「このすばらしき日本語」(平成元年、岳書房)から
第4章 数詞の謎解き
1 「ヒ、フ、ミ」の謎解きの夢
身体名称の謎解きを終えて間もなく、次は数詞の謎解きに挑戦してみようと思ってはいましたが、こんな夢のような謎解きは早くても2・3年、もしかしたら一生かかっても解決できないかもしれないと、内心恐れを抱いていたのです。
多くの言語学者や歴史家が何人も何人もこの謎解きに挑戦し、ある人は東南アジアの部族語で、またある人は朝鮮語でもっともらしい意昧づけをしていますが、いまだに全ての人々が十分納得できるような答えを出すことができないものを、素人の遊び事で解決できるほど世の中は甘くあるまいと思っていたからです。
しかし、身体名称の推理も同じようなものでした。思いきって挑戦してみれば、そこになんとか道が開けるかもしれません。どっちみち失敗したところで誰にとやかく言われるわけでもないし、次に意欲が湧いたときに再び挑戦すればよいのですから。仕事ではこうはいきませんが。
だからといってどこから取り組んでよいのやら見当もつきません。アプローチの方法も見いだせないで挑戦するなんてとんでもないことですね。〔ヒ、フ、ミ〕と一音節ずつに分解して解読を始めればよいのでしょうか。それとも〔ヒト−ツ、フタ−ツ〕と〔ト−ツ〕、〔タ−ツ〕を含めて推理すればよいのでしょうか。ああ、夢の夢、解決の糸口が欲しい。こんな気持で何日かが過ぎていきました。
その間も基語の検証は続いていました。少しでも疑問や不安のある音はもう一度基語推理の基本的方法に戻って検討を加え、語韻マトリックス(五十音図、後に百音図)はほぼ解決済の印で埋まっていきました。
2 お手玉がみごとに謎を解いた
基語の応用例が増えるにしたがって、古代の謎のいくつかは解き明かされつつありました。そんなある日、〔ヒ、フ、ミ〕のなかにすでに分かっている基語〔ふ、な、や〕があることに気づいたのです。〔ふ、な、や〕は「対にする、並べる、重ねる」で何か数と関係がありそうです。
それでは、〔ヒ、フ、ミ、ヨ、イ、ム、ナ、ヤ、コ〕に続く〔(ヒ)ト−ツ、(フ)タ−ツ、(ミ)ィ−ツ、(ヨ)−オツ、(イ)ツツ、(ム)−ツ、(ナ)ナツ、(ヤ)−ツ、(コ)コノツ〕そして〔トオ〕は一体何だろう。どうみても奇妙な音の連続で、本当に迷路に迷いこみそうです。
その日の午後、「何事もわからなくなったら基本に戻ろう。古代の日本人が日本語を話していたことは疑いのない事実だ。だからこの奇妙な数詞もきっと日本語に違いない。必ず日本語で解決できるはずだ」と、何か少し解決の糸口がほどけるような予感がしていました。すでに基語という未完成ながらすばらしい武器を持っているではありませんか。この武器を最大限に活用すればよいのです。基本に戻って〔ヒ、フ、ミ〕の音を基語で解釈してみようと決心しました。
仕事を終えて帰宅し夕飯を前にして〔ヒト−ツ、フタ−ツ〕と何度も何度も奇妙な言葉を繰り返し続けました。このとき、〔ヒト−ツ、フタ−ツ〕というたびになぜか手が下の方にいってしまうことに気がついたのです。そして、「何か積みあげることができるものを」と大声で叫んでしまっていました。
家内が持ってきたのは手作りのお手玉でした。今もお手王の小豆の冷たい感触と手に柔らかな布の優しさが、幼い頃の思い出を呼び戻してくれるので大好きです。10個のお手王が畳の上にひとかたまりになりました。
〔ヒト−ツ〕とまず1個を指で摘んで置いてみました。
〔フタ−ッ〕は並べてみよう。ここまではなんとかなりそうです。
〔ミィ−ツ〕はどうすればよいのだろう。上に積むこともできるし、横に並べることもできる。ここでまたストップです。もう一度〔ヒト−ツ〕、〔フタ−ツ〕、〔ミィ−ツ〕の繰り返しでした。次に〔ヒト−ツ〕〔フタ−ツ〕〔ミィ−ツ〕の音を、忠実に基語の意味のとおりに把握しながらやってみることにしました。
