biography

‘ブレッド’は1968年、デヴィッド・ゲイツ、ジェイムス・グリフィン、ロブ・ロイヤーの3人によりロスアンゼルスで結成されました。3人はそれまで多くのアーティストに曲を提供していたソングライター、またスタジオ・ミュージシャンとしても活動していましたが、自分達の曲を思いのままにに演奏したいとの願望が一致しグループ活動がスタートした訳です。
またロブ・ロイヤーが在籍していたポップ・ハーモニー・ユニット、‘プレジャー・フェアー’のアルバムのプロデュース&アレンジをデヴィッド・ゲイツが担当した事はブレッドが誕生した一因と云ってもいいでしょう。ロブ・ロイヤーは1967年頃にジェイムス・グリフィンと共同ライターとして活動を開始していましたので当にブレッドの前身はプレジャー・フェアーと云えるのだと思います。

グループは当初、曲作りを中心に自分達の目指すバンドとしてのフォーマット・メイキングに専念していましたが、1969年初頭にエレクトラ・レコードのジャック・ホルツマンにデモ・テープが認められ契約の至りとなりました。記念すべきファースト・アルバム『Bread』はドラマーにジム・ゴードンを起用しその年にリリース、「Dismal Day」がシングル・カットされましたが、アルバム、シングル共にセールス的には芳しくありませんでした。

しかし翌1970年、アルバムに先行し「Make It With You」 がシングル・カットされ瞬く間に全米チャートNo1に輝き、セカンド・アルバム『On The Waters』 もゴールド・ディスクを獲得し一躍ブレッドの名前はメジャーの仲間入りを果たす事になります。このアルバムからドラムスのマイク・ボッツが正式メンバーとなりブレッドは4人編成としてコンサート・ツアーにも対応可能となります。またファースト・アルバムから「It Don't Matter To Me」が シングル・カットされこのナンバーもトップ10ヒットとなり彼等の快進撃が続いて行きます。
そしてこの2曲のヒットによりブレッドはデヴィッド・ゲイツのソフト・ライクなメロディアス・ナンバーを演奏するグループ、と云うイメージが一般的に浸透した事実で、ジェイムス・グリフィンとロブ・ロイヤーの共同ナンバーはやや影の薄いものになりつつありました。また当初彼等はA面シングル・カットに於いても半々で、という約束があったらしいのですが、エレクトラとしてはデヴィッドのナンバーをA面カットする方針に傾き、ライター・コンビの二人には不満が鬱積していく事になります。

1971年サード・アルバム『Manna』を発表、先行シングルのバラッド・ナンバー「If」は世界的な大ヒットを記録し、ブレッドのイメージを決定的なものにしただけではなく、デヴィッド・ゲイツのソングライティングとしての評価を一層高める事になりました。

そして1971年末、オリジナル・メンバーのロブ・ロイヤーがメンバー脱退を表明し正式にバンドを離脱しました。ロイヤーの脱退はやはりゲイツとのバンドの方向性で歯車が合わなかった事が原因、と想像されます。しかしロイヤーはその後もグリフィンとのライターコンビは継続させ、以降のブレッドのアルバムに曲を提供していく事になります。ロイヤー脱退の事態に対してゲイツはウェスト・コーストの有力なスタジオ・ミュージシャンであるラリー・ネクテルを勧誘、正式メンバーとして迎えました。ネクテルの加入によりバンドはツアーも増加していき、この時期年間100以上のコンサートを行った、とゲイツは後語っています。
4枚目のアルバム『Baby I'm-A Want You』からはタイトル曲の他、「Mother Freedom」「Everything I Own」「Diary」と4枚のシングルヒットが生れ、アルバムも全米チャート3位を記録しオリジナル・アルバムの中では最大のベスト・セラーになります。

その後もブレッドは順調にツアー、レコーディングを続け1972年末に5枚目のアルバム『Guitar Man』を発表、3枚のトップ15シングルヒットを送り出しました。しかし1973年6月ソルト・レイクでのコンサート・ステージで突然グループの一時解散を発表し、多くのブレッド・ファンを悲しませませる事態になりました。
そしてゲイツとグリフィンは互いにリーダー・アルバムをリリースしソロ活動に専念、マイク・ボッツとラリー・ネクテルはセッション活動に戻って行きました。
3年半後の1976年10月、エレクトラ・レコードはブレッドの再結成及びニュー・シングルの広告をビルボード誌に掲載しました。
そのシングル「Lost Without Your Love」はチャート9位まで上がり、翌年早々には実に4年ぶりとなる同名タイトルアルバム『Lost Without Your Love』をリリース、ゴールド・ディスクに輝き見事な復活を遂げました。



しかしグループは幾つかのコンサート・ツアーをこなした後はバンド継続の意志は薄れ、活動は半年で終止符を打ち正式解散となりました。この再結成はエレクトラとの当初の契約が1枚のアルバムリリースが残っていた為のレコーディング、と当時云われていましたが、その後ツアーにも出ている事を考えれば真相は不明です。

その後メンバーはゲイツ、グリフィンのソロ・アルバムでも顔を合わせており、1994年頃にはジェイムス・グリフィン、ロブ・ロイヤー、ラリー・ネクテルはナッシュビルのローカル・クラブで‘Toast’と名のり演奏活動も行っていたようです。

そしてグループ解散から何と20年後の1996年ブレッドは結成25周年と謳い解散時のメンバーが再編成、全米、ヨーロッパ、オセアニア、南アフリカ、東南アジアへ2年間に及ぶワールド・ツアーを行っています。またワールド・ツアー直前にはゲイツのソロ・ヒットも収録したベスト・アルバム『Essentials』がリリースされておりツアーに相乗り、この一連のマーケティングはブレッドに対する商業的重視が依然エレクトラに存在している証だったのではないでしょうか。
我が日本へのツアーは当初計画があったようなのですが残念ながら実現しませんでした。

2006年、ブレッドはアメリカのVocal Group Hall of Fameにて殿堂入りを果たしました。

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