2008年 ドイツ、フランス(パリ)の旅



2008年5月28日から6月4日までルックJTBのツアー「ノイシュバンシュタイン城とモンサンミッシェルを訪れるロマンチック街道とパリ8」に夫婦で参加してきた。

(300枚を越える写真を撮ったのでなるべく多くお見せしたいと思い、100枚ほどを選び、サイズを縮小し、容量を調べたら15メガバイトにも達していた。そこでこれをさらに厳選縮小して4メガにまで落とし、60枚ほど掲載することにした。これでもホームページ全体では20メガを越え、私の契約容量30メガまで10メガを切ることになった。写真は少々見辛いかもしれないが無いよりはましだと思ってご覧頂ければありがたい。)


第1日目(5/28水)


フライト(成田発)が09:35なので集合は07:35第1ターミナルビル南ウイング4階JTBの受付カウンターである。参加者は17名とのこと。後で聞いたら集合時間に間に合うよう未明に家を出たという方が何名かおられた。私たちは秋田からの参加なので空港近くのホテルに前泊していた。

写真は空港内の掲示板。為替相場がわかる。



飛行機はルフトハンザ機711便、ほぼ予定の時刻に出発。11時間半ほどの飛行の後、現地時間14:05にフランクフルト空港に着いた。空港からはバスで88キロ離れたウィスバーデンへ移動、15:35ホテルへ到着した。


フランクフルト空港で自転車の荷解きをしている日本人がいた。ドイツ国内をサイクリング旅行するのだろう。いろいろな旅行の仕方があるものである。 ウィスバーデンへの移動はアウトバーンで。
スピード無制限とか。
 
ホテルに着いた後、添乗員のMさん(男性)が市内散策に連れて行ってくれた。

まずクワハウス(左写真)に向かった。クワハウスは市民のための娯楽・保養施設である。カジノも併設されているとのこと。この後、歩行者天国の市中を通り、スーパーで夕食のパンなどを買ってホテルに戻った。(今回のツアーには何故かこの初日の夕食が付いていない。付いていた方が好都合なのはもちろんなのだが。)

クワハウス 街角で見た自転車止め 郊外の畑

ウィスバーデン泊。
第2日目(5/29木)

モーニングコール6:00 朝食6:30〜 荷物回収7:00 ホテル出発7:45。バスで移動。

つぐみ横丁

ライン河畔のリューデスハイムという街にある「つぐみ横町」へ行った。この地方はドイツを代表するワインの産地なのだが、街の中心といえる「つぐみ横町」には、酒屋、居酒屋、レストラン、お土産店がひしめいている。(どうして「つぐみ」というのか店の人に聞いたが分からないとのことだった。)



つぐみ横町


ワイン酒場兼販売店

ワインについて熱弁を振るう社長?さん。ここでは試飲し、注文をとるだけ。注文したワインは日本国内の輸入業者を通じて自宅へ配送される。

この後ライン川クルーズ。ライン川は全長1320㎞もあるそうだが私たちのクルーズはそのほんの一部の距離である。それでも1時間半ほどかけての、両岸の街や山、古城を眺めながらの観光である。



ライン川は思ったより川幅が広い。
クルーズ船には百数十名が乗っていた。


ローレライ。
高さ132メートルの崖。船がこの崖に近づくと突然「ローレライ」の曲を流した。


船から岸辺の古城を眺める。
大小さまざまな古城があり、多くは朽ち果てていた。


ハイデルベルク

人口14.7万人、内3万人が学生という。古城と学生の街である。ハイデルベルク大学はドイツ最古の創立で、10人のノーベル賞受賞者を輩出しているとのこと。

ハイデルベルク城
ネッカー川を挟んでハイデルベルクの町と
山腹にある城を眺める。
14~16世紀の建造で、全体として
廃墟の感じである。

ハイデルベルク城の一角(地下)にあるワインの樽。
領民から集めたワインを貯蔵した。この樽を作るのに130本の樫の木を使ったという。
地下室入り口横の番人とびっくり箱。
このびっくり箱を開けると中から狸のしっぽのような物が飛び出す。番人はこのびっくり箱に驚いて気絶したご婦人を介抱するのが好きだったとか、ワインをかすめて飲んでいたが医者から水を飲めと言われ、飲んだら水あたりで死んだ、というような話を現地ガイドから聞いた。

ホテルで夕食。このとき添乗員のすすめで全員が自己紹介をした。

ローテンブルグ市庁舎前広場(マルクト広場) 市内のお土産品店で買った煙出し人形。
上下に分割でき、香をセットできる。

ローテンブルグ泊。

第3日目(5/30金)

ローテンブルクは標高600メートルのところにあり、朝は涼しい感じである。8:30にホテルを出発。ロマンチック街道を約250㎞南下してノイシュバンシュタイン城へ。
 
ロマンチック街道とはドイツ南部を南北に通る全長350㎞の旧街道。元々は古代ローマ(軍)がこの地方に進出する足がかりとなった道路。朽ちた城や古い町並みが保存されている。

