赤色瓦は18世紀以降のものがほとんどで、那覇市壺屋で乾隆三年(1738年)の銘が記されたものが発見されています。
1737年、琉球王府は、屋敷・家屋の規模を制限するとともに、平屋の瓦ぶきを禁止しました。
しかし、防火と開港場として外国人が出入りする那覇は除かれました。
その後、赤瓦が注目されるのは、1889年(明治22年)に規制が解かれたことからはじまりました。
その頃、社寺や役所、その他一般の建物の建設が盛んになり、瓦の需要の高まり、合わせて燃料となる薪の量が少なくて済み、 技術的にも容易で効率的な生産が可能な「赤瓦」が主流になったと考えられています。
当時、赤瓦は首里周辺で焼かれておりましたが、明治時代中頃より、製造と流通、建築資材集積で便の良い与那原周辺へと 生産の中心が移っていき、現在では時代のニーズに適応した改良瓦の製造などの研究開発に取り組む沖縄瓦の有数な生産地となっています。