文献・志陽略史
「八王子社松尾村にあり 此の外弁財天、山の神、水の神あり」
文献・松尾村地誌
「蕨岡神社(わらびおかのみやしろ)社格村社、祭神は天忍穂耳命、天穂日命、熊野椽楠日命、活津彦根命、天津彦根命、田心比当ス、湍津比当ス、市杵島比当スなり。本社の西方に小社を建てて素戔鳴命を祭る。本社の来由未だ詳ならざれども、本村建置の時、今の地に鎮座して産土神となす。然るにその頃八王子と称せしか。明治6年本称に改む。本社の西方に小社を建てて素戔鳴命を祀る。」
以上のことは単に松尾一社だけでなく、京都賀茂の流れをくむ賀茂氏人一族の全国的な広まりの中で加茂五郷として捉えなければならない。延喜兵部式にいう「鴨部」、光明寺所蔵文書にいう「鴨里」、志陽略志にいう「舟津、河内、岩倉、松尾、白木を加茂五郷と謂う。往古に謂う鴨里是なり。加茂明神社舟津にあり。往古城州加茂明神社を移すと言う。何れの世誰人の勧進するを知らず。鴨大明神社岩倉村にあり。往古城州鴨大明神を移すと言う。流れる川を加茂川と言い、郷を加茂郷という。」このように京都松尾大社の流れをくむ一族が共に南下し、松尾村を創建したものと思われる。その際京都八坂神社の牛頭天王も併せて勧請されたもようである。
明治42年3月31日、神社合祀政策によって五郷の中、舟津をのぞく四郷が松尾蕨岡神社の地に合祀、村社加茂神社という名称が附され、戦後、河内・岩倉がそれぞれ分祀、白木・松尾が合祀のままで加茂神社の名称は岩倉・船津から移動して松尾に残り現在に至っている。岩倉・船津においては加茂明神の内容を含んだまま、八幡神社九鬼岩倉神社の名を冠することになる |