〔ヒト−ツ〕は〔ひ〕と〔とつ〕に分かれ、〔ひ=hi〕は「日」(真ん中にあるたった一つのもの)、〔とつ〕は、〔(t)−wo−twu〕(〔t〕音は母音が連続する場合に発音を容易にするために挿入されたもの)で、〔ぅお−wo〕「低い(低く)」、〔つ−つぅ=twu〕「積む」すなわち「真ん中に一つ低く積む」となりました。お手玉を畳の中央に1個置きました。
〔フタ−ツ〕は〔ふ=fu〕「並べる(対にする)」、〔ぅお−つぅ=wo−twu〕「低く積む」で、「対にして低く積む」となり、2個目のお手玉をきちんと並べて置きました。
〔ミィ−ツ〕は〔み−むぃ=mwi〕「真に広く」、〔つぅ=twu〕「積む」で、対になった2個のお手王にちょうど三角形になるように3個目を広げて置いたのです。うまくいきそうだ。心臓の音が聞こえるほどの高鳴りを感じはじめていました。
〔ヨ−オツ〕は〔よ=yo〕「他に」、〔ぅお−つぅ=wo−twu〕「低く積む」で、もう一つの三角形の頂点にお手玉を1個置きました。四つのお手王が菱形に並びました。なぜ四つ目は3個の上に積まないのだろう。少し疑問を抱きながらも続けることにしました。
〔イツツ〕は〔い=i〕「しっかりと」、〔つ=つぅ=twu〕「積む」、〔つ=つぅ=twu〕「積む」で、4個のお手玉のうちちょうど3個が作る安定した窪みに5個目を積むことができました。「積む」のです、「積む」のですと〔つ=つぅ=twu〕音が叫んでいます。忠実に音のとおりに動作が続きます。
〔ム−ツ〕は〔む=むぅ=mwu〕「真に……する」、〔つ=つぅ=twu〕「積む」で、もう一方の安定した窪みに6個目を積むこどができました。
〔ナナツ〕は〔ぬゎ=nwa〕「並べる」、〔ぬゎ〕「並べる」(〔なな〕は、〔ぬゎ〕音を重ねて並べることを強調している)〔つ=つぅ=twu〕「積む」で、積み上げるのではなく7個目は並べなさいと言っているではありませんか。下段の4個に並べて7個目を置いたのです。
〔ヤッツ〕は〔や=ya〕「重ねる」、〔〔つ=つぅ=twu〕「積む」で、今置いた7個目が新しく作ったもう一つの窪みに8個目を積むことができました。2段目には3個のお手玉が並びました。
〔ココノツ〕まできたとき、もう9個目の置くところは決まっていたのです。そうです。2段目に積まれた3個のお手玉の中央には、3段目を積むこどができる最後の窪みが準備されていたのです。〔ココノツ〕は、後で〔くぉ−こ=kwo−ko〕「中心のところ」、〔の=no〕「突起状に」、〔つ=つぅ=twu〕「積む」であることがわかったのですが、すでに3段目を積み上げるところが見えていて〔ココノツ〕 の推理どころではなかったのでした。
〔トオ〕は〔と=to〕「全て」、〔お=o〕「終わり」で、積み上げたもの全てを指すものだとそのときは考えていました。
できたぞ!数詞の謎がわかったぞ!これは石積みだ。何のための石積みかはまだ理解できないけれども、その石積みの技法を子孫に正確に伝えるために、古代人が残した一つ一つの手順が数え歌になったのだ。そのときはこう思っただけで、それ以上の推理を続けるこどができないはどの興奮を覚えていました。胸の高鳴りが喜びを倍加させてくれる。身体名称の謎に続いて数詞の謎を解き明かした一瞬でした。初夏のある暖かい夜、夕飯は冷たくなってお膳の上に載ったままでした。近くの宮川の河原で実際に石積みをして確認したのはいうまでもありません。

3 「ヒ、フ、ミ」は哀しい石積みの数え歌
数詞の謎がまだ完全に解き明かされていないことを知ったのは次の日でした。数詞の音の意味はなんとか解読したけれども、本当の数詞の謎は、なぜ古代人がこのような石積みの数え歌を残したのだろうかということです。それも生活にもっとも必要な数を数えるという言葉として。せっかく石積みの数え歌を知ったのだから、もう少し古代人の世界にタイム・スリップしてみましょう。そしてこの歌のなかに隠されている神秘的な謎を一緒に解いてみませんか。
もう一度、〔ヒ、フ、ミ〕の石積みの数え歌を静かに口遊んでみてください。
「ヒト−ツ、フタ−ツ、ミィ−ツ、ヨ−オツ、イツツ、ム−ツ、ナナツ、ヤ−ツ、ココノツ、トオ」
