「このすばらしき日本語」(平成元年、岳書房)から

 

3章 身体語の謎解き

1 身体語推理のきっかけ

 多くの、言語学者が日本語とアジア諸国の言語を比較し、日本語のルーツを探ろうとしています。しかし、なかなか決め手になるものが見つからないようです。

 日本語の基語が明らかになり、身体語がどのような基語から構成されているかを正確に分析することができれば、そのルーツを解き明かす端緒を開いてくれるに相違ありません。

 〔の〕音の推理を終えたときから、身体語の喉〔のど〕が「突起物のある(ものが)出入りするところ」であることは間違いないので、ほかの身体名祢もきっと同じように基語によって解明できるに相違ないとの確信を持ってはいましたが、いざこの謎解きに取り組もうとすると、やはり「大変だなあ」のほうが実感でした。

 しかし、この身体語の謎や、次の章で述べる数詞の謎を解き明かすことかできなければ、本当の意味での基語の研究を行なったとは言えないでしょう。そして基語推理の基本的な方法に誤りがあったとされても反論できなくなってしまいます。そうした意味からも、この身体語の謎解きは基語の検証の最初の正念場であり、研究の成否に関わる一大事だったのです。

 身体語の解明に取りかかる段階では、まだ少し確定できない基語が残っていました。しかし身体語の解明とともに、先に述べました五十音を構成する子音にまでも意味があることを発見し、五十音図(後に百音図)が大きく広がる可能性を見出したのです。ですから、全ての身体語を解明し終えたときの満足感は、一段と大きなものだったことはいうまでもありません,

 

2 真ん中にある骨、へそ、ほと(女性性器)

 すでに子供たちも大きくなって全く使用しなくなった百科事典の人体図を見ながら、「こんなにも多くの名称が身体各部につけられていて、はたして全ての語源を解明できるだろうか」という不安があったのが本音でした。しかし、基語推理の方法に少しは慣れてきていましたので、その応用を試みてみました。現在使われている身体語を、古代の呼び名に変えて身体語図を作りました。すると、身体語の一部に同じ音を使用しているものや、単音節のみでつくられているものが多いことに気がついたのです。

 まず共通音を含むものから挑戦してみましょう。骨〔ほね〕、へそ〔ほぞ〕、女陰〔ほと〕が〔ほ〕音を共有しています。この身体語の謎解きを始めた段階では〔は=ha〕音や〔ひ=hi〕音が「日」すなわち「中心にあるもの」を意味し、その派生音である〔ほ=ho〕音もそれに近い意味を持っているこどが判明していました。また、〔ね=ぬぇ=nwe〕音、〔そ=すぉ=swo音、〔と=to〕音も基語としての地位を得ようとしていた段階だったのです。

 〔ね=ぬぇ=nwe〕音は「根本となるもの」、〔そ=すぉ=swo音は「より低い(ところ)」、〔と=to〕音は「出入りする(ところ)」です。だから骨〔ほね〕、へそ〔ほぞ〕、女陰〔ほと〕の解明は思ったより簡単でした。

 骨〔はね〕は〔ほ=ho〕「真ん中」、〔ぬぅえ=nwe〕「根本となるもの」で、「真ん中にある根本となるもの」、へそ〔ほぞ〕は〔ほ=ho〕「真ん中」、〔ぞ=そ=すぉ=swo〕「より低いところ=凹み」で、「真ん中にある凹み」、女陰〔ほと〕は〔ほ=ho「真ん中」(ふぉ=「中央の凹み」)、〔と=to〕「出入りする」で、「真ん中にある出入りする(凹み)」だったのです。女陰〔ほと〕を出入りするものが何物であるかは書く必要がないでしょう。なんともエロチックな古代人の発想ではありませんか。入るものと出るものは形が違うって、それはそれで結構です。

 〔ほ=ho〕音を含む身体語は、全て真ん中にあるものでした。ついでに、腹〔はら〕と男性の性器〔まら〕も解明しておきましょう。腹の〔は〕音は〔ha〕音だから、腹は「中心にあるもの」を意味していると最初は思っていましたが、少し感覚的にすっきりしないところがありました。しかし、後に〔ふゎ=hwa〕音が「膨れる」「腫れる」などの意味を持っていることが分析できましたので、ご飯をいっぱい食べてみごとに膨らむ「腹」の様子を、より自然に表現している「腹」の真の語源にたどりつけたのです。

