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哲平のストーリー
Esposito
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Pizzajuolo 哲平のブログ
哲平
師匠ガエターノ
ESPOSITO
店内
本場ナポリの繁盛店で鍛えた腕前
「あれは誰だ。東洋人にピザを焼けるのか!?」。
ナポリの中心街にあるピザの繁盛店「オーカラマーロ」で、ピザを焼始めた18歳の哲平に、常連たちは、そんな言葉を遠慮なく投げかけた。店名のオーカラマーロは、ナポリ料理に欠かせぬ食材である「イカ」という意味。ピザを焼く石窯は、出入り口のすぐわきに据えられ、130席の大きな店内からもよく見える。 ナポリの伝統的な食文化であるピザの世界に、突然、日本人が現れたのだから無理はない。しかも、従業員約20人の繁盛店にあって、ピザの仕上がりを大きく左右する石窯の担当は、いわば花形のポスト。 それはまさに、銀座の高級寿司店のカウンターで外国人が寿司を握っているようなものだった。午後7時の営業開始から閉店の午前2時まで、灼熱の石窯に向かい、ざっと600枚は焼く。額に汗を浮かべ、毎日、懸命に働いた。焼き加減にうるさい常連たちも、「うまかった!」と哲平にお礼のチップを置いていくようになった。
 

師匠ガエターノとの不思議な縁
つらい修行に哲平がへこたれなかったのは、オーカラマーロの経営者で、ピザ作りの師匠だったガエターノ・エスポージトが、「テッペ(哲平)、負けるな!」といつも叱咤激励してくれたからだ。ナポリで最も名の通ったピザ職人の1人であるガエターノに、弟子入りを志願する者は少なくないが、彼が心から受け入れ、技のすべてを教えた者は、親族以外、哲平しかいない。ナポリの飲食業界では、哲平がガエターノに弟子入りしたことに、「ナポリの伝統の技を教えるべきではない」との批判もあったが、ガエターノはそんな声を頑として聞き入れなかった。ガエターノは不思議と哲平を気に入ってくれた。哲平は高校を卒業後、18歳でイタリアに渡った。何のコネもなく、たった1人で。イタリア語学校に通う傍ら、ナポリでピザを食べ歩いた。あまりのおいしさに弟子入りを頼み込んだのだが、ガエターノの店だった。哲平は日本にいた高校生のころ、けがでサッカーの道を絶たれ、そんな時、たまたまテレビでナポリのピザ職人を取り上げた番組を見て、イタリア行きを決意したのだが、実は、その番組で取材されていた職人が偶然にもガエターノだったことを知り、運命のような不思議な縁を感じた。

 
「PIZZERIA ESPOSITO」を2008年に開店
5年間の修行を終え、哲平は2001年に帰国した。すぐにスペインに渡って、ピザ職人として働くことが決まっていたが、予期せぬ事態に遭う。日本国内で働いた経験がない、という理由から就労ビザを取得できなかったのだ。ナポリのピザ職人組合の認定資格証書、それに、ナポリの飲食業界の重鎮たちが用意してくれた連名の推薦状があれば、ニューヨークでも、パリでも、世界中のピザ店が一流のピザ職人として哲平を迎え入れてくれるはずだった…。しかし、哲平は奮起する。「資金を貯めて、いつか、本物のナポリピザの店を日本で開こう」。経験と技を生かして、ピザ店の新規開店などを支援するコンサルタント業を始め、経済的に苦しい時には、建設工事現場で作業員として働いた。哲平の腕を見込み、新規開店に出資したいという申し出もあったが、店のコンセプトを話し合ううちに、「どこにでもあるような店じゃあかん」と辞退した。
そして、ついに、哲平が理想とするナポリピザの店「PIZZERIA ESPOSITO」のオープンに漕ぎ着けたのが、2008年12月22日。哲平、30歳の挑戦だ。
取材・編集/村上 晋
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