岩倉合戦(現在)
 織田氏宗家を自認する岩倉城主織田信安は美濃斎藤氏と謀り、台頭著しい清洲の信長討伐を策しました。

これを知った信長は永禄元年(桶狭間の戦いの2年前)、犬山城の織田信清と共にこの浮野の地で信安と

対峙、7月12日戦機熟し両軍激突、戦いは数時間に及び信長、信清軍は信安軍を岩倉城際まで追い詰め、

勝を制しました。

この戦いで討ち取った岩倉軍方の首級900余を埋めたのが、この「浮野合戦場址」碑の在るところです。

尚、岩倉城は翌年3月落城しています。
浮野合戦場祉碑