 腹〔はら〕は〔は=ふゎ=hwa〕「膨らむ」、〔ら=ra〕「真ん中」で、「身体の真ん中にある膨らむもの」でした。ビルマ系のポド語の方言に腹を〔hoまたはhwo〕と呼ぶものがありますが、このあたりに日本語のルーツが潜んでいる可能性があります。

 男性のシンボル〔まら〕は〔ま=ma〕「本当に大きな」、〔ら=ra〕「中心」で、「中心にある本当に大きくなるもの」です。これは疑問の余地がないでしょう。

 

3 喉仏が決め手の喉、やはり入口の口

 喉〔のど〕については、〔の〕音が「突起状の」、〔と〕音が「出入りするところ」という意味であることから、素直に「突起物がある(ものが)出入りするところ」と推理できました。

 喉にある突起物は明らかに喉仏です。女性の喉仏は少し見え難いのですが、男性の喉にははっきりと突起状になった喉仏が飛びだしているのが見えます。そして、外部から見える喉の特徴は、この突起状になった喉仏以外にはありません。喉は、喉仏が決め手となってその語源が判明しました。

 喉にはもう一つ突起物があります。医学的には口蓋垂と呼ばれる俗称「のどちんこ」です。老若男女の区別なく喉についている「のどちんこ」のほうが、喉の語源になった可能性もありますが、ここでは外部から見える喉仏の方を採用しました。

 しかし、何かまだもの足りなさが残っています。喉を出入りするものの解明です。喉を出入りするものは、いったい何なのでしょう。食べ物ですか。食べ物は喉を奥に向かって一方通行が普通です。

 そうです。喉を出入りするのは息です。息が出入りすることによって人は生きていけます。そして、この息が声を出させ、人間に言葉を与えたのです。

 少し脇道にそれますが、古くから人と神との間のやりとりをする手段として使われてきた祝詞(のりと)の語源について、この喉との関わりが深いので述べておきます。祝詞は、喉〔のど=のと〕の〔の=no〕音と〔と=to〕音の間に〔り=ri〕音を挿入したもので、「喉から出るもの」という意味です。「喉から出るもの」それは声です。そしてやがて声が意味を持つようになった[言葉]そのものです。

 ある言語学者は、「祝詞(のりと)の〔と〕音は、古代の韻では甲類に属するもので、戸の意味すなわち出入り口の意を表わし、また、人の発声器官を表わしているようだ」と述べています。本当にそのとおりでした。基語が明らかにしたように、〔のど=のと〕の音は喉の機能そのものを表わしていたのです。だから、祝詞とは人が話す言葉全てを言い、やがて偉大なこの言葉を特定の神官が人と神との間のやりとりに使用するようになったとき、祝詞が新しい概念を得たのでしょう。漢字では、表現できない意味を韻に残した古代人たちは、いつの日か、この韻が持つ本当の意味を解明してくれることを期待して、韻を少しでも正確にと祝詞の文字に〔のりと〕の韻を残してくれたのでしょう。

 口〔くち〕は〔く=くぅ=kwu〕「入る」、〔ち=ti〕「方向」で、口そのものでした。〔ち=ti〕音は「とても確か」で、海洋民族にとっても最も重要な舟の行く方向=行方を「とても確かな(もの)」としたのでしょう。〔く〕音の他の例では、倉〔くら〕を説明しておきましょう。倉〔くら〕は、〔く=くぅ=kwu〕「入れる」、〔ら=ra〕「中心にあるもの(殻に囲まれた食物、この場合は米をいいます)」で、秋に収穫した「米を入れて保存するもの」です。

 

4 便利な手、大切な目と爪、柔らかな耳と唇

 身体語の謎解きも思ったより順調に進んできましたが、単音節からできている手〔て〕、目〔め〕、耳〔みみ〕(〔み〕音を二度繰り返している)、歯〔は〕、毛〔け〕は少し手間取りました。歯〔は〕と毛〔け〕は次の項で述べます。

 手〔て〕の解決は杖〔つ−え=つぅ−え=twu−e=(手の先に)つながった便利な(役に立つ)もの〕がヒントを与えてくれました。杖〔つえ〕はやはり「役にたつ便利なもの」でした。手の〔て〕音を、子音の〔t〕音と母音の〔e〕音に分け、〔t〕の基本的概念「とっても」と〔e〕音の「便利な(もの)」という意味を合成して、「とても便利なもの」と意味づけしてみました。いかがでしょうか。

