い方もよく分からなかった。後で、暗い場所でも明るく写すよう設定できることを知った。何よりも写真の右下に小さく撮影日時を入れることが出来るのに、しないでしまったことが悔やまれる。
なお、写真の説明文は現地での情報にプラスして、JTBのパンフレットや市販のガイドブック等を参考にしたものである。(ホームページの容量を増やしたので、写真も多く掲載した。)
第1日目 5/25(金)
エールフランス航空で12時間40分のフライトの後、16:10パリ(シャルル・ド・ゴール空港)に着いた。
ここで天候不良(雷雨)のため予定より3時間遅れで飛行機を乗り換え、マドリードに着いたのは22:40頃で、同市のホテルに着いたのはまさに深夜となった。
マドリード泊
第2日目 5/26(土)
午前中、約4時間のマドリード市内観光。
最初にプラド美術館へ行った。しばらく待った後で入場したが、その際、セキュリティー検査があり、鞄の中などを調べられた。1時間30分の見学。
ゴヤの「裸のマハ」、「着衣のマハ」が同じ部屋の正面と左側面に展示されていた。他にグレコやベラスケス、ルーベンスなど美術書で見る名画に幾つも出会った。
館内は撮影禁止かと思って撮らなかったが、後でガイドブックを見たら「フラッシュを使わなければOK」と書いてあった。
王宮
ブルボン家のフィリッペ5世が建設した140メートル四方の宮殿。2,700もの部屋があるそうだ。
JTBのパンフレットには「15〜16世紀のタペストリーやシャンデリア、ロココ調の家具といったすばらしい調度品の数々、彫刻、天井のフレスコ画、歴代国王の肖像画などが飾られていて、まさに装飾芸術の極致」とあったが、私たちは外観を眺めるだけだった。
国立ソフィア王妃芸術センター
主に20世紀の美術作品を公開している。ピカソの代表作「ゲルニカ」を見ることができたのは収穫だった。ほかにミロやダリなどの作品を鑑賞した。(写真なし)
午後、世界遺産の古都トレドへ
トレドはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の文化が残る古い町である。宮廷画家エル・グレコ(1541〜1614)が後半生を過ごした当時の面影をそのまま残しているという。イタリアのフィレンツェもそうだったが、中世の町並みを今日までそのまま残すのは大変な努力がいるだろう。
展望台(高台)から見たトレドの街。
大寺院(カテドラル)
15世紀末に完成したスペインカトリックの総本山。多数のステンドグラスに飾られた内部が美しい。エル・グレコの「聖衣剥奪」が見られる(右)。
サント・トメ教会
ここでエル・グレコの大作「オルガス伯の埋葬」を見た。グレコの描く人物は縦長だが、下から眺めると短縮されて見えて違和感がない。そんなことも計算して描いたのだろうか。撮影は禁止だった。
トレド泊
3日目 5/27(日)
午前中コルドバへ移動。途中コンスエグラで古い風車を見た。本来、風車の羽には風を受ける布を張っているはずだが、そんなものは無かった。
風車は岡の上にあった。
風車の内部。粉を挽く過程が見られる。
窓から町が見える。
メスキータ(コルドバ大聖堂)
8世紀末イスラム教モスクとして建築が始められたが、コルドバがカトリック教徒に再征服されると共に、聖堂として増改築されている。イスラム寺院の要素とカトリック風の要素が混じり合った建造物といえる。メスキータを案内してくれたのは現地の案内人Iさん。日本には行ったことが無いそうだが、日本語は上手、と言うより流暢である。「日本では室町時代の頃…」などと説明するので、日本史も勉強したのだろう。
次の3枚はメスキータの周辺。中央写真の看板にはTABERNA(食堂)と書いてある。
セビリアへの途中で見たひまわり畑
ひまわりの開花が一月も遅れているとかで、花を見ることができなかった。
牛が見えるが広告看板らしい。
100人くらい入るレストランで、フラメンコディナーショウを見ながらの夕食。10数人が入れ替わり立ち替わりフラメンコを踊った。