どのような感じを抱かれたでしょうか。私はこの数詞の謎の推理を始めたときから、なんとなくこの〔ヒ、フ、ミ〕の歌には、哀しさや淋しさが秘められているような気がしてならなかったのです。〔wo〕音の多い言葉の連続が、〔wo〕音の持つ暗さをひしひしと伝えてくるのです。数詞が数詞としての意義を保有するためには、それを使用する人々に共通の体験がなければなりません。この石積みの数え歌を作った当時の古代人の生活は、どのようなところで、どのようになされていたのでしょう。
これまでの基語の推理の過程で、日本語の形成段階には海洋の匂いが強いということを感じ始めていました。そして、この石積みの数え歌にも見られるように、古代人の多くは、現在ほど海退の進んでいない丘陵地または山地の海に近い台地状の部分か、河川が形成する扇状地の川に近い段丘部に住んでいて、そこには赤ん坊の頭ほどの石が多数転がっていたに違いありません。当時、いまだ本格的な宗教と呼べるものはなかったのでしょうが、父や母、兄弟、子供たちの死に出遭ったとき、その哀しみを忘れることは今と同じょうに大変だったと思います。死または死と出遭うこと、これは今も昔も全ての人に共通の出来事なのです。別れという哀しみを忘れるための一日一日のモニュメントが、こうした石積みの数え歌を作らせたのではないでしょうか。
こうした推理を進めているとき、まさか得られないであろうど思っていた石積みの数え歌の証拠が見つかったのです。それも決定的な証拠が。弥生時代の日本の死者儀礼の記録があったのです。歴史に興味がある人ならお馴じみの「魏志倭人伝」(正確には「三国史」魏志東夷伝倭人条)に。
その記述は倭人の風習として次のように伝えています。
@ 死者が出たときその身内の者は死後十日間喪に服し、その間肉食を禁じられていたこと。
A 人々を集めて歌舞飲食したこと。
B 最後に家族全員が水浴をしたこと。
肉を断つということは、身を清め死者の霊を敬うことです。人々を集めての歌舞飲食は、死者の生前の功績を称え、また、死者との別れの哀しみを忘れるためのものです。水浴は、死の汚れから逃れるためのものでしょう。
さらに、決定的な証拠とは、「死後十日間喪に服し」の記述です。古代人の生活様式の変化は現代人ほど早くはありませんから、当時の倭人の風習は縄文時代、少なくとも縄文時代の中期頃までは遡れるでしょう。だからこれらの風習が、言葉の形成段階においても存在していたと言っても過言ではないのです。それも少しばかり古い形で。
石積みの数え歌は、死者への別れの挽歌なのでした。
家族の一人が朝からじっとしたまま動かない。どうしたんだろう。
そして、最初の夜が来た。
「日(一つ目)は真ん中に低く積みましょう」
そして二日目の夜が明けた、それでもちっとも動かない。
「並べて低く積みましょう」
三日目の夜も明けた、やはり同じように動かない。
「広げて低く積みましょう」
四日目
「横に低く積みましょう」
五日目
「しっかり高く積みましょう」
六日目
「もう一方に高く積みましょう」
七日目
「並べて並べて積みましょう」
八日目
「重ねて高く積みましょう」
九日目
「真ん中に突起状に積みましょう」
ああ、十日も経ってしまった。もう死者は生き返ってはこない。
「全て終わった、哀しいことはみんな忘れましょう」
〔トオ〕はさらに石を積むことではなく、〔と=to〕「全て」、〔お=o〕「終わり」と言っているのでした。
当時の人々は、もうこれ以上哀しみに耽っていたのでは生きてはいけなかったのです。石積みにこのような別れの哀しみを秘めて、家族はいつしか喪に服していたのでしょう。「死後十日間喪に服し」の風習は、石積みの数え歌が教えてくれる別れの哀しみを忘れることをその起源とするものだったのです。「ヒ、フ、ミ」は哀しい別れを歌う石積みの数え歌だったのです。この死者の葬送の石積み儀式が、後になって宗教的な遺跡と推定される環状列石や、豪族たちの古墳、さらに現代の墓ヘとつながってきたと思います。