 手は本当に器用に動くとても便利なものです。手、特にその一部である指は人間のもう一つの脳といわれ、また、指を使用していると脳の老化を防ぐともいわれています。

 手〔て=te〕がわかると、目〔め〕も同じように〔め=me〕「真に大切なもの」で解決できました。目のもう一つの呼び方〔まなこ〕も解決しておきましょう。〔まなこ〕は、〔ま=むゎ=mwa〕「本当に丸い」、〔ぬゎ=nwa〕「並ぶ」、〔こ=ko〕「(小さな)もの」で、「二つ並んだ本当に丸いもの」です。

 目〔め〕がわかるとただちに爪〔つめ〕が解決できました。爪〔つめ〕は、〔つ=つぅ=twu〕「(指の先に)つながった」、〔め=me〕「本当に大切なもの」です。爪〔つめ〕がなくなると指は力が出せません。

 耳〔みみ〕は〔みぃ=myi〕音に「真に柔らかい(もの)」すなわち「実、身」の意味があることがすでに分かっていたのですが、耳が〔みぃ−みぃ=myi−myi〕で「真に柔らかい柔らかいもの(繰り返しは強調)」で本当によいのか少し気掛かりでした。耳は音や言葉を聞くためにあるのだから、そうした意味があるはずに相違ないといった先入観が、せっかくの推理を自信のないものにしょうとしたのです。しかし、この心配は杞憂に終わりました。「耳たぶ」が身体の表面にある「もっとも柔らかいところ(部分)」でした。古代人は、誰もが間違わないように言葉をしっかりと作ってきたのです。

 後になってある古代言語の研究書に、「耳〔みみ〕は柔らかいものという意味ではないか」との記述があることを知って安心しました。

 唇〔くちびる〕は、〔び〕音の元の音が〔み〕音であることが判明したとき、〔くちびる〕は〔くちみる〕となり、〔くち〕「口」、〔み=みぃ=myi〕「本当に柔らかい」、〔る=ru〕「その状態」で、「口の本当に柔らかい状態の部分」で納得のいく答えが出せました。耳も唇も本当に柔らかい身体の部分でした。

 身体語で他に柔らかいところは、女性のオッパイ(乳〔ちち〕)です。乳〔ちち〕は〔ちぃ=tyi〕「とっても柔らかい」の連音で、「とっても柔らかい柔らかい(もの)」を表現しています。父は〔ち=ti〕「とっても確かな」の連音で、「とっても確かな確かな(人)」ですから念のため。

 

5 対になって並ぶ歯、二つ並んだ穴の鼻

 古代の人々は、一部の言葉を除いて、もっとも単純で全ての人々が共通の認識を持てるように言葉を選び育ててきました。古代の言葉は古代人の気持ちになって自然な感覚で推理しないと、言葉の語源に変な理屈っぽい解釈をしてしまいます。

 身体語特に歯や鼻は、南洋または東南アジア系特有の一音節語らしいから、それらの地域に居住する民族の言語と日本語を比較検討する(比較言語学の基本的な方法)のが、最も正しい日本語の語源またはルーツの探究法であると信じている学者も大勢います。しかし、日本語をそのままの形で使用して比較の対象とすることができる外国語は、まだ発見されていません。

 音の一部(例えば言葉の最初の音)のみの共通性を統計的に比較して、日本語と他の言語との類似性を証明できたという人もいますが、そこからは何ら発展的な事象は生まれてこないのです。言葉の音の意味(言葉の音に意味があることが基語の基本的概念)が共通する言語を見つける方法(KJ法はその有力な手段)が、新しい言語学の研究方法として確立されることを期待しています。

 これから述べる歯〔は〕や鼻〔はな〕の語源も、決して比較言語学では発見できなかったと思います。また、先に述べた耳もそうでしたが、歯〔は〕や鼻〔はな〕を「ものを噛む」や「においを嗅ぐ」などの機能的な捉え方でもその語源は見つかりません。単純に、本当に単純に、古代人は「もの」や「事象」の「ありのままの姿」を言葉にしているのです。言葉の命である「アイデンテティ−」は「ありのままの姿」そのものでした。