セビリア泊
第4日目 5/28(月)
午前:セビリア市内観光
セビリアは歌劇カルメンの舞台となった古い街。
スペイン広場
広い公園の中にある半円形状の建物に囲まれた広場。奥に見える建物は1929年に博覧会場としてイスラム様式で建てられた。陶磁器のタイルがふんだんに使われている(右写真が中央部)。
セビリアの街角。
大寺院(カテドラル)
ローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次いでヨーロッパで3番目に大きいカトリックの寺院。1401年、モスクの跡地に建設を開始、1519年に完成した。奥行き116メートル、幅76メートルだそうで、その内部空間もまた巨大である。
左写真中央に見えるのが寺院に付属するヒラルダの塔(高さ97メートル)。12世紀末にモスクの尖塔として建設され、16世紀に鐘楼が付け加えられた。高さ70メートルの展望台まで延々と続く螺旋状の斜面を登った。息切れを感じたが、そこからの風景を展望して、登ったかいがあったと思った。
ヒラルダの塔
カテドラルの内部。
子供達が見学に来ていた。
塔から見た風景(1)。
塔から見た風景(2)。塔の鐘。
ミハスへ行く途中の風景
岩山
私たちの通ったルートにある山は殆ど岩山で、木々の生い茂った日本の山とは全く違った景観であった。
ミハスにて
ミハスはスペイン南部、アンダルシア地方にある観光とリゾートの町。家々の壁が石灰で白く塗られ、窓辺には鮮やかな花が飾られている。遠くに見える海は地中海。多くの観光客に出会った。
観光客を乗せたロバが通る。
グラナダでの夕食。
楽隊が来てスペイン民謡?などを歌っていった。
グラナダへ移動、グラナダ泊
第5日目 5/29(火)
午前中グラナダにあるアルハンブラ宮殿とその離宮ヘネラリーフェの庭園を散策。
アルハンブラ宮殿は13世紀にイスラムの王朝によって建設が始まり、14世紀に完成した王宮と庭園である。イスラムの支配は1492年最後の王が城をカトリック女王イサベルに明け渡すまで続いた。16世紀になってカルロス5世が王宮を築いている。私たちは初めに、アルハンブラ宮殿の離宮として14世紀に建設されたヘネラリーフェに向かった。
ヘネラリーフェ。樹木の刈り込みなどは幾何学的な形を基本としている。
入口
ヘネラリーフェの杉木のように見える樹木は近づいて見ると左の写真のように細かい葉からなっている。
アルハンブラ宮殿
カルロス5世の王宮。
王宮(左写真)以外はイスラム風である。
バレンシアへ移動
バレンシアへの途中で見た風景。ピレネー山脈か?
夕食はパエリア。小分けして食べた。
バレンシア泊
第6日目 5/30(水)
バレンシア市内観光。
バレンシアはマドリード、バルセロナに次いでスペイン第3の都市である。
中央市場、交易所(ラ・ロンハ)、大聖堂(カテドラル)などを見た。
中央市場。オレンジがおいしそう。。
大聖堂はモスク跡に14世紀に完成した建物。その後も手を加えられているため、ゴシック様式の他、バロックや新古典様式なども見ることができるという。
聖堂前は広場になっている。
聖堂中央の祭壇画。
午後バルセロナへ移動。
バルセロナ泊
第7日 5/31(木)
午前、バルセロナ市内観光(約4時間)
グエル公園
スペインの建築家ガウディ(1852〜1926)がパトロンであるグエル伯爵と共に手がけた都市再開発の一部で、公園として残っている部分。ガウディが担当したのは道路や広場、大階段などで、今は必見の観光名所となっている。
聖家族教会(サグラダファミリア)
ガウディの設計や模型に基づいて作られつつある大聖堂である。独創的でユニークな形をしているので広く知られている。建築は1882年に始まったが、今なお建築中で完成は200年も先、と話に聞いていたが、急ピッチで工事が進んでおり、2026年前後には完成するとの予測もあるという。もしその頃まで元気だったらもう一度行ってみたいものである。