ノイシュバンシュタイン城

ノイシュバンシュタインとは「新しい白鳥」の意。城へは坂道を登る(馬車も利用できるようだ)。城の中は撮影禁止だがネット上で見ることは可能である。http://www.neuschwanstein.de/ など。

ノイシュバンシュタイン城へ上る坂道の途中にあるマリエン橋。ここから城の側面(右写真)を眺める。 ノイシュバンシュタイン城(側面)。天候が悪くもやがかかった感じである。

売店で買った絵葉書。この角度から写真を撮るには城に面した山に登らなければならないが、観光客はそこまで行けない。 城から眺めた風景。あるじルードヴィッヒ2世の父の城が右上に見える。

ドライブイン横の空き地に町の人の車が並んでいた。市内には駐車スペースが無いためとか。


シュタインガーデンにあるヴィース教会



ヴィース教会

 町外れのようなところにあり、外観はどうと言うこともないが内部の装飾(右写真)が素晴らしい。世界遺産となっている。


夕刻、ミュンヘンに到着

ホテルで一休みした後、ホーフブロイハウスという有名なビヤホールへ向かった。バイエルン宮廷ビール醸造所の直営ビヤホールで全館で3千人も入れるとのこと。

ホーフブロイハウス。写真は3階の大ホール。正面奥上部に手すりが見えるが、昔ヒットラーがここに登って演説をしたという。
立っている人たちはバイキング方式の食事を取るための行列。
今は毎日世界各国から観光客が訪れ、ビールを飲み、食事をし、舞台のパフォーマンスを楽しんでいる。



第4日目(5/31土)

パリへ飛行機で移動する日。モーニングコールが4:30。荷物回収が5:30。ホテル出発が5:30である。
ホテルで渡された朝食は袋に入った軽食。200ミリリットルのジュース(紙パック)もあったが空港のセキュリティで没収となった。
ミュンヘン発8:50、パリ着10:20。

ミュンヘン空港でオレンジジュース自動製造販売機を発見。 パリドゴール空港第1ターミナル。
チューブの中をエスカレーターで登る。

(パリは私にとっては2度目の訪問である。1980年教職員を対象にした美術研修ツアーの一員としてイタリア(ローマ、フィレンツェ)とフランス(パリ)を訪れている。)

どこかのレストランで昼食(エスカルゴなどの名物料理)をとった後、約4時間のパリ市内観光(バス利用)である。 ノートルダム寺院 寺院入口 寺院祭壇正面。背後で誰かがパイプオルガンの練習をしているようで、美しい音色が響き渡っていた。

エッフェル塔も眺めたが写真は割愛。

パリ3連泊。

第5日目(6/1日)

今日は終日かけてモンサンミッシェルの観光である。パリから362㎞離れた海辺にあるので、ホテル出発が7:45となった。モンサンミッシェル(Mont Saint-Michel)とは「聖ミカエルの山」という名の修道院のことである。世界遺産に登録され、今や一大観光地となっている。

バスは一路西へ。行きは快調だったが、帰りはひどく渋滞した。
モンサンミッシェルに近いレストランに着いてまず昼食をとった。 モンサンミッシェルの登り口には土産物店がびっしり並んでいる。有料トイレが一箇所あった。 石段を登る観光客。とにかく人が多い。


モンサンミッシェルから陸地側を望む。
車やバスがたくさん見える。
内部。
ここは礼拝堂のよう。
最上階にある中庭。庭園になっている。 モンサンミッシェルを背景に記念写真。
結構面白い人たちだった。

バスは3:30頃帰路についたが渋滞に捕まりホテルに着いたのは夜9:15であった。遅いので夕食はおにぎりだった。


第6日目(6/2月)

今日は1日自由行動の日である。

私たちの計画した日程は、①ルーブル美術館→②オランジュリー美術館→③マドレーヌ寺院→④プランタン(昼食)→⑤(メトロ)サクレクール寺院→⑥テルトリ広場→⑦(メトロ)凱旋門→(徒歩)ホテル着 というもので、ほぼ予定通り実行できた。

左写真はパリ街角の不思議な物体。どうやらごみ入れらしい。

ルーブル美術館

添乗員のMさんが希望者数名をルーブル美術館まで連れて行ってくれることになり7:45ホテルを出発。地下鉄を利用してルーブル美術館に着いた。入場券は自販機(9ユーロ)であまり並ばなくても買えた。オプショナルツアーに参加すれば45ユーロだから、事前に見る絵を決めておき、入場券は自分で買い、館内地図を手にして行動した方が断然得である。

ルーブルの庭にあるガラス張りのピラミッド風の明り取り。 モナリザの絵は近づいて見ることができなかった。 小さな子供たちが先生の説明を熱心に聞いていた。 ピラミッドの下。
10時頃、混雑してきた。