 歯〔は〕は木の葉の〔は=ふぁ=fa〕音と同じ「対になった(もの)」という表現で十分なのです。太陽に焼けた浅黒い肌に、真っ白な歯がみごとに「対になって」並んでいる古代人の様子が目に浮かびませんか。

 また、鼻〔はな〕は〔ふぁ−ぅお−ぬゎ=fa−wo−nwa〕であるという音の分析も、ここまできたらそれほど難しいものではありませんでした。鼻〔はな〕は、〔fa〕「対になった」、〔wo−nwa〕「穴=低(深)く重なる」で、「対になった穴」そのものでした。人だけではなく豚も牛も鶏も、みな同じように対になった穴の「鼻」を持っています。

 

6 しっかり囲む肩、頭、額

 肩〔かた〕は〔か=くゎ=kwa〕「囲む、覆う」、〔た=ta〕「とっても高い(ところ)」で、「身体の高い部分を覆う(もの)となり、頑丈な肩のイメージを的確に表現しています。

 頭〔かしら〕は〔か=くゎ=kwa〕「囲む、覆う」、〔し=si〕「より確かに」、〔ら=ra〕「中心(もっとも大切なもの=脳)」で、「脳をより確かに覆う(もの)」です。頭〔かしら〕のもう一方の表現〔あたま〕は、〔あ=a〕「大きな」、〔た=ta〕「とっても偉大な」、〔ま=むゎ=mwa〕「本当に丸い(もの)」で、「大きくて偉大な玉=頭」そのものでした。さらに、頭〔こうべ〕も解決できました。頭〔こうべ〕は〔こ=くぉ=kwo〕「中心となる」、〔う=u〕「見ることができない」、〔べ=め=me〕「真に大切なもの」で、中身を見ることはできないけれども、本当に大切なものをこのように呼んだのでしょう。

 額〔ぬか〕(ひたいを古代では〔ぬか〕と言いました)は〔ぬ=nu〕「二つとない」、〔か=くゎ=kwa〕「囲まれた(ところ)」で、頭〔かしら〕と同じように脳を囲むところからこう名づけたのでしょう。〔ぬ〕音の意味を説明するために、〔ぬ〕音を使った言葉の例を少し述べておきましょう。主〔ぬし〕(古語辞典では「所有者」という意味があることを明確にしています)は、〔ぬ=nu〕「二人はいない」、〔し=si〕「より確かに」で、「より確かに二人はいない=所有者(主人)」という意味になります。所有者が二人もいては困りますね。現代では高額な土地などの財産の所有権に「共有」の概念がありますが、土地を占有することがほとんど無意味だった古代人には、まだ共有の概念は生まれていなかったのでしょう。

 犬〔いぬ〕は〔い=i〕「確かに」、〔ぬ=nu〕「二つとない(主人を二人も持たない=忠実な)」で、忠大「ハチ公」を連想させる「確かに忠実な(生き物)」です。

 なお、額〔ぬか〕にはもう一つの推理が存在しています。それは、〔ぬか〕の元の音は〔うか〕であり、〔う=u〕「見ることができない」、〔か=くゎ=kwa〕「囲まれた(ところ)」ではないかというものです。古代の音の正確な韻の変化が分かれば、もう少しはっきりと言えるようになるでしょう。話は少し脇道にそれますが、額〔ぬか〕については面白い話があります。万葉の女流歌人、額田王をご存じですか。『万葉集』の作品から、鏡王の娘(妹ではないかとの説も有力)で、若い頃大海人皇子(後の天武天皇)との間に十市皇女をもうけたこと、後に天智天皇に寵愛されたが、天智帝の亡くなった後再び天武帝の妃に迎えられたことなどを知ることができます。当時、才色兼備のこのすてきな女性は、多くの男性のあこがれの的だったことでしょう。『万葉集』には長歌、短歌併せて十余首収録されています。代表作に「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」があります。この額田王、実は「雨降り少々傘要らぬ」のたいへんな「おでこ」だったのでした。〔ぬかた〕は、〔ぬか〕「額」(ひたい)、〔た=ta〕「高い」で、その顔の形からこの美女は額田王と呼ばれました。叔母(母又は姉ともいわれる)の鏡女王が、すばらしい鏡をいつも所持していたからこのように呼ばれることになったのと同じことです。江戸時代の代表的な美人「お多福」もみごとなおでこの美人でしたが、現代男性も同じようにおでこの美人にあこがれを抱くサユリスト(女優の吉永小百合)やコマキスト(同栗原小巻)が多いようですから、日本男性は昔からおでこの美人を好んだようです。