一種独特の威容である。
日本人作の彫像もあるそうだ。
内部も工事中。
教会の裏側。
裏側入口付近。黒衣の尼さんが写真を撮っていた。
バルセロナ市内。右奥にガウディ作の家がある。
市内自由散策。
市内裏通り。近年、中国人貿易商も多いとか。
ピカソ美術館入口。
コロンブスの像。
満員の観光バス。
NORESTE(乗り捨て?)とは
歩行者天国のような大通り。
ピカソ美術館
ピカソ(1881〜1973)の9歳から青の時代(1901〜04)までの家族が保管していた作品の寄贈を受け、1963年に開館した。父親が自ら裸となってモデルを務めるなど、ピカソの早熟ぶりもさることながら父親の英才教育にかける意気込みを感じた。
コロンブスの像。
高さ60メートル。1888年完成。指さしているのは西の新大陸ではなく東方とのこと。なぜだろうか。
バルセロナ泊。
8日目 6/1(金)
早朝3:30にモーニングコール。朝食ボックスとリンゴが部屋に届く。ホテル出発のため4:50ロビー集合である。ちょっときつい日程ではないだろうか。バルセロナ発6:55。2時間ほどでド・ゴール空港(パリ)に着く。パリ発11:45。
9日目 6/2(土)
成田へ朝6:55の到着。スーツケースを受け取り、クロネコヤマトで自宅へ送る。東京行きの電車「成田エクスプレス」を午後にしていたため、空港で無駄な時間を過ごしてしまった。
おまけ
おまけの話ですがマドリードのホテルで朝食を食べていたら、「おう!」と言う声。同郷の小中の同期生である知人夫妻にばったり出会ってしまった。私たちとは逆回りにスペインに入って観光を終え、この後出国するのだという。統計によれば2006年の日本人海外旅行者数は約1,754万人というから、約7人に一人は海外へ行っているのである。地球が狭くなるとは、こういうことを言うのだろう。
添乗員のMさん(女性)から聞いたお話ですが
仕事のない日、東京のデパートで買い物をしていたら、お客として(夫妻で)海外旅行した男性と偶然出会ったので「こんにちは」と声をかけたら、そばにいた女性が「この方どなた?」と言ったという。「出張の時お世話になった旅行会社の方だよ」と取り繕う主人。そこでMさんも上手く話を合わせたとのこと。一緒に旅行したのは奥さんには内緒の女性だったのである。
ある方から聞いたお話ですが
海外旅行中、てっきり夫婦だと思われていた初老の二人。成田に着いたら「じゃあ又ね」と手を振って別れて行ったという。どういう関係だろうか。何でもありの時代ですからね。
余計なお世話だった?
前回イギリスを旅行したとき、10日間も行動を共にするのだから、名前だけの自己紹介だけでもしたらどうか、と提案し、そのようにしてもらったことがあった。しかし今回はそんなことは言わないでおいた。上記のような例に限らず、(できれば匿名にしておきたい)様々なケースがあり得ると思ったからである。
「世の中はそんなもの」なのかもしれないが、どこか寂しく感じるのは私だけだろうか。ちなみに今回の参加者は25名であった。
森 理世
バスで移動中、添乗員の方から「今日は何の日」とか「キリスト教について」のお話を聞くことがあった。名所旧跡を巡る上で参考になることもあり、結構なことだと思う。ただ私としては日本のニュースも知りたかった。添乗員の持っている携帯は海外でも利用できるものなので、主なニュースを紹介していただければと思う。
そんな中で、バルセロナのホテルでフロアーにあった新聞を何気なく見ていたら森理世さんがミスユニバースに選ばれたという記事を発見した。たかがミスコンという向きもあるだろうが、多くの国々でマスコミが取り上げてくれるのである。森さんには各方面で日本の顔としてPRに努めてほしいものである。
2007.11.20
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