オランジュリー美術館

モネの睡蓮の絵がある。子供たちも来ていた。

マドレーヌ寺院

1764年に着工、1842年完成。外観は古代ギリシャ風であるがカトリックの教会。マドレーヌとは新約聖書に出てくる改悛してイエスに従った女性の名である。内部正面にマドレーヌ昇天の彫刻がある。内部はかなり暗く、落ち着いた雰囲気であった。

セーヌ河に近い位置からマドレーヌ寺院正面を望む。  正面祭壇。

プランタン

マドレーヌ寺院からしばらく歩くと有名百貨店プランタンやギャラリー・ラファイエットに行ける。私たち二人はプランタンの屋上で昼食を摂ることにした(左写真)。

プランタンはモード館(8階建、婦人用品他)、コスメ・メゾン館(10階建、化粧品、家庭用品、子供用品)、メンズ館(6階建、紳士用品)から成っていて、2、3階(日本で言えば3、4階)が通路で繋がっている。モード館のグランドフロアー(日本の1階)には高島屋のサービスコーナーがあって買い物の相談に応じてくれる(高島屋はプランタン店内には売場を持っていない)。

サクレクール寺院

プランタン近くから地下鉄を利用して(乗り換え1回)アンヴェールという駅で降りる。サクレクール寺院はモンマントルの丘の上にあるので石段を登った。1876年着工、1914年完成。普仏戦争やパリ・コンミューンでの死者を追悼するなどの目的で政府とカトリック教徒によって建てられたという。寺院前からパリ市内を一望できるが、この日は雨模様で霞んでいた。祭壇中央の両手を広げたキリストが描かれており、その目が見る人の心に何かを問いかけているようであった。

(サクレクールとは聖なる心臓の意。寺院内部は撮影禁止だったが見られるHPも。)


地下鉄駅からサクレクール寺院へ向かう。観光客目当ての店が並んでいる。 寺院からの眺め。雨模様でパリの街がかすんでいる。 テルトリ広場。絵を売る人がたくさんいた。

テルトリ広場

サクレクール寺院のすぐそばにある広場。絵描きが絵を売ったり、似顔絵を描いたりしている。多少の雨など関係ないようである。

凱旋門

また地下鉄(2号線)に乗り凱旋門の駅で降りる。凱旋門に展望台があることは分かっていたが、疲れていて登るのはあきらめ、ぐるりと回りを一周した。この後、いったんホテルに戻った。

凱旋門から一直線に遥か彼方のルーブル美術館を眺める。 凱旋門の真下。地面に置かれた花は戦死者へのはなむけ。 ルーブルとは正反対の向き。新凱旋門が見える。


⑧ホテル近くの街角のレストランで夕食

 フランス語のメニューをさっぱり分からずにいたら、英語のメニューを出してくれた。Beef(raw)というものを注文したら写真のようなものが出てきた。私は生焼けの牛肉(rare)のことかと思っていたが、全く火の通っていない生肉の叩きである(上に刻んだピクルス)。まさか当たらないとは思ったが半分も食べられなかった。

同じホテルの同じ部屋に宿泊。

第7日目(6/3火)

モーニングコール5:30 朝食6:30 ホテル出発7:15 30分ほどでドゴール空港第1ターミナルに着いた。

検査室の前で(左写真)。

セキュリティチェックが厳しく鞄などの他、上着、ベルト、靴を脱がされ検査された。男性ばかりでなく女性も同様である。検査員に黒人(フランス旧植民地出身?)が目につく。どうも一定の割合で職員として採用しているようである。

ドゴール空港発10:40 フランクフルト着11:55 フランクフルト発03:55 一路日本へ。

第8日目(6/4水)

成田空港着8:00
荷物の宅配を頼み、地下1階からJR乗り場へ移動、成田スカイライナーで東京駅へ。

旅行を終えて

日程(ベルサイユ休館)
5/28(水)に出発すればパリ1日自由行動日は月曜日になる。月曜はベルサイユ宮殿が休館、オルセー美術館も休館日である。私たちはこのことをJTBに申込を完了してから気がついた。その前に気づいていれば出発日を替えたと思う(JTBでは事前に教えてくれなかった)。私自身は約30年前にベルサイユには行っており、オルセーに飾られている絵も大体見ているので(当時は印象派美術館というところにあった)どうということもないが、妻には見せたいと思った。というわけで、パリにはもう一度来ることにしよう。


記念写真(モンサンミッシェル)と名簿
モンサンミッシェルの前で参加者全員の記念写真を添乗員が撮ってくれた。またバスの中で全員住所氏名を紙に書いたが、後でそのコピーをいただいた。以前の旅行(イギリス、スペイン)では参加者のプライバシー云々とかで全くなかったことである。添乗員の判断で、ということなのだろうか。

携帯電話
ソフトバンクではルックJTBへの申込と同時に申し込めば無料で海外用携帯電話を貸してくれる(使用料は有料)というので手続きをした。空港で受け取り空港で返還、使用料は後で請求されるというものである。実際は殆ど使わなかったが、添乗員に番号を知らせ、万一に備えたのは良かったと思う。


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