 

7 しなやかに動く首、指、舌

 首〔くび〕は〔く=くぅ=kwu〕「組み合わせる」、〔び=み=myi〕「本当にしなやかに」で、「(頭と胴体を)白在継手のようにしなやかに結合する(もの)」です。〔び〕音の元の音が〔み〕音であることは、鼻に技ける息の量は異なりますが、音を発声するときの唇や舌の動きがほとんど同じであること、あるいは漢字の「美」が〔み〕〔び〕の両音で発声されていることなどから推理できます。このことは、〔ば〕行と〔ま〕行の関係全てに言えることです。〔ば〕音と〔ま〕音、〔び〕音ど〔み〕音、〔ぶ〕音と〔む〕音、〔べ〕音と〔め〕音、〔ぼ〕音と〔も〕音は、それぞれ「馬」、「美」、「武」、「米」、「母」を両方の音で読めることから確認してください。ただ、日本語の場合はもともと濁音がなかったと言われているので、反対方向の韻の変化はほとんどありません。

 指〔ゆび〕は〔ゆ=うゅ=wu〕「動く」、〔みぃ=myi〕「本当にしなやかに」で、「本当にしなやかに動く(もの)」です。舌〔した〕は〔し=しぃ=syi〕「よりしなやかな」、〔た=ta〕「とっても長いもの」で、細長くて奇妙に動く舌をこのように表現したのでしょう。

 首〔くび〕、指〔ゆび〕、舌〔した〕に共通する〔いぃ=yi〕音は、「柔らかい」、「しなやか」、「やさしい」などを表現しています。

 妹〔いも〕は〔い=いぃ=yi〕「やさしい、かわいい」、〔も=mo〕「本当に小さい」で、「本当に小さくてかわいい(人)」ですし、芋〔いも〕は〔い=いぃ=yi〕「柔らかい」、〔も=mo〕「本当にたくさん」で、「柔らかくて本当にたくさん(採れるもの)」です。この場合の〔mo〕音は〔ma〕音が変化したものです。

 〔び〕音の元の音が〔み〕音であった例をもう少し述べておきます。

 蛇〔へび〕は〔へ=he〕「端の方(まで)」、〔び=みぃ=myi〕「本当にしなやかに」で、「端の方まで、本当にしなやかな(生き物)」です。

 蝦〔えび〕は〔え=e〕「よい、大切、おいしい」、〔び=みぃ=myi〕「本当にしなやか」で、「おいしくて本当にしなやかに(曲がる生き物)」です。大きな伊勢えびの腹の部分がしなやかに曲がることを思いだしてください。伊勢えびは、古代から最高の海の幸だったのです。

 帯〔おび〕は〔お=あ=a〕「長い」、〔び=みぃ=myi〕「本当にしなやか」で、「長くて本当にしなやかな(もの)」です。帯の〔お〕音は、〔あ〕音が変化したものとしました。帯の〔お=o〕音「細い」をそのまま解釈すると、帯は「細くて本当にしなやかな(もの)」となります。こちらの方が正しいかもしれません。

 

8 土台のような腰、足、肱

 腰〔こし〕は〔こ=くぉ=kwo〕「中心になる、軸になる」、〔し=si〕「より確か=土台」で、「軸になる土台」で説明の必要がないでしょう。

 足〔あし〕は〔あ=うぉ=wo〕「下の方の」、〔し=si〕「土台」で、「下の方にある土台」という意昧でした。人問だけでなく、馬や牛、机や椅子までもしっかりと土台になる足を持っています。同じ例には、顎〔あこ〕があります。顎〔あご〕は〔あ=うぉ=wo〕「下の方の」、〔ご=くぉ=kwo〕「軸となる(ところ)」で、「(顔の)下の方の軸となる部分」です。ものを噛むのに重要な顎を的確に表現しています。

 足の〔あ〕音をそのまま〔a〕音として『長い土台』とする考え方もありますが、ここでは〔wo〕音のほうを採用しました。

 〔し〕音を含む言葉の使用例を少し紹介しておきましょう。

 牛〔うし〕は〔う=うゅ=wu〕「運ぶ」、〔し=si〕「より確かに」で、『しっかりと物を運搬する(生き物)』が語源です。

 鹿〔しか〕は〔し=しぃ=syi〕「より柔らかい」、〔か=ka〕「仮の(もの)」で、「より柔らかい仮のもの(角)を持つ(生き物)」です。

 牛〔うし〕の〔し〕音と鹿〔しか〕の〔し〕音は、現代では同じ〔し〕音でも元の音と意味は異なります。

 鹿の角は古代人の幼稚な刃物でも加工が容易だったので、古くから日常生活や占術に使用されてきました。そして、どんなに立派な鹿の角も、毎年春になると抜け落ちて生え替わるのです。

 肱〔ひじ〕は〔ひ=hi〕「中間にある」、〔じ=し=si〕「土台」で、「中間にある土台(支点)」という意味です。肱〔ひじ〕の〔じ〕音の元の音は〔し〕音でした。肱枕をするとちょうど言葉のように肱は支点になります。古代人の名づけ方はみごとですね。

 

9 手を動かす腕、座ってわかる膝

 腕〔うで〕は〔ぅゆ又はうぅ=wu〕「動かす」〔で=て=te〕「手」で、「手を動かすもの」という意味です。腕〔うで〕の〔で〕音の元の音は〔て〕音です。便利な手を自由自在に動かすもの、それが腕〔うで〕だったのです。

 膝〔ひざ〕は〔ひ=hi〕「真ん中の、中央の」〔ざ=さ=sa〕「より高い(ところ)」で、「(しゃがんだとき)長い足の中央でより高くなる部分」です。足を前にして座って確かめてください。

 ここで、人の基本的な動作である「立つ」、「座る」、「寝る」の語源を説明しておきましょう。「立つ」は、語幹が〔た=ta〕「とっても高い」で、「とっても高くなること」です。「座る」は、語幹が〔すゎ=swa〕「より丸い」で、「より丸くなること」です。野原で座るときの自然な姿を見事に表現しています。「寝る」は、語幹が〔ね=ぬぇ=nwe〕「根(根本)」で、「根本(基本)となる状態」です。生まれたばかりの赤ん坊のすやすや眠る状態からこのように意味づけたのでしょう。 「寝る」の 〔ね〕音を〔ね=ne〕「よくない」とすると、「病でよくない状態」となりますが、「寝る」の語源は先の「すやすや眠る状態」とするほうが素直です。

 「腕」と「手」の関係、「肱」と「膝」、「立つ」「座る」「寝る」の表現の違いなど、ここにも古代人のきわめて自然な発想と感性が見られます。

 

10 見ることができない胸と脛、細かく分かれる毛

 身体語の謎解きも終わりに近づきました。

 胸〔むね〕は〔む=mu〕「本当に見ることができない」、〔ね=ぬぇ=nwe〕「根本となるもの」で、ドクドクと刻む心臓の音が、生と死を分けるもっとも大切な響きであることを古代人は知っていました。胸のもう一つの表現「心」〔こころ〕は、〔こ=くぉ=kwo〕「中心となる」、〔こ=ko〕「ところ」、〔ろ‐ro〕「囲まれた、区画」で、「(生命の)中心となる区画」すなわち心臓そのものです。

 脛〔すね〕は〔す=su〕「より見え難い」、〔根=ぬぇ=nwe〕「根=根本となるもの」で、「立ったままでは見え難いところの根っこ」です。確かめてみてください。

 毛〔け〕は〔け〕音の分析に少し手間取りましたが、〔え=e〕「よい」音と〔いぇ=ye〕「分かれる、分ける」音の区別ができたとき、その意味を確認できました。毛の〔け〕音は容器の〔け=ke〕「便利なもの、大切なもの」音ではなく、〔きぇ=kye〕音が変化したもので、〔kye〕音は「(細かく)分かれたもの」という意味でした。

 〔k〕音は、この含に続く母音と結合して、「……なもの」という意味を構成する基語です。

 苔[こけ」は、〔こ=ko〕「小さい、細かい」、〔け=きぇ=kye〕「分かれたもの」で、「細かく分かれたもの」という意味になり、毛のように一面に生えている苔の様子をうまく表現しています。

 基語を使っての身体語の推理は、基語を少し応用できるようになった段階でしたので、本当に思いのほか短期間に解決できました。このようにして、基語は日本語の謎を少しずつ解き明かすことによって検証され、その地位を確実にしていきました